瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
明け初めたばかりの墨田公園を吾妻橋に向って南下する。アヤメかショウブかはたまたカキツバタか散り始めたソメイヨシノの木の下ではや純白の清楚な花を付けていた。隅田公園にはオオカンザクラやソメイヨシノのほかに、珍しい桜が植わっている。「御衣黄」という里桜があるが、一見葉桜に見えるが、良く見るとおやおや緑色の花を付けている。クスの木は新緑の鮮やかな新芽を伸ばし始めた。やはり里桜の仲間で「寒山」というのはソメイヨシノよりは遅咲きで、色も緋色をしており、花と同時に赤茶色の葉も吹き出している。
吾妻橋を渡ると、「隅田公園入口」という古い石標が建っているが、これは関東大震災後に隅田公園が開かれた当時のものであるということである。枕橋を渡り、遊歩道の脇に作られた花壇に「ムラサキハナナ」が咲いている。紫花菜は、春にアブラナ科特有の十字形をした紫色の小さな4弁花を咲かせるアブラナ科オオアラセイトウ属の耐寒性一・ニ年草で、ハナナ(花菜)とは、ふつうの黄色い花の咲くナノハナ(菜の花)のことで、紫色の菜の花という意味である。花の中央に6本の雄しべと1本の雌しべがあり、雄しべの葯(ヤク、先端部)と雌しべの柱頭はいずれも黄色。こぼれ種から芽が出て半野生化したものが土手などさくという。ムラサキハナナ(紫花菜)は、別名、「平和の花」や、「ピースフラワー」と呼ばれるがが、これは南京(中国)ゆかりの花であり日中戦争時の悲惨な経験を繰り返してはならないと言う願いを込めて呼ばれるようになったということらしい。
そのまま北上、青色御殿通りを抜けて、白鬚橋を渡り台東区側の遊歩道を南下したが、野球場の手前で、街中に下りることにした。今戸公園ではちょうどラジオ体操が終わる所であったが、時計を見ると6時40分を指していた。そのまま、吉野通りまで西進することにした。吉野通りの手前、今戸2-13-6に、熱田神社がある。猫の額ほどの狭い境内であるが、由緒書きなど一切表示されていない。なんでも、元亀2辛未(1571)年に創建されたという。鳥越三所明神に数えられていた鳥越神社の末社であるといわれている。
山谷堀公園の吉野橋を過ぎた所に小松橋通りという千束に通じる通りがあるが、この通りの両側は一葉桜の並木になっているが、いまが盛りという所か。最近はクロネコのメール便を使うことが多いので、あまり使わなくなったが、聖天郵便局はこの通りを入ってすぐにある。
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目高 拙痴无
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