瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
昨日15日の日曜日、新婚のkazu・eri夫妻が淺草を訪ねてくれた。午前10時に雷門で待ち合わせと決まった。足のほうはまだ快(よ)くなってはいない。家から、裏道を通って、二天門を潜り五重塔前まで来るとどうにも歩けなくなり、婆様だけを、雷門まで二人を迎えに遣(や)らす。爺は五重塔の前で待つことにして、婆様が本堂を案内する。まだ午前10時過ぎだというのに、境内は人ごみでごった返している。今日は五重塔の参詣日であるから、昨年暮れ亡くなったeriちゃんの祖母様の両親(この爺の両親でもあるが)の位牌にお参りする。塔内を一巡して、影向堂(ようごどう)にお参りする。Kazu君がハーバード大学の大学院に入学するため、これから2年間、アメリカはボストンで生活する二人の無事を祈って、二人の干支(えと)である、戌年の守り本尊阿弥陀如来と酉年の守り本尊不動明王のお守りを買って、持って貰うことにした。昼飯後、隅田公園を川沿いに家までとも思ったのであるが、どうにもこの爺の足と腰が思うようにならないので、松屋前から北めぐりんに乗って、帰宅した。家でアルバムを見たり、eriちゃんのお祖母ちゃん(この爺のアネサマ)の話をしたりした後、二人は爺の家を辞して帰って行った。
二人が帰って、しばらくすると塾友のsekiちゃんから電話があり、訪ねてくれた。彼は来月5月からタイに赴任することになり、しばし日本をあとにするということで、その挨拶に来た。彼の勤務先の会社のタイの工場がこのたびのタイの大洪水のため水没し、その復旧の使命でタイに出向することになったという。4・5年はタイで勤務することになるので「ご挨拶」にということであった。
彼は、塾友たちと釣愛塾(KAJ fishing club――略称TAJ)と称する釣りの同好会を作り、休日には古巣の仁科辺りまで釣りに出かけるらしい。今度みんなで作ったTシャツだといって、そのシャツを着て、爺婆の分だと言って新品二着を持参してくれた。
いやはや、爺の若い頃に比べれば、世界は狭くなったものだ。若者達よ、人生は一度だけ、失敗を怖れず思う存分羽ばたくがいい。さすれば、前途は開けて行くものだ。
東坡志林 巻一 記遊松風亭
餘嘗寓居惠州嘉祐寺、縱步松風亭下、足力疲乏、思欲就林止息。望亭宇尚在木末、意謂是如何得到?良久忽曰:「此間有甚麼歇不得處!」由是如掛鉤之魚、忽得解脫。若人悟此、雖兵陣相接、皷聲如雷霆、進則死敵、退則死法、當甚麼時也不妨熟歇。
〔訳〕《松風亭に遊ぶ》かつて恵州〔広東省恵陽県〕の嘉祐寺に寓居していた時のこと、足に任せて松風亭の下まで行ったが、足が疲れたので、林の所で休息し、亭がまだはるか木梢(こずえ)の辺りにあるのを仰ぎ見て、とてもあそこまでは行けそうにないと思った。しかし暫くしてふと又思った。
「ここにだって何も休める場所がないわけではない」
そう思うと、あたかも釣り糸にかかって魚が、急にするりと逃げ出せたような気持ちであった。もし人がこのことを悟ったならば、たとえ兵陣相接し、鼓声雷のごとく、進めば敵に殺されるし、退けば死刑に処せられるという、切羽づまった場合でも、何時だってゆっくり休息できるはずである。
※紹聖元(1094)年、蘇軾は新法に反対したため、十月にこの地に流され、嘉祐寺に住んでいたという。
この記事にコメントする
プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
sechin@nethome.ne.jp です。
sechin@nethome.ne.jp です。
カレンダー
10 | 2024/11 | 12 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
最新記事
(10/07)
(10/01)
(09/07)
(09/05)
(08/29)
最新コメント
[m.m 10/12]
[爺の姪 10/01]
[あは♡ 09/20]
[Mr.サタン 09/20]
[Mr.サタン 09/20]
[ままだいちゅき 09/20]
[ままだいちゅき 09/20]
[ままだいちゅき 09/20]
[爺 09/20]
[ままだいちゅき 09/20]
最新トラックバック
ブログ内検索
カウンター