瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 誘われて「書の名宝展」なるものに行った。
「書」とは文字を審美的対象として書く一つの芸術を言うのであろう。この芸術は古くから中国に発達し、中国の文字いわゆる漢字を使用する朝鮮・日本および安南の諸国にも発達したという。
15世紀イングランドの聖書写本
におけるカリグラフィー
b6c8f940.JPGContemporary Western
Calligraphy
de6b257c.JPG 西欧にもCalligraphyといって、文字を審美的対象として書くことがなかったわけではないが、中国に比べて、その意義や重要性はほとんどゼロにも等しい。こんなことから「書」は中国並びに中国文化圏にあった諸国の特有の芸術といって差し支えなかろう。
 「書」は独立した立派な芸術であるばかりでなく文学や絵画と相並んでそれらの芸術と融合しながら重要な地位を占めてきたものであろう。
 これは中国の文字がアルファベットとは違って、元々絵文字から発達したという漢字の特殊性に基づいているのかもしれない。漢字は絵文字を大胆に抽象化するとともに、抽象化された基礎文字の組み合わせなどによって、いかなる言語をも写しうるよう考案された文字なのである。中国上古における漢字形成の過程において、今日の抽象絵画が高度の美的直感と構成上の苦心を必要とすると同じ様に、そこに何らかの美的配慮が行われなかったはずはなかろう。漢字は計り知れない造形の苦心の成果になるもので、それが視覚芸術として審美的対象になる可能性は、最初から感じそのものに内在していたのである。「書」が特殊な芸術として発達したのも当然だといわねばならないだろう。
前衛書道 「道」
e106e86c.JPG前衛書道 「形象HANA」
28ebd23b.JPG
 近年日本で前衛書道と称し、文字性のない文字を主張する派があるというが、文字性を離れて「書」が成立することは「書」そのものの本来の性質からいって肯定できないように思うのじゃ。



 

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