瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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66608a6f.jpg 27日(日)に、さいたま市在住のKY氏のご内儀より電話戴き、KY氏の逝去を知った。とりあえず、昨日は藤沢氏在住のMY氏と東北京浜線の田端のホームで待ち合わせてKY氏宅を弔問し、最後のお別れをしてきた。我々にとっては突然の訃報で、奥様からあらかたの経緯をお聴きし、ただただご冥福を祈るばかりであった。最後に奥様から「主人は近所の真言宗のお寺に休まず写経に参り、書いたものですがどうか形見に貰ってやって下さい」と、故人の写した『般若心経』を戴いて帰宅した。

38aeb1a9.jpg 『般若波羅蜜多心経』(Prajñā-pāramitā-hṛdaya‐sûtra〈プラジニャー・パーラミター・フリダヤ・スートラ〉)は、漢訳には題名に「経」が付されているが、サンスクリットテキストの題名には「経」に相当する「sûtra(スートラ)」の字句はない。Prajñā(般若)とは「智慧」の意、pāramitā(波羅蜜多)は「完成」の意、hṛdayaとは心または心臓の意である。この経典は「般若諸経典」の教えの精髄を簡潔に述べたものとされているが、その趣意はありとあらゆるものの「空」を説くことに尽きている。

f37682ba.JPG 読み下し文:観自在菩薩、深き般若波羅蜜多を行ずるとき、五蘊、皆、空なりと照見し、一切の苦厄を度す。」舎利子よ、色は空に異ならず。空は色に異ならず。色は即ちこれ空、空は即ちこれ色なり。受、想、行、識もまた、またかくの如し。舎利子よ、このこの諸法は空を相とし、生ぜず滅せず、垢れず、淨からず、増さず、減らず。この故に、空の中に色なく、受、態、行、識なく、目、耳、鼻、舌、身、意なし。色、声、香、味、触、法なし。眼界なく、乃至、意識界なし。無明なく、また、無明の尽くることなし。乃至、老、死なく、また、老、死の尽くることなし。苦、集、滅、道なし。智なく、また、得なし。」得るところなきを以っての故に、菩提薩埵は般若波羅蜜多に依るが故に、心に罣礙なし。罣礙なきが故に、恐怖あることなく、一切の顛倒夢想を遠離して、涅槃を究竟す。三世の諸仏は般若波羅蜜多に依るが故に、阿耨多羅三藐三菩提を得。」故に知るべし、般若波羅蜜多はこれ大神咒なり、これ大明咒なり。これ無上咒なり。これ無等等咒なり。よく一切の苦を除き、真実なり、虚ならざるが故なり。」般若波羅蜜多の咒を説く。即ち、咒を説いていわく、掲帝、掲帝、波羅掲帝、波羅僧掲帝、菩提婆訶。

 訳:聖者観自在菩薩が深遠なる般若はらみつにおいて、修行を行っていた時、人間は五蘊の構成要素から成立していると照見した。しかもそれらの五種の構成要素は、その本性は空であると洞察した。/シャーリプトラ(舎利子)よ、この世において物質現象は実体のないもの(空)である。実体のないものこそが、物質現象として成立するのである。実体のないことは、物質現象を離れてあるのではない。物質現象も実体のないことと別にあるのではない。およそ物質現象であるものが、そのままじったいのないものなのである。実体のないことが、そのまま無物質現象なのである。感覚・表象・意志作用・判断についても、これと全く同じことである。/シャーリプトラよ、この世において、存在物はすべて、実態のないことを特質としているのである。生じたと言えないものであり、減じたとも言えないものであり、汚れたとも言えず、汚れを離れたものでもない。減ることもなく、増すこともない。それ故にシャーリプトラよ、実体がないという見方に立てば、物質現象は成立せず、感覚も成立せず、表象も成立せず、意志作用も成立せず、判断も成立しない。視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、意識も存在しない。色、声、香り、味、触れられるもの、観念も存在しない。視覚の領域も存在せず、ないし、意識的判断の領域も存在しない。/智慧もなく、無知もなく、智慧の滅尽もない。ないし、老いること、死ぬこともなく、老いること、死ぬことの滅尽もない。苦・集・滅・道(の四つの真理)もなく、智もなく、悟りに達することもない。それに故に、達するということがないから、人は菩薩の般若はらみつを依り所として、心の覆障なしに住している。心に覆障がないから、恐怖がなく、顛倒を超越しており、究極のnirvaaNa(ニルヴァーナ、涅槃)に入っている。三世における諸仏たちはすべて、般若はらみつを依り所として、無上の正しい悟りを現実にさとったのである。/それ故に知るべきである。般若はらみつの大いなる真言、大いなる智慧の真言、無上の真言、比較を絶した真言はすべての苦悩を鎮めるものであり、偽りがないから真実あると。その真言は般若はらみつにおいて次の如くとかれている。/gate gate pāragate pārasaṃgate bodhi svāhā(ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガテー ボーディ スワーハー)「行ける者よ、行ける者よ、彼岸に行ける者よ、彼岸に共に行ける者よ、さとりよ、栄えあれ!」
中村 元(なかむら はじめ、1912~1999年、インド哲学者、仏教学者)の訳による

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ご愁傷さまでした。
 ご友人(KY)の冥福を心よりお祈り申し上げます。
シン 2011/03/29(Tue) 編集
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目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


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