瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 自分の撮った写真でも片っ端から整理していかないと、何時何処で取った写真かわからなくなる。
 4月某日
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6674a61c.jpg かつて千葉県の松戸に住んでいるころ「サカタのタネ」から球根を取り寄せて育てたことのある、黒系チューリップ「Queen of Night(クィーン・オブ・ナイト)」が咲いていた。花川戸のテラスには八重の山吹が堤防の壁を這うように花を咲かせている。
 4月某日
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   201c51b7.jpg  

暗いうちから徘徊。花川戸から見るかぎろひが美しい。吾妻橋を渡って、向島のテラスを通る。いつの間にか木瓜の花は終ったらしい。花の形がマメ科の花に似た名も判らぬ花木が咲いている。藤の花房が下がる向こうに淺草の町が朝日を受けて映えている。テラスを北上して桜橋を過ぎる辺りで、間もなく北へ旅立つユリカモメが隅田の景色に別れを告げているかのように悲しげな泣き声をあげている。

b9cb39c8.JPG 漢江の水はさかんに波立ち流れて、その上を白い鴎が飛んでいる。春景色もようやく深まり、美しい緑色の流れは、衣を染めたいくらいである。しかし世の人は、この好景にも、南へ北へと忙しく往来して、心のゆとりもなく老いてゆくようであり、一層の悲痛を感じるのである。ふと見ると西に傾いた太陽は、その影長く釣りから帰って来る船を送っている。

 杜牧(803~853年)は万年(ばんねん、長安)の人で、字は牧之。大和2(828)年の進士。当時の高官沈伝師(しんでんし、769~827年)・牛僧孺(ぎゅうそうじゅ、779~847年)の幕僚をつとめ、ついで殿中侍御史・膳部員外郎・史館修撰を歴任、転出して黄州(湖北省黄岡)・池州・睦州の刺史となり、また吏部員外郎から希望して湖州刺史に転出、さらに都へ戻って考功郎中・冲書舎人に到った。若い頃は遊里に入り浸って放蕩な生活を送ったが、官僚としては剛直を持って知られた。晩年は長安南郊の樊川(はんせん)に別荘をもったので、杜樊川と呼ばれ、また杜甫を「老杜」と呼ぶのに対して「小杜」とも呼ばれる。

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くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
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