瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
阿倍仲麻呂(698~770年)は阿部船守の子で吉備真備や玄昉とともに開元五(717、我が国の養老元)年、留学生として多治比県守(あがたもり)らの遣唐使に従って入唐、時に16歳であった。玄宗の時には秘書監・衛尉卿(えいいけい)などの官になったという。天宝十一載(752年、わが天平勝宝4年)入唐の藤原清河(ふじわらのきよかわ)らが翌年に帰国するとき、ともに第一船に乗って帰国しようとし、明州(今、鄞県)で詩を作ったという。この歌を詠んだ経緯については、天平勝宝5年(753年)帰国する仲麻呂を送別する宴席において、王維ら友人の前で日本語で詠ったなど諸説ある。紀貫之は『土佐日記』の中で次のように述べている。
仲麻呂の乗船した船は奄美大島あたりで暴風雨に遭い、北ベトナムに流され、一時その死が伝えられたという。のち清河らと長安に帰り、大暦7(770)年、唐で死んだ。
李白は天宝12載(753年)晁衡の溺死が伝えられたとき『哭晁卿衡』という七言絶句を作って仲麻呂を痛んだという。
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目高 拙痴无
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