「三知」とは道を知るのに三つの段階があることを言います。生まれながらにして知る「生知」、学んでのち知る「学知」、苦しんでのち知る「困知」の三つです。
孔子曰。生而知之者上也。學而知之者次也。困而學之又其次也。困而不學。民斯爲下矣。 論語 季氏篇より
孔子(こうし)曰(いわ)く、生(う)まれながらにして之(これ)を知(し)る者(もの)は上(じょう)なり。学(まな)びて之(これ)を知(し)る者(もの)は次(つぎ)なり。困(くるし)みて之(これ)を学(まな)ぶは又(また)其(そ)の次(つぎ)なり。困(くるし)みて学(まな)ばざるは、民(たみ)にして斯(これ)を下(げ)と為(な)す。
孔先生のお言葉。「生まれながらにして明らかな智恵を備えている人は上級である。学問によって智恵を得た者はその次の段階である。分からなくて困ってから学問するものは、更にその次の段階である。分からなくて困っても学問しない者は、庶民の価値しかなくて下級である。
また、「三知」とは命〈運命〉・礼〈礼節〉・言〈ことばの得失〉の三つを知る事だとも言います。
孔子(こうし)曰(いわ)く、命(めい)を知(し)らざれば、以(もっ)て君子(くんし)と為(な)す無(な)きなり。礼(れい)を知(し)らざれば、以(もっ)て立(た)つ無(な)きなり。言(げん)を知(し)らざれば、以(もっ)て人(ひと)を知(し)る無(な)きなり。
孔先生のお言葉。「(我々人間に対して)至上の命令があるという事をさとらぬものは、君子と称することはできない。礼を心得ぬものは、一人前の人間として世に立つことはできない。人の言葉の真意が理解できぬ者は、人を理解することはできない」
孔子は、殷末の3人の忠臣、微子、箕子、比干のことを「三仁」と称えています。
微子去之。箕子爲之奴。比干諫而死。孔子曰。殷有三仁焉。 論語 微子篇より
微子(びし)は之(これ)を去(さ)り、箕子(きし)は之(これ)が奴(ど)と為(な)り、比干(ひかん)は諫(いさ)めて死(し)す。孔子(こうし)曰(いわ)く、殷(いん)に三仁(さんじん)有(あ)り。
微の子爵は国を捨てて去り、箕の子爵は〔狂人の真似をして〕奴隷と成り、比干は〔紂王〕を諌めて惨殺された。
孔子先生は仰った。「殷王朝に三人の仁者がいました」。
※ 微子は殷王朝最後の王であった紂の庶兄(あに)。箕子と比干とは紂の諸父(おじ)であったといわれています。
今朝の朝日新聞DIGITA「東京版・川の手面」より
袋小路は「まちの個性」 東京・向島で夜の路地ツアー ―― 東京スカイツリーが開業し、多くの観光客でにぎわう墨田区。一方で下町ならではの景観を楽しむ「まち歩き」も人気だ。向島地区で初めて開かれた夜の路地観察ツアーに参加し、昭和の面影が色濃く残る町並みを歩いた。/1日午後8時。東武線曳舟(ひきふね)駅に近い喫茶店「東向島珈琲(コーヒー)店)に20人ほどの参加者が集まった。/地域の活性化に取り汲むNPO法人(向島学会)などが主催するツアーのタイトルは「Dontsuki Night」。/ドンツキとは袋小路のことで、同区北部の向島には数多く残る。その夜の姿を見てみようというのが、ツアーの趣向だ。/「週末のプライベートな時間帯です。住民の迷惑にならないように」。注意事項が説明された後、路地へと繰り出した。/案内人を務めるのは、地元在住の環境デザイナー斎藤佳(けい)さんら。不便な袋小路を「まちの個性」として肯定的にとらえようと、2011年に仲間と「ドンツキ協会」を結成。その形状に応じて「丁字型」や「ツリー型」などと分類したり、ワークショップや観察ツアーを開いたりしてきた。/提灯(ちょうちん)をさげて歩く斎藤さんの後ろに一行が続く。銭湯帰りのお年寄りが声をかけてきた。「おや、今日はナイトツアーですか?」/複雑に入り組んだ細い路地の先々に、個性豊かな袋小路が現れた。行き止まりに見えて、実は抜け道があるものも。逆に、昔は通り抜けられた路地がふさがったケースもある。/ある袋小路には昭和初期に建てられた木造家屋がひっそりと残っていた。「びっくり。火事を起こさないよう、よほど気をつけて生活されてきたんですね」と向島学会副理事長の清水永子(ながこ)さん。/「個人的にこれが一番美しいと感じているドンツキです」。そう言って斎藤さんが指さした袋小路には、町工場の後ろにスカイツリーのイルミネーションが瞬いていた。/午後10時。2時間のツアーが終わった。「街灯に照らされた夜の路地がこんなに魅力的だったとは」と参加者の1人が話した。/近年、向島のような木造密集地域は防火や防災の観点からも否定的に取り上げられることが少なくない。/が、斎藤さんらはこう考えている。/まちを根本からひっくり返す工事に膨大な予算と時間をかけるよりも、「ドンツキ」とのより良い関係を模索しながら、まちづくりや防災意識につなげられないか、と。 (朝日新聞DIGITAL 東京川の手 2013年11月5日03時00分)
昨日は、K家の法要で、早稲田通りにある慈雲山竜興寺に出かけた。
爺の兄弟は5人平成2年11月5日(明日はその月命日)に長兄Aが64歳で亡くなり、6年後の平成8年6月1日に三番目の兄Yが長兄Aと同じ64歳で逝った。そして、昨年平成24年12月26日に姉Tが逝った。5人兄弟のうち残るのは、下関市に在住の次兄のSとこの爺の2人だけである。
三番目の兄Yは、昭和12年小学校2年のとき、実父Mの弟K(爺から見れば叔父)のもとに養子に入った。兄弟の中でも三番目の兄Yとは年齢差も一番近く、同じ東京で40年余り付き合ったので、最も親しかったのだと思う。
今回の法要は、その三番目の兄の嫁の連れ子M君の嫁Cさんが昨年肝臓がんのため亡くなりその一周忌の法要であった。MはK家の後を継ぐということで、戸籍上は日高の籍には入れなかったが、実質的には結婚後に設けた爺の姪にあたるM子を含め、4人家族を営んできた。
法要の席ではM君の嫁Cさんの86歳になる母というご婦人と隣り合わせになったが、この爺がM君とCさん仲人を務めたことを知り、読経中にも拘らず、この爺に話しかけてこられた。Cさんの父という方も出席されていたが、91歳にしていまも毎朝畑仕事に出かけられるという。今回もお2人して、娘さん(Cの妹ご)連れられて、長野県の松本から出席されたのだという。
まあ、この三番目の兄については、叔父や叔母との間に入って、色々仲介役も努めたこともあり、その経緯は複雑で今は説明もできない。まあ、爺とてこの先そんなに長くはあるまい。こんなことはこの世の無常と考えて、残り少ない人生を満喫することにしよう。
10月27日のブログに続いて、「三無」の1つ「服のない喪」の基になった、詩経の『谷風』を取り上げます。
詩経邶風(はいふう)にある「谷風(こくふう)」は、夫に棄てられた女の歌だといいます。詩序に、「谷風は夫婦の道を失ふを刺(そし)るなり。衛人其の上に化し、新昬(しんこん)に淫して、其の旧室を棄つ。夫婦離絶し、国俗傷敗す。」とあり、怒り、怨み、嫉みを訴えた民歌でしょう。
三不去の1つである「前には貧賤にして後に富貴なるは去らず」に該当するにもかかわらず、夫は若い女の色に惑うて先婦を逐い出したと思われます。また、この詩は、ある詩人が棄婦の悲怨の心情を、棄婦に代わって叙べたものであるともいわれています。
谷風
習習谷風、 習習たる谷風、
以陰以雨。 以て陰(くも)り以て雨ふる。
黽勉同心、 黽勉(びんべん)として心を同じくして、
不宜有怒。 怒ること有る宜からず。
采葑采菲、 葑(ほう)を采り菲を采るに、
無以下體。 下體を以てすること無かれ。
德音莫違、 德音違うこと莫くば、
及爾同死。 爾と死を同じくせん。
行道遲遲、 道を行くこと遲遲たり、
中心有違。 中心違(そむ)くこと有り。
不遠伊邇、 遠からずして伊(こ)れ邇し、
薄送我畿。 薄(しばら)く我を畿に送る。
誰謂荼苦、 誰か荼(にがな)を苦しと謂う、
其甘如薺。 其の甘きこと薺(なずな)の如し。
宴爾新昏、 爾の新昬〔昏〕を宴(たの)しみ、
如兄如弟。 兄の如く弟の如し。
涇以渭濁、 涇(けい)は渭を以て濁れるも、
湜湜其沚。 湜湜(しょくしょく)たる其の沚(なぎさ)。
宴爾新昏、 爾の新昬〔昏〕を宴しみ、
不我屑以。 我を屑しとし以(とも)にせず。
毋逝我梁、 我が梁(やな)に逝くこと毋かれ、
毋發我笱。 我が笱(うえ)を發(ひら)くこと毋かれ。
我躬不閱、 我が躬すら閱(い)れられず、
遑恤我後。 我が後を恤うるに遑(いとま)あらんや。
就其深矣、 其の深きに就いて、
方之舟之。 之に方(いかだ)し之に舟す。
就其淺矣、 其の淺きに就いて、
泳之游之。 之を泳(くぐ)り之を游(およ)ぐ。
何有何亡、 何か有り何か亡き、
黽勉求之。 黽勉として之を求む。
凡民有喪、 凡そ民喪有れば、
匍匐救之。 匍匐して之を救う。
不我能慉、 我を能く慉(やしな)<畜と同じ>わず、
反以我為讎。 反って我を以て讎とす。
既阻我德、 旣に我が德を阻(しりぞ)け、
賈用不售。 賈(あきもの)用って售(う)られざるがごとし。
昔育恐育鞫、 昔育(やしな)いするに育い鞠(きわ)まり、
及爾顛覆。 爾と顚覆せんことを恐る。
既生既育、 旣に生き旣に育えば、
比予于毒。 予を毒に比す。
我有旨蓄、 我に旨き蓄(たくわえ)有り、
亦以御冬。 亦以て冬を御(ふせ)がん。
宴爾新昬、 爾の新昬〔昏〕を宴(たの)しみ、
以我御窮。 我を以て窮まれるに御(あ)たらしむ。
有洸有潰、 洸たる有り潰(かい)たる有り、
既詒我肄。 旣に我が肄(い)を詒(のこ)す。
不念昔者、 昔、伊(こ)れ余が來り
伊余來塈。 塈(いこ)いしことを念わざらん。
訳 吹き止まぬ烈しい風/空は曇り雨も降る/
心合わせて働いて/今さら怒ることはない/
蕪(かぶら)や大根とるのにも/根や茎だけではあるまいに/
優しい言葉を違わねば/貴方といっしょしぬまでも
※ 大根をとるのは根や茎ばかりでなく葉も捨てたものでは
ない
去られて行けばとぼとぼと/心惑うて行きかねる/
遠く送ってくれずとも/せめて門まで遅れかし/
この苦しみに較べれば/苦い茶(にがな)も薺(なずな)の甘さ/
新妻ばかりを宴(たの)しんで/兄弟のような睦まじさ
涇(けい)は渭(い)に合えば濁り川/
それでも沚(なぎさ)は澄んでいる/新妻だけを宴んで/
いまは私に眼もくれぬ/私の梁(やな)に近づくな/
私の筍(かご)を発(あば)くなと/跡を気づかうひまもない/
今はわが身さえ閲(い)れられぬ
※ 当時の諺に「涇水は渭水に合流すれば、その濁りは目立
つ」とある。
※ 私の梁……発(あは)くな: 詩中に時々見える文句で、
自分のこれまで苦心して持ってきた家を、新しい女が入っ
て来て、勝手にするのを嘆くことば。
渉(わた)りに水が深ければ/筏を浮かべ舟に乗り/
渉りに水の浅ければ、/くぐり游(およ)ぐもなんのその/
有るもの無いもの気をくばり/辛苦を厭わず求めきて/
ひとに不幸のあるときは/つい駆け出しても手伝った
※ ひとに不幸の……手伝った: 近所の不幸に駆け出して手
伝うのも、夫の家を大事に思えばこそ
今さら私をいとしまず/いっそ仇を見るように/
心づくしを振り捨てて/顧みもせぬ棚ざらし/
苦しい中に二人して/ようよう育てて来たものが/
どうやら伸びた今になり/邪魔な私はどくのよう
うまい漬菜もたくわえて/冬の用意もしていたに/
新妻ばかりを宴しんで/私は苦労を見るばかり/
怒ったりまた罵ったり/こうまで私を苦しめる/
今朝のウェブニュースより
山本太郎氏 園遊会で陛下に“直訴状”「禁じられていない」 ―― 天皇、皇后両陛下主催の秋の園遊会が31日、東京・元赤坂の赤坂御苑で開かれ、山本太郎参院議員が陛下に直接手紙を手渡す場面があった。皇室の政治利用ではないかと批判の声も出ているが、山本氏は会見で「この国の現状を知っていただこうと、情報をお渡ししただけ」と釈明。直訴ともとれる異例の行動に出たのは「禁じられていないためだ」と述べた。参院議院運営委員会は1日、対応を協議する。/山本氏が手紙を手渡したのは、陛下が招待者の並ぶ列の前を回られた際。「子どもたちの未来が危ないんです。健康被害も出ています」などと声を掛け、身をかがめて「この手紙に実情が書いてありますので、お読みいただけませんか」と差し出した。陛下は無言で受け取り、すぐにそばにいた侍従長に預けた。/手紙は1枚の巻紙に自らの筆で、前日30日夜に書いた。福島第1原発事故後の子どもたちや、原発労働者の被ばく問題などについて記したという。/山本氏は閉会後、都内で記者会見。姿を見せると、約40人の記者団を見渡して「珍しいですね、皆さん」と第一声。多くの記者が集まったのは、7月の参院選初当選時と、翌8月に発覚した極秘離婚に関する釈明会見以来のため、「珍しい」と述べたとみられる。/手紙の真意を聞かれ「政治家である前に人間として、この国に対する憂いを陛下に伝えたいという思いがあふれた。せっかくの機会なので」と釈明。具体的な文面は明かさなかった。記者団から再三、「陛下の政治利用にあたらないか」と質問が飛んだが、「天皇陛下に手紙を書くことが政治利用にあたるのか」と返し、否定した。/直接手渡す行為自体については「失礼にあたるかもしれないけど、ルール的には禁じられていない」とし、法律では禁じられていないと主張。手紙を読んでもらうことで「陛下に何かを期待したのか」との質問には、「僕が感じる日本の現状を知っていただきたいだけ」と強調した。/1901年に足尾銅山鉱毒事件について明治天皇に直訴した田中正造を想起させる異例の行動だが、「そのことはよく知っているが、僕はそれを意識してやったわけではない」と説明。約18分に及ぶ会見は「どうレッテルを貼ってもらっても構わない」と強気な言葉で締めくくった。
今朝のウェブニュースより
邶風(はいふう) 柏舟(はくしゅう)篇
汎彼柏舟、 汎たる彼の柏舟(はくしゅう)、
亦汎其流。 亦汎として其れ流る。
耿耿不寐、 耿耿(こうこう)として寐ず、
如有隱憂。 隱(いた)み憂うること有るが如し。
微我無酒、 我れ酒無きに微(あら)ず、
以敖以遊。 以て敖(あそ)び以て遊ばん。
我心匪鑒、 我が心鑒(かがみ)に匪ず、
不可以茹。 以て茹(はか)る可からず。
亦有兄弟、 亦兄弟有れども、
不可以據。 以て據(よ)る可からず。
薄言往愬、 薄(いささ)か言(ここ)に往いて愬(つ)ぐれば、
逢彼之怒。 彼の怒りに逢う。
我心匪石、 我が心石に匪ず、
不可轉也。 轉ばす可からず。
我心匪席、 我が心席(むしろ)に匪ず、
不可卷也。 卷く可からず。
威儀棣棣、 威儀棣棣(ていてい)として、
不可選也。 選ぶ可からず。
憂心悄悄、 憂うる心悄悄たり、
慍于群小。 羣小に慍(いか)らる。
覯閔既多、 閔(うれ)えを覯ること旣に多し、
受侮不少。 侮りを受くること少なからず。
靜言思之、 靜かに言に之を思いて、
寤辟有摽。 寤(さ)めて辟(むねう)つこと摽(ひょう)たる有り。
日居月諸、 日月、 ※ 居・諸は、語の辭
胡迭而微。 胡(なん)ぞ迭(たが)いにして微(か)く。
心之憂矣、 心の憂えあり、
如匪澣衣。 澣(あら)わざる衣の如し。
靜言思之、 靜かに言に之を思う、
不能奮飛。 奮飛すること能わず。
訳 流れに浮かぶ柏(ひ)の舟は/寄る辺も無く漂うている/
深い憂いが胸に満ち/うとうとと夜もねむられぬ/
心の憂いを忘れて遊ぶ/酒も無いではないけれど
鏡でもない私の心に/人の思いは計られぬ/
よし兄弟があればとて/何の頼りになるものか/
かりに往って訴えても/却って怒られるばかりなのだ
石ではない私の心を/転がし移すことはできぬ/
席(むしろ)でもない私の心を/巻いて収めることはできぬ/
畏れることのない態度で/自分を屈(ま)げることはできぬのだ
心の憂いははてもない/つまらぬものに憎まれて/
辛い思いも重なれば/侮られたのも幾度か/
さめて静かに思うとき/胸を辟(な)で摽(う)つばかりなのだ
ああ 日よ月よ/なぜ互いに欠けるのか/
このこころの憂しさは/汚れた衣(きもの)を着ているようだ/
静かに思い悩みつつ/飛び立ちかねる鳥ならぬ身は
詩経の記載予定を変更して、今朝の朝日新聞の「科学欄」から転写する。
右利き・左利きの謎 生物の進化・生存競争にも影響 ―― 圧倒的に多数の人が右利きだけれど、左利きの人もいる。なぜなのかは、実はあまり分かっていない。人間だけではない。右利きと左利きの謎はいろんな生物でみられる。研究者は、生態学や進化学、分子生物学など様々な角度から、このナゾを解こうとしている。/富山大の水生動物室には、シクリッド科の熱帯魚約80匹が小分けされた水槽で泳いでいる。竹内勇一助教(神経行動学)が水槽の一つに1匹の金魚を入れると、金魚の後ろから何度も襲撃し、鱗(うろこ)を食べ始めた。/よく見ると、この魚が襲うのは金魚の左側面ばかりだ。「このシクリッドは左利きです」と竹内さんは説明する。/アフリカ中部タンガニーカ湖に生息するシクリッドには、別の魚の鱗を食べる種類がいる。竹内さんを指導した堀道雄・京都大名誉教授は1993年、この湖の鱗を食べる全ての魚には右利き、左利きがあり、うち1種類は、右利きの個体が多い時期と、左利きが多い時期を繰り返していることを米科学誌に発表した。/鱗を食べるシクリッドは左右のあごの形が違い、片方側に開きやすい構造をしていて、遺伝もする。右利きが多いと、餌となる魚は右後ろを警戒するようになる。すると、左利きのシクリッドがたくさん餌を捕れて栄養状態が良くなり、多くの子孫を残せる。その結果、左利きが増えるというわけだ。/竹内さんはこの魚を輸入し、捕食行動を詳しく調べた。利きと違う側からの襲撃では失敗が増えることや、利き側から襲う体勢をとりやすい側によく体が曲がることを突き止めた。/どんなしくみでこの利きがコントロールされているのか。竹内さんは脳の神経細胞「マウスナー細胞」に注目し、神経レベルでの反応を調べている。「僕らが持っている左右の利きを考えるとき、神経が制御するという面からのヒントがこの魚から出てくるはず」
■右利きヘビ仮説を証明: 右と左の不思議な関係はヘビとカタツムリの間にもある。カタツムリの殻の巻き方は種によって右か左かが決まっている。実際には圧倒的に右巻きが多いので、カタツムリを餌とするヘビは右巻きが食べやすいように適応して「右利き」になる――。そんな仮説に10年間取り組んできたのが京都大白眉(はくび)センターの細将貴特定助教(進化生物学)だ。/細さんは、日本では石垣島と西表島にしか生息せず、カタツムリを主食としているイワサキセダカヘビに着目。標本を丹念に調べると、右の歯が左より数が多かった。米国の博物館から同じ科に属するヘビの骨格標本を取り寄せて調べても、やはり右の歯が多かった。/右巻きのカタツムリを食べるとき、ヘビは左右のあごを別々に動かし、殻の奥に逃げ込んだカタツムリを引きずり出す。右巻きなら、ぎっしり並んだ右の歯でしっかり食いしばり、左の歯を奥に差し込んで引きずり出す。その際、ヘビは顔の右側を必ず上にしてかみつく。/この「右利き」ヘビがいる地域では、左巻きの種が属するカタツムリのタイプが多い傾向にあった。ヘビの捕食から逃れやすかったために、右巻きから左巻きへと進化してきたと説明できる。細さんはこうして「右利きのヘビ仮説」を証明した。「ヘビとカタツムリにはすばらしい進化のストーリーがあった」と話す。
■養殖カレイ、目が両側に: では、生物の体の中では何が右と左を決めているのだろうか。左ヒラメに右カレイ。食卓の常識は、養殖してみると思わぬ結果を生む。高級魚「ホシガレイ」は天然には身の右側面に二つの目があるが、養殖すると3~4割ほどが左側面に二つの目があったり、両側面にそれぞれ目があったりする。/東北大の鈴木徹教授(魚類発生学)はヒラメとカレイの左右の謎に取り組んできた。ヒラメやカレイは稚魚のころは左右両側に目があるが、成長するにつれて、目が片方の側に移動していく。/鈴木さんは、内臓の位置を決めるのに関係する「ノダル経路」と呼ばれる複数の遺伝子の相互作用に注目。人工的に育てると、成長とともにノダル経路が働かなくなるホシガレイがいた。/人工的に飼育するとホルモンバランスが崩れ、ノダル経路の働きが阻害されるとみて、養殖で正常なホシガレイになるように実験を重ねている。/人間は約9割が右利きだ。その理由は分かっていないが、ノダル経路が効いている可能性を示唆する論文が今年9月、米科学誌プロスジェネティクスに掲載された。鈴木さんは「人間の脳にもノダル経路がある可能性は十分ある。実際には機能していると考えれば、うまく説明できるかもしれない」と話す。 〔朝日新聞DIGITAL 2013年10月28日05時00分〕
昨日の孔子閒居の続きです。
子夏曰:「五至既得而聞之矣、敢問何謂三無?」孔子曰:「無聲之樂、無體之禮、無服之喪、此之謂三無。--『夙夜其命宥密』、無聲之樂也。『威儀逮逮、不可選也』、無體之禮也。『凡民有喪、匍匐救之』、無服之喪也。」
子夏曰:「三王之德、參於天地、敢問:何如斯可謂參於天地矣?」孔子曰:「奉三無私以勞天下。」
子夏曰:「敢問何謂三無私?」孔子曰:「天無私覆、地無私載、日月無私照。奉斯三者以勞天下、此之謂三無私。」
そこで、子夏がまた問うた。
「五至ということはこれで知ることができました。ではお尋ねいたしますが、三無とはなんでございましょう」
「声のない楽(がく)、体の無い礼、服のない喪、これを三無という。――詩に、夙夜(しゅくや)、命(めい)を其(はじ)めて宥密(ゆうみつ)す、とあるのは無声の樂である。威儀逮逮(ていてい)選ぶべからず、とあるのは無体の礼である。凡そ民の喪あるは、匍匐(ほふく)これを救う、とあるのは無服の喪である」
子夏が問うた。
「三王の徳は、それによって天地の(生成の)事業に参与できるほどであった、と伝えられます。――お尋ねしたいのですが、どのような徳を備えたら天地に参与できるのでしょう」
孔子は答えた。
「三つの無私の姿を仰いで、みずから天下万民のために苦労することができれば、その王者は天地に参与する者だ」
子夏が尋ねた。「三つの無私とは、何のことでしょう」
孔子が答えた。
「天には私覆(しふく)が無く、地には私戴が無く、月日には私照がない。この三つの私(わたくし)の無い姿を仰ぎ、〔これを模範として〕天下万民のために苦労するのである」
※善政の要件として三無の実行と言う事があり、これは詩経に基いています。
夙夜、命を其めて宥密す: 周頌 昊天有成命篇
威儀逮逮、選ぶべからず: 邶風 柏舟篇
凡そ民の喪あるは、匍匐してこれを救う: 邶風 谷風編 にあります。
これらについては明日から取り上げようと思っています。
※三王:ここでは三代の王、夏禹、殷湯、周文の三王のことで、周の文王には武王も含まれています。――聖人は天地の化育(万物生成)の事業に参与し、人間でありながら神に等しい能力を有するものという思想が、戦国時代の儒家の間に形成されていたといわれています。
※三つの無私: 天は何のえり好みもせず万物を覆い、地は全てを載せ、日月はえこひいきなく照りわたる、これが三つの無私だというのです。sechin@nethome.ne.jp です。
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