誘われて「書の名宝展」なるものに行った。
「書」とは文字を審美的対象として書く一つの芸術を言うのであろう。この芸術は古くから中国に発達し、中国の文字いわゆる漢字を使用する朝鮮・日本および安南の諸国にも発達したという。
15世紀イングランドの聖書写本
におけるカリグラフィー
Contemporary Western
Calligraphy
西欧にもCalligraphyといって、文字を審美的対象として書くことがなかったわけではないが、中国に比べて、その意義や重要性はほとんどゼロにも等しい。こんなことから「書」は中国並びに中国文化圏にあった諸国の特有の芸術といって差し支えなかろう。
「書」は独立した立派な芸術であるばかりでなく文学や絵画と相並んでそれらの芸術と融合しながら重要な地位を占めてきたものであろう。
これは中国の文字がアルファベットとは違って、元々絵文字から発達したという漢字の特殊性に基づいているのかもしれない。漢字は絵文字を大胆に抽象化するとともに、抽象化された基礎文字の組み合わせなどによって、いかなる言語をも写しうるよう考案された文字なのである。中国上古における漢字形成の過程において、今日の抽象絵画が高度の美的直感と構成上の苦心を必要とすると同じ様に、そこに何らかの美的配慮が行われなかったはずはなかろう。漢字は計り知れない造形の苦心の成果になるもので、それが視覚芸術として審美的対象になる可能性は、最初から感じそのものに内在していたのである。「書」が特殊な芸術として発達したのも当然だといわねばならないだろう。
前衛書道 「道」
前衛書道 「形象HANA」
近年日本で前衛書道と称し、文字性のない文字を主張する派があるというが、文字性を離れて「書」が成立することは「書」そのものの本来の性質からいって肯定できないように思うのじゃ。
今日は7月最後の日。爺にとっては歳月人を待たずの感である。昨日も何時のものように徘徊には出たものの1枚の写真も撮らず、ラジオ体操を終えて帰宅、1日中変ったこともなかった。今日もまた、余り変わったこともなさそうじゃ。
観光コースのそうだんでしょうか
朝日に匂う○○○塔
隅田公園を抜けて江戸通りと雷門通りの交差点で、外人さんの観光客が4人ほど屯して、相談をしていた。これから観光するコースの相談でもしているのだろう。近頃は朝早くからこうした外人観光客を見かける。
駒形橋を渡る頃、あの有名な○○○タワーとライフタワービルの間から、お日様が顔を出す所であった。
メグちゃんは人見知り
少年チームのランニング
白鬚橋の東詰リバーサイド隅田のビル前の広場のところでワンさん夫妻に出会う。今日は愛犬メグちゃんを連れての散歩。このメグちゃんとても人見知りをするらしく、カメラを向けると顔を背けるのだそうだ。
今は夏休みなので、中学生や小学生のスポーツクラブが公園のあちこちでトレーニングをしているのに出会う。今日も聖天公園に立ち寄り、ラジオ体操。このラジオ体操も明日で終るのだそうだ。
墨田公園前からバスで浅草橋駅へ。JR浅草橋駅から両国へ。約束の時間に少々間があったので、東口から出てみた。総武線の線路に沿って殺風景な道を清澄通りまで歩かねば線路の北側に出ることが出来ない。なんとも不便なつくりになっているようだ。
徳川家康の銅像前で
江戸東京博物館入り口前で
でも、そこはI・N兄がこの爺を誘ってくれただけに、書に関する知識を披露してくれた。いろいろと教えてもらうことが多かった。両国駅構内のとある寿司屋で、寿司を食いながらビールを飲んだ。
少し近辺を歩いてみようということで、両国橋を渡り、柳橋から神田川沿いに浅草橋に出る。喫茶店でしばしお互いの近況等を話し合う。喫茶を出ると「あなた地下鉄、私はバスよ」とお別れ。帰宅すると、昼寝。
夕飯を食らって、今日のうちにと、このブログを打ち込むことにした。
朝倉文夫の「あこがれ」
聖天橋を過ぎたところに朝倉文夫作の「あこがれ」という女性像が立っている。平成5年10月1日に宣言された「台東区健康都市宣言」を記念して、台東区の健康施策の象徴として建てられたという。戦後の新しい日本の女性像で、健康的で清潔な美を象徴しているんだと。
ラジオ体操は土曜・日曜はお休みだったのだそうだ。このラジオ体操も8月1日(金)までで終わりということじゃ。今朝は、前の家のKちゃん親子が体操に来ていた。
隅田公園での場所取り
第2会場打ち上げ場所
駒形橋~吾妻橋間の場所取り(墨田区側)
朝5時というのに我家から隅田公園に入ったあたりから、今日の花火見物のための場所取りの人たちで混みあっている。場所によっては通行の妨げになる所もある。公園をぬけ駒形橋上からみると、すでに花火打ち上げのための浮き桟橋が運び曳かれている。
駒形橋~吾妻橋にかけての堤防沿いに場所取りのシートが敷かれていて、シートを踏んづけなければとおれない。
桜橋近辺(墨田区側)
白鬚橋近辺(墨田区側)
隅田グラウンド周辺(台東区側」
勿論桜橋近辺の場所取りも大変な込みようである。さすがに高速したの青御殿の前辺りは剃刀堤防で見通しも悪く、何時もの道と変わりないが、白鬚播視東詰のリバーサイド隅田の前の広場でも場所取りがおこなわれている。
何時ものように白鬚橋を渡り、剃刀堤防の道に来ると、テラスからご引越しの自由人の方々か所々に屯して御座らっしゃる。隅田グラウンド(野球場)は花火の為に開放されるらしい。グラウンドを廻って人の群れがつづく。
第1会場打ち上げ場所(桜橋東詰より)
第1会場打ち上げ場所(桜橋上より)
桜橋の上から見ると、第1会場にも浮き桟橋が運曳されていた。
今夜はここから打ち上げられる花火を見ることになるのである。
ラジオ体操をやるべく聖天公園に立ち寄ったが、6時半になっても誰も来ない。今日は土曜日でお休みなのか。そんな話はちっとも聞いていないのだか…
本日の日没は午後6時50分ごろ。7時過ぎに花火大会が始る。
Y 君とS一家
M・Oさんと友人
橋場りMさん一族
下の道は動きも取れないほど
の人でいっぱい
花火の写りはいかがな?
連発で息も継がせず
色鮮やかに
フィナーレ
何はともあれ、夏の最大のイベントも無事に終ってなによりじゃ。
本日は下関からK・H氏が我家を訪ねてくださるというので、徘徊の時間を大幅に縮めた。午前6時に言問橋を渡り、墨堤側を北上、桜橋を渡り、水門前でくると、夏休みの学生や、少年達がトレーニングに汗を流していた。ラジオ体操が始る前の時間を山谷掘り公園で過す。
6時25分聖天公園に入ると、猿若町会の当番なのかU氏とO氏が来ていた。とんと、忘れていたがO氏はかつて兼愛塾に通っていたとの事である。
K・H氏と爺の仕事部屋で
お昼まで我家で資料を見せながらいろいろと話したが、この爺の思い違いで、爺の祖先様の出た地名を誤って覚えていた。
島根県゜邑智郡邑南町」を「おちぐんゆうなんちょう」と覚えていたが、K・H氏の話で「おおちぐんおおなんちょう」と読むのが正しいことを知った。
いやはや、とんだ赤っ恥(ぱじ)を掻いたもんだ。
角川の中漢和辞典で調べてみると、「邑」の音は「いふ(ゆう)」、訓は「むら」で、「おお」という読みはない。しかし、邑南町のサイトを開いてみると、確かに「おおちぐん、おおなんちょう」となっている。
老舗 うなぎの前川 玄関
前川の看板
前川の裏手 花火打ち上げ場所になるらしい
今日は旧暦の6月22日「土用の丑の日」て゜ある。夏の土用丑の日に「暑気払いに鰻を食うといい」といったのは平賀源内先生というが、日本産の鰻と中国産の鰻では値段が違うんじゃろ。食ってみてもさほど味は違わないと思うけど、なんだかワイドショーのニュースに鰻君も戸惑っていることじゃろう。
江戸通りを南下し、駒形橋西詰めにある鰻の老舗「前川」をカメラに収めた。この「前川」の裏手辺りが隅田川花火大会の第2会場の打ち上げ場所になるらしい。駒形橋を渡り、墨田区側を北上、白鬚橋を渡り、剃刀堤防の細い道に来ると、テラスの青色住宅の住人たちのお引越しで道が塞がれそうになっている。本日より26日の花火大会が終るまで、テラスは立ち入り禁止になるとか。
聖天公園でラジオ体操
聖天町会の方々
桜橋まで来ると6時20分。リバーサイドスポーツセンタの横道から、山谷堀公園にでる。久し振りにラジオ体操とやらをやってみる気になったので、聖天公園に入る。隣家のH・S夫人も見えていて、少々お話をした。体操が終って、町会長のKさんを中心に婦人会の面々で写真を撮らせて頂いた。
徘徊の後のラジオ体操は整理体操としてあっているように思える。
聖天公園の見取り図
アラリンさんのコメントに応えて、待乳山聖天公園の地図を貼り付けてみた。公園の大きさ等については昔とあまり変っておらんようじゃ。
ここは兼愛塾の運動場のようなものであったよのう。
公園の南の入口の所に「池波正太郎生誕の地」の石碑が建てられたよ。
本日東京の日の出は午前4時41分、日の入りは午後6時55分という。
桜橋手前より
そのまま北上、東白鬚公園をぬけて、水神大橋を渡り、何時ものコースを通ったが、途中でテラスに降りた。白鬚橋から言問橋の間のテラス、隅田川花火のため、24日(木)から閉鎖され、立入り禁止となる。
花火大会では立入り禁止
まあ、隅田公園内は花火大会のため、どこもかしこも金網がめぐらされている。今週一ぱいはこの状態が続きそうだ。
朝顔市は昨日で終了
入谷鬼子母神
今日は海の日で祝日。サミットの為に半月遅れた朝顔市はてっきり今日までと決め込んでいた。
言問通りを真っ直ぐ西進、入谷の高速道入口のところに並んでいるはずの市は昨日のうちに片付けられていた。鬼子母神の境内もすっかり片付いていた。
「朝顔まつり」の標識も今日のうちに取り払われるのであろう。言問通りと並行する町並み(松が谷・柴崎町)をとおって、国際通りから花やしき通りをとおって、浅草寺境内をぬけ、改装中の二天門の横道を通って、馬道を南下し、雷門通りをでると吾妻橋をわたって、枕橋まで来るとワンさん夫妻に出会う。そこへトールちゃんが合流。こんなことも珍しいので、3人をカメラに収めた。トールちゃんは遊歩道を桜橋の方へ、ワンさん夫妻は吾妻橋のほうへ、そして爺は水戸屋敷のほうへそれぞれ別れた。
そのまま、言問橋を渡って帰宅した。
sechin@nethome.ne.jp です。
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