瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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  蒲田のshinさんからメールが入った。曰く、「日高さま/ご無沙汰しております。/暑い日が続く中、いかがお過ごしでしょうか。/ブログ集23をたしかに拝受いたしました。/プリンターの故障などがあったにもかかわらず、いつものように丁寧にご作成・郵送してくださり、ほんとうにありがとうございました。ゆっくり拝読させていただきます。/ところで、最近のブログはよく日本語の外来語を取り上げてくださり、たいへんよい勉強になりました。/日本語の漢字はもともと色々中国から伝わってきたものですが、明治期では「哲学」や「社会」など日本製の言葉は逆に中国に輸出しましたね。言語の面白さはますます感じられるようになりました。/今後ともどうぞよろしくお願いいたします。/まずはお礼まで。 シンより」
 
 嘉永6(1853)年、アメリカの東インド艦隊司令長官ペリーが4隻の艦隊を率いて浦賀に来航し、開国を求めた。ペリーは轟く砲声によって、日本人の耳目を驚かせ214年にわたる重い鎖国の鎖を断ち切った。翌年再び来航し、日米和親条約が結ばれ、1858年には日米通商条約の調印となった。オランダ、ロシア、イギリス、フランスなどとも通商条約を結ばざるをえながった。こうしてアメリカに先鞭をつけられ、イギリスその他の国との外交交渉が始まり、貿易関係が生じるようになり、ようやく英語が大きく登場することになった。
 1854年の大政奉還から明治の新政府成立(1868年)への大改革を迎えて、日本は旧来の陋習を破り、知識を世界に求めることになった。近代国家としての産声をあげるためには、制度万端から生活の隅々に到るまで、何もかも欧米諸国を見習うことが必要であった。政治、法律、外交、軍事、教育、思想、宗教、科学、芸術、言葉、衣食住の一切の面に、欧米文化の影響が現れてきた。
 英語、ドイツ語、フランス語などのヨーロッパの言葉がつぎつぎと日本語の中に取り入れられた。そしてそのほとんどを占めるものは、明治の初めからもっとも文化的交流の激しかったイギリス・アメリカの言葉、英語が圧倒的に多かったのである。
 明治初期の文化指導者や文学者たちは、西洋文化を取り入れるにあたって、新しい概念や事物を表すために、漢語による訳語を沢山作った。
 例えば、西周(にしあまね、1829~1897年、江戸時代後期の幕臣、明治初期の官僚、啓蒙思想家、教育者)は西洋語の「philosophy」を音訳でなく翻訳語として「哲学」という言葉を創ったほか、「藝術(芸術)」「理性」「科學(科学)」「技術」など多くの哲学・科学関係のことばは西の考案した訳語である。だが、これらの漢字への翻訳が日本語を堅苦しいものにし、子供に理解できないものにしてしまったという意見もある。しかし西洋人が子供でもアルファベットのおかげで簡単に哲学を理解できるわけではなく、単純に記述が楽なだけである。漢字熟語のように専門家以外でも意味を理解できる便利さを彼の創作造語により現代の日本人は享受している。
 汽車(train)、電報(telegram)、公園(park)、洋服(clothes)、商業(commerce)、芸術(art)、分析(analyses)など現在我々が使っている漢語もこの時に生まれた訳語(和製漢語)である。しかし、押し寄せるヨーロッパ諸国語の波に対しては、到底訳語だけでまかないきれるものではない。翻訳される専門書は言うまでもなく、日本人の手で書かれる啓蒙書にも、小説類にも夥しい量の外来語が登場した。
 世相を反映して、一般大衆の間にも、おぼつかない外来語がそれからそれへと伝わっていった。ごく早い頃の横浜あたりの俥屋や商人たちの外来語を見ると、auction(競売、せり売り)が「オクション」、whisky(ウィスキー)が「ウースケ」、sandwich(サンドウィチ)が「サミチ」、Thank you(ありがとう)が「テンキョー」という具合だったという。
5aea8ed0.jpeg 発音が原語から遠ざかった上に、とんでもない意味にまでずれたことばもある。メリケン粉というときのあの「メリケン」は、最も古く入った英語からの外来語の一つで、ペリー来朝時ごろから使われているという。「メリケン国」とか「メリケン船」のように使われ、原語のAmericanの意に沿っていた。発音のほうは、第2音節に強勢があったため、語頭の母音弱くて日本人の耳には聴き取りにくかったに違いない。
横浜の居留地にいた英米人が使用人の日本人を脅かす時に、拳(こぶし)を固めてふりあげたところから「アメリカ人」をさす「メリケン」が、「拳骨(fist)」そのものの代名詞として使われたという。しかし、間もなく拳骨の意味では使われなくなったがもっと悪い意味に発展してa small metal weapon(小さい金属武器)として、チンビラ仲間やプロレス方面で使われるようになったという。
 英国人がたまたま、カード・ゲームに興ずるところに出くわした日本人が、ゲームをやっている英国人にむかって、手にある札を指しながら、「それは何というのか?」と訊ねた。ゲームに熱中していた英国人は自分が手にした札の役のことを聞かれたものと思い込み「trump(トランプ、切り札)だよ」と答えた。日本人の方はカード・ゲームのことをトランプというんだなと勘違いしてしまった。こうして本来は「切り札」のトランプが、日本では「カード(・ゲーム)」のことになってしまった。
 
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つぶやき その12
日高先生

こんにちは。「つぶやき その12」を書きました。{短気オバさん夏波のよしなし事}です。

「自己発見について」:
私が高校一年生前後、国語の教科書に湯川秀樹先生著の「自己発見」という話がありました。
「が~ん」という良い意味での打撃を受け、それを読んでからの私は「自分は何者であるか?」
「何のために生まれてきたのか?」「何をすべきか?」自分探しの旅に出かける事になりました。
国語学者の金田一秀穂先生は「自分探しの旅ではなく自分づくりの旅」とおっしゃっていますが、そうかもしれません。
最近になってやっと自分なりの答えが見えてきましたが、年を重ねるにつれ変化していくものなのかもしれません。
「そんな事考えてるの?さっぱり意味が分からない」と失笑する人もいましたが、
私は生涯をかけて「自分探し、自分づくり」をしていくつもりでいます。
もう一度あの文章を読みたいとネットで検索したところ、講談文庫から1979年に出版されていましたが、
残念ながら今では廃刊、、、のようです。
「あ~読みたいなぁ~古本をどこかで購入しようかなぁ~」と思いは募るばかり。
本からの抜粋でしたので、哲学的でやたら難しい話ではなく、
湯川先生がやさしく静かに語りかけて下さっているようなお話でした。
現在の教科書にないのならば、また載せて頂きたいです。
人それぞれ感じ方、受け止め方は当然違いますが、私の場合、人生はそこから始まったと言っても過言ではありません。
あの文章に出会っていなければ、きっと今の私はいないでしょう。
文部科学省の方々、講談社の方々、わたくしごとで大変恐縮ですが、もし復活させて下さるのならばこの上ない幸せです。
どうかよろしくお願い申し上げます。

いつもいつも勝手な文を読んで下さりありがとうございます(*^_^*)  Kより
K 2012/09/12(Wed) 編集
プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


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