夜が明けるのが随分早くなった。日の出は5時10分頃というから、5時前には東の空が白み始める。
山谷堀水門前の桜まつり設備はすっかり取り払われていた。今朝は花曇り、朝靄を付いて桜橋の上から、隅田川の下流・上流の花景色を撮ってみた。花はもう散り始めている。良く見ると所々に赤茶っぽい葉芽が覗いている。もう1週間もすれば、葉桜になってしまうのだろう。
桜橋を渡ると、墨堤通りを北上。明治通りも横切って、防災住宅と並行する墨堤を進むと、朝日を浴びて桜をバックに榎本武揚先生の銅像が建っている。昨日勝海舟先生の銅像を撮ったので、幕臣にして同じように藩閥政府に貢献した榎本先生もと、カメラのシャッターを押していた。
文化7(1810年)3月28日、小林一茶は流山に向かう途中で木母寺から鐘ヶ淵を通りがかった。その時の様子を『句日記』に記している。「川の東にすこし曲たる所を鐘が淵といふ。昔普門院の釣鐘舟より落てぬしとなりけるより、かくいひ伝へるとなんかたる。あはれならくの底に生をうけし竜女さへ、御法《り》に逢ふ(う)て法土におもぶくとあるに、仏縁に引るゝ梵鐘の、なじかは蛇身となりて今の世迄浮まざらん。鐘成仏の御経は如来もとき給はぬにや」
現在はここは鐘ヶ淵陸橋というらしく、この下は隧道なっていて、車輌の往来に利用されている。さらに進むと、東白鬚公園の北出入口がある。公園のすぐ北側は墨田区立鐘ヶ淵中学校で、池波正太郎は『剣客商売』の秋山小兵衛の隠居所をこの辺りに想定したという。
旧綾瀬川が隅田川と荒川を繋ぎ、ここに綾瀬橋が架かる。その上をぎりぎりに高速6号線が通る。旧綾瀬川の河口には荷役船の造船所がある。最近、此処と千住汐入大橋の間に『千住曙町イニシア』と名付けられたマンション群が建てられ、このほど完成したらしい。盛んに入居者を応募しているようだが、一体全体、不景気不景気といわれながら聞くのと見るのとでは大違いの感である。
千住汐入大橋を渡り、汐入公園を南下する。ヨウコウザクラの並木はもう殆んど花が散って、葉桜になりかけているが、水神大橋を過ぎて瑞光橋までの間はソメイヨシノが若木ながら満開、これと並行して柳が植えられているが、桜も柳も成長して大木になれば「見渡せば柳桜をこきまぜて都ぞ春の錦なりける」(素性法師 844?~910?年)という光景が見られるかもしれない。
マテバシイは防火に効果的ということで、かの防災住宅の周りや東白鬚公園に沢山植えられている。今まで気付かなかったが、白鬚橋の西詰に説明書付きで植えられていた。
明治通りを横切ると件の落書き遊歩道を通って、桜橋から山谷堀水門前広場を通って、帰宅した。広場の入口には空缶の買い取り収集車が来ていて、現金で買い取られて収集されていた。
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