瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
[882] [881] [880] [879] [878] [877] [876] [875] [874] [873] [872]
7f70454e.jpg 早朝4時30分、桜橋から隅田川に沿ってテラスを吾妻橋まで下る。朝の日の出の陽によってテラスにできる己が長い影に沿って遥か上を見上げると西の空に有明の月が輝いている。月の出が十五夜よりやや遅くなっているのを、月がためらっていると見立てて、十六夜月(いざようづき)という。「十六夜」とは“ためらい”の意味を持つらしい。また、夜が明けてもまだ沈まず、西の空に残っている様子から、「有明の月」とも呼ばれる。

a2627c0f.JPG ほととぎす 鳴きつる方を 眺むれば
    ただ有明の 月ぞ残れる    後徳大寺左大臣
 作者の後徳大寺左大臣 藤原実定(ふじわらのさねさだ、1139~1191年)は、小倉百人一首の選者藤原定家の従兄弟だという。詩歌管弦に優れ、平安末期の平氏が栄えた時に大臣の職にあったという。

e4e59512.jpg 今戸にある桜橋中学の外壁に柘榴の木が植わっていて、5月には綺麗な赤い花を咲かせていたが、もう沢山の実をつけている。


ccbb3873.JPG 万緑叢中紅一点、動人春色不須多「万緑(ばんりょく)叢中(そうちゅう)紅一点(こういってん)、人を動かす春色多きを須(もち)いず」
この詩の出典は宋・胡継宗編の「書言故事大全・花木類・紅一点」で王安石の詩と記録されているという。
 また、王直方(1069~1109年)の『王直方詩話』に「王安石が内相のとき、翰苑に石榴が一叢あって、枝葉が茂り、僅かに花が咲いていた。そこで王安石は濃緑萬枝紅一点、為人春色不須多と詩作した。私は全編を見なかったことをつねに恨みとしている。」とあり、多くのものの中で、ただ一つ異彩を放つ意の「紅一点」は王安石の詩がその出所となっている。しかし、宋の范正敏(生卒年不詳)の「遯斎閑覧(とんさいかんらん)」に「これは唐人の詩で作者不明である。かつて、私は王安石が持っていた扇に自筆でこの句が書いてあったのを見たことがある。王安石の自作と思っている人があれば、それは誤りである」とある。

この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
URL
コメント
パスワード Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
この記事へのトラックバック
この記事にトラックバックする:
プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


小冊子の紹介
カレンダー
04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
最新コメント
[EugenePum 04/29]
[m1WIN2024Saulp 04/22]
[DavidApazy 02/05]
[シン@蒲田 02/05]
[нужен разнорабочий на день москва 01/09]
[JamesZoolo 12/28]
[松村育将 11/10]
[爺の姪 11/10]
[爺の姪 11/10]
[松村育将 11/09]
最新トラックバック
ブログ内検索
カウンター
Powered by ニンジャブログ  Designed by ゆきぱんだ
Copyright © 瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り All Rights Reserved
/