瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 個々の語の語源を語源を論ずる場合の難しさは、意義の場合と同様に、音韻の場合にも一般論では律しきれない、個別的な要因の介入する可能性が多分に予想されるところにあります。
 
例えば、語形変化の一つの場合として、音位転換とか語音転倒とか呼ばれる現象(Metathesise、メタセシス)があります。タマコをタガモというように、「御中において隣接したり、または他の音を介して連続したりするふたつの音(または音連続)が、その位置をとりかえること」で、幼児の言葉をはじめとして、われわれの日常の不注意な発話にも、しばしば表れるものであります。

 
しかし、その多くは、単なる言い誤りとして、その場限りで消え去って、「方言集」や「俗語集」の類にも記録されるに至らないものが多くあります。そのうち、やや安定した地位を占め得たものとして、二、三の書物に挙げられている例の中で、まず問題がないのは思われるものは、例えば次のようなものです。
 ちゃがま(茶釜)―→チャマガ  すごもり(巣籠)―→スモゴリ
 つごもり(月籠・晦)―→ツモゴリ  つぐみ(鶫)―→ツムギ
 たまご(卵)―→タガモ  よもぎ(蓬)―→ヨゴミ
 まるまげ(丸髷)―→マルガメ  こまごめ(駒込)―→コガモメ
 からだ(体)―→カダラ  とだな(戸棚)―→トナダ
 はらつづみ(腹鼓)―→ハラヅツミ
 「文福ちゃまが」とか「大つもごり」とかのように、こういう語音転倒は、かなり一般化して用いられている場合があります。現在語源の判らない語の中にも、あるいは、もと語音転倒の結果生まれてきたものがあるかもしれません。もしそうだとすると、そういう語の語源を探求するためには、当然、まずこれを店頭以前の原形に戻してみることが必要な道理ですが、その際、いったいこの語音転倒の現象というのは、どういう条件の場合に起こるものであるか、それを明らかに出来れば、甚だ便利なわけです。
 上のいくつかの転倒例を見渡すと、直ちに、一つの傾向が認められます。すなわち、これらには共通に濁音音節が関係し、特にgmの音変換(gが前進する場合も、後退するばあいもある)が著しいほか、dと、rntとの変換が、それぞれ認められることになります。後者はいずれも前舌と歯茎とによる音であるという、発音部位の似寄りにその原因があると考えられますが、前者と合わせて、なぜ常に濁音が関係するのかは、その理由がよく判りません。濁音の含まれることが語音転倒の起こりうる一つの条件、と見ることが出来そうですけれども、それ以上に尚、どのような条件が必要なのかは、いまのところ不明です。語音転倒の起こる音韻的条件は、一般的に規定できるものではないのかも知れません。
 単に音韻上の問題というのではなく、意味の介入する場合も多いようです。例えば、井戸水を組む釣瓶のことをツブレということが、現在でも各地の方言に見られますが、普通これはツルベの語音転倒と考えられています。この場合にも濁音が関係していますので、いかにもありそうなことです。

 
ところが、転化した形と思われているツブレの方が、実は原形であり、これはツブラという語と関係のある語で、もと「円い物」、特に瓢箪を意味したのではないかと柳田国男博士は示唆しています。

 水を汲むのに瓢箪を用いることは、昔は極めて一般的でした。ところが、ツブレという語の、そういう語源的な意味が忘れられてしまうと、今度は、縄で吊り下げて水を汲むという用途の面から、その形が解釈しなおされて、ツルベすなわち、「釣る瓮(へ)」と呼び換えられるようになりました。そういう可能性も十分に考えられます。
 だとしますと、この二つの語は、むしろツブレ→ツルベという、逆の関係で考えなければならなくなります。この場合、仮に初めは単なる語音転倒としてこの変化が起こったとしても、ツルベの形の方がしだいに一般化したのは、この方が、すいでに意味不明のツブレという名よりも、この道具の用途からして、より納得しやすかったからです。ツルベというのは、謂わば、この語についての新しい語源解釈から生まれてきた合理的命名だったということが出来ます。
 同じような事情は、「とさか」をトカサといったり、「まないた」をナマイタと言ったりする場合にも考えられます。元来「とさか」の「と」は,鳥屋(とや)・鳥狩(とかり)などの語があるように、鳥の意で、「さか」はそれ自身でも毛冠を意味する語でした。おそらく、「咲く」「盛える」などと関係ある語で華やかに目立つところからの名であったのでしょう。ところが、こういう語源が忘れられるとともにこの「とさか」という語を、「鳥がかぶっている笠」と解釈しなおした結果として生まれたのが、「とかさ」という転倒形だったのでしょう。
 「まないた」も、元来「まな」は魚の意で、魚を調理する板をいうのでしたが、これを「なまいた」と語音転倒させたについては、必ず「生ものを調理するいた」という新しい解釈が加えられたに相違ありません。


 


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