梓(あずさ)を詠んだ歌15
巻19-4214: 天地の初めの時ゆうつそみの八十伴の男は.......(長歌)
標題:挽謌一首并短謌
標訓:挽謌一首并せて短謌
原文:天地之 初時従 宇都曽美能 八十伴男者 大王尓 麻都呂布物跡 定有 官尓之在者 天皇之 命恐 夷放 國乎治等 足日木 山河阻 風雲尓 言者雖通 正不遇 日之累者 思戀 氣衝居尓 玉桙之 道来人之 傳言尓 吾尓語良久 波之伎餘之 君者比来 宇良佐備弖 嘆息伊麻須 世間之 厭家口都良家苦 開花毛 時尓宇都呂布 宇都勢美毛 無常阿里家利 足千根之 御母之命 何如可毛 時之波将有乎 真鏡 見礼杼母不飽 珠緒之 惜盛尓 立霧之 失去如久 置露之 消去之如 玉藻成 靡許伊臥 逝水之 留不得常 枉言哉 人之云都流 逆言乎 人之告都流 梓弧 爪夜音之 遠音尓毛 聞者悲弥 庭多豆水 流涕 留可祢都母
万葉集 巻19-4214
作者:大伴家持
よみ:天地の 初めの時ゆ うつそみの 八十(やそ)伴(とも)の男(を)は 大君(おほきみ)に まつろふものと 定まれる 官(つかさ)にしあれば 大君(おほきみ)の 命(みこと)畏(かしこ)み 鄙離る 国を治むと あしひきの 山川隔(へだ)て 風雲に 言(こと)は通へど 直(ただ)に逢はず 日の重(かさな)れば 思ひ恋ひ 息(いき)づき居(を)るに 玉桙の 道来る人の 伝(つ)て言(こと)に 我れに語(かた)らく はしきよし 君はこのころ うらさびて 嘆かひいます 世間(よのなか)の 憂(う)けく辛(つら)けく 咲く花も 時にうつろふ うつせみも 常なくありけり たらちねの 御母(みはは)の命(みこと) 何しかも 時しはあらむを まそ鏡 見れども飽かず 玉の緒の 惜しき盛りに 立つ霧の 失せぬるごとく 置く露の 消(け)ぬるがごとく 玉藻なす 靡き臥い伏し 行く水の 留めかねつと たはことか 人の言ひつる およづれか 人の告げつる 梓弓 爪(つま)引(ひ)く夜(よ)音(おと)し 遠音(とほと)にも 聞けば悲しみ にはたづみ 流るる涙 留めかねつも
意訳:天地の初めて開けた時から、世の中の多くの官人たる者は、大君に従うものと定まっている、その職にあるので、大君の仰せを畏んで、都を遠く離れた鄙の国を治めるためと、山や川を遠く隔てていて、風や雲につけて便りは通うとはいえ、じかにお逢いできないままに日が重なるので、慕わしく思い恋い焦がれては溜息ついているその矢先に、玉梓の道をやって来る人が言伝てとて私に語り告げたこと、そのことが、「ああ、おいたわしくも、あの方は近頃萎れ返って嘆きつづけておいでです。人の世の何よりも厭わしくつらいのは、咲く花も時が経てば散り失せ、人の身も常ならぬものであることです。たらちねの母上様には、いったいどんなおつもりか、ほかの時はいくらでもありましょうに、お見受けしても見飽きることがなく、まだまだ惜しい盛りのお年なのに、立つ霧の消え失せてしまうように、置く露の消え去ってしまうように、玉藻のように床に靡き伏されて、流れ行く水のようにお引き留めもかないませんでした」であったとは。でたらめ言を火が口走ったのでしょうか、惑わし言を人が告げたのでしょうか。梓弓を爪で弾き鳴らす夜音のように、遠く遥かなる報せとは言え、お伺いするとやたらに悲しくて、にわたずみのように流れる涙は、留めようにも留めることができません。
左注:右大伴宿禰家持弔聟南右大臣家藤原二郎之喪慈母患也 五月廿七日
注訓:右は、大伴宿禰持、婿南の右大臣の家の藤原二郎(なかちこ)が慈母を喪(うしな)へる患いを弔(とぶら)へるなり。五月二十七日
※万葉巻19-4216左注に聟南右大臣家藤原二郎(なかちこ)とあるのは継縄を指します。これを久須麻呂とする説もありますが、『尊卑分脉』『公卿補任』ともに久須麻呂の母は藤原房前の女(袁比良おひら)と伝え、「藤原二郎の慈母」とは没年が異なります。
※藤原朝臣継縄(ふじわらのあそみつぐただ、727~796年)
奈良時代の公卿(くぎょう)。神亀(じんき)4年生まれ。南家藤原豊成の次男。天平神護(てんぴょうじんご)2年(766)参議。延暦(えんりゃく)9年後右大臣となり中衛(ちゅうえの)大将,東宮傅(ふ)を兼任。13年正二位。桃園右大臣とよばれる。妻の百済明信(くだらの-みょうしん)とともに桓武(かんむ)天皇の寵遇(ちょうぐう)をうけた。「続日本紀」の編修を主宰。延暦15年7月16日死去。70歳。贈従一位。
750(天平勝宝2)年以前、大伴家持の妹留女之女郎を娶ります。天平勝宝2年夏頃、母を失い、越中でその報に接した家持より亡母を弔う挽歌を贈られます(巻19-4214~4216)。763(天平宝字7)年、正六位上より従五位下に昇叙されます。この時37歳でした。
ウェブニュースより
「由美かおるがいねえ」平成の黄門・渡部恒三氏死去 ――会津なまりの独特の“恒三節”で「平成の黄門さま」と親しまれた元衆院副議長の渡部恒三(わたなべ・こうぞう)氏が23日午前2時8分、老衰のため、福島県会津若松市の病院で死去した。88歳。告別式は近親者のみの家族葬で行い、後日お別れの会を開く。
「会津のケネディ」を称して1969年(昭44)、福島県議から衆院選に挑戦。無所属で初当選。83年、厚相として初入閣。自治相、通産相を歴任した。竹下派では小渕恵三、橋本龍太郎、小沢一郎、羽田孜、梶山静六、奥田敬和の各氏とともに「七奉行」と呼ばれた。当選同期で誕生日が同じ5月24日の小沢氏とは盟友関係で、93年の自民党離党、新生党結成で行動を共にした。
96年に衆院副議長に就任し03年まで歴代最長の2498日、務めた。05年に民主党に入党。06年、「偽メール事件」で党が窮地に陥ると、国対委員長として事態収拾にあたった。「黄門さま」の愛称は国対委員長代理の川端達夫、平野博文両氏が「私たちが『助』『格』になってお仕えします」と話したことに、渡部氏が「由美かおるがいねえじゃないか」と言ったことが発端。倒れても起き上がる地元の伝統工芸品「起き上がり小法師(こぼし)」を後輩議員に送り激励するのが常で、岡田克也、野田佳彦、前原誠司、枝野幸男各氏らを「民主党七奉行」と呼び、後見役を務めた。
小沢氏とは新進党解党を機に決別。民主党でも「反小沢」の立場だったが、11年5月に開いた小沢氏との合同誕生会では「私に何かあれば、小沢くんに弔辞をお願いしたい」と語った。12年の衆院選に出馬せず政界を引退。その後も「ご意見番」として活動した。
[日刊スポーツ 2020年8月24日22時1分]
梓(あずさ)を詠んだ歌14
巻19-4164: ちちの実の父の命ははそ葉の母の命.......(長歌)
標題:慕振勇士之名謌一首并短謌
標訓:勇士(ますらを)の名を振(ふ)るはむることを慕(ねが)へる謌一首并(あわ)せて短謌
原文:知智乃實乃 父能美許等 波播蘇葉乃 母能美己等 於保呂可尓 情盡而 念良牟 其子奈礼夜母 大夫夜 無奈之久可在 梓弓 須恵布理於許之 投矢毛知 千尋射和多之 劔刀 許思尓等理波伎 安之比奇能 八峯布美越 左之麻久流 情不障 後代乃 可多利都具倍久 名乎多都倍志母
万葉集 巻19-4164
作者:大伴家持
よみ:ちちの実の 父の命(みこと) ははそ葉の 母の命(みこと) おほろかに 心(こころ)尽(つく)して 思ふらむ その子なれやも ますらをや 空しくあるべき 梓弓 末(すゑ)振り起し 投矢(なげや)持ち 千尋(ちひろ)射わたし 剣(つるぎ)大刀(たち) 腰に取り佩き あしひきの 八(や)つ峰(を)踏み越え さしまくる 心(こころ)障(さや)らず 後の世(よ)の 語り継ぐべく 名を立つべしも
意訳:父上や母上はいい加減な気持ちでわれわれを育てたのだろうか。決してそうではあるまい。だから男子たる者、無為に時を送ってはならない。梓弓(あずさゆみ)の末を振り立てるような、投げ矢を持って射通すような気迫を持たなければなるまい。(つるぎたち)を腰に帯び、いくつもの山々を越えた地で任務につくように任命された大君の心に違わぬように、後の世の語りぐさとなるように名を立てなければならない。
左注:右二首追和山上憶良臣作歌
注訓:右の二首は、山上憶良臣の作れる歌に追い和へたり。
ウェブニュースより
抗議デモに20万人 大統領、銃持ち威嚇―長期化覚悟、警備に軍展開・ベラルーシ ―― 【モスクワ時事】ベラルーシのルカシェンコ大統領が6選を決めたとされる大統領選(9日投票)の結果に抗議するデモが23日、首都ミンスクで行われ、ロイター通信によると、約20万人が参加した。参加者は反政権派の象徴となっている白と赤の旗を振りながら「辞任せよ」と連呼し、ルカシェンコ氏の退陣を求めた。
一方、ベラルーシの国営通信社はヘリコプターで大統領官邸に到着したルカシェンコ氏が銃を片手に持って歩く動画を配信した。デモ隊の一部が官邸に接近しており、威嚇する意図がありそうだ。
デモ隊はミンスク市中心部の広場に集結。「自由を」などと気勢を上げながら市内を行進した。反政権派幹部は参加者に向けた声明で、ルカシェンコ氏が反政権派との対話を拒否していると指摘。「われわれの抗議活動はマラソンだ」とも述べ、事態長期化への覚悟ものぞかせた。ミンスクでは16日にも20万人規模の抗議デモが行われた。
政権は抗議デモの取り締まり強化を警告していたが、23日は大きな衝突はなかったもようだ。ただ、ベラルーシ国防省は23日、今後は軍が国内にある第2次大戦の記念碑などの警備を担当すると発表した。デモ隊がこうした記念碑に集結した場合、警備を口実に軍が排除に乗り出す可能性が出ている。 (JIJI.COM 2020年08月24日05時42分)
梓(あずさ)を詠んだ歌13
巻18-4094: 葦原の瑞穂の国を天下り知らしめしける.......(長歌)
標題:賀陸奥國出金詔書謌一首并短謌
標訓:陸奥國より金の出せる詔書を賀ける謌一首并せて短謌
原文:葦原能 美豆保國乎 安麻久太利 之良志賣之家流 須賣呂伎能 神乃美許等能 御代可佐祢 天乃日飼等 之良志久流 伎美能御代々々 之伎麻世流 四方國尓波 山河乎 比呂美安都美等 多弖麻都流 御調寶波 可蘇倍衣受 都久之毛可祢都 之加礼騰母 吾大王能 毛呂比登乎 伊射奈比多麻比 善事乎 波自米多麻比弖 久我祢可毛 多能之氣久安良牟登 於母保之弖 之多奈夜麻須尓 鶏鳴 東國能 美知能久乃 小田在山尓 金有等 麻宇之多麻敝礼 御心乎 安吉良米多麻比 天地乃 神安比宇豆奈比 皇御祖乃 御霊多須氣弖 遠代尓 可々里之許登乎 朕御世尓 安良波之弖安礼婆 御食國波 左可延牟物能等 可牟奈我良 於毛保之賣之弖 毛能乃布能 八十伴雄乎 麻都呂倍乃 牟氣乃麻尓々々 老人毛 女童兒毛 之我願 心太良比尓 撫賜 治賜婆 許己乎之母 安夜尓多敷刀美 宇礼之家久 伊余与於母比弖 大伴能 遠都神祖乃 其名乎婆 大来目主登 於比母知弖 都加倍之官 海行者 美都久屍 山行者 草牟須屍 大皇乃 敝尓許曽死米 可敝里見波 勢自等許等太弖 大夫乃 伎欲吉彼名乎 伊尓之敝欲 伊麻乃乎追通尓 奈我佐敝流 於夜能子等毛曽 大伴等 佐伯乃氏者 人祖乃 立流辞立 人子者 祖名不絶 大君尓 麻都呂布物能等 伊比都雅流 許等能都可左曽 梓弓 手尓等里母知弖 劔大刀 許之尓等里波伎 安佐麻毛利 由布能麻毛利尒 大王能 三門乃麻毛利 和礼乎於吉弖且 比等波安良自等 伊夜多氏 於毛比之麻左流 大皇乃 御言能左吉乃 (一云 乎) 聞者貴美 (一云 貴久之安礼婆)
万葉集 巻18-4094
作者:大伴家持
よみ:葦原の 瑞穂の国を 天(あま)下(くだ)り 知(し)らしめしける すめろぎの 神の命の 御代(みよ)重(かさ)ね 天の日継と 知(し)らし来る 君の御代(みよ)御代 敷きませる 四方(よも)の国には 山川を 広み厚みと 奉(たてまつ)る 御調(みつき)宝(たから)は 数へえず 尽くしもかねつ しかれども 我が大君(おほきみ)の 諸人(もろひと)を 誘(いざない)ひたまひ よきことを 始めたまひて 金(くがね)かも 確(たし)けくあらむと 思ほして 下(した)悩ますに 鶏が鳴く 東の国の 陸奥(みちのく)の 小田なる山に 金ありと 申したまへれ 御心を 明(あき)らめたまひ 天地の 神(かみ)相(あひ)うづなひ すめろきの 御霊(みたま)助けて 遠き代に かかりしことを 我が御代に 顕(あら)はしてあれば 食(を)す国は 栄えむものと 神ながら 思ほしめして もののふの 八十(やそ)伴(とも)の男(を)を 奉(まつ)ろへの 向けのまにまに 老人(おいひと)も 女(をみな)童(わらは)も しが願ふ 心(こころ)足(だら)ひに 撫でたまひ 治めたまへば ここをしも あやに貴(とうと)み 嬉しけく いよよ思ひて 大伴の 遠つ神(かむ)祖(おや)の その名をば 大久米(おほくめ)主(ぬし)と 負(を)ひ持ちて 仕へし官(つかさ) 海行かば 水(みな)浸(つ)く屍(かばね) 山行かば 草(くさ)生(む)す屍(かばね) 大君(おほきみ)の 辺(へ)にこそ死なめ かへり見は せじと言立て ますらをの 清きその名を いにしへよ 今のをつづに 流さへる 祖(おや)の子どもぞ 大伴と 佐伯の氏(うぢ)は 人の祖(おや)の 立つる言(こと)立て 人の子は 祖(おや)の名絶たず 大君に 奉仕(まつろ)ふものと 言ひ継げる 言の官(つかさ)ぞ 梓弓 手に取り持ちて 剣太刀 腰に取り佩(は)き 朝(あさ)守(まも)り 夕の守りに 大君(おほきみ)の 御門の守り 我れをおきて また人はあらじ といや立て 思ひしまさる 大君(おほきみ)の 御言(みこと)の幸(さき)の (一(ある)は云はく、を) 聞けば貴(たふと)み (一は云はく、貴(たふと)くしあれば)
意訳:葦原の瑞穂の国、この国を、高天原から降ってお治めになった天皇の神の命、その神の命の御末が御代を重ねて、日の神の後継ぎとして治めて来られた貴い御代御代を通じて、ずっと支配しておられる四方の国々では、山も川も広々と豊かであるとて、奉る貢の宝は数えきれず、挙げ尽くしようもない。しかしながら、われらの大君が人びとを仏の道にお導きになり、善き業をお始めになって、何とか黄金が充分にあればとひそかに御心を砕いておられた折も折、鶏が鳴く東の国の陸奥の小田という所の山に黄金があると奏上してきたものだから、御心も晴れ晴れとなさり、「我が業を天地の神々も挙って嘉したまい、代々の天皇の御霊もお助け下さって、遠い昔の代にあったと同じことを我が御代にも顕わしてくださったので、我が治める国は栄えるであろう」と、神の御子でましますままにおぼし召されて、もともろの臣下たちを心から仕えさせられるとともに、老人も女子どもも、その願いが満ち足りるように、いとしみたまい治めたもうので、われらはそこのところが何とも貴くてならず、嬉しさもいよいよつのって、大伴の遠い祖先の神、その名は大久米部の主という誉れを背にお仕えしてきた役目柄、「海を行くなら水漬く屍、山を行くなら草生す屍となり、大君の辺に死のうと本望、我が身を顧みるようなことはすまい」と言葉に唱えて誓ってきた大夫のいさぎよい名、その名を遠く遥かなる時代から今の今まで絶えることなく伝えてきた、先祖の末裔なのだ。大伴と佐伯の氏は、先祖の立てた誓いのままに、「子孫は先祖の名を絶やさず、大君にお仕えするものだ」と言い継いできた誓いを守り続ける靫負の家柄であるぞ。梓の弓を手に掲げ持って、剣の太刀を腰にしっかと帯び、朝にみ夕にも大君の御門を守る守り手は、われらをおいてほかに人はあるはずがないと、いよいよますます言立てしその思いはつのるばかり。大君のみ言葉のありがたさが<よ>、承るとただ貴くて<そのお言葉が貴くてならないので>。
左注:天平感寶元年五月十二日於越中國守舘大伴宿祢家持作之
注訓:天平感寶(かんぽう)元年(西暦年)五月十二日、越中國守(えっちゅうのくにのかみ)の舘で大伴宿祢家持(おおとものすくねやかもち)が之を作る。
梓(あずさ)を詠んだ歌12
巻16-3885: いとこ汝背の君居り居りて物にい行くとは.......(長歌)
題詞:乞食者<詠>二首
題訓:乞食(ほかひ)者(びと)の詠(うた)二首
原文:伊刀古 名兄乃君 居々而 物尓伊行跡波 韓國乃 虎神乎 生取尓 八頭取持来 其皮乎 多々弥尓刺 八重疊 平群乃山尓 四月 与五月間尓 藥猟 仕流時尓 足引乃 此片山尓 二立 伊智比何本尓 梓弓 八多婆佐弥 比米加夫良 八多婆左弥 完待跡 吾居時尓 佐男鹿乃 来立来嘆久 頓尓 吾可死 王尓 吾仕牟 吾角者 御笠乃婆夜詩 吾耳者 御墨坩 吾目良波 真墨乃鏡 吾爪者 御弓之弓波受 吾毛等者 御筆波夜斯 吾皮者 御箱皮尓 吾完者 御奈麻須波夜志 吾伎毛母 御奈麻須波夜之 吾美義波 御塩乃波夜之 耆矣奴 吾身一尓 七重花佐久 八重花生跡 白賞尼 〃〃〃
万葉集 巻16- 3885
作者:乞食者
よみ:愛子(いとこ) 名背(なせ)の君 居り居りて 物にい行くとは 韓国(からくに)の 虎といふ神を 生け捕りに 八つ捕り持ち来 その皮を 畳に刺し 八重畳 平群(へぐり)の山に 四月(うづき)と 五月(さつき)との間に 薬猟(くすりかり) 仕(つか)ふる時に あしひきの この片山に 二つ立つ 櫟(いちひ)が本に 梓弓 八つ手挟み ひめ鏑(かぶら) 八つ手挟み 鹿(しし)待つと 我が居(を)る時に さ牡鹿(をしか)の 来立ち嘆(なげ)かく たちまちに 我れは死ぬべし 大君に 我れは仕(つか)へむ 我が角は 御笠(みかさ)のはやし 我が耳は 御墨(みすみ)の坩(つぼ) 我が目らは 真澄の鏡 我が爪は み弓の弓弭(ゆはず) 我が毛らは 御筆はやし 我が皮は 御箱の皮に 我が肉は 御膾(みなます)はやし 我が肝も 御膾(みなます)はやし 我が眩(みげ)は 御塩(みしお)のはやし 老いたる奴(やつこ) 我が身一つに 七重(ななへ)花咲く 八重(やへ)花咲くと 申(まを)し賞(はや)さね 申し賞さね
意訳:麗しい人、名のある方々、大勢がいらっしゃいますが、どこかに行くとは大変なことで、韓国にいる虎という神を生け捕りにして八頭も捕まえて来て、その皮を敷物に作って八重の敷物を重ねる平群の山並みに、四月と五月の間に薬狩に奉仕するときに、足を引くような険しい、この片山に二本立っている櫟の木の下で、梓弓を八つも手に持って、ひめ鏑を八つも手に持って、鹿を待って私がいると、牡鹿がやって来て嘆くには「すぐに私は死ぬでしょう。死んだら大君に私は奉仕しましょう。私の角は御笠の飾り、私の耳は御墨坩の飾り、私の目は真澄鏡に、私の爪は御弓の弓弭に、私の毛は御筆の飾りに、私の皮は御箱の皮に、私の肉は御膾の材料に、私の肝は御膾の材料に、私の眩は御塩つけの材料に、年老いた奴である私の体一つに、七重の花が咲く、八重の花が咲くと。大君に申し上げて誉めてください。申し上げて誉めてください」といへり。
左注:右謌一首、為鹿述痛作之也
注訓:右の謌一首は、鹿の為に痛みを述べてこれを作れり。
ウェブニュースより
【詳報】藤井聡太棋聖が王位奪取 「望外、実力以上」 ―― 将棋の高校生棋士、藤井聡太棋聖(18)が20日、福岡市中央区の大濠公園能楽堂で行われた第61期王位戦七番勝負(新聞三社連合主催)の第4局で、木村一基王位(47)に勝ち、シリーズ4連勝でタイトルを奪取した。これで棋聖とあわせ二冠となり、タイトル2期獲得の規定により八段に昇段した。18歳1カ月での二冠と八段昇段は、いずれも最年少記録となる。
将棋のタイトルは現在、名人、竜王、叡王(えいおう)、王位、王座、棋王、王将、棋聖の八つ。藤井棋聖は7月、第91期棋聖戦五番勝負で渡辺明名人(36)=棋王・王将とあわせ三冠=を3勝1敗で破り、史上最年少の17歳11カ月で初タイトルを獲得した。
王位戦では初参加の挑戦者決定リーグで羽生善治九段(49)ら5人に全勝して挑戦者決定戦に進出。決定戦で永瀬拓矢二冠(27)=叡王・王座=に勝ち、予選から10戦無敗で挑戦権を獲得した。7月に開幕した王位戦七番勝負では、昨年、最年長の46歳で初タイトルを獲得した木村王位を対戦成績の上では圧倒。棋聖獲得からわずか1カ月強で二つ目のタイトルを手にした。
藤井棋聖「最後、かなり怖い形が続いた」
将棋の第61期王位戦七番勝負の第4局が19、20日、福岡市で指され、藤井聡太棋聖(18)が木村一基王位(47)に80手で勝ち、対戦成績4勝0敗でタイトルを奪取した。両対局者は対局後、報道陣のインタビューに応じた。一問一答は以下の通り。
――序盤の手応えは。
藤井 1五歩と積極的に動かれて、そこでこちらがどうバランスをとればいいのか難しいのかなと。
――封じ手のあたりは。8七同飛成に36分考えた。
藤井 そうですね。うーん。少し苦しいのかなと思っていて。8七銀に2六飛だと2七歩と打たれて飛車が働かなくなってしまうので、同飛車成で勝負しようと思いました。
――5五同飛に3三角と打った。
藤井 3三角の後に、本譜の8六歩から8八歩という攻め筋があるので、こちらにも楽しみが出てきた気がしました。
――と金を作って7九角と攻めたあたりは。
藤井 7九角から9九ととして、そうですね……。難しいですけど、攻めがつながる形になってきたような気がしました。
――木村王位の鋭い攻めをはね返した。最終盤、どこで勝利を確信したか。
藤井 最後、後手の玉がかなり怖い形が続いたのでわからなかった。うーん、7一玉と引いて、1手勝ちの形なのかなと思いました。
――七番勝負を振り返って。
藤井 自分にとって初めての2日制の対局でしたし、得るものがあったのかなと思います。内容的には押されている将棋が多かったと思うので、4連勝という結果は望外というか、実力以上の結果だったかなと思います。
――王位というタイトルを獲得した心境を。
藤井 あまり実感がないところではあるんですが、今回七番勝負でいい経験ができたと思う。それを生かせるように引き続き頑張っていきたい。
――最年少での二冠、最年少の八段になった。
藤井 それについては全く対局に臨むにあたっては意識していなかったことではある。棋聖戦と王位戦、今年は二つのタイトル戦に出られて、その中で結果を残すことができたのは収穫だったかなと思います。
――4局戦って、一番大きかったなと思う勝利は。その理由は。
藤井 第2局が、中盤から終盤まで苦しい形勢が続いていたので、そこを勝つことができたのが大きかったかなと思います。
――木村王位と戦ってみての印象は。
藤井 木村王位が攻守共に力強い手が多いという印象だった。指してみて、こちらの読みにない好手を指されることが多かった。勉強になるシリーズだった。
――木村王位にお聞きします。2五飛と引く形が研究でしたか。
木村 はい、やってみようと思っていた手でした。
――序盤の手応えは。
木村 先手として、いいとは思っていませんでしたけど、まずまずかと思っていました。今日に入って、5五角と打ったのが……。気が変わっちゃって。6六角と打つつもりでずっと組み立てていたんですけど、予定を変更して(5五角と)打ってしまってから、攻められる展開になってしまって、ちょっと悪い流れをひきずりながらやっていた。最後は差が開いてしまったので、良くなかった。
――挑戦者の、8八歩からと金を作って角を打っていく構想は。
木村 損のないようにやられてしまったかなという感じがしています。
――タイトルホルダーとしての七番勝負だった。
木村 まあ、ストレート負けは恥ずかしい限りで、申し訳ないと思っています。また一から出直します。
――藤井さんが相手で注目された。
木村 いつも通り指すように心がけていた。特に何か意識したことはありません。
――ストレート負けの要因は。
木村 わかりません。うち帰って反省します。
――家族には伝えますか。
木村 まあ、もううちに伝わっているでしょうから。
――封じ手は(8七)同飛車だった。
木村 (飛車を逃げる2六飛と)半分半分だと思っていました。昨日、ホテルに戻ってからは、2通りの手順を考えていました。
――昨年、最年長でタイトルを取った。1期で失ってしまった。
木村 まあ実力のものですから、仕方がないことです。「またやり直せ」ということでしょう。
――4局、藤井棋聖と戦った。印象は。
木村 何度も申し上げていますけど、ミスが少ないな、と感じました。対して私の方がミスが多かったので。反省材料になります。
――戦う前、1勝すれば意識が変わると話していた。第2局は押していた。シリーズを通して大きかったのは。
木村 先ほど藤井さんが2局目を挙げていましたが、私もそうですかね。ただ、どれも頑張ったんだけど少し力が足りないということを感じましたので、実力が出たのかなと感じています。
――初めての防衛戦だった。挑戦の時と心理的に違いは。
木村 臨む姿勢とか準備とかは変わらずやったつもり。結果には結びつきませんでしたけど。いつも通りというか、変わらずに臨むことはできました。重圧とかそういったことはなかったです。
16:59 木村王位が投了
木村王位が投了を告げ、終局した。挑戦者の藤井棋聖が対戦成績を4勝0敗とし、タイトルを奪取した。棋聖に王位をあわせて二冠に。タイトル2期獲得という昇段の条件を満たし、八段昇段も決めた。二冠達成も八段昇段も、史上最年少記録。
16:30 木村王位が突撃
木村王位が勝負に出た。桂馬を捨て、自分の飛車と相手の香車を刺し違えて一気に迫ったのだ。藤井棋聖の玉は、あっという間に不安定な状態になった。
木村王位は、続けざまに香車と角を王手で打つ。さらには角を動かす「開き王手」で、相手の銀をただで取ることに成功した。このような「開き王手」は実戦ではなく、詰将棋でよく出てくる。詰将棋を得意とする藤井棋聖にとっては、戸惑う手順ではなかったかもしれない。
派手な応酬が繰り広げられたが、形勢は藤井棋聖がいいようだ。しばらくの間、猛攻を仕掛けていた木村王位が守りの手を指した。ここで藤井棋聖が考え込んでいる。大詰めの終盤戦だ。
15:30 藤井棋聖、押し気味に
藤井棋聖が5四に香車を打った。5六にいる飛車を攻めながら、木村王位の玉にも脅威を与える厳しい手だ。藤井棋聖が押し気味に進めている。ABEMAのネット中継では、藤井棋聖の勝率が「77%」と表示されている。
15:00 午後のおやつ
両対局者の午後おやつの注文は、木村王位が「なめらかショコラムースケーキ」と「アイスコーヒー」、藤井棋聖が「アイスティー」と「オレンジジュース」だった。藤井棋聖は飲み物のみだ。局面は既に終盤の入り口になっているので、共にゆっくり味わう余裕はないかもしれない。 (朝日新聞DIGITAL 2020年8月20日 18時37分)
梓(あずさ)を詠んだ歌11
巻14-3487: 梓弓末に玉巻きかくすすぞ寝なななりにし奥をかぬかぬ
巻14-3489: 梓弓欲良の山辺の茂かくに妹ろを立ててさ寝処払ふも
巻14-3490: 梓弓末は寄り寝むまさかこそ人目を多み汝をはしに置けれ
巻14-3567: 置きて行かば妹はま愛し持ちて行く梓の弓の弓束にもがも
ウェブニュースより
攻めた“受け師”木村王位に藤井棋聖が異例幻惑長考 ―― 将棋の最年少タイトルホルダー・藤井聡太棋聖(18)が、最年長タイトル獲得記録を持つ木村一基王位(47)に挑む第61期王位戦七番勝負(中日新聞・東京新聞主催、伊藤園協賛)第4局は19日、福岡市中央区の大濠公園能楽堂で始まった。午後6時に指し掛けになると、手番の藤井棋聖が42手目を封じて初日は終了した。
2日目の20日は午前9時に再開し、勝敗は夜までに決まる見通し。将棋史に刻まれる「最年長VS最年少シリーズ」は、若き天才が3連勝。本局に勝つとストレートで「最年少2冠」と「最年少八段」を決める。現在の最年少2冠記録は羽生善治九段(49)が1992年9月、連続2期保持中の棋王に加え、初王座を奪取した時の21歳11カ月。最年少八段記録は加藤一二三・九段(80)の18歳3カ月で、1958年4月に順位戦A級に昇った時のものだった。
戦型は先手・木村王位が相掛かりを採用。第2局でも中盤まで優勢を築いたエース戦法だ。かど番から意地を見せたい木村王位は前日会見で「準備はしてきた。思いきりぶつかっていきたい」と話していたが、その言葉通り、飛車を五段目に置いて端攻めに出る積極策を披露。これに対して横歩を取った藤井棋聖は、1筋を詰められるも1歩得を主張した。
指し掛けからの数手で形勢がどちらかに傾きそうな局面。藤井棋聖の封じ手は今シリーズ2回目だが、定刻を過ぎても考え続け、意思表示をしたのは6時19分だった。大一番にふさわしい名勝負の予感が漂うなか、どんな封じ手が飛び出すか楽しみだ。 [中日スポーツ 2020年8月20日6時0分]
米民主党大会、ハリス氏を副大統領候補に正式指名へ ――米民主党は19日の全国大会で、カマラ・ハリス上院議員(55)を副大統領候補に正式指名する。黒人女性を副大統領候補に起用するのは初めて。ハリス氏は指名受諾演説で「ドナルド・トランプ(大統領)の指導力の欠如で生命や生活が犠牲になった」と批判し、政権奪還に向けて党の結束を訴える。
民主党全国大会は中西部ウィスコンシン州ミルウォーキーで17日に始まった。新型コロナウイルスの感染防止を優先し、事実上のオンライン党大会となっている。18日にはジョー・バイデン前副大統領(77)を大統領候補に正式指名しており、正副大統領がそろう。共和党の大統領候補に内定している現職のトランプ大統領(74)からの政権奪還を目指す。
事前配布された資料によると、ハリス氏はオンラインでの演説で「我が国は外見や出自、愛する相手に関係なく、すべての人を歓迎する最愛の共同体であるというビジョンの実現を約束する」と強調。「いま国は(そのビジョンから)遠くかけ離れている」と主張し、人種差別的と受け取られかねない言動が目立つトランプ氏を批判する。
「我々は大きな分岐点にさしかかっている」と語り、11月の大統領選の重要性を強調する。「私たちがともに望む未来を実現するために、黒人や白人、中南米系、アジア系、先住民族といった全員をまとめられる大統領を当選させなければならない」と指摘。「ジョー・バイデンを当選させなければならない」と訴える。
ハリス氏はジャマイカ系の父親とインド系の母親を持つ移民2世。民主党が重視する人種の多様性を体現する存在だ。西部カリフォルニア州の司法長官などを務めて培った論戦力に定評がある。10月には共和党の副大統領候補に内定している現職のマイク・ペンス副大統領(61)とのテレビ討論会が予定されており、注目が集まる。
副大統領候補への正式指名はハリス氏が民主党の将来を担うリーダーの一人になることも意味する。バイデン氏が勝利すれば大統領就任時の2021年1月には78歳と、就任時として史上最高齢だ。同氏は大統領2期目に出馬しないとの観測があり、ハリス氏が有力な後継者にもなり得る。
ハリス氏とライバル関係にあるペンス氏も選挙活動を着々と進めている。19日には民主党大会が開かれているウィスコンシン州の金属加工会社で演説し「バイデン氏は659日間にわたってウィスコンシン州に来ていないそうだ」と指摘。オンラインでの選挙活動を重視するバイデン陣営を皮肉った。17日にはトランプ氏も同州を訪れており対面での有権者との対話に力を入れている。 2020/8/20 6:37 (2020/8/20 9:12更新)
梓(あずさ)を詠んだ歌10
巻12-3149: 梓弓末は知らねど愛しみ君にたぐひて山道越え来ぬ
巻13-3302: 紀の国の牟婁の江の辺に千年に.......(長歌)
原文:紀伊國之 室之江邊尓 千<年>尓 障事無 万世尓 如是将<在>登 大舟之 思恃而 出立之 清瀲尓 朝名寸二 来依深海松 夕難岐尓 来依縄法 深海松之 深目思子等遠 縄法之 引者絶登夜 散度人之 行之屯尓 鳴兒成 行取左具利 梓弓 弓腹振起 志乃岐羽矣 二手<狭> 離兼 人斯悔 戀思者
万葉集 巻13-3302
作者:不明
よみ:紀の国の 牟婁の江の辺に 千年に 障ることなく 万代に かくしもあらむと 大船の 思ひ頼みて 出立の 清き渚に 朝なぎに 来寄る深海松 夕なぎに 来寄る縄海苔 深海松の 深めし子らを 縄海苔の 引けば絶ゆとや 里人の 行きの集ひに 泣く子なす 行き取り探り 梓弓 弓腹振り起し しのぎ羽を 二つ手挟み 放ちけむ 人し悔しも 恋ふらく思へば
意訳:紀の国の牟婁(むろ)の江のあたりに千年にもわたって何の差し支えもなく、未来永劫にこうあらんと大船のような思いで(安心して)、出で立とうと清らかな渚に立っていた。朝なぎどきに寄ってくる深海松(ふかみる)、夕なぎどきに寄ってくる縄海苔(なはのり)。その深海松のように深く恋い焦がれていた子なのに、細い縄海苔を引けば切れるだろうと、ある里人の男が集まりに行った際に、泣く子がものを手探りするように、梓弓を取って矢をつがえ、矢の根元のしのぎ羽を手挟んで放った。その行為が悔しい。安心して私は恋心を寄せていただけに。
巻13-3324: かけまくもあやに畏し藤原の都しみみに.......(長歌)
題詞:挽歌
題訓:挽歌(ばんか)
原文:挂纒毛 文恐 藤原 王都志弥美尓 人下 満雖有 君下 大座常 徃向 羊緒長 仕来 君之御門乎 如天 仰而見乍 雖畏 思憑而 何時可聞 日足座而 十五月之 多田波思家武登 吾思 皇子命者 春避者 殖槻於之 遠人 待之下道湯 登之而 國見所遊 九月之 四具礼之秋者 大殿之 砌志美弥尓 露負而 靡芽子乎 珠多次 懸而所偲 三雪零 冬朝者 刺楊 根張梓矣 御手二 所取賜而 所遊 我王矣 烟立 春日暮 喚犬追馬鏡 雖見不飽者 万歳 如是霜欲得常 大船之 憑有時尓 涙言 目鴨迷 大殿矣 振放見者 白細布 餝奉而 内日刺 宮舎人方 (一云、 者) 雪穂 麻衣服者 夢鴨 現前鴨跡 雲入夜之 迷間 朝裳吉 城於道従 角障經 石村乎見乍 神葬 々奉者 徃道之 田付叨不知 雖思 印手無見 雖歎 奥香乎無見 御袖 徃觸之松矣 言不問 木雖在 荒玉之 立月毎 天原 振放見管 珠手次 懸而思名 雖恐有
万葉集 巻13-3324
作者:不明
よみ:かけまくも あやに恐(かしこ)し 藤原の 王都(みやこ)しみみに 人はしも 満ちてあれども 君はしも 大(おほひ)に坐(いま)せど 行き向ふ 年の緒長く 仕(つか)へ来(こ)し 君の御門(みかど)を 天のごと 仰ぎて見つつ 畏(かしこ)けど 思ひ頼みて いつしかも 日足らしまして 望月の 満(たたは)しけむと 吾が思(も)へる 皇子の命(みこと)は 春されば 植(うゑ)槻(つき)が上の 遠つ人 松の下道ゆ 登らして 国見遊ばし 九月(ながつき)の 時雨(しぐれ)の秋は 大殿の 砌(みぎり)しみみに 露負(お)ひて 靡ける萩を 玉たすき 懸けて偲(しの)はし み雪降る 冬の朝(あした)は 刺楊(さしやなぎ) 根張り梓を 大御手(おほみて)に 取らし賜ひて 遊ばしし 我が王(おほきみ)を 烟(けぶり)立つ 春の日を暮らし 真澄鏡(まそかがみ) 見れど飽かねば 万歳(よろづよ)に かくしもがもと 大船の 頼める時に 泣く吾(わ)れ 目かも迷へる 大殿を 振り放け見れば 白栲に 飾りまつりて うち日さす 宮の舎人(とねり)も (一云 はく、は) 栲(たへ)の穂(ほ)の 麻衣(あさぎぬ)着れば 夢かも 現(うつつ)かもと 曇り夜の 迷(まと)へる間(ほと)に 麻裳(あさも)よし 城上(きのへ)の道ゆ 角(つの)さはふ 磐余(いはれ)を見つつ 神葬(かみはふ)り 葬(はふ)り奉(まつ)れば 行く道の たづきを知らに 思へども 験(しるし)を無(な)み 嘆けども 奥処(おくか)をなみ 大御袖(おほみそで) 行き触れし松を 言問(ことと)はぬ 木にはありとも あらたまの 立つ月ごとに 天(あま)の原 振り放け見つつ 玉(たま)襷(たすき) 懸けて偲(しの)はな 畏(かしこ)くあれども
意訳:言葉に表すのもとても恐れ多い藤原の宮は王都として多くの人々で満ちていて、貴い御方はたくさんいらっしゃるが、去り来る年月を長くお仕えして来た、貴い貴方の宮殿を天空を見るように仰ぎ見ながら、恐れ多いことではありますが、貴い貴方を思いお頼り申し上げて、いつごろには成長なされて満月のように満ちたりなされるのでしょうと私が思っていた皇子の尊は、春になると植槻のほとりの、遠くに出かけた人を待つ松の下道を通って山にお登りになって国見をなされて、九月の時雨の秋には御殿の砌に一面に露が着いて、風に靡く萩の花を玉のたすきのように紐に貫いて飾って秋をお楽しみになり、美しい雪が降る冬の朝には挿し木の楊の根が張るように弦を張った梓弓を御手にお持ちになられて的当てを為された我々の王を、民のかまどに煙が立ち、春霞の春の一日を穏やかに過ごし、願うものを見せると云う真澄鏡を見ていても飽きることがないと、万代にまでこのようにあるでしょうと、大船のように頼もしく思っていた時に、泣いている私。その私の目も間違ったのでしょうか、御殿を振り返って見ると、葬送の白栲に飾り付けられて、日の射し込む御殿に仕える舎人も栲の立派な麻衣を着ているので、夢でしょうか、現実でしょうかと、曇った夜に道を迷うように戸惑っている間に、麻の裳が良い城上の道を通って、でこぼこ道の磐余の里を横に見ながら、貴い貴方を神として葬送を行い申し上げると、今後の生き方を知らないので、貴方を思ってみてもどうしようもなく、それを嘆いてみても、御姿はない。貴方の立派な御袖が行き触れた松を名残として、言葉を語らぬ木ではあるが、あら魂の月が代わるたびに、貴方が登られた天の原を仰ぎ見上げて、玉のたすきを懸けて偲びましょう。恐れ多くはあるが。
反歌:角障經 石村山丹 白栲 懸有雲者 皇可聞
よみ:つのさはふ磐余(いはれ)の山に白栲に懸(かか)れる雲は皇(おほきみ)にかも
意訳:こぼこ道の磐余の山に白栲のように白く懸かっている雲は、皇太子であった貴方の魂でしょうか。
左注:右二首
注訓:右二首(みぎにしゅ)
ウェブニュースより
18日から米民主党大会 バイデン氏のリード縮まる CNN調査 ―― 【ワシントン時事】米民主党は17日(日本時間18日)から4日間の日程で、バイデン前副大統領(77)を11月の大統領選の候補者に正式指名する全国党大会を開く。
CNNテレビが16日発表した世論調査によると、共和党のトランプ大統領(74)に対するバイデン氏の支持率のリードは4ポイントに縮小。今年4月以降では最小幅となり、バイデン氏にとって警戒を要する結果となった。
調査は12~15日、全米の成人1108人を対象に行われた。バイデン氏に投票すると答えた人は50%でトランプ氏は46%。6月の前回調査で14ポイントあった差は大幅に縮まった。
無党派層のバイデン氏のリードは前回11ポイントから1ポイントに縮まっており、人種差別抗議デモなどがピーク時から落ち着いてきたことが影響した可能性がある。ただ、各種の世論調査平均では、バイデン氏が依然として7.5ポイントリードしている。
副大統領候補にハリス上院議員(55)を登用したことについては、52%が「素晴らしい」か「とても良い」と好意的な評価を与えた。
民主党大会は新型コロナウイルスの影響で大半のイベントをオンラインで実施。「米国の団結」をテーマに毎晩9~11時(米東部時間)、民主党全国委員会のウェブサイトで中継する。初日の17日は政策綱領を採択し、19日にハリス氏、20日にバイデン氏がそれぞれ指名受諾演説を行う。 (JIJI.COM 8/17(月) 20:33配信)
梓(あずさ)を詠んだ歌9
巻10-1829: 梓弓春山近く家居れば継ぎて聞くらむ鴬の声
巻10-1930: 梓弓引津の辺なるなのりその花咲くまでに逢はぬ君かも
巻11-2505: 梓弓引きてゆるさずあらませばかかる恋にはあはざらましを
巻11-2638: 梓弓末のはら野に鳥狩する君が弓弦の絶えむと思へや
巻11-2640: 梓弓引きみ緩へみ来ずは来ず来ば来そをなぞ来ずは来ばそを
巻11-2830: 梓弓弓束巻き替へ中見さしさらに引くとも君がまにまに
巻12-2985: 梓弓末はし知らずしかれどもまさかは君に寄りにしものを
巻12-2986: 梓弓引きみ緩へみ思ひみてすでに心は寄りにしものを
巻12-2987:梓弓引きて縦へぬ大夫や恋といふものを忍びかねてむ
巻12-2988: 梓弓末の中ごろ淀めりし君には逢ひぬ嘆きはやめむ
巻12-2989: 今さらに何をか思はむ梓弓引きみ緩へみ寄りにしものを
梓(あずさ)を詠んだ歌8
巻9-1738: しなが鳥安房に継ぎたる梓弓周淮の珠名は.......(長歌)
題詞:詠上総末珠名娘子一首[并短歌]
題訓:上総(かみつふさ)の珠名(たまな)の娘子(をとめ)を詠める一首幷短歌原文:水長鳥 安房尓継有 梓弓 末乃珠名者 胸別之 廣吾妹 腰細之 須軽娘子之 其姿之 端正尓 如花 咲而立者 玉桙乃 道<徃>人者 己行 道者不去而 不召尓 門至奴 指並 隣之君者 <預> 己妻離而 不乞尓 鎰左倍奉 人<皆乃> 如是迷有者 容艶 縁而曽妹者 多波礼弖有家留
萬葉集 巻9-1738
作者:高橋虫麻呂
よみ:しなが鳥 安房に継ぎたる 梓弓 周淮の珠名は 胸別けの 広き我妹 腰細の すがる娘子の その顔の きらきらしきに 花のごと 笑みて立てれば 玉桙の 道行く人は おのが行く 道は行かずて 呼ばなくに 門に至りぬ さし並ぶ 隣の君は あらかじめ 己妻離れて 乞はなくに 鍵さへ奉る 人皆の かく惑へれば たちしなひ 寄りてぞ妹は たはれてありける
意味:安房の国から地続きの周淮郡(すゑのこほり)の珠名という女は胸が開いた腰細のじがばちのようなすっきりした女。顔立ちは端正で、花のように微笑んで立っている。道ゆく旅人は自分の進むべき道を行かないで、呼ばれもしないのに彼女の門前に至る。まして、隣の邸宅の主人は妻と別れ、女が乞いもしないのに家や蔵の鍵を渡そうとする。こんな風で男は皆彼女に惑い、彼女はしなやかに男にしなだれかかるのである。
左注 :右件歌者高橋連蟲麻呂歌集中出
注訓:右の件の歌は、高橋連蟲麻呂の歌集の中に出でたり。
ウェブニュースより
渡哲也さん死去、78歳=日活アクション、「西部警察」 ―― 「西部警察」など数々のテレビドラマや映画で活躍した俳優の渡哲也(わたり・てつや、本名渡瀬道彦=わたせ・みちひこ)さんが10日午後6時30分、肺炎のため東京都内の病院で死去した。78歳だった。兵庫県出身。俳優の故渡瀬恒彦さんは弟。葬儀は近親者で済ませた。喪主は妻俊子(としこ)さん。お別れの会なども本人の希望により行わないという。
大学在学中の1964年に浅丘ルリ子さんの相手役に応募したのをきっかけに日活入り。映画「あばれ騎士道」でデビュー、「東京流れ者」「紅の流れ星」に主演するなど、石原裕次郎さんや小林旭さんに続くアクション俳優に。主演した「無頼」シリーズがヒットし、スターの座を築いた。
71年、裕次郎さんを慕って石原プロモーションに入社。75年に主演した映画「仁義の墓場」は代表作の一つとなった。76年に6年に始まった刑事ドラマ「大都会」や79年からの「西部警察」シリーズに「石原軍団」のメンバーらと出演して人気を集めた。「浮浪雲」などの話題作にも出演した。
歌手として歌った「くちなしの花」は74年に大ヒットし、NHK紅白歌合戦に出場した。 (時事通信社 2020年8月14日 20:42)
梓(あずさ)を詠んだ歌7
巻4-0531: 梓弓爪引く夜音の遠音にも君が御幸を聞かくしよしも
※海上王(うなかみのおほきみ、生没年不詳)
奈良時代、天智(てんじ)天皇の孫にあたります。施基(しきの)皇子の娘で、神亀(じんき)元年(724)従三位となります。「万葉集」巻4に聖武天皇とかわした贈答歌がおさめられています。
巻7-1279: 梓弓引津の辺なるなのりその花摘むまでに逢はずあらめやもなのりその花
ウェブニュースより
イスラエルとUAE国交正常化で合意、仲介の米大統領「歴史的」 ―― [ドバイ/エルサレム/ワシントン 13日 ロイター] - イスラエルとアラブ首長国連邦(UAE)は13日、国交を正常化し、新たに幅広い関係を築くと発表した。パレスチナ問題やイランとの紛争など中東の政治秩序を塗り替える動きで、仲介役を務めたトランプ米大統領は「歴史的な合意」と称賛した。
イスラエルは合意の下、ヨルダン川西岸の併合計画を凍結する。
トランプ大統領はツイッターへの投稿で「大々的な打開に達した!米国の偉大な友好国であるイスラエルとUAEによる歴史的な和平合意だ」と述べた。
3カ国が長らく続けてきた協議はこの日、トランプ大統領、イスラエルのネタ二ヤフ首相、UAEアブダビ首長国のムハンマド・ビン・ザイド皇太子が行った電話会談で合意に達した。
共同声明では「イスラエルとUAEの関係性を完全に正常化させることで合意した」とし、合意により、両国が「中東地域の素晴らしい可能性を解き放つ新たな道筋を描くことができる」とした。
トランプ大統領は「誰もが不可能と考えていた。49年をへて、イスラエルとUAEは国交を完全に正常化する」と述べ、イスラエルとUAEの代表による署名式をホワイトハウスで数週間以内に開催する計画とした。さらに、中東地域の他国とも同様の和平合意を巡り協議していると付け加えた。
ネタニヤフ首相はツイッターへの投稿で「イスラエルにとって歴史的な日だ」とコメントした。ムハンマド・ビン・ザイド皇太子も「合意によって、イスラエルによるさらなるパレスチナ併合は停止される。両国の協力や二国間関係の構築に向けた行程表の策定でも合意した」と述べた。
3カ国の共同声明によると、イスラエルとUAE両国の代表が数週間以内に会合し、投資や観光、直行便の運航、安全保障などを巡る二国間合意書に署名する。大使館設置や大使の派遣も近く開始する見通しという。また、新型コロナウイルスのワクチンや治療法の開発で協力を拡大する。
交渉に携わったポンペオ米国務長官は、イスラエルとUAEの合意は「正しい道筋」向けた「大きな」一歩と称賛した。
これに対し、パレスチナ自治政府のアッバス議長は合意を拒否。アブ・ルデイナ報道官は「エルサレムやアルアクサ・モスク(イスラム教礼拝所)、パレスチナの大義に対する裏切り」とした。
パレスチナ自治政府高官のハナン・アシュラウィ氏は、合意が間近に迫っていたことをパレスチナ側が認識していたかとの問いに対し、「知らなかった。われわれは不意打ちを食らった。完全な裏切りだ」と述べた。
パレスチナ自治区のガザを実効支配するイスラム原理主義組織ハマスの報道官は「国交正常化はパレスチナの大義に対する背任であり、イスラエルによる占領のためだけのものだ」とした。
UAE高官はイスラエルとパレスチナに対し、交渉を再開するよう求めた。
トランプ大統領のブライアン・フック特使は、合意はイランにとって「悪夢」になると述べた。
イラン当局者は、合意は中東地域の平和を確約するものではないと言及。イラン議会議長の顧問、ホセイン・アミール・アブドラヒアン氏はツイッターで、「パレスチナの大義に背を向けたUAE政府の動きには正当性がない。この戦略的な過ちにより、UAEはシオニズムの火に包まれることになるだろう」と述べた。
中東和平を巡る合意はイスラエルとヨルダンが1994年に締結した和平条約以来。11月の米大統領選で再選を目指すトランプ大統領にとっては、外交政策における実績という重要なアピール材料となる。 (朝日新聞DIGITAL2020年8月14日03時11分)
スカイツリーに落雷 続く猛暑、局地的に雨 ―― 日本列島は13日も高気圧に覆われて晴れ、最高気温が35度以上の猛暑日となった地域が相次いだ。午後は暖かく湿った空気や気温上昇などの影響で大気の状態が安定せず、関東では局地的に雨雲が発生、東京スカイツリー(東京・墨田)には雷が落ちた。
気象庁によると、栃木県高根沢町では、1時間に43.5ミリの激しい雨を観測。東京都心でも夕方、短時間に雨が降った後、上空に虹が二つ重なって発生した。
この日は全国921観測地点中、138地点で猛暑日となった。〔共同〕 (日本経済新聞 2020/8/13 20:35)
梓(あずさ)を詠んだ歌6
巻3-0311: 梓弓引き豊国の鏡山見ず久ならば恋しけむかも
※按作村主益人(くらつくりのすくりますひと、生没年不詳)
奈良時代中期から後期の下級官吏。豊國(福岡県から大分県にまたがる一帯の国)から上京。後に内匠寮(宮中の工事を担当する役所)に着く。その時に「長官佐為王が立ち寄ったので宴席を設けたところ、長官は早々と切り上げてしまった。」と嘆いた一首(第6巻1004番歌)があります。
巻3-0478: かけまくもあやに畏し我が大君皇子の命の.......(長歌)
題詞:十六年甲申春二月安積皇子薨之時内舎人大伴宿祢家持作歌六首)
題訓:天平十六年(744年)春二月、安積皇子が亡くなったときに内舎人大伴宿祢家持が作った歌六首
原文:桂巻毛 文尓恐之 吾王 皇子之命 物乃負能 八十伴男乎 召集聚 率比賜比 朝猟尓 鹿猪踐越 暮猟尓 鶉雉履立 大御馬之 口抑駐 御心乎 見為明米之 活道山 木立之繁尓 咲花毛 移尓家里 世間者 如此耳奈良之 大夫之 心振起 劔刀 腰尓取佩 梓弓 靭取負而 天地与 弥遠長尓 万代尓 如此毛欲得跡 憑有之 皇子乃御門乃 五月蝿成 驟驂舎人者 白栲尓 取著而 常有之 咲比振麻比 弥日異 更經見 悲召可聞
万葉集 巻3-0311
作者:大伴家持
よみ:かけまくも あやに畏(かしこ)し 我(わ)が大君(おほきみ) 皇子の命(みこと) もののふの 八十(やそ)伴(とも)の男(を)を 召(め)し集(つど)へ 率(あとも)ひたまひ 朝(あさ)狩(かり)に 鹿猪(しし)踏み越し 夕狩(ゆふかり)に 鶉雉(とり)踏み立て 大御馬(おほみま)の 口(くち)抑(おさ)へとめ 御心を 見(め)し明(あか)らめし 活道山(いくぢやま) 木立の茂(しげ)に 咲く花も うつろひにけり 世間(よのなか)は かくのみならし ますらをの 心振り起し 剣太刀(つるぎたち) 腰に取り佩き 梓(あずさ)弓(ゆみ) 靫(ゆぎ)取り負(お)ひて 天地と いや遠長に 万代(よろづよ)に かくしもがもと 頼(たの)めりし 皇子の御門(みかど)の 五月蝿(さばへ)なす 騒(さわ)く舎人(とねり)は 白栲に 衣取り着(き)て 常ありし 笑(ゑま)ひ振舞(ふるま)ひ いや日(ひ)に異(け)に 変らふ見れば 悲しきろかも
意味:心にかけて思うのもまことに恐れ多いことだ。わが大君、皇子の命が、たくさんの臣下たちを呼び集め、引き連れられて、朝の狩には鹿や猪を追い立て、夕の狩には鶉や雉を飛び立たせ、そしてまた御馬の手綱をひかえ、あたりを眺めて御心を晴らされた活道の山よ、ああ、皇子亡きままに、その山の木々も伸び放題に伸び、咲き匂うていた花もすっかり散り失せてしまった。世の中というものはこんなにもはかないものでしかないらしい。ますらをの雄々しい心を振り起し、剣太刀を腰に帯び、梓弓を手に靫を背に負って、天地とともにいよいよ遠く久しく、万代までもこうしてお仕えしたいものだと、頼みにしてきたその皇子の御殿の、まるで五月蝿のように賑わしくお仕えしていた舎人たちは、今や白い喪服を身にまとうて、いつもの笑顔や振る舞いが日一日と変わり果てていくのを見ると、悲しくて悲しくてしかたがない。
左注:右三首三月廿四日作歌
注訓:右の三首は、三月二十四日に作れる歌なり
sechin@nethome.ne.jp です。
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