瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 5月17日、Y家の通夜に行きました。WO師夫妻をはじめ、EB氏母子、TK氏など沢山の塾友がお参りに見えていました。帰途、TK夫妻、MN氏、KY女史、TS氏が、婆様の見舞いを兼ねてこの爺を家まで送ってくれました。翌日、MM女史よりメールが届きました。曰く、
5月18日9時12分着信 FW:おはようございます。
 おはようございます。
 昨日は、出席を控えてしまいました。吉田様のご母堂様のご冥福をお祈り致しております。
 日高先生の家事参加を、Kayoちゃんからうかがいました。素晴らしいですね。頼もしいです。(^-^)m-muToh〓

 5月18日、Y家の葬儀に行きました。家事万端やらなければならない仕事も残っているので、焼香をすませると、そのまま帰宅させていただきました。午後、ニューカレドニアから三社祭で帰国したKN女史が訪ねてくれましたが、生憎婆様休養中にて、玄関先で立ち話だけで帰ってもらった、夜は若手塾友との飲み会に参加するとのことでした。

 5月19日、浅草寺病院での定期健診日です。年に1度ぐらいの胸部撮影をした方がよいということで、胸部のCT撮影をしましたが、全く綺麗だということで、異常はありませんでした。

 同じ町内の塾友のHT氏の父上が逝去されたことを町内の回覧で知りました。何とY家の通夜・告別式と時を同じくしてT家の葬儀には参加できませんでした。5月19日の夜、T家の長女HS女史に電話して、本日の午前にお参りさせていただくことにしました。父上は数年前より体調を崩され療養中とのことでしたが、何度かの危機を通り抜けてこられたのですが、5月12日に全機能障害で老衰のようにして亡くなられたとのことでした。先年亡くなられたお隣のYA医師と父上と3人で何回か浅草の街を飲み歩いたこともあり、本日ご自宅にかざられてあるご遺骨にお参りさせていただきました。
 HS女史の話では、町屋斎場でTK師の夫人の姿の見かけたとのことでしたが、向こうは気づかれたかどうかはわからないとのことでした。HS女史と夫人は同じ富士小学校卒で、兼愛塾の同期生でした。


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プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


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