瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
午前4時50分家を出て、桜橋中学校と野球場の間道を抜けて隅田川べりに出る。テラスを吾妻橋まで南下。地図で見ると約1.4km、歩いては休み、休んでは歩いて凡そ1時間強。携帯の〔1日の歩数〕を見ると、5332歩、3.5km歩いたことになっている。やっと、5000歩を超えたところ、去年徘徊を中断するまでは、1万歩近く歩いていたのだから、回復するまではまだまだ時間がかかりそうである。
野球場に沿った草むらの中に白い菖蒲(あやめ)か杜若(かきつばた)らしきものが咲いている。「いずれ菖蒲か杜若」というが、アヤメの語源は剣状の細い葉が縦に並んでいる様子が文目(あやめ)模様であるから。または、花基部の網目模様からという説もあるようだ。カキツバタの語源は杜若の色(青紫)を染み出させ布などに書き付けた、つまり衣の染料に使われたことから「書付花」と呼ばれていたのが訛ったものといわれるのだそうだ。アヤメは畑地のような乾燥地で栽培するのに適し、カキツバタは水辺などの湿地帯に適するというから写真に収めた花は菖蒲(あやめ)に違いない。
テラスに降りて桜橋を潜ると正面に言問橋。おやおやこの前まで昔の橋灯が取り払われ、仮の橋灯が付けられていたのが、どうやらやっと新しい橋灯が取り付けられたらしい。これは、きっとスカイツリー効果に違いない。
今朝の新聞によると、昨夜はダイオード照明をすべて点灯させる初のライトアップ試験が行われたらしい。 今朝のウェブニュースより
「粋」に「雅」…スカイツリー初のライトアップ ―― 5月22日に開業する東京スカイツリー(東京都墨田区)で19日夜、塔に設置された計1995この発光ダイオード(LED)照明をすべて点灯させる初のライトアップ試験が行われた。/試験は午後7時頃から始まり、ツリーは「粋(いき)」と名付けられた隅田川をイメージした水色と、「雅(みやび)」と呼ばれる紫色に彩られた。/開業後は1日ごとに「粋」と「雅」の点灯を行う予定。 (2012年4月19日23時09分 読売新聞)
東坡志林 巻一 塗巷小兒聽說三國語
王彭嘗云:「塗巷中小兒薄劣、其家所厭苦、輒與錢、令聚坐聽說古話。至說三國事、聞劉玄德敗、顰蹙有出涕者;聞曹操敗、即喜唱快。以是知君子小人之澤、百世不斬。」彭、愷之子、為武吏、頗知文章、餘嘗為作哀辭、字大年。
〔訳〕《町家の子供と三国志の話》王彭(おうほう)がかつてこんな話をした…
「町家では子供たちの腕白なのに閉口して、金をやって昔話を聞きに行かせる。すると彼らは、三国時代の物語を面白がって聞き、劉玄徳が負けたと聞くと、しきりに眉をしかめ、涙を流すものさえある。また曹操が負けたと聞くと、嬉しがって痛快痛快とはやし立てるのである。これからみても君子と小人との影響は百世の後までも変わらぬことがわかる」
王彭は愷(がい)の子で、辜式(こしき)の吏である。相当に文章もわかる。私はかつて彼のために哀辞を描いてやったことがある。字は大年といった。
野球場に沿った草むらの中に白い菖蒲(あやめ)か杜若(かきつばた)らしきものが咲いている。「いずれ菖蒲か杜若」というが、アヤメの語源は剣状の細い葉が縦に並んでいる様子が文目(あやめ)模様であるから。または、花基部の網目模様からという説もあるようだ。カキツバタの語源は杜若の色(青紫)を染み出させ布などに書き付けた、つまり衣の染料に使われたことから「書付花」と呼ばれていたのが訛ったものといわれるのだそうだ。アヤメは畑地のような乾燥地で栽培するのに適し、カキツバタは水辺などの湿地帯に適するというから写真に収めた花は菖蒲(あやめ)に違いない。
テラスに降りて桜橋を潜ると正面に言問橋。おやおやこの前まで昔の橋灯が取り払われ、仮の橋灯が付けられていたのが、どうやらやっと新しい橋灯が取り付けられたらしい。これは、きっとスカイツリー効果に違いない。
今朝の新聞によると、昨夜はダイオード照明をすべて点灯させる初のライトアップ試験が行われたらしい。 今朝のウェブニュースより
「粋」に「雅」…スカイツリー初のライトアップ ―― 5月22日に開業する東京スカイツリー(東京都墨田区)で19日夜、塔に設置された計1995この発光ダイオード(LED)照明をすべて点灯させる初のライトアップ試験が行われた。/試験は午後7時頃から始まり、ツリーは「粋(いき)」と名付けられた隅田川をイメージした水色と、「雅(みやび)」と呼ばれる紫色に彩られた。/開業後は1日ごとに「粋」と「雅」の点灯を行う予定。 (2012年4月19日23時09分 読売新聞)
東坡志林 巻一 塗巷小兒聽說三國語
王彭嘗云:「塗巷中小兒薄劣、其家所厭苦、輒與錢、令聚坐聽說古話。至說三國事、聞劉玄德敗、顰蹙有出涕者;聞曹操敗、即喜唱快。以是知君子小人之澤、百世不斬。」彭、愷之子、為武吏、頗知文章、餘嘗為作哀辭、字大年。
〔訳〕《町家の子供と三国志の話》王彭(おうほう)がかつてこんな話をした…
「町家では子供たちの腕白なのに閉口して、金をやって昔話を聞きに行かせる。すると彼らは、三国時代の物語を面白がって聞き、劉玄徳が負けたと聞くと、しきりに眉をしかめ、涙を流すものさえある。また曹操が負けたと聞くと、嬉しがって痛快痛快とはやし立てるのである。これからみても君子と小人との影響は百世の後までも変わらぬことがわかる」
王彭は愷(がい)の子で、辜式(こしき)の吏である。相当に文章もわかる。私はかつて彼のために哀辞を描いてやったことがある。字は大年といった。
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目高 拙痴无
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92
誕生日:
1932/02/04
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くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
sechin@nethome.ne.jp です。
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