瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
李白に杜鵑花(つつじ)を詠った詩がある。
蜀国で昔子規(ほととぎす)の啼くのを聞いた。
宣城ではまた杜鵑花(つつじ)を見た。
その一度叫ぶごとに腸賀が一度切れる思いで
この三春三月には故郷の三巴(巴州・巴東・巴西の3郡)を思い出す。
李白は753年頃宣城は安徽省長江流域の都市の地を訪れ、ここを拠点に長江流域を往復していたようである。この詩は宣城で眼にした杜鵑花から故郷蜀で聞いた子規の声を連想し、望郷の念に駆られた気分を歌ったものである。数字を効果的に組み合わせているのは、李白の得意とするところという。
漢名の「罌粟(ケシ)」の由来ですが、実の形が液体をいれる口のつぼんだ甕(かめ)である『罌(もたい)』に似ていて、種子が『粟(あわ)』に似ていることから、「罌粟」と漢字で書かれたのだという。
ナガミヒナゲシは他のヒナゲシと同様、阿片の原料となるアルカロイドを含んでおらず、栽培は問題ない。
今朝のテレビニュースで、菅総理が福島第一原発をめぐって「非難区域は10年20年はすめないだろう」と言ったとか、言わないとか。馬鹿らしい報道をやっていた。
65・6年前、爺がまだ13歳の時の話。原爆投下直後の広島市を彷徨って、母・姉と連れ立って三次の祖母・父の疎開先のわび住まいに着いた、小さなつくえの上には白い布が被せてあり、箸を突き刺した茶碗が3つ置かれていた。翌日、終戦真直の遅れのタプロイド版の新聞の一面には『広島市、70年間不毛の地か?』とあった。いや、そんな筈はない――地面では蟻が群れをなして逃げ惑っていたし、焼け爛れた死体には蛆が涌いていた。果たせるかな、翌年には比治山の桜は原爆の直射を受けなかったところは花をつけたと言うし、爆心地でもバラックで生活しているという記事が出た。1年半後、三次から門司に帰るとき立ち寄った廣島の駅前では結構闇市が繁盛していた。
今朝のウェブニュースから、
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プロフィール
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目高 拙痴无
年齢:
93
誕生日:
1932/02/04
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くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
sechin@nethome.ne.jp です。
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