瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 荀子 宥坐篇第二十八 より
2 孔子為魯攝相、朝七日而誅少正卯。門人進問曰:「夫少正卯魯之聞人也、夫子為政而始誅之、得無失乎、」孔子曰:「居、吾語女其故。人有惡者五、而盜竊不與焉:一曰:心達而險;二曰:行辟而堅;三曰:言偽而辯;四曰:記醜而博;五曰:順非而澤--此五者有一於人、則不得免於君子之誅、而少正卯兼有之。故居處足以聚徒成群、言談足飾邪營眾、強足以反是獨立、此小人之桀雄也、不可不誅也。是以湯誅尹諧、文王誅潘止、周公誅管叔、太公誅華仕、管仲誅付里乙、子產誅鄧析史付、此七子者、皆異世同心、不可不誅也。《詩》曰:『憂心悄悄、慍於群小。』小人成群、斯足憂也。」
50cca566.JPG 孔子は魯の国の司法大臣に任命され、朝廷へ出仕して七日しか経っていないときに、少正卯〔しょうせいぼう、?~BC496年、春秋時代の魯国の大夫〕を死刑に処した。門人らが進み出て、
「あの少正卯は魯の国の名士です。先生が政治を取って第一番目に彼を誅罰せられましたことは、立派なやり方でしょうか」
と問うた。孔子は、
「まあ、坐れ、そのわけを話してやろう。人間であればしてはならない悪いことが五つあるが、盗みはこれに入らない。その第一は、心が物事によく通じていて陰険であること。第二は行いが偏って頑ななこと。第三は嘘つきなくせに雄弁なこと。第四は悪い事ばかりよく記憶していること。第五は悪いことに従って外面を美しく見せることである。この五つのことが一つでも人にあると、君子からの誅罰を逃れることのできないものである。それなのに少正卯はその全部を兼ね備えていた。だから彼の居宅では、よくない人々を集め、乱をなす群衆をつくることができ、彼の弁舌はよこしまなことでも言いつくろって民衆を騙すことができ、彼の勢力は正しいことに反対し、それでもって独立してゆけるほどである。これは小人たちの中での悪いほうの大将である。どうしても誅罰しなければならない。だから殷の湯王は尹諧を誅罰し、周の文王は潘止を誅罰し、周公は管叔を誅罰し、太公望の呂尚は華仕を誅罰し、斉の管仲は付里乙(ふりいつ)を誅罰し、鄭の子産は史付(しふ)を誅罰した。この七人は時代は違うが同じように悪い心をもっていたので、どうしても誅罰せねばならなかった。『詩経〔邶風(はいふう)・柏舟(はくしゅう)篇〕』に『憂いの心で一杯である。多くのつまらない人どもに怒られることを』とある。小人どもが群れをなすと、憂い悲しむべきことなのである」と言った。
 
 詩経 邶風(はいふう) 柏舟(はくしゅう)篇 
 汎彼柏舟、亦汎其流、耿耿不寐、如有隱憂、微我無酒、以敖以遊
〔読み〕汎たる彼の柏舟、亦た汎として其れ流る、耿耿として寐ねられず、隱憂あるが如し、我に酒の以て敖(ごう)し、以て遊する無きに微(あら)ず
〔訳〕流れに浮かぶ柏(ひ)の舟は/よるべもなく漂うている/深い憂いが胸に満ち/うとうとと夜も眠られぬ/心の思いを忘れて遊ぶ/酒もないではないけれど
 
75bcdb08.JPG 我心匪鑒、不可以茹、亦有兄弟、不可以據、薄言往愬、逢彼之怒
〔読み〕我が心 鑒(かがみ)に匪(あら)ず、以て茹(い)る可からず、亦た兄弟有れども、以て據る可からず、薄らく言(ここ)に往き愬(つぐ)れば、彼の怒りに逢ふ
〔訳〕鏡でもない私の心に/人の思いは計られぬ/よし兄弟が在ればとて/何の頼りになるものか/かりに往って訴えても/却って怒られるばかりなのだ
 
 我心匪石、不可轉也、我心匪席、不可卷也、威儀棣棣、不可選也
〔読み〕我が心 石に匪ず、轉がす可からざる也、我心 席(むしろ)に匪ず、卷く可からざる也、威儀(いぎ)棣棣(ていてい)として、選ぶ可からざる也
〔訳〕石ではない私の心を/頃がして移すことはできぬ/蓆でもない私の心を/巻いて収めることはできぬ/恐れることのない態度で/自分を枉げることはできぬのだ
 
 憂心悄悄、慍于群小、覯閔既多、受侮不少、靜言思之、寤辟有摽
〔読み〕憂心 悄悄として、群小に慍(うら)まる、閔(うれひ)に覯(あ)ふこと既に多く、侮を受くること少なからず、靜かに言に之を思ひ、寤めて辟(むねう)つこと摽たる有り
〔訳〕心の憂いは果もない/つまらぬ者に憎まれて/辛い思いも重なれば/侮られたのも幾度か/醒めて静かに思う時/胸を辟(な)で摽(う)つばかりなのだ
 
 日居月諸、胡迭而微、心之憂矣、如匪澣衣、靜言思之、不能奮飛
〔読み〕日や 月や、胡(なん)ぞ迭(かへ)って微なるや、心の憂ひ、澣(あら)はざる衣の如し、靜かに言に之を思ひ、奮ひ飛ぶこと能はず
〔訳〕ああ 日よ月よ/なぜ互いに欠けるのか/この心の憂わしさは/汚れた衣(きもの)を着ているようだ/静かに思い悩みつつ/飛び立ちかねる鳥ならぬ身は
 
※衛の頃侯〔(?~BC855年)の時、仁者は不遇で、小人が君の側にあった。その不遇な仁人の詩であると言う。『列女伝』では衛の寡夫人の詩であると、朱子は夫に愛されぬ婦人の嘆きとする。このように作者を男性と見るか、女性と見るか二説あるわけで、それによって諸家の説も分かれるが、威儀棣棣といい、慍于群小といえば、士人の作か、婦人としてもしかるべく身分の人であろう。賢者が小人の讒を受けるのを憤る死であると言う説もあるというが、ともあれ心あるものが小人に苦しめられ、訴える所のない深い悲しみを詠っているのであるという。その憂いの何故かは知るべくもない。
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