瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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8934244d.jpeg 今日は旧暦の7月27日、お月様は毎日身を削って、すっかり細くなってしまった。すぐそばに金星(明けの明星)がひときわ輝きを増した。桜橋を渡り、向島遊歩道を南下して、吾妻橋を渡って、テラス沿いに帰宅した。今の爺にはこれだけを歩くのが精一杯。足を引きずりながらの6・7千歩というところかな。携帯で、スカイツリーの間近にある痩せ細った月と明星を撮ってみた。
 
 今朝パソコンを開くと、横浜のN氏よりメールが入っていた。曰く。
「続日本紀は生きている間は読み終えない  日高節夫様/ブログ集23号の中に、やつがれの古代史の勉強、『横浜古代資料を読む会』のことを書いてくださったのですが、この勉強は、毎週ではなくて、毎月第二水曜日の一回だけ、午後3時間程度の「勉強会」なのですから、たいして成果が上がっているわけではありません。/講師は一流で、とくにレジュメが、じつに充実したものを用意してくださるのですが、とにかく丁寧な講義なので、いまやっている養老元年一年分進むのに3か月はかかります。いつ終わるか見当もつかないありさまです。/講師は1959年生まれの平野卓治先生。国学院大学大学院文学研究科博士課程後期単位取得(1988)。道理で、「この講座のレジュメは大学院並みだね」と毎回感心するほどりっぱなものをくださいます。/ところが今年の春、副館長に昇格なさったら、急に外向きの仕事が増えてきて、休講が多くなりました。今月9月もどこやらの会議に出られるので、来月に延期になりました。/いま養老元年ですから717年。桓武天皇の797年、「続日本紀」ができるまでに、今の受講者の大半は死んでいるでしょうと言われているのです。/この年令になって、もう一回、漢文の返り点で苦労するとは思いませんでした。/「続日本紀を読んで、抱いた感想はなんだ」と聞かれたら、「いやあ、今も、昔も、官僚制度の緻密なこと。なによりも、貴族以外の平民の出世の階段の厳しく、険しいこと、位階は庶民を偉くさせないためにあるようなものだ」とつくづく思いました。/でも50人もの爺ぃ家婆ぁが、熱心に聞いていますが、それにしては、終わりの片づけ方の早いこと、これは、サラリーマンの頃に「ベルさっさ」や、「りんぱ」で、会社を後にする癖のついた人が多かったのではあるまいかと勘ぐりたくなるような、帰り支度の素早さです。/因みに「ベルさっさ」とは、「終業のベルがなったら、残業せずにさっさと帰る人」。/「りんぱ」とは、「終業の電鈴=リンが鳴ったら、ぱっといなくなる人」のこと。日本画の琳派など、無縁です。/わたしの職場には、終業のベルなどありませんでしたし、残業は当たり前、それに残業料は早くからつかない扱いになっておりました。なにしろ人事部というところは、労働組合の対極にあるところですから、下級管理職の肩書を与えると、人事部員は非組合員ですから、残業料は貰えませんでした。/つまらない思い出話をしましたね。サービス残業なんてのは、とっくの昔に経験済みです。)
 
 明治30年代初頭、毎日新聞の石川半山〔いしかわはんざん、1872~~1925年、明治大正期の日本のジャーナリスト、代議士〕という記者が洋行帰りの人たちを皮肉って「ハイカラ」という語を使い始めたという。最初は「キザな男」「生意気な奴」というふうに使われていたものが、やがて「洒落者」「伊達男」のことになったらしい。
 このハイカラという言葉は、一・二年のうちにぐんぐん広まり、やがて「ハイカラ節」が一世を風靡し、ハイカラに引っかけて「蛮カラ」という言葉まで生まれるほどの勢いを示した。原語はもとより high coller であるが、カラはアメリカ式発音によったものらしい。
 
  ハイカラ節  明治41年  神長瞭月・作詞/作曲
ゴールド眼鏡の ハイカラは
都の西の 目白台
女子大学の 女学生
片手にバイロン ゲーテの詩
口には唱える 自然主義
早稲田の稲穂が サーラサラ
魔風恋風 そよそよと
  チリリンリンと やってくるは
  自転車乗りの 時間借り
  曲乗りなんぞと 生意気に
  両の手放した シャレ男
  あっちへ行っちゃ ヒョーロヒョロ
  こっちへ行っちゃ ヒョーロヒョロ
  それあぶないといってるまに
  ころがり落ちた
洋服姿の バンカラは
電車の車掌か 運転手
色は真黒けで 髪ぼうぼう
乞食袋を 肩にかけ
もうし危い 動きます
切符の無い方 切りましょか
込み合いますから 懐中物御用心
   カラオケ: http://www.fukuchan.ac/music/j-mt/haikara.html
 この「ハイカラ節」は日露戦争後辺りからとみに増え出した、世の「ハイカラ」人士を皮肉まじりに詠嘆した書生節。歌詞はここに挙げた以外にも様々なものがある。好ければ、お聞きくだされ。
          http://www.youtube.com/watch?v=pzRuufQyf-c
 爺が幼かった頃、親父やお袋が歌っていた「間がいいソング」というのも、好ければお聞きくだされ。
          http://sasakimikie.seesaa.net/article/127988577.html
 
 大正14(1925)年にはラジオ放送が始ると、これを巡ってまた多くの外国語が流れ込み、人々の口に上るようになった。ラジオが普及し、新聞、雑誌、単行本などで読者が急激に増えていったため、昭和期にはこの波に乗ったジャーナリズムの手で流行語が作り出されるという傾向が現れた。
 ある社の編集長が新聞の見出し用に考えだしたというモ・ガ(modern girl)やモ・ボ(mdern boy)という略語は大変な流行を呼んだのである。
 好ければ、お聞きくだされ。  http://www.youtube.com/watch?v=vMBFXJl49gY
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プロフィール
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目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


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