瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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a1a8a007.jpg 朝食後、花川戸のクロネコに立ち寄り、散髪に行く。昼近く、隅田公園を散策使用としたが、外はカンカン照りでとてもじゃない、早々に尻尾を巻いて帰宅した。


ed4f8554.JPG 帰宅すると、横浜のN氏よりメールが入っていた。昨日のうちに貼付送信したスキャン編集のお礼のメールであった。曰く、「君の独自の前説・解説がとてもわかりやすいし、どこから探すのか、美人の皇后の肖像などもちゃんと出て来て、面白い。/郭皇后は後年、事件を起こして皇后の位を追われるはずだが、そのせいか、少々、きつそうな花のかんばせ。それに対して陰麗華ちゃんはあどけなく描かれているのが中国国民の「きつい皇后大嫌い」風潮なのかな。/日本人の目から見ると、この肖像画の陰麗華ちゃんはあまりにも幼くて、もうちょっときりっとしておいて貰いたいと思うけど、これが中国人好みなのかね。/「武則天」を書いた原百代さんが、武則天の容貌を文化大革命時代の北京市内で撮った少女の写真を示して、広い額、方形の顎、瓜の種のような小さく鋭い皓歯、切れ長の大きい眼(鳳眼)、等々、これこそ入宮した頃(14歳)武照の容貌だと書いていたが、陰麗華ちゃんは、武即天とは、性格も、違うが、天性のひらめき、人を見る目があったので、中国人の好みからして、この絵のような表情になるんだろうかね。/女性の美醜ほど絵に書いて万国共通でないものはない。/とにかく、立派な編集、ありがとうございました。」
8698eb41.JPG さらに第2便に曰く、「この前の添付ファイルで送信失敗したが、午前中にお送りした私のメールで、武則天の14歳の頃(側室にはいった頃の年齢)の容貌を、現代の列車の中の漢民族の少女から、原百代さんが「こういう感じの少女ではなかったか」というサンプルとして、第一巻の巻頭に写真を示しているのをお送りして見ます。陰麗華はここまで、きつい眼付では無かろうがね。」

fe368215.JPG 陰麗華はともかく、武則天や西太后ならこれを演じた女優もいるだろうと、調べてみた。劉暁慶(リウ・シャオチン、1951年生)という女優がいて、武則天も西太后も演じているという。北京の人気紙 という『新京報』に4程年前の記事を見つけたので、貼り付けておく。
 

 本日は朝からのカンカン照り。まあ、時々心地よい川風が吹いてくるのが救い。本日も猛暑日か。
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f7c19438.jpg ここのところ怠け癖がついて、桜橋~白鬚橋と距離が短くなったがこれも友人から草原の風のコピーが届いたので、これのスキャン編集のため徘徊の方を短縮するのだと言い訳しておこう。橋場のマンション群の裏からテラスに降りて桜橋まで川っぷちを歩いて、帰宅した。それでも6280歩、4kmは歩いたことになる。
 朝食後、草原の風「予言」31回分をスキャン。新聞からのコピーであるから、地の汚れがなかなか取れない。それでも何とか読める程度にまではスキャンできた。今日から臨時国会、ニュースも少しは気になったが、テレビの報道は足立区の即身成仏ミイラ化事件と、杉並区の都内最高齢者113歳のご婦人の行方不明事件ばかり。不思議と事件というものは連鎖するものらしい。
 Onamiさんから数日前メールが入った。曰く、「…… 話題がとびますが、先生に質問です。/(^^) や m(__)m など括弧や記号を組み合わせた顔文字とよばれるものがあります。/私も友人へのメールによく使っています。/が、初めてメールをする方や先生のように目上の方には/失礼かなと思い、使用しないようにしています。/先生はどう思われますか?」
22b8cdac.JPG 爺は使ったことはないが、若い人たちは年寄りに遠慮せず、どんどん使えばいいだろう。老人たちを「コリャなんじゃ?」と手惑わせるのもオモロイじゃないか。まあ、爺も手惑わないように少しは調べて、使えなくても読めるようにはしておきましょ。これも「年寄りの冷や水かな? 」


 7月31日(土)は花火大会。ワンさん家族とS氏家族が見物に見えた。見るほどに話すほどに酒量も増し、少々深酒。
 ワンさんの話では同期であった、HI氏が7月10日に急逝したとのこと。昨年の三社祭の日に西宮のK氏が上京した時、HI氏の店で会食した。その時は元気で母上もわざわざ挨拶に見えられた。満60歳 ―― 高齢の母上を残しての旅立ちはさぞ辛かったことであろう。亡くなった本人はもとより、残された母上の胸中や如何? 
 昨日は、二日酔い気味で家から一歩もでかけず、一日中ゴロゴロしていた。午前中お使いから帰宅した婆さまが、ポストにあったN氏からの新聞小説のコピーのクロネコメール便を持ってきてくれた。
毎月定期便のように、月初めにこの小説を届けてくれるので、これをスキャン編集している。すぐにでもスキャンに取り掛かろうとも思ったが頭がぼーっとしてその気になれない。
 午後、花火大会で撮った写真をパソコンのマイピクチャーに入れてみるが、大半は使い物にならない。まあなんと撮影の下手糞であることよ。夜の撮影であることと飲み過ぎた酒の所為にしておこう。
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f9144a97.jpg 今朝はぼやけた頭で隅田川周辺を徘徊。晴れた日の来光というのは、逆光で撮影しても絵にならない。曇った日の雲を透しての  ご来光はお日様の姿が綺麗に出て好いものだ。そんなことを思いながら、何時もと同じ光景をカメラに収める。
 白鬚橋を渡って、何時もの橋場・今戸の遊歩道を南下した。昨日は日曜日でもあったし、方々で花火大会の散乱箇所が残っている。今戸から桜橋にかかる辺りで、向こうから来る可成り年配のオッチャンが、繁みに茣蓙が敷き放しになりその上に散乱したままになっている飲食の残滓を指差しながらいきなり、爺に怒鳴るように話しかけてきた。曰く、「近頃の奴らはマナーがなっとりませんなぁ。道徳、修身が足りんからですよなァ」
聞きながら、「いや、もっともですよなぁ」とでもいうかのように、黙って笑いながら手を振って通り過ごした。いやはや、この爺も賛同はしてもその場で片付ける気にはなれず家路を急いだのである。後を振り返るとオッチャンも恨めしそうに横目で睨みつけながらそのまま通り過していった。いやはや、言うは易し行うは難し。
 

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dd6d44b3.jpg 本日は7月最終日で、土曜日。今夕は隅田川の花火大会である。桜橋~駒形橋の花火大会の中心部を一巡して帰宅した。
 我が家は、第一会場のすぐ傍で屋上は特等席。今夜も30名くらいの知人が花火見学に来ることだろう。

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ee68d948.jpg 昨日と同じく、風強く今にも降り出しそうな天気である。今日の徘徊は躊躇したが、何時もより遅く、5時30分になって家を出た。桜橋を渡り、墨堤通りに並行する遊歩道を北上。白鬚橋を渡って、何時もの橋場、今戸の遊歩道を南下。桜橋近くになって冷たいものが落ちてきたが、たいしたことはなさそう。山谷堀広場からみるスカイツリーは上の方が雨雲で覆い隠されている。雨もどうやら小止みのようなので、言問橋西に出ると、吉野通りを通って、聖天公園へ。聖天公園のラジオ体操は今日が最終日だそうだ。なんとあっけないラジオ体操の企画ではある。
 今朝のウェブニュースから
46d3feb2.JPG 民主党:両院議員総会 党内対立鮮明に 小沢氏系から批判次々 ――
 ◇「歴史的惨敗でだれも責任取らぬのか」:責任論をいったん棚上げし、9月代表選で再選を狙う菅直人首相。責任を追及しつつ、「菅降ろし」を図る小沢一郎前幹事長支持派――。29日の民主党両院議員総会での白熱した議論は、民主党内の「執行部VS小沢グループ」の対立構図を鮮明にさせ、「9月決戦」に向けて火ぶたを切った権力闘争の実像を強く印象付けた。
 9月の党代表選で再選を狙う菅首相にとって、29日の両院議員総会は最初のクリアすべきハードルだった。しかし、総会終了後も小沢氏系議員は怒りがおさまらず、非小沢系議員にも冷めたムードが漂った。/小沢氏に近い森裕子参院議員は「歴史的な惨敗でだれも責任を取らないとは」と怒りをにじませ、東祥三衆院議員は「(代表選は)ちゃんとした人を候補者選びも含めてやらないといけない」と強調した。/小沢グループではない松原仁衆院議員は「最後の拍手も納得した拍手ではない。首相は謙虚にやってもらいたい」と指摘。桜井充参院議員は「(首相が)今後どういう行動を取っていくのかを見て判断する」と突き放した。/菅首相は参院選大敗を受け、現執行部体制の継続で延命し、11年度予算の概算要求で民主党らしさをアピールしたうえで9月代表選で再選を果たし、本格政権につなげるシナリオを描く。しかし、前途は多難だ。/両院議員総会では、首相が陳謝した「消費税率10%」発言を巡り、「誰も相談されていない。(民主党は)いつから北朝鮮になったのか」(小泉俊明衆院議員)など痛烈な批判を浴び、反転攻勢の糸口はつかめなかった。/菅首相にとって次のハードルは、8月末の11年度予算概算要求のとりまとめだ。「政治主導」を強調し、菅政権の指導力をアピールするのに躍起だが、政府は「一律10%削減」の概算要求基準をすでに決定している。「事業仕分け」などによる財源確保が思い通りにいかず、一律カットに踏み切らざるを得なかったのが実態だ。小沢氏に近い福田昭夫衆院議員は総会で「まだまだ埋蔵金は出せる。その検討もせず消費税論議が出ることが官僚主導だ」とけん制した。/30日召集の臨時国会では野党の協力が不可欠な「ねじれ国会」がたちふさがる。首相就任後初の予算委員会が開かれるが、衆参2日ずつの開催に応じたのも、超党派協議の糸口をつかみ、政権基盤を立て直す思惑がある。/しかし、首相が呼びかけた税制改革の超党派協議に野党側は「子ども手当などのバラマキを続けるのか」(谷垣禎一自民党総裁)と公約撤回を条件に突き付けている。再選戦略は「内憂外患」のいばらの道が続く。
 ◇代表選本格化 対抗馬に原口氏ら 小沢氏出馬促す声も
 民主党両院議員総会で菅首相が9月の党代表選出馬を表明したことで代表選に向けた動きが本格化する。党内では複数候補による本格的な代表選実施を望む声が強く、小沢前幹事長による対抗馬擁立の動きが焦点だ。/「改革しようと思えば、相当の覚悟と決意を持って政権運営にあたることが必要だ」/小沢氏は29日、側近の高嶋良充前参院幹事長にこう強調し、菅首相では改革はできない、との思いをにじませた。高嶋氏は「それをできる人がいますか」と水を向けたが、小沢氏は表情一つ変えなかったという。高嶋氏の意中の人は、ほかならぬ小沢氏だった。自身の出馬について小沢氏は一切語っていないが、周辺には否定的な見方が強い。/菅首相の対抗馬として名前が取りざたされているのは、6月の代表選で善戦した樽床伸二国対委員長に加え、このときの代表選で候補に名前があがった原口一博総務相、海江田万里衆院財務金融委員長らだ。/いずれも小沢氏を支持するグループが擁立を検討した。樽床氏を擁立した中心メンバーの松本剛明衆院議運委員長も浮上している。4氏は小沢グループではないが、「革命的改革」を唱える小沢氏に近い存在で知られる。/関係者によると、小沢氏が狙うのは78年の自民党総裁選予備選の再現とされる。初の党員参加で実施され、小沢氏が所属した旧田中派が支援した大平正芳幹事長が、現職総裁の福田赳夫首相を引きずり降ろした政変劇だ。ロッキード事件で訴追された田中角栄元首相は他派閥から首相候補を擁立して求心力を保った。/小沢氏は政治資金規正法違反事件を巡る検察審査会の結論次第で強制起訴になる可能性があり、行方が重くのしかかる。4氏も出馬については「複数の候補が議論を交わすことが大事」(原口氏)などと述べるにとどめ、明言を避けている。出馬しても「小沢氏のかいらい」というレッテルが張られるとの懸念もある。一方、鳩山由紀夫前首相や岡田克也外相は菅首相支持を表明しており、「決戦の9月」に向け攻防が激化するのは必至だ。      (毎日新聞 2010年7月30日 東京朝刊)

 今日は旧暦17日。午前5時、桜橋の上にでると、南西の空に17日の月(立待ちの月)が残り、北東の空には今しもご来光。昨日と同じく墨堤通りを北上、東白鬚公園を抜けて水神大橋をわたる。
 瑞光トンネルの上の展望台になにやら白い花を咲かせている木があるので近づいてみると、木の幹と花からサルスベリであると判った。水神大橋も瑞光橋も月末の花火大会に備えて防禦柵が設けられている。旧日光街道を南下して聖天公園へ。ラジオ体操をして帰宅した。
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 サルスベリの名は幹の肥大成長に伴って古い樹皮のコルク層が剥がれ落ち、新しいすべすべした感触の樹皮が表面に現れて更新して行くことによる(樹皮の更新様式や感触の似たナツツバキやリョウブをサルスベリと呼ぶ地方もある)。つまり、猿が登ろうとしても、滑ってしまうということで、猿滑と表記することもある(実際には猿は滑ることなく簡単に上ってしまう)。英語名Crape myrtleはギンバイカ(myrtle)の花に似て花弁がちりめん(crape)のように縮れていることから。中国では唐代長安の紫微(しび、宮廷)に多く植えられたため紫薇と呼ばれるが、比較的長い間紅色の花が咲いていることから百日紅(ひゃくにちこう)ともいう。

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 午前5時。桜橋の上で前方のビルの上にご来光。墨堤通りを北上、何時ものように水神大橋を渡って川沿いの遊歩道を南下。本日は風もなく朝日を浴びての徘徊となる。瑞光橋から見るリバーサイド隅田のビルと東京スカイツリーが競うようにその姿を川面に写している。
 明治通りを横切り、橋場のマンションの裏庭では今、木槿(むくげ)の花が盛りである。花の大きさは10~18㎝。この花は大韓民国の国花と聞く。白氏文集(白居易の詩文集)、巻十五「放言其の五」に「槿花(むくげ)」を歌った詩がある。
23a02dee.JPG 「泰山は偉大だからといって小さなものを侮る必要は無いし、/顔回は短命だからといって彭祖の長寿を羨む心は無かった。/松の木は千年の寿命があるといっても、最後には朽ち、/朝顔の花は一日の寿命であっても、それを栄華とする。/されば、どうして現世に恋着し常に死を気に病む必要があろう。/さりとてまた、我が身を嫌ってむやみに生を厭うこともない。/生れては死ぬ、これはすべて幻にすぎぬ。/幻にすぎぬ人たる我が身、哀楽などどうして心に懸けよう。」
 ここで槿花は朝顔の花と同一視され、一日花との誤解があるが、朝花が開き、夕方には凋(しぼ)んで、また翌朝開き、一重のもので2-3日。八重の長く咲くもので2週間位、一輪の花を楽しむことができる。
 日本語では古くは朝顔(あさがお)、後に無窮花(むくげ; 「無窮花」の呉音読み)、木槿花(もくげ)と呼ぶようになったが、植物学では木槿(ムクゲ)と当て字をして読むのを和名としている。江戸時代中期から後期頃にかけて、ムクゲには「木槿」の字が使われるようになり、アサガオを「朝顔・蕣」と書くようになったのであろうと考えられている。

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ab2eebc7.jpg 今朝は、少々寝坊。言問橋を渡り、隅田川沿いの遊歩道を北上、白鬚橋を渡ると、橋場・今戸のテラスに降りるとここを桜橋まで南下。墨田グランドの脇から旧日光街道にでると、今戸橋から聖天公園に入り、ラジオ体操をして帰宅した。

 7月20日から夏から秋へ変わり目の土用(どよう)。土用とは暦における雑節の一つとされているが、そもそも五行思想に基づく季節の分類の一つで、各季節の終わりの約18日間のことである。一般的には、夏の土用を指すことが多く、日本では夏の土用の丑の日には鰻を食べる習慣がある。五行思想では、春に木気、夏に火気、秋に金気、冬に水気を割り当てている。残った土気は季節の変わり目に割り当てられ、これを「土旺用事」、「土用」と呼んだ。土用の期間は、ふつう立夏・立秋・立冬・立春の前18日間としている。
 土用の丑の日に、暑い時期を乗り切る栄養をつけるために鰻を食べる習慣がある。鰻を食べる習慣についての由来には諸説あり、讃岐国出身の平賀源内が発案したという説が最もよく知られている。これは文政5年(1822年)の、当時の話題を集めた『明和誌』(青山白峰著)に収められていて、それによると、商売がうまく行かない鰻屋が、夏に売れない鰻を何とか売るため源内の所に相談に行った。源内は、「丑の日に『う』の字が附く物を食べると夏負けしない」という民間伝承からヒントを得て、「本日丑の日」と書いて店先に貼ることを勧めた。すると、物知りとして有名な源内の言うことならということで、その鰻屋は大変繁盛した。その後、他の鰻屋もそれを真似るようになり、土用の丑の日に鰻を食べる風習が定着したというのである。
 また、別説としては ①同じ文政年間(1818~1829年)の『江戸買物独案内』によると、土用に大量の蒲焼の注文を受けた鰻屋、春木屋善兵衛が、子の日、丑の日、寅の日の3日間で作って土甕に入れて保存しておいたところ、丑の日に作った物だけが悪くなっていなかったからという説。 ②やや時代が下がった天保10(1839)年の『天保佳話』(劉会山大辺甫篇)では、やはり鰻屋に相談をもちかけられた蜀山人こと太田南畝が、「丑の日に鰻を食べると薬になる」という内容の狂歌をキャッチコピーとして考え出したという話が載せられている。 ③平仮名で墨汁を使って毛筆で書いた「うし」と言う文字が、まるで二匹の鰻のように見えたからと言う説もある。
5a899040.JPG 日本人は古くからウナギを食していた。現存最古の和歌集『万葉集』にも、ウナギは登場する。かの大伴家持がやせすぎ男にウナギを勧める歌がある。
 ウナギを勧めるというより、石麻呂(吉田老)のやせすぎをからかった歌なのだが、どうやら当時よりウナギは非常に栄養価が高く、滋養強壮にいいということも知られていたようだ。

 今日のウェブニュースより
 数学者の森毅氏死去=京都大名誉教授、82歳-評論家、テレビでも人気 -― 数学者で評論家の森毅・京都大名誉教授が24日午後7時30分、敗血症性ショックのため、大阪府寝屋川市内の病院で死去した。82歳だった。京都大が25日、発表した。葬儀などは行わないという。/森さんは東京都出身。1950年、東京大理学部数学科を卒業後、北海道大理学部助手に就任。57年に京都大助教授、71年に同大教授となり、91年に定年退官した。/数学教育に関する多数の著作があるほか、評論家としても知られた。NHKの料理番組に出演したこともあり、関西弁のユーモラスな語り口がテレビでも人気だった。/2009年2月、一人暮らしをしていた京都府八幡市内の自宅で料理中、こんろの火が衣服に燃え移り、重傷を負った。 (jijicom. 2010/07/25-19:02)
006b3c0e.JPG 森毅さんは東京市淺草の出身と聞く。大阪府豊中市育ちで、現在は京都府八幡市在住(八幡市の広報誌「広報やわた」より)。数学・教育にとどまらず社会や文化に至るまで広い範囲で評論活動を行う。歌舞伎、三味線、宝塚歌劇団は在学中より熱中し、これらもエッセイの材料としている。数学者としての業績は論文が2本だけとほとんど無く、教授になる際に「これほど業績がない人物を教授にしてよいのか。」と問題になったが、「こういう人物がひとりくらい教授であっても良い。」ということで京都大学の教授となったというエピソードをもつ。

 夜明け方に雨が降ったらしく、道が濡れている。空は曇り空であるが、今戸橋をわたり、明治通りを横切って、荒川区の隅田川右岸の遊歩道に出る。
0bbaa608.JPG 今戸といえば、広津柳浪(1861~1928年)は「今戸心中」(1896年刊)を著した。吉原の娼婦と小商人のせつない恋の結末の場所である。永井荷風の「すみだ川」でも、ここにあった竹屋の渡しをつかって、俳諧師羅月(らげつ)が小梅から今戸に住む妹のお豊を訪ねて来る。お豊の子長吉は、今戸橋でお糸を待ちわびるのである。今戸橋を越える通りは旧奥州街道で、浅草御門から蔵前、浅草を通り宇都宮までは日光街道と同じ道(現江戸通り)であった。しかし、文禄3(1594)年千住大橋が架設され、道筋は今までの浅草追分(言問橋西詰め交差点)から橋場に至り、橋場の渡しを使って大川を渡り常陸国へ出ていたのが、浅草追分.小塚原.千住と変更になった。
51dd7df9.jpg 遊歩道を北上していると右前方から雨雲を割ってのご来光。朝日が川面を赤く染めて美しい。水神大橋を渡り、東白鬚公園を抜けて墨堤通りを南下して、桜橋を渡ると、野球場の脇を通り、今戸橋に帰り着く。今日も聖天公園に立ちより、ラジオ体操をして帰宅した。ラジオ体操の参加者は子ども連れの家族が多い。

1cc5b170.JPG 爺の小学生時代は日支事変・太平洋戦争と戦時中であったが、軍国教育の一環としてラジオ体操に参加させられた。当時のラジオ体操の歌、不思議に曲も覚えている。


 20日(火)は土用の入り。今週に入って猛暑が続いている。昨日は猛暑の中横浜在住のK氏と船橋在住のN氏に誘われて品川で会う約束をした。品川駅前の第一京浜国道に面したグリル「つばめ」で正午に待ち合わせた。家を11時に出たが、家から都営淺草駅まで、20分。都営淺草線で品川まで21分。店に着いたのは11時45分。ジャスト正午に2人揃って現れる。
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 まず、ソーセージ盛り合わせを摘みにしてビール、飲むほどに喰うほどに話も弾む。いやはや、高校時代の生徒会のエースであった、お二人、高校時代の友人の下世話話が多い。K氏に拠れば付き合っていた友人がみんな破滅型人間にさせられてしまう。はてさて、破滅型人間とは? 
 ある結婚相談所のいうところでは、 ●平気で嘘をつく、誠実でない ●約束を破る・できない  ●善悪の判断力に欠けている  ●優柔不断、流されやすい  ●自己否定発言が多い  ●社会のルールを守らない  ●計画性がない  ●無気力、怠け者、働くのが嫌い  ●異性にだらしがない・浮気者  ●将来の希望・目標がない  ●夢を語るが努力しない  ●問題解決能力がない  ●依存症  ●アルコール・ドラッグ中毒  ●他者への甘えが強い  ●(無茶な)借金をする  ●暴力を振るう  ●破滅的生き方を昇華させるタイプの芸術家  ●同性の友人が殆どいない  ●自殺が最終手段だと思っている
のうち3つ以上に該当したら破滅型の危険性があり、恋人や結婚相手にはしない方がよいという。
 まあ、爺の若い頃を振り返ってみると、このうちのどれにも当てはまっているようで、こんなことで破滅型の人間が判定できるとは思えない。まあ大体が、人間の性格なんて表裏があるのは当然で、こんな判断基準で人間を色分けするのはよした方が良いと思う。
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c5e0a9ee.jpg 食事は3人ともK氏ご推奨のハンブルグステーキを食った。「つばめ」を出ると、外は茹だるような暑さ。落ち着いて話の出来る所ということで、喫茶店を探すが、結局品川プリンスホテルの喫茶室でコーヒーを飲んだ。3時ごろ品川駅で別れた。

 今朝は墨堤を北上、東白鬚公園をぬけて千住汐入大橋を渡った。隅田川沿いの遊歩道を南下、今日から聖天公園でラジオ体操が始まるというのを思い出し、山谷堀公園の脇道を通って、かつて兼愛塾があった場所(現在は駐車場)から公園に入る。すで、数人の人がラジオ体操に集まっていた。
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 元塾舎の前には百日紅のピンクの花が開いていた。
 

プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
93
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


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