瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
漢書の目次を見ると、「蘇武伝」というのは列伝の中にない。『漢書』などの史書類は、引用された伝名がそのまま目次に載っているとは限らないという。目次には親の名前を載せて、親の伝の後に子の伝を記述している形式が、『漢書』においては一般的であるらしい。『漢書』巻54に「李広蘇建伝」とあるので、その中に李広の子李陵、蘇建の子蘇武の伝記があるはずと、調べてみた。
漢書 李廣・蘇建傳 より (1)
武字子卿、少以父任、兄弟並為郎、稍遷至栘中廄監。時漢連伐胡、數通使相窺觀、匈奴留漢使郭吉、路充國等、前後十餘輩。匈奴使來、漢亦留之以相當。天漢元年、且鞮侯單于初立、恐漢襲之、乃曰:「漢天子我丈人行也。」盡歸漢使路充國等。武帝嘉其義、乃遣武以中郎將使持節送匈奴使留在漢者、因厚輅單于、答其善意。武與副中郎將張勝及假吏常惠等募士斥候百餘人俱。既至匈奴、置幣遺單于。單于益驕、非漢所望也。
〔訳〕蘇武は、字を子卿(しけい)という。若年のころ、父任〔または父陰という。父が国に功労ある場合、その子が官吏になれる〕でもって、兄弟共々郎〔宿衛官、役人の試補がなる〕になった。だんだん出世して移中厩〔いちゅうきゅう、宮中のうまやの名〕の厩奉行になった。そのころ、漢は続けさまに夷(えびす)を討ち、度々使者を往き来させて、互いに隙を窺っていた。匈奴は漢の使者、郭吉・路充国らを、前後十数人抑留したが、漢の方でも、その仕返しに匈奴の使者がくると、これを抑留していた。天漢元{〔BC100〕年、旦鞮侯(しょていこう)単于は位に即いたばかので、漢に襲われることを恐れた。そこで
「漢の天子は、われらが親爺どの同然じゃ」
といい、漢の使者路充国らを全部帰してよこした。武帝は殊勝な心ばえだと思い、蘇武を遣わし、中郎将(宿衛官の長、二千石)の資格で、節〔勅使のしるしとなる杖〕を持たせ、漢に抑留されていた匈奴の使者を送り届けると共に、単于に手厚い礼物を贈り、その好意に答えようとした。武は副中郎将の張勝、仮ま役人常恵らと、兵士・斥候百人を募集して、出発した。匈奴に到着すると、引き出物を並べて単于に贈った。単于は前にも増して威張りかえっており、漢側の期待したような態度ではない。
方欲發使送武等、會緱王與長水虞常等謀反匈奴中。緱王者、昆邪王姊子也、與昆邪王俱降漢、後隨浞野侯沒胡中。及衛律所將降者、陰相與謀劫單于母閼氏歸漢。會武等至匈奴、虞常在漢時素與副張勝相知、私候勝曰:「聞漢天子甚怨衛律、常能為漢伏弩射殺之。吾母與弟在漢、幸蒙其賞賜。」張勝許之、以貨物與常。後月餘、單于出獵、獨閼氏子弟在。虞常等七十餘人欲發、其一人夜亡、告之。單于子弟發兵與戰。緱王等皆死、虞常生得。
〔訳〕今しも匈奴から使者を出して、蘇武らをおくりだそうというおりから、緱王(こうおう)と長水の虞常らが、匈奴のなかで謀反をしようとした。緱王とは昆邪〔こんや、異族の一〕王の姉の子である。昆邪王とともに漢に降参し、後、浞野侯趙破奴のともをして〔匈奴を討ったが敗れて〕匈奴にとらえられた。これが、衛律が引き連れて匈奴に投降した虞常と陰謀をたてた。単于の母閼氏(えんし)を脅迫して漢に帰参しようと言うのである。そこへ蘇武らが匈奴にやってきた。虞常は漢にいたころ、ずっと副使の張勝と知り合いであった。こっそり勝をたずねていう。
「聞けば漢の天子様には、いたく衛律を怨んでおられる由。それがしが、漢のために、弩を隠し持ち、衛律めを射殺してのけましょう。それがしの母と弟が漢におりまする。律を殺したご褒美をそれにやって頂ければ幸甚でござりまする」
張勝は承知し、持参の金品を虞常にあたえた。後、一月余りして、単于は猟に出た。閼氏の子弟だけが残っている。虞常ら七十余人はかねての手筈に取り掛かる。その一人が夜中に逃亡し、密告した。単于の子弟は兵士を繰り出して迎え撃つ。緱王らは皆殺され、虞常は生け捕りになった。
單于使衛律治其事。張勝聞之、恐前語發、以狀語武。武曰:「事如此、此必及我。見犯乃死、重負國。」欲自殺、勝、惠共止之。虞常果引張勝。單于怒、召諸貴人議、欲殺漢使者。左伊秩訾曰:「即謀單于、何以復加?宜皆降之。」單于使衛律召武受辭、武謂惠等:「屈節辱命、雖生、何面目以歸漢!」引佩刀自刺。衛律驚、自抱持武、馳召毉。鑿地為坎、置熅火、覆武其上、蹈其背以出血。武氣絕、半日復息。惠等哭、輿歸營。單于壯其節、朝夕遣人候問武、而收繫張勝。
〔訳〕単于は衛律に事件を取り調べさせる。張勝はそれと聞くと、前の虞常との話が明るみにではせぬかと心配になり、一部始終を蘇武に打ち明けた。武が言う。
「さような仕儀であったか。かくてはわしもかかありあいになるは必定。縄目の恥にかかってから死んだのでは、重ね重ねお国に迷惑をかける」
自殺しようとする。勝・恵らがともどもに押し止めた。果たして虞常は張勝を巻き添えにした。単于は怒り、貴人たちを召集して、漢の使者を殺そうと相談した。左尹秩訾〔さいんちつし、匈奴の王号の一〕が言うに、
「〔衛律を殺そうと謀っただけで死罪にするとならば〕もし単于さまを殺そうと謀った場合、それ以上如何なる罰を加えられましょうぞ。皆のものの命だけはお助けあったがようございましょう」
単于は衛律を代理に遣わして、蘇武を呼び出し、訊問に答えさせた。蘇武は常恵らに向かって言う。
「臣としての操を曲げ、君命を辱めては、たとい生き延びるとも、何の面目あって漢に帰れよう」
佩刀をぬくなり、おのが胸に刺す。衛律は驚いて自身で蘇武を抱きとめ、急ぎ医者をよんだ。地面を掘って穴をあけた中に、燠火〈おき〉をいけ、蘇武を穴の上にうつぶせにし、その背中を踏んで鬱血を出させた。蘇武は息も絶えていたが半日で息を吹き返した。常恵らは泣きながら輿に載せて陣屋に帰った。単于は蘇武の気節を天晴れに思い、朝夕人をやって蘇武を見舞わせる一方、張勝を投獄した。
武益愈、單于使使曉武。會論虞常、欲因此時降武。劍斬虞常已、律曰:「漢使張勝謀殺單于近臣、當死、單于募降者赦罪。」舉劍欲擊之、勝請降。律謂武曰:「副有罪、當相坐。」武曰:「本無謀、又非親屬、何謂相坐?」復舉劍擬之、武不動。律曰:「蘇君、律前負漢歸匈奴、幸蒙大恩、賜號稱王、擁眾數萬、馬畜彌山、富貴如此。蘇君今日降、明日復然。空以身膏草野、誰復知之!」武不應。律曰:「君因我降、與君為兄弟、今不聽吾計、後雖欲復見我、尚可得乎?」武罵律曰:「女為人臣子、不顧恩義、畔主背親、為降虜於蠻夷、何以女為見?且單于信女、使決人死生、不平心持正、反欲鬥兩主、觀禍敗。南越殺漢使者、屠為九郡;宛王殺漢使者、頭縣北闕;朝鮮殺漢使者、即時誅滅。獨匈奴未耳。若知我不降明、欲令兩國相攻、匈奴之禍從我始矣。」
〔訳〕蘇武はだんだん快(よ)くなった。単于は使いをやって蘇武を説得した。ちょうど虞常の裁きをつける段になったが、これをしおに蘇武を降参させようというつもりである。虞常を剣で斬ったあと、衛律が言うには、
「漢の使者張勝は、単于の近臣〔自分のこと〕を殺さんとした廉にて、死罪申し付くる。ただし、単于におかれては、降参を申し出る者あらば、罪を赦そうとの仰せじゃ」
剣を振り上げて張勝を斬ろうとする。勝は降参したいという。律は蘇武に向かっていう、
「副使が罪を犯した上は、その方も同罪であるぞ」
武「もともと相談には与(あずか)り申さぬ。しかも親族でもない。何故に同罪といわれる?」
衛律は再度剣をあげて突きつける。蘇武は動じない。律が言う、
「蘇君! わしは先に漢にそむいて匈奴に身を寄せたが、幸いに大恩を蒙り、号を賜わって王とよばれておる。かかえる民は数万、飼い馬などは山に満ちておる。それほどの身分じゃ。蘇君も、今日降参なされば、明日は同様の身分になられよう。あだに身を草原のこやしとなさっても、誰が知ってくれよう?」
蘇武は答えない。衛律はさらにいった。
「君がわしをなかだちに降参なされば、わしと君は兄弟じゃ。今、わしの言うことを聞かれねば、あともう一度わしに会いたいとお思いでも、かないませぬぞ」
蘇武は衛律を罵っていう。
「きさまは人の臣、人の子でありながら、恩義を思わないで、主にそむき親にそむき、野蛮人に降参した。何できさまに会う用やある? それに単于はきさまを信ずればこそ、人を活かす殺すかを委せらたに、平心に正しい裁きをつけようとせぬのみか、かえって双方の君主を戦わせ、災難が起こるのを高見の見物する気でおる。南越は漢の使者を殺したばかりに、滅ぼされ九つの郡になった。宛王〔大宛の王〕は漢の使者を殺したため、首を北の城門に梟(さら)された。朝鮮は漢の使者を殺した故に、すぐと誅滅された。匈奴だけはまださような仕儀に立ち入らずにおる。きさまはわしが降参する気のないこと、とくと承知の上にて、〔漢の使者たるわしを殺して〕漢と匈奴と合戦させようと致しおる。匈奴の災難は、わしからはじまるであろうぞ」
漢書 李廣・蘇建傳 より (1)
武字子卿、少以父任、兄弟並為郎、稍遷至栘中廄監。時漢連伐胡、數通使相窺觀、匈奴留漢使郭吉、路充國等、前後十餘輩。匈奴使來、漢亦留之以相當。天漢元年、且鞮侯單于初立、恐漢襲之、乃曰:「漢天子我丈人行也。」盡歸漢使路充國等。武帝嘉其義、乃遣武以中郎將使持節送匈奴使留在漢者、因厚輅單于、答其善意。武與副中郎將張勝及假吏常惠等募士斥候百餘人俱。既至匈奴、置幣遺單于。單于益驕、非漢所望也。
〔訳〕蘇武は、字を子卿(しけい)という。若年のころ、父任〔または父陰という。父が国に功労ある場合、その子が官吏になれる〕でもって、兄弟共々郎〔宿衛官、役人の試補がなる〕になった。だんだん出世して移中厩〔いちゅうきゅう、宮中のうまやの名〕の厩奉行になった。そのころ、漢は続けさまに夷(えびす)を討ち、度々使者を往き来させて、互いに隙を窺っていた。匈奴は漢の使者、郭吉・路充国らを、前後十数人抑留したが、漢の方でも、その仕返しに匈奴の使者がくると、これを抑留していた。天漢元{〔BC100〕年、旦鞮侯(しょていこう)単于は位に即いたばかので、漢に襲われることを恐れた。そこで
「漢の天子は、われらが親爺どの同然じゃ」
といい、漢の使者路充国らを全部帰してよこした。武帝は殊勝な心ばえだと思い、蘇武を遣わし、中郎将(宿衛官の長、二千石)の資格で、節〔勅使のしるしとなる杖〕を持たせ、漢に抑留されていた匈奴の使者を送り届けると共に、単于に手厚い礼物を贈り、その好意に答えようとした。武は副中郎将の張勝、仮ま役人常恵らと、兵士・斥候百人を募集して、出発した。匈奴に到着すると、引き出物を並べて単于に贈った。単于は前にも増して威張りかえっており、漢側の期待したような態度ではない。
方欲發使送武等、會緱王與長水虞常等謀反匈奴中。緱王者、昆邪王姊子也、與昆邪王俱降漢、後隨浞野侯沒胡中。及衛律所將降者、陰相與謀劫單于母閼氏歸漢。會武等至匈奴、虞常在漢時素與副張勝相知、私候勝曰:「聞漢天子甚怨衛律、常能為漢伏弩射殺之。吾母與弟在漢、幸蒙其賞賜。」張勝許之、以貨物與常。後月餘、單于出獵、獨閼氏子弟在。虞常等七十餘人欲發、其一人夜亡、告之。單于子弟發兵與戰。緱王等皆死、虞常生得。
〔訳〕今しも匈奴から使者を出して、蘇武らをおくりだそうというおりから、緱王(こうおう)と長水の虞常らが、匈奴のなかで謀反をしようとした。緱王とは昆邪〔こんや、異族の一〕王の姉の子である。昆邪王とともに漢に降参し、後、浞野侯趙破奴のともをして〔匈奴を討ったが敗れて〕匈奴にとらえられた。これが、衛律が引き連れて匈奴に投降した虞常と陰謀をたてた。単于の母閼氏(えんし)を脅迫して漢に帰参しようと言うのである。そこへ蘇武らが匈奴にやってきた。虞常は漢にいたころ、ずっと副使の張勝と知り合いであった。こっそり勝をたずねていう。
「聞けば漢の天子様には、いたく衛律を怨んでおられる由。それがしが、漢のために、弩を隠し持ち、衛律めを射殺してのけましょう。それがしの母と弟が漢におりまする。律を殺したご褒美をそれにやって頂ければ幸甚でござりまする」
張勝は承知し、持参の金品を虞常にあたえた。後、一月余りして、単于は猟に出た。閼氏の子弟だけが残っている。虞常ら七十余人はかねての手筈に取り掛かる。その一人が夜中に逃亡し、密告した。単于の子弟は兵士を繰り出して迎え撃つ。緱王らは皆殺され、虞常は生け捕りになった。
單于使衛律治其事。張勝聞之、恐前語發、以狀語武。武曰:「事如此、此必及我。見犯乃死、重負國。」欲自殺、勝、惠共止之。虞常果引張勝。單于怒、召諸貴人議、欲殺漢使者。左伊秩訾曰:「即謀單于、何以復加?宜皆降之。」單于使衛律召武受辭、武謂惠等:「屈節辱命、雖生、何面目以歸漢!」引佩刀自刺。衛律驚、自抱持武、馳召毉。鑿地為坎、置熅火、覆武其上、蹈其背以出血。武氣絕、半日復息。惠等哭、輿歸營。單于壯其節、朝夕遣人候問武、而收繫張勝。
〔訳〕単于は衛律に事件を取り調べさせる。張勝はそれと聞くと、前の虞常との話が明るみにではせぬかと心配になり、一部始終を蘇武に打ち明けた。武が言う。
「さような仕儀であったか。かくてはわしもかかありあいになるは必定。縄目の恥にかかってから死んだのでは、重ね重ねお国に迷惑をかける」
自殺しようとする。勝・恵らがともどもに押し止めた。果たして虞常は張勝を巻き添えにした。単于は怒り、貴人たちを召集して、漢の使者を殺そうと相談した。左尹秩訾〔さいんちつし、匈奴の王号の一〕が言うに、
「〔衛律を殺そうと謀っただけで死罪にするとならば〕もし単于さまを殺そうと謀った場合、それ以上如何なる罰を加えられましょうぞ。皆のものの命だけはお助けあったがようございましょう」
単于は衛律を代理に遣わして、蘇武を呼び出し、訊問に答えさせた。蘇武は常恵らに向かって言う。
「臣としての操を曲げ、君命を辱めては、たとい生き延びるとも、何の面目あって漢に帰れよう」
佩刀をぬくなり、おのが胸に刺す。衛律は驚いて自身で蘇武を抱きとめ、急ぎ医者をよんだ。地面を掘って穴をあけた中に、燠火〈おき〉をいけ、蘇武を穴の上にうつぶせにし、その背中を踏んで鬱血を出させた。蘇武は息も絶えていたが半日で息を吹き返した。常恵らは泣きながら輿に載せて陣屋に帰った。単于は蘇武の気節を天晴れに思い、朝夕人をやって蘇武を見舞わせる一方、張勝を投獄した。
武益愈、單于使使曉武。會論虞常、欲因此時降武。劍斬虞常已、律曰:「漢使張勝謀殺單于近臣、當死、單于募降者赦罪。」舉劍欲擊之、勝請降。律謂武曰:「副有罪、當相坐。」武曰:「本無謀、又非親屬、何謂相坐?」復舉劍擬之、武不動。律曰:「蘇君、律前負漢歸匈奴、幸蒙大恩、賜號稱王、擁眾數萬、馬畜彌山、富貴如此。蘇君今日降、明日復然。空以身膏草野、誰復知之!」武不應。律曰:「君因我降、與君為兄弟、今不聽吾計、後雖欲復見我、尚可得乎?」武罵律曰:「女為人臣子、不顧恩義、畔主背親、為降虜於蠻夷、何以女為見?且單于信女、使決人死生、不平心持正、反欲鬥兩主、觀禍敗。南越殺漢使者、屠為九郡;宛王殺漢使者、頭縣北闕;朝鮮殺漢使者、即時誅滅。獨匈奴未耳。若知我不降明、欲令兩國相攻、匈奴之禍從我始矣。」
〔訳〕蘇武はだんだん快(よ)くなった。単于は使いをやって蘇武を説得した。ちょうど虞常の裁きをつける段になったが、これをしおに蘇武を降参させようというつもりである。虞常を剣で斬ったあと、衛律が言うには、
「漢の使者張勝は、単于の近臣〔自分のこと〕を殺さんとした廉にて、死罪申し付くる。ただし、単于におかれては、降参を申し出る者あらば、罪を赦そうとの仰せじゃ」
剣を振り上げて張勝を斬ろうとする。勝は降参したいという。律は蘇武に向かっていう、
「副使が罪を犯した上は、その方も同罪であるぞ」
武「もともと相談には与(あずか)り申さぬ。しかも親族でもない。何故に同罪といわれる?」
衛律は再度剣をあげて突きつける。蘇武は動じない。律が言う、
「蘇君! わしは先に漢にそむいて匈奴に身を寄せたが、幸いに大恩を蒙り、号を賜わって王とよばれておる。かかえる民は数万、飼い馬などは山に満ちておる。それほどの身分じゃ。蘇君も、今日降参なされば、明日は同様の身分になられよう。あだに身を草原のこやしとなさっても、誰が知ってくれよう?」
蘇武は答えない。衛律はさらにいった。
「君がわしをなかだちに降参なされば、わしと君は兄弟じゃ。今、わしの言うことを聞かれねば、あともう一度わしに会いたいとお思いでも、かないませぬぞ」
蘇武は衛律を罵っていう。
「きさまは人の臣、人の子でありながら、恩義を思わないで、主にそむき親にそむき、野蛮人に降参した。何できさまに会う用やある? それに単于はきさまを信ずればこそ、人を活かす殺すかを委せらたに、平心に正しい裁きをつけようとせぬのみか、かえって双方の君主を戦わせ、災難が起こるのを高見の見物する気でおる。南越は漢の使者を殺したばかりに、滅ぼされ九つの郡になった。宛王〔大宛の王〕は漢の使者を殺したため、首を北の城門に梟(さら)された。朝鮮は漢の使者を殺した故に、すぐと誅滅された。匈奴だけはまださような仕儀に立ち入らずにおる。きさまはわしが降参する気のないこと、とくと承知の上にて、〔漢の使者たるわしを殺して〕漢と匈奴と合戦させようと致しおる。匈奴の災難は、わしからはじまるであろうぞ」
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目高 拙痴无
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