瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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511a51aa.jpg ここのところ熱帯夜が続いたが、台風6号が寒気を呼び込んだらしく、2夜ほど涼しい夜が続いて、安眠できた。4時半家を出て、吾妻橋~白鬚橋間を徘徊。枕橋を過ぎた辺りで、後ろから追いついてきたMU氏に声を掛けられた。奥様と息子さんと3人の家族連れの散策。息子さんは始めてであったが、父子お互いに悪態を衝き合うなどなかなかなごやかで睦まじい感じを受けた。桜橋東詰めで一旦別れたが、白鬚橋西詰で再び出会った。テラスを通って帰宅する。
 帰宅後、婆様から今日から聖天公園でラジオ体操が始まったということを聞いた。

 テレビのCMで目立つのが、健康食品と保険――中には詐欺まがいのものもあるようだ。
2f517908.JPG ヒアルロン酸は湿潤剤・保湿剤としての美容分野、医薬品分野などでの利用はかなり古い歴史を持っているという。藤沢市在住のわが友MY氏も昨年「鵞足炎」にとり慿かれ、一時は歩行困難にまで至ったそうだが、通院し、ヒアルロン酸の注射を続け、今年に入ってからは通常歩行できるようなったと言う。
最近では関節の潤滑剤の補給に有効と銘打って「飲むヒアルロン酸」なるものがもてはやされている。すこしでも知識のある人ならばこのような口から飲むような膝の潤滑剤が膝にゆきわたることはなく、ヒアルロン酸を経口摂取しても糞尿とともに輩出されてしまうことはよく判っていることである。溺れるもの藁をも掴むで、必要としている高齢者にとっては、有名俳優をCM起用して宣伝すれば、訳もなく騙されて何の疑いもなく高い金を払ってでも買うことになるのだろう。消費者が効果ないと気付くまでごり押し商法で売りまくる気なのだろう。実際に儲かっているから、あんなにしつこいCMもつづけられるのだろうが、見えるか見えないかの小さな字で「このCMはあくまで個人の感想であって、効果効能を補償するものではありません」だとさ。全く呆れた「詐欺商法」だとしか思えない。

 抱卜子 内篇 巻十四 勤求(きんきゅう) より
 抱樸子曰:“設有死罪、而人能救之者、必不為之吝勞辱而憚卑辭也、必獲生生之功也。/今雜猥道士之輩、不得金丹大法、必不得長生可知也。雖治病有起死之效、絕穀則積年不饑、役使鬼神、坐在立亡、瞻視千里、知人盛衰、發沈祟於幽翳、知禍福於未萌、猶無益於年命也、尚羞行請求、恥事先達、是惜一日之屈、而甘罔極之痛、是不見事類者也。/古人有言曰、生之於我、利亦大焉。論其貴賤、雖爵為帝王、不足以此法比焉。論其輕重、雖富有天下、不足以此術易焉。故有死王樂為生鼠之喻也。/夫治國而國平、治身而身生、非自至也、皆有以致之也。惜短乏之虛名、恥師授之蹔勞、雖日不愚、吾不信也。今使人免必死而就戮刑者、猶欣然喜於去重而即輕、脫炙爛而保視息、甘其苦痛、過於更生矣。/人但莫知當死之日、故不暫憂耳。若誠知之、而刖劓之事、可得延期者、必將為之。況但躬親灑掃、執巾竭力於勝己者、可以見教之不死之道、亦何足為苦、而蔽者憚焉。/假令有人、恥迅走而待野火之燒爇、羞逃風而致沈溺於重淵者、世必呼之為不曉事也、而鹹知笑其不避災危、而莫怪其不畏實禍、何哉?”
784dc527.JPG 抱卜子が言う、「仮に死罪の人があって、誰かがこれを救い得るという場合、そのためには骨折りを惜しまず、辞を低くすることを憚らないのがの普通。そうしてこそ人を生かすことができる。/今いい加減な道士たちは、金丹の秘法を知らない以上、不老長生が出来るわけがない。それははっきりしている。たとえ死に掛けの病人を生かす治療法を心得、何年か穀物を断っても飢えずにおられ、鬼神の意のままに使い、パッと姿を消し、千里先のものを見通し、人の将来の運勢を知り、目に見えぬ祟(たた)りの原因を発見し、まだ兆しもない禍福を予見できた所で、寿命を伸ばす足しにはならぬ。それに彼らは人に問いに行くことを恥じ、先覚者につかえることを恥じる。一日、腰を曲げる労を惜しんで無限の苦痛に甘んじるようなもので、事の軽重を知らぬものである。/昔の人は、『生の吾に於ける、利また大なり』と言った。だから貴重さからいえば、帝王の爵位、天下の富も不老長生の技術とは比べ物にならない。さればこそ諺にも『王様として死ぬよりは鼠として生きたがまし』というのである。/大体、国を治めてこそ国は平和になる。体を治めてこそ体は生き延びる。平和や長寿は向こうからやってくるものではない。自分から獲得するものなのだ。何の才能もないのに手に入った虚名を失うことを惧(おそ)れ、しばらく師匠について苦労して学ぶことを恥じる。そんな風でいて『自分は馬鹿でない』と言ったところで、私は信用しない。いま、もし死刑になる人に、死刑の代わりに肉体に傷つける刑罰を課してやろうかといえば、それでも喜んで重刑よりは軽刑を受けるであろう。火の中から抜け出して生命を保てるのだから、刑罰の苦痛ぐらい甘んじて受ける。その喜びは死者が生き返ったよりも甚だしい。/人はただ死ぬべき日がいつなのかを知らないばかりに、のうのうとしていられるのだ。もし死ぬ日が分っており、足切り鼻切りの刑でその日が繰り延べにできるとなれば、きっとその刑を受けたいと言うだろう。まして、自分より優れた人に仕えて拭き掃除をしたり、身の回りの世話をしたりするだけで、不死の道を教えられるかもしれないと言うことになれば、それこそ苦労というほどのものでない。それなのに愚か者は面倒がってしない。/仮に或る人が慌てて走ることを恥じて見す見す野火に焼け死んだり、颱風から逃げることを恥じてとど深淵に溺れ死んだりすれば、世人はみな当人が災難を避けなかったことを嘲笑(あざわら)うであろう。そのくせ人が、死という確実にやって来る禍を畏れないことを、だれ一人怪しもうとしない。これはどうしたことだろう?

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くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
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