瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 4時30分、吾妻橋~白鬚橋のテラスを一巡。
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5538a933.JPG【詩の大意】
(旧暦)四月の初夏、おだやかですがすがしく、雨もたちまち晴れて、
南の山は門の正面にあって、ますますはっきりとして来た。
もはや柳の綿毛が風によって乱れ飛ぶことは、もうないだろう。
ただ向日葵が太陽に向かって傾いている。

作者の司馬光(1019~1086年)は、北宋の学者、政治家。字は君実。諡は文正。
斉物子と号し、温国公、温公などと称された。王安石の新法による政治改革に反対した側の急先鋒であり、旧法党の代表。やがて宰相になると、王安石の新法を廃して旧法に復した。この詩には宰相となって旧法に服したすがすがしさを詠いこんでいるとも言われる。

 渡哲也が歌う「くちなしの花」(水木しげる作詞・遠藤実作曲)という歌があったっけ。 
 
   http://www.youtube.com/watch?v=569oxR9gKtc

 
65aace88.JPG  生きては相憐れみ、死しては相捐(す)つる
 楊朱の言葉。
 昔の諺にこういっている。「生きている時は憐れみあい、死んでしまえば放ったらかす」と。この言葉は言いえて妙である。
 ここで「憐れみあう」ということのやり方は、たんなる感情だけの問題ではない。骨折っている者には楽が出来るように、ひもじい思いをしている者には腹いっぱい食べさせることが出来るように、また、凍えている者は温もらせることが出来るように、うだつの上がらぬ者にはうだつが上るようにしてやる実践力を言うのである。
 また、「放ったらかす」ということのやり方は、死者に哀悼の気持ちを持たないと言うのではない。使者に珠玉(たま)を含ませるような無駄なことをせず、彩錦(あやにしき)を着せたり、犠牲を並べ立てたり、埋葬の器物を準備したりするような虚礼をすべて已(や)めるという意味である。

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