真弓を詠んだ歌3
巻9-1809:葦屋の菟原娘子の八年子の片生ひの時ゆ.......(長歌)
標題:見菟原處女墓謌一首并短謌
標訓:菟原処女(うなはらをとめ)の墓(つか)を見る歌一首并せて短歌
原文:葦屋之 菟名負處女之 八年兒之 片生之時従 小放尓 髪多久麻弖尓 並居 家尓毛不所見 虚木綿乃 牢而座在者 見而師香跡 悒憤時之 垣廬成 人之誂時 智弩壮士 宇奈比壮士乃 廬八燎 須酒師競 相結婚 為家類時者 焼大刀乃 手頴押祢利 白檀弓 靫取負而 入水 火尓毛将入跡 立向 競時尓 吾妹子之 母尓語久 倭文手纒 賎吾之故 大夫之 荒争見者 雖生 應合有哉 宍串呂 黄泉尓将待跡 隠沼乃 下延置而 打歎 妹之去者 血沼壮士 其夜夢見 取次寸 追去祁礼婆 後有 菟原壮士伊 仰天於良妣 昆地 牙喫建怒而 如己男尓 負而者不有跡 懸佩之 小劔取佩 冬尉蕷都良 尋去祁礼婆 親族共 射歸集 永代尓 標将為跡 遐代尓 語将継常 處女墓 中尓造置 壮士墓 此方彼方二 造置有 故縁聞而 雖不知 新喪之如毛 哭泣鶴鴨 (於良妣 昆地で、昆は足+昆の当字)
万葉集 巻9-1809
作者:高橋虫麻呂
よみ:葦屋(あしのや)の 菟原(うなひ)娘子(をとめ)の 八年子(やとせご)の 片(かた)生(お)ひの時ゆ 小(を)放(は)り 髪たくまでに 並び居(を)る 家にも見えず 虚木綿(うつゆふ)の 隠(こも)りて居(を)せば 見てしかと いぶせむ時の 垣(かき)ほなす 人の問(と)ふ時 茅渟(ちぬ)壮士(をとこ) 菟原(うなひ)壮士(をとこ)の 伏屋(ふせや)焚(た)き すすし競(きほ)ひ 相よばひ しける時は 焼太刀(やきたち)の 手かみ押しねり 白真弓(しらまゆみ) 靫(ゆき)取り負(お)ひて 水に入り 火にも入らむと 立ち向ひ 競(きほ)ひし時に 我妹子が 母に語らくしつたまき いやしき我がゆゑ ますらをの 争ふ見れば 生けりとも 逢ふべくあれや ししくしろ 黄泉(よみ)に待たむと 隠(こも)り沼(ぬ)の 下延(したは)へ置きて うち嘆き 妹が去(い)ぬれば 茅渟(ちぬ)壮士(をとこ) その夜夢(いめ)見 とり続(つつ)き 追ひ行きければ 後れたる 菟原(うなひ)壮士(をとこ)い 天(そら)仰ぎ 叫びおらび 地を踏み きかみたけびて もころ男(を)に 負けてはあらじと 懸(か)け佩(は)きの 小太刀(をたち)取り佩き ところら 尋(と)め去(い)きければ 親族(うから)どち い行(い)き集(つど)ひ 長き代に 標(しるし)にせむと 遠き代に 語り継がむと 娘子墓(をとめつか) 中に造り置き 壮士墓(をとこつか) このもかのもに 造り置く 故縁(ゆゑよし)聞きて 知らねども 新喪(にひも)のごとも 哭泣(ねな)きつるかも
意訳:葦屋の菟原娘子が、八つばかりのまだ幼い時分から、振り分け髪を櫛上げて束ねる年頃まで、隣近所の人にさえ姿を見せず、家にこもりっきりでいたので、一目見たいとやきもきして、まるで垣根のように取り囲んで男たちが妻どいした時、中でも茅渟壮士と菟原壮士とが、最後までわれこそはとはやりにはやって互いに負けじと妻どいに来たが、その時には、焼き鍛えた太刀の柄を握りしめ、白木の弓や靫を背負って、娘子のためなら水の中火の中も辞せずと必死に争ったものだが、その時に、いとしいその子が母にうち明けたことには、「物の数でもない私のようなもののために、立派な男の子が張り合っているのを見ると、たとえ生きていたとしても添い遂げられるはずはありません。いっそ黄泉の国でお待ちしましょう」と、本心を心の底に秘めたまま、嘆きながらこの子が行ってしまったところ、茅渟壮士はその夜夢に見、すぐさまあとを追って行ってしまったので、後れをとった菟原壮士は、天を仰いで叫びわめき、地団駄踏んで歯ぎしりし、あんな奴に負けてなるかと、肩掛けの太刀を身に着け、あの世まで追いかけて行ってしまった。それで、この人たちは身内の者が寄り集まって、行く末かけての記念にしようと、遠いのちの世まで語り継いでゆこうと、娘子の墓を真ん中に造り、壮士の墓を左と右に造って残したというその謂われを聞いて、遠い世のゆかりもな人のことではあるが、今亡くなった身内の喪のように、大声をあげて泣いてしまった。
左注:右五首高橋連蟲麻呂之歌集中出
注訓:右の五首は、高橋虫麻呂の歌集に出でたり
◎菟原処女の伝説(うないおとめ の でんせつ)
奈良時代より日本の摂津国菟原郡菟原(現在の兵庫県芦屋市および神戸市東灘区付近)での古の出来事として伝えられてきました、一人のおとめ(年若い女性)を巡る悲しい妻争いの伝説です。妻争い伝説(つまあらそい - )ともいいます。2人の男から求婚された娘が自ら命を絶ち、男達も後を追って死んでしまったというものです。
兵庫県神戸市の東部地域から芦屋市域にかけてが、当時の難波の先の湾の湿地帯に茂る葦(あし)を材として屋根を葺いた家々のあったことに由来する「葦屋(あしのや)」の地名で呼ばれていた頃の話です。
菟原処女(うないおとめ)という可憐な娘がいて、多くの若者から思いを寄せられていました。中でも同じ里の菟原壮士(うないおとこ)と、和泉国から来た茅渟壮士(ちぬおとこ)という二人の立派な男性が彼女を深く愛し、妻に迎えたいと激しく争うようになったのです。娘はこれを嘆き悲しみ、「卑しい私のために立派な男たちが争うのを見ると、生きていても結婚などできましょうか、黄泉で待ちます」と母に語ると自ら命を絶ってしまったのです。茅渟壮士はその夜、彼女を夢に見て彼女が愛していたのは自分だと知り、後を追いました。菟原壮士も負けるものかと小太刀をとって後を追うのです。その後、親族たちは集まって、このことを長く語り継ごうと、娘の墓を中央に男の墓を両側に作ったというものです。
ウェブニュースより
【速報】菅首相“宣言解除の判断は苦しい” 感染症専門家の参与が明かす ―― 菅首相は、感染症の専門家に対し、緊急事態宣言を解除するかどうかの判断は「苦しいところだ」として、難しいとの認識を示した。
菅首相は、公邸で岡部内閣官房参与と面会し、緊急事態宣言を11日に解除するかどうかなどについて意見を聞いた。
岡部信彦内閣官房参与「(総理が緊急事態宣言の判断が難しいと言っていた?)総理自身もおっしゃっていた。非常に悩まれているんじゃないかと思う」、「(感染者の)数字は下がらないということもおっしゃっていた」
https://news.yahoo.co.jp/articles/27ff7636161dcc724161a95861643ce88ee09f40
岡部氏は、記者団に対し、菅首相から「判断は苦しいところだ」との認識を伝えられたと明らかにした。 【nippon.com 2021.05.04】
大相撲夏場所を前に業師宇良、再入幕に闘志 「一気に決められたら」 ―― 大相撲で業師として人気の西十両2枚目、宇良が3日、東京都墨田区の木瀬部屋での稽古後に電話取材に応じ、右膝の大けがを克服して再入幕が視野に入る夏場所(9日初日・両国国技館)に向け「チャンスがあるならつかめるようにしたい。一気に決められたらうれしい」と闘志を示した。
自己最高位は東前頭4枚目で、手術の影響により一時は序二段まで転落した。以前は土俵上を激しく動き回る取り口が持ち味だったが、現在は筋力や体重を増やし、押し負けないことを意識。「失ったものを別のもので補ったような形。昔より確実に体は強くなっている。それは言い切れる」と自信を口にした。
17場所ぶりの再入幕だった春場所で10勝し、自己最高位の東前頭6枚目で臨む31歳の英乃海も取材に応じ「上には上がある。今場所も2桁を目指して頑張りたい。三役は入門した時からの目標。30(歳)を超えた今も変わっていないので上がりたい」と貪欲だった。 【産経新聞 2021.5.3 19:51】
sechin@nethome.ne.jp です。
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