瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 今朝のウェブニュースより
8ec4c7ca.jpeg 第70代横綱・日馬富士誕生だ!2場所連続全勝Vで文句なし…秋場所千秋楽 ―― ◆大相撲秋場所千秋楽 ○日馬富士(下手投げ)白鵬●(23日・両国国技館) 第70代横綱・日馬富士(28)=伊勢ケ浜=が誕生だ。勝てば横綱昇進が決まる横綱・白鵬(27)=宮城野=との大一番を1分47秒6にわたる大相撲の末、下手投げで制し、2場所連続全勝で4回目の優勝を飾った。北の湖理事長(59)は取組後に審判部から要請を受け、横綱昇進を決める理事会の招集を決断。24日に開く横綱審議委員会で推挙され、26日の九州場所(11月11日初日・福岡国際センター)の番付編成会議と理事会を経て横綱昇進が正式に決定する。新横綱は07年名古屋で昇進した白鵬以来5年ぶり。/座布団が舞い、大歓声が渦巻く中、日馬富士は感極まった表情で額を土俵につけた。「土俵の神様にいつも勝利を与えてくれてありがとうという気持ちだった」と静かに喜びをかみしめた。/大一番。立ち合い直後に白鵬が得意とする右四つを許した。巻き替えて左四つになると、頭をつけ、土俵中央で膠着(こうちゃく)状態に。白鵬の左下手を切ってもろ差しになると一気に寄った。右下手投げを打ち、粘る白鵬を渾身(こんしん)の力で倒した。全身全霊の1分47秒6だった。/取組前に審判部は北の湖理事長に理事会の招集を要請したが、同理事長は「もう一番見る」と差し戻した。昇進には優勝するしかない状況だった。極限の重圧の中で大きな白星を手にした。/今月16日で来日12年を迎えた。喜びを誰に伝えたいか、と問われると、日馬富士は「父に」と06年に交通事故のため50歳で他界した父・ダワーニャムさんに思いをはせた。来日して1年半後、初めて帰国したときに「もう日本に戻りたくない」と言う日馬富士に「ここで逃げたら何をやっても成功しない」と笑顔で諭したのが父だった。横綱まで上り詰められたのは父の言葉のおかげだった。/最愛の父の指輪を形見分けしてもらい、お守りとして大切に持っている。「尊敬していた人が身につけていた物だから」。支度部屋の風呂では決まってモンゴル語の歌を口ずさむ。付け人によると「ダイヤモンドや金の涙を流しても親は買えない」との意味という。観戦した母・ミャグマルスレンさんは「(夫が)この場にいたらどんなにうれしいことでしょう」と感極まった。バトトール夫人も家でモンゴル料理を作って、戦う夫を支えた。/取組後、北の湖理事長は「理事会の招集の要請を受けます」と話した。5年ぶりに誕生する横綱の土俵入りの型は師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱・旭富士)と同じ不知火型。94年九州の貴乃花以来の2場所連続全勝Vでの昇進に、理事長は「力がついていると思います」と評価した。平成以降に昇進の8人の中で2番目に軽い133キロのハンデを吹き飛ばしたが、大関在位22場所で2ケタ勝利が11場所など安定感に欠けるのも事実だ。「皆さんに勇気と感動を与えられる相撲を取りたい」と日馬富士。今後も稽古に精進し、圧倒的な力をつけていく。
◆日馬富士公平(はるまふじ こうへい)
  ▽本名 ダワーニャム・ビャンバドルジ/▽生まれ 1984年4月14日、モンゴル・ウランバートル市出身。28歳/▽しこ名 08年九州場所後の大関昇進時に安馬から日馬富士に改名/▽実績 優勝4回、殊勲賞4回、敢闘賞1回、技能賞5回。金星1/▽得意 右四つ、寄り/▽家族 夫人と2女/▽趣味 絵画。来日前は個展を開いたことがあるほどの腕前/▽サイズ 186センチ、133キロ
◆日馬富士の昇進記録メモ
  ▽新横綱誕生間隔 九州場所で新横綱となり、07年名古屋の白鵬以来、31場所ぶりに誕生。65年春の佐田の山から70年春の玉の海、北の富士の30場所ぶりを抜いて、昭和以降では最大ブランク。/▽スロー昇進(昭和以降) 初土俵から所要70場所は5位。新入幕から所要47場所は3代目・若乃花と並び4位。新三役から所要37場所は7位。新大関から所要22場所は三重ノ海と並び4位。/▽高年齢昇進 28歳5か月での昇進は、年6場所となった58年以降に誕生した18人中5位。/▽外国出身 曙、武蔵丸(ともに米国)、朝青龍、白鵬(ともにモンゴル)に次いで5人目で4人連続。
◆日馬富士の今後の昇進への日程
  ▽24日 横綱審議委員会。委員の3分の2以上の推薦を受ければ横綱へ推挙が決まる。/▽26日 番付編成会議と理事会。承認されれば都内の伊勢ケ浜部屋で伝達式。/▽28日 明治神宮で横綱推挙状授与式と奉納土俵入り。/▽29日 元関脇・栃乃洋の引退相撲断髪式で初めて国技館で土俵入りを披露。
◆兄貴分・朝青が観戦「マイ相撲とれ」 〇…元横綱・朝青龍のドルゴルスレン・ダクワドルジ氏(31)が千秋楽の取組を観戦。優勝後の日馬富士を支度部屋で出迎えると、頬と頬を合わせて何度も抱き合い、仲良しの「弟分」を祝福した。場所前には2人でモンゴルの山奥へ行き、場所中もほぼ毎晩、電話連絡を取り合っていたという。「いい相撲だった。周りの言うことにも耐えて『マイ相撲』を取って」と横綱経験者としてアドバイスを送っていた。  (2012年9月24日06時05分  スポーツ報知)
 
 なぜ日本人横綱は途切れたままなのか 違う競技に流れ “叩き上げ”少なく ―― 大関日馬富士が2場所連続優勝を果たし、横綱昇進を確実にしたことで、東西の最高位をモンゴル勢が占めることになる。貴乃花が平成15年に引退して以降、番付から消えたままの日本人横綱。“和製力士”が綱を締める日は、いつになるだろうか-。/日馬富士の昇進により、横綱は4代続けて外国出身力士となった。日本人の横綱誕生は、3代目若乃花が昇進した14年前の夏場所後までさかのぼらなければならない。/日本相撲協会の諮問機関である横綱審議委員会の内規は、横綱推挙の基準を「2場所連続優勝か、これに準ずる成績」としているが、そもそも優勝自体が難しいのが現状である。日本人が賜杯を抱いたのは18年初場所の大関栃東が最後。以来、39場所連続で日本出身力士は優勝から遠ざかっている。今場所も日本人大関は、稀勢の里が10勝5敗に終わり、琴奨菊は左膝の負傷で途中休場。今後、横綱が2人揃えば、一人横綱時代より大関の連続優勝のハードルが高くなることは必至だ。/「日本人が努力していない訳ではない」と言うのは長年、新弟子の指導を担当した大山親方(元幕内大飛)。「ただ今は、相撲をやれば強いだろうと感じる運動神経の良い子も違う競技に流れがちだ」という。戦後直後などと比べ親しめるスポーツは多様化し、少子化も進んでいる。若貴ブームに沸いた4年には新弟子が年間223人を数えたが、その後は減少傾向が続き昨年は60人。陸上の有望選手だった横綱千代の富士、競泳の五輪代表候補だった大関貴ノ花のような、磨けば光る“原石”を入門させるのは容易でない。/対して外国力士は、「1部屋1人」と入門制限を設けても希望者は後を絶たない。特に3代続けて横綱を輩出したモンゴルではテレビ中継もあり人気が高い。/同国出身の旭天鵬はモンゴル人の気質を「家族への思いが強く、失望させたくないと思っている」と解説。これが自己鍛錬に駆り立て大成している一因だと分析する。一方で、日本人は高校大学卒の入門者が目立つのに対し、伸び盛りの10代から覚悟を持って入門してくる“中卒叩き上げ”が少ない点も影響しているのではないかと指摘した。  〔産経ニュース 2012.9.23 22:40〕
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