瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
寒い、寒いでズルを決め込んで、家に篭りっきりで朝の徘徊をやめていたが、足が随分弱ったらしく、500mも歩くと、膝ががくがく、脹脛はずきずきどうしようもない。まあ、毎日少しずつ歩いて徐々に慣らして回復させるより仕方あるまい。桜橋下の水上バス乗り場からテラス沿いに休み休み、吾妻橋下の水上バス乗り場まで歩いて、今度はテラス上の遊歩道を歩いては休み、休んでは歩きして、何とか帰宅した。
ソメイヨシノはすっかり葉桜となったが、遅咲きの里ざくらが綺麗である。雑草にまじってタンポポが今を盛りと咲いている。言問橋下のスカイネストはすっかりできあがっていて、脇には展示板まで立ててある。
東坡志林 巻一 黎檬子
吾故人黎錞、字希聲、治《春秋》有家法、歐陽文忠公喜之。然為人質木遲緩、劉貢父戲之為「黎檬子」、以謂指其德、不知果木中真有是也。一日聯騎出、聞市人有唱是果鬻之者、大笑、幾落馬。今吾謫海南、所居有此、霜實累累、然二君皆入鬼錄。坐念故友之風味、豈復可見! 劉固不泯於世者、黎亦能文守道不苟隨者也。
〔訳〕《黎檬子》私の旧友黎錞〔れいじゅん、生卒年不祥〕は、字は希声(きせい)といい、『家学』を受けて「春秋」に詳しく、欧陽文公のお気に入りであった。しかし質朴(じみ)で動作の鈍い人だったので、劉貢父〔りゅうこうほ、1023~1089年〕はたわむれにかれに『黎檬子(のろま)』という仇名を奉った。これは彼の性質を指してつけたもので、果物の中に黎檬子(レモン)というのがあるとは全然知らなかったのである。ところがある日、馬を連ねて外出した所、商人が大きな声でこの果物を呼びたててうっていたので、大笑いしてすんでに馬から落ちそうになったものである。
今私が流されて住んでいるこの海南島にもこれがあって、霜ふりの実がゴロゴロしている。二君はいずれもすでに鬼籍に入り、そぞろに旧友の風味を想い起すのだが、もはやふたたび相見ることもできぬ。劉君がこの世から忘れられぬは無論であるが、黎君とても文を能くし道を守って、決して凡々の人ではなかったのである。
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プロフィール
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目高 拙痴无
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92
誕生日:
1932/02/04
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