瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 今朝のウェブニュースより、
3967510d.JPG 3理事辞任 提言へ 九重・北の湖・陸奥親方 ―― 大相撲の八百長問題を調べる日本相撲協会の特別調査委員会(座長・伊藤滋早大特命教授)が、関与を認定した力士の師匠である協会理事3人に対し、理事の辞任を求める方針であることが30日、分かった。調査委は4月1日の会合で決定し、同日の理事会に提言するが、協会運営に影響を与えるだけに、応じるかは不透明だ。/辞任を求められるのは十両千代白鵬の師匠である九重親方(元横綱千代の富士)、十両清瀬海の師匠の北の湖親方(元横綱)、4人の弟子が関与した疑いが濃い陸奥親方(元大関霧島)。/調査委の処分案では、師匠である親方に対して監督責任を問い、降格処分を基本線としている。だが、協会の規定では理事の解任には理事会、評議員会でそれぞれ4分の3以上の賛成が必要とされるため、降格は処分案として出せない。/協会運営に携わる理事は責任が重いとみており、降格より軽い出勤停止や減給処分では不適当と判断。理事を辞めれば、役員待遇委員となり、実質的な2階級降格となるため、辞任を求めることになった。/力士出身の理事10人中、3人が辞めれば協会の混乱は必至。処分対象でないある理事は「そんなに辞めちゃったら、とたんに協会が動かなくなる」と危惧した。 (東京新聞 2011年3月31日 朝刊)

 昨夜は五反田のF氏より、本日の埼玉のY氏の告別式参列時の服装について問い合わせがあった。故人にたいする気持ちの問題だから、何も堅苦しい礼服でなくても、黒っぽい平服でいいのではないかと、平服で行くことに決め、その旨世田谷のKK氏・船橋のKN氏に連絡することにした。
 傍でこの遣り取りを聞いていた見栄っ張りの婆様がいちゃもんをつけたので、ひと悶着あったが、これから平服で埼玉へY氏の告別式に出掛ける。


 本日のウェブニュースより。
bb489330.JPG 大連立、排除せずと自民・谷垣氏=民主幹事長も「選択肢」―― 自民党の谷垣禎一総裁は31日午後の記者会見で、民主、自民両党による大連立について「2011年度予算も通ったし、これから年度も替わる。いろいろ考えていかなければならない。常に360度、上下左右を見渡しながら進んでいく」と述べ、排除しない考えを示した。民主党の岡田克也幹事長も会見で「与党に多くの党が入っていただくことも一つの選択肢だ」と語った。/谷垣氏はこれまでも、将来の民主党との連立に含みを残していた。同日の発言はさらに踏み込み、東日本大震災の復旧・復興が本格化するのを前に、大連立政権の可能性を検討する考えを示したものだ。/谷垣氏は会見で「未曽有の災害、国家的危機を前にして、被災者支援、復興に関して与野党を超えて協力すると明らかにしてきた。幅広くいろんなことを検討しなければならない」と強調。連立参加に際しての政策協議に関しては「いろいろな政策判断の違い、考え方の違いがある。どういう協力体制が組めるのか一番考えどころだ」と述べた。/これに関し、岡田氏は「戦後経験したことのないような大きな事態に直面しているので、党派を超えて協力する必要がある」と指摘、自民党との大連立を「選択肢」と位置付けていることを強調した。 (jijicom. 2011/03/31-17:58)

98eba777.JPG 天元術の天は天地人三才のトップにあり、元は初めとか大とかを意味し、いずれも易と関係深い言葉である。この「元」という文字によって未知数を表し、現在代数で「未知数をxとする」という言葉に対して、「天元の1をたてる」というところから立天元一術とか天元術という名称が起こったとされる。現在の代数学で取り扱う方程式にも「元」という文字がつかわれるが、その紀元は李冶の『益古演段』に溯る。数式を表す場合未知数の一次の位置を「元」で示すが、定数項の位置を「太」で示した。
 天元術による代数表示は、未知数をxで表す現在の方式に比べるとはるかに不便である。しかし、ヨーロッパの場合も、直ちに現在の方式になったわけではない。16世紀初めから18世紀末まで紆余曲折を経て現在の表示になったという。簡単で便利な記号が作られることは単に記号だけの問題でなく、数学自体の発展を齎す。中国の代数が李冶の時代のままでそれ以上の発展を見なかったのは残念なことである。
天元の一を立てて仮に求める値とする。次に、題の条件によって加減乗除を施して既知数と等しい式をつくり、それと既知数とを相消することで開方式(方程式)を得る。そして、それを開方(方程式の根を得る計算)して答えを得る。 相消とは、等しい数を減じて0の値を得る事で、つまり西洋で、等号で結ぶこと、また、等式の右辺を0にすることにあたる。拙痴无爺も理解できない部分もあるが、天元術の実際を見てみよう。
 例題:今長方形がある。その長方形の積は15で、長辺と短辺の和が8であるとき、長辺と短辺の長さはそれぞれいくらか。
求める数を長辺として、まず、天元の一を立てて長辺とす、と言って算盤の実級(定数項)を空(0)とし、法級(xの一次項)に係数1の算木をしく。すなわち、0 + xの式である。(図1)
次に、長短辺の和8より長辺(つまり求める数x)を減じ、短辺とする、と言って実級に8の算木をしいて法級に-1の算木をしく。すなわち8 − x = 短辺 の式である。(図2)
 この式(つまり短辺)を長辺(つまり求める数x)と、あい乗じて積とする。xがかかって次数が一つあがるので、法級に8をしき、廉級(x^2の項)に-1をしく。すなわち0 + 8x − x^2 = 積 の式である。「これを左に寄す」と言ってこの式をひとまずおいておく。(図3)
 この式が、積に等しいので、積15を列しこれを左に寄すと相消す、と言い、左に寄せた式より積15を引き、長辺(x)を得る開方式(方程式)を得る。すなわち − 15 + 8x − x^2 = 0の方程式である。(図4)
 これを開方することで商(根)に長辺の値の5を得る。また、長辺短辺の和よりこれを引いて短辺を得る。
以上が天元術の一例である。
 現在のやり方なら 一辺をxとすると他辺は 8-x であるから、x(8-x)=15、 8x-x^2=15、 x^2-8x+15=0 の方程式を得る。左辺を因数分解して (x-3)(x-5)=0  ∴ x=3or5 Ans. 長辺5、短辺3 と筆算でできるのである。

7a389942.jpg 塾友N君3兄弟のご母堂が逝去され、昨夕は通夜、本日は葬儀に出席した。92歳―― 平均寿命を10歳以上上回るから天命を全うされたと言うべきだろう。兼愛塾の塾友は5人の兄弟のうち3名であるが、アルバイトとはいえ兄上・姉上とも何がしかのご縁がある。したがって、ご母堂とも既になくなられた父上同様旧知の間柄といえる。いやはや近い間柄なれば、吾が身もやがては同じような日を迎えると思い、余計に諸行無常をを感じる。
1d637df1.JPG 涅槃経にある詩句にその修行者を雪山童子と呼ぶところから「雪山偈」といわれる詩句がある。この雪山偈を今様歌に作ったのが、一般には弘法大師の作といわれている七五調の『いろは歌』である。
 拙痴无爺が国民学校6年のときに習った国語の教科書には「修行者と羅刹」という題でこの涅槃経の物語が載せられていた。
 「色はにほへど散りぬるを わがよたれぞ常ならむ。」/どこからか聞こえて来る尊いことば。美しい声。ところは雪山(せっせん)の山中である。長い間の難行苦行に、身も心も疲れきつた一人の修行者が、ふとこのことばに耳を傾けた。/いひ知れぬ喜びが、かれの胸にわきあがつて来た。病人が良薬を得、渇者が清冷な水を得たのにもまして、大きな喜びであつた。
「今のは仏の御声ではなかつたらうか。」と、かれは考へた。しかし、「花は咲いてもたちまち散り、人は生まれてもやがて死ぬ。無常は生ある者の免れない運命である。」という今のことばだけでは、まだ十分でない。/もしあれが仏のみことばであれば、そのあとに何か続くことばがなくてはならない。かれには、さう思はれた。/修行者は、座を立つてあたりを見まはしたが、仏の御姿も人影もない。ただ、ふとそば近く、恐しい悪魔の姿をした羅刹のゐるのに気がついた。/「この羅刹の声であつたろうか。」/さう思ひながら、修行者は、じつとそのものすごい形相をみつめた。
「まさか、この無知非道な羅刹のことばとは思へない。」と、一度は否定してみたが、 「いやいや、かれとても、昔の御仏に教へを聞かなかつたとは限らない。よし、相手は羅刹にもせよ、悪魔にもせよ、仏のみことばとあれば聞かなければならない。」/修行者はかう考へて、静に羅刹に問ひかけた。
「いつたいおまへは、だれに今のことばを教へられたのか。思ふに、仏のみことばであらう。
 それも前半分で、まだあとの半分があるに違ひない。前半分を聞いてさへ、私は喜びにたへないが、どうか残りを聞かせて、私に悟りを開かせてくれ。」/すると、羅刹はとぼけたように、「わしは、何も知りませんよ、行者さん。わしは腹がへつてをります。あんまりへつたので、つい、うは言が出たかも知れないが、わしには何も覚えがないのです。」と答へた。/修行者は、いつそう謙遜な心でいつた。
「私はおまへの弟子にならう。終生の弟子にならう。どうか、残りを教へていただきたい。」/羅刹は首を振つた。/「だめだ、行者さん。おまへは自分のことばつかり考へて、人の腹のへつてゐることを考へてくれない。」/「いつたい、おまへは何をたべるのか。」/「びつくりしちやいけませんよ。わしのたべ物といふのはね、行者さん、人間の生肉、それから飲み物といふのが、人間の生き血さ。」
 しかし、修行者は少しも驚かなかつた。/「よろしい。あのことばの残りを聞かう。さうしたら、私のからだをおまへにやつてもよい。」/「えつ。たつた二文句ですよ。/二文句と、行者さんのからだと、とりかへつこしてもよいといふのですか。」/行者は、どこまでも真剣であつた。
「どうせ死ぬべきこのからだを捨てて、永久の命を得ようといふのだ。何でこの身が惜しからう。」/かういひながら、かれはその身に着けてゐる鹿の皮を取つて、それを地上に敷いた。/「さあ、これへおすわりください。つつしんで仏のみことばを承りませう。」/羅刹は座に着いておもむろに口を開いた。あの恐しい形相から、どうしてこんな声が出るのかと思はれるほど美しい声である。
「有為の奥山今日越えて、浅き夢見じ酔ひもせず。」と歌ふやうにいひ終ると、「たつたこれだけですがね、行者さん。お約束だから、そろそろごちそうになりませうかな。」といつて、ぎよろりと目を光らした。
 行者は、うつとりとしてこのことばを聞き、それをくり返し口に唱へた。すると、「生死を超越してしまへば、もう浅はかな夢も迷ひもない。そこにほんたうの悟りの境地がある。」といふ深い意味が、かれにはつきりと浮んだ。心は喜びでいつぱいになつた。/この喜びをあまねく世に分つて、人間を救はなければならないと、かれは思つた。/かれは、あたりの石といはず、木の幹といはず、今のことばを書きつけた。
 『色はにほへど散りぬるを、わがよたれぞ常ならむ。有為の奥山今日越えて、浅き夢見じ酔ひもせず。』
 書き終ると、彼は手近にある木に登つた。そのてつぺんから身を投じて、いまや羅刹の餌食にならうといふのである。
 木は、枝や葉を震はせながら、修行者の心に感動するかのように見えた。修行者は、「一言半句の教へのために、この身を捨てるわれを見よ。」と高らかにいつて、ひらりと樹上から飛んだ。/とたんに、たえなる楽の音が起つて、朗かに天上に響き渡つた。と見れば、あの恐しい羅刹は、たちまち端厳な帝釈天の姿となつて、修行者を空中にささげ、さうしてうやうやしく地上に安置した。
 もろもろの尊者、多くの天人たちが現れて、修行者の足もとにひれ伏しながら、心から礼拝した。 (『初等科国語』八)
 

66608a6f.jpg 27日(日)に、さいたま市在住のKY氏のご内儀より電話戴き、KY氏の逝去を知った。とりあえず、昨日は藤沢氏在住のMY氏と東北京浜線の田端のホームで待ち合わせてKY氏宅を弔問し、最後のお別れをしてきた。我々にとっては突然の訃報で、奥様からあらかたの経緯をお聴きし、ただただご冥福を祈るばかりであった。最後に奥様から「主人は近所の真言宗のお寺に休まず写経に参り、書いたものですがどうか形見に貰ってやって下さい」と、故人の写した『般若心経』を戴いて帰宅した。

38aeb1a9.jpg 『般若波羅蜜多心経』(Prajñā-pāramitā-hṛdaya‐sûtra〈プラジニャー・パーラミター・フリダヤ・スートラ〉)は、漢訳には題名に「経」が付されているが、サンスクリットテキストの題名には「経」に相当する「sûtra(スートラ)」の字句はない。Prajñā(般若)とは「智慧」の意、pāramitā(波羅蜜多)は「完成」の意、hṛdayaとは心または心臓の意である。この経典は「般若諸経典」の教えの精髄を簡潔に述べたものとされているが、その趣意はありとあらゆるものの「空」を説くことに尽きている。

f37682ba.JPG 読み下し文:観自在菩薩、深き般若波羅蜜多を行ずるとき、五蘊、皆、空なりと照見し、一切の苦厄を度す。」舎利子よ、色は空に異ならず。空は色に異ならず。色は即ちこれ空、空は即ちこれ色なり。受、想、行、識もまた、またかくの如し。舎利子よ、このこの諸法は空を相とし、生ぜず滅せず、垢れず、淨からず、増さず、減らず。この故に、空の中に色なく、受、態、行、識なく、目、耳、鼻、舌、身、意なし。色、声、香、味、触、法なし。眼界なく、乃至、意識界なし。無明なく、また、無明の尽くることなし。乃至、老、死なく、また、老、死の尽くることなし。苦、集、滅、道なし。智なく、また、得なし。」得るところなきを以っての故に、菩提薩埵は般若波羅蜜多に依るが故に、心に罣礙なし。罣礙なきが故に、恐怖あることなく、一切の顛倒夢想を遠離して、涅槃を究竟す。三世の諸仏は般若波羅蜜多に依るが故に、阿耨多羅三藐三菩提を得。」故に知るべし、般若波羅蜜多はこれ大神咒なり、これ大明咒なり。これ無上咒なり。これ無等等咒なり。よく一切の苦を除き、真実なり、虚ならざるが故なり。」般若波羅蜜多の咒を説く。即ち、咒を説いていわく、掲帝、掲帝、波羅掲帝、波羅僧掲帝、菩提婆訶。

 訳:聖者観自在菩薩が深遠なる般若はらみつにおいて、修行を行っていた時、人間は五蘊の構成要素から成立していると照見した。しかもそれらの五種の構成要素は、その本性は空であると洞察した。/シャーリプトラ(舎利子)よ、この世において物質現象は実体のないもの(空)である。実体のないものこそが、物質現象として成立するのである。実体のないことは、物質現象を離れてあるのではない。物質現象も実体のないことと別にあるのではない。およそ物質現象であるものが、そのままじったいのないものなのである。実体のないことが、そのまま無物質現象なのである。感覚・表象・意志作用・判断についても、これと全く同じことである。/シャーリプトラよ、この世において、存在物はすべて、実態のないことを特質としているのである。生じたと言えないものであり、減じたとも言えないものであり、汚れたとも言えず、汚れを離れたものでもない。減ることもなく、増すこともない。それ故にシャーリプトラよ、実体がないという見方に立てば、物質現象は成立せず、感覚も成立せず、表象も成立せず、意志作用も成立せず、判断も成立しない。視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、意識も存在しない。色、声、香り、味、触れられるもの、観念も存在しない。視覚の領域も存在せず、ないし、意識的判断の領域も存在しない。/智慧もなく、無知もなく、智慧の滅尽もない。ないし、老いること、死ぬこともなく、老いること、死ぬことの滅尽もない。苦・集・滅・道(の四つの真理)もなく、智もなく、悟りに達することもない。それに故に、達するということがないから、人は菩薩の般若はらみつを依り所として、心の覆障なしに住している。心に覆障がないから、恐怖がなく、顛倒を超越しており、究極のnirvaaNa(ニルヴァーナ、涅槃)に入っている。三世における諸仏たちはすべて、般若はらみつを依り所として、無上の正しい悟りを現実にさとったのである。/それ故に知るべきである。般若はらみつの大いなる真言、大いなる智慧の真言、無上の真言、比較を絶した真言はすべての苦悩を鎮めるものであり、偽りがないから真実あると。その真言は般若はらみつにおいて次の如くとかれている。/gate gate pāragate pārasaṃgate bodhi svāhā(ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガテー ボーディ スワーハー)「行ける者よ、行ける者よ、彼岸に行ける者よ、彼岸に共に行ける者よ、さとりよ、栄えあれ!」
中村 元(なかむら はじめ、1912~1999年、インド哲学者、仏教学者)の訳による

 4月8日にshinさんを誘って浅草寺宝展に行くことになった。昨日は日曜日、暇に任せてshinxさんにメールした。
8067f4fd.JPG  今年は何時までも寒い様ですね。隅田公園の桜もまだまだのようです。/まあ、4月に入ればいくらか暖かくなるでしょう。/本日は浅草寺の寺宝絵馬展から「韓信の股くぐり」を紹介します。/私たちが小学校のときに「修身」という学科があって、「ならぬ堪忍するが堪忍」の項目でこの「韓信の股くぐり」を習いました。この絵を画いた堤等琳(3代目)は生没年は不詳ですが、『増補浮世絵類考』に、「浅草寺に韓信の額あり、秋月と云しを三代目等琳と改名せし時の筆なり、今猶存す、(中略)門人あまたあり、絵馬や職人、幟画職人、提灯屋職人、総て画を用る職分のものは、皆此門人となりて画法を学ぶもの多し」と述べられています。/4月8日(金)を楽しみにしています。/先ずは、暇に任せてメールいたします。  日高 節夫  e-mail sechin@nethome.ne.jp

 今朝ほどメールを開くとshinさんから返信が届いていた。
「寧為玉砕、不為瓦全」日高さんへ: 日高さん、こんばんは。/韓信の「胯下之辱」は、わたしの小学生のころ、教科書には出ていなかったのですが、ほかの子供向けの雑誌にはよく掲載されたものです。/これは越王勾践の「臥薪嘗胆」と似ている思想内容ですね。ただこれは桜が散るごとき日本の武士道の精神と対照的です。/たしかに中国では武士道に似ている「寧為玉砕、不為瓦全」(節度を持って死を全うする よりも、むしろ玉砕した方がいい)という諺が用いられることがありますが、基本的に生きることを大切にすることが寧ろ中国文化の主流ではないかと思います。これは老荘、楊朱の思想からよく表わされているものです。/瘋癲爺はよく老荘の思想を引用していますが、死生観にかんしてはいかなる立場でしょうかね?  Shin
                                                              
6b4a136f.JPG 准陰(わいいん)の屠殺者仲間のうちに、信を侮るものがいていった。「お前は図体がでかくて、このんで刀剣を佩びているが、内心は臆病なだけだろう。」
そして、更らに、衆人の前で信を辱めて言った。「信、死ねるものなら俺を刺してみろ。死ねないのなら、俺の股の下をくぐれ。」
すると、信はまずその若者を熟視し、首を垂れて四つん這いになり、その股の下をくぐった。市(いち)中の人はみな、信を嘲笑して臆病者だと思った。

0895e358.JPG 代数を意味するalgebra(アルゼブラ)という語は9世紀前半のイスラムの数学者al-Khwārizmī(アル・ファーリズミー、生没年不詳)に始ったが、当初の意味はことなっていた。al-Khwārizmīはインドの数学から学んだことを『インドの数の計算法』として著し、イスラム世界に広めたが、その中でのアラビア語のal-jabrとは、「al」は定冠詞、「jabr」が「バラバラのものを再結合する」「移項する」という意味である。このアラビア語から代数学を意味するalgebraという言葉が生まれたという。この言葉が代数を意味する用語として使われるようになったのは、やっと15世紀の半ば過ぎからであるという。
49fcf0cf.JPG はじめこの言葉がアラビア人によってスペインに伝わった頃には、この言葉から生まれたアルゼブリスタは、接骨医の意味に使われた。かつてのヨーロッパの理髪師は外科医を兼ね表看板に「接骨師・瀉血師(アルゼブリスタ・サングラドール)」とあったという。現在理髪店で赤と青と白を斜めら塗ったポールを置くのは瀉血師の仕事を示す名残だという。三色ねじり棒(看板)の赤は動脈、青は静脈、白は包帯を表し、1540年頃、パリの外科医(メヤーナキール? )が創案し、彼の医院の看板に用いたのが始まりという。その後、理髪店でも用いる様になり、日本では東京 常磐橋の側に在った、「西洋風髪剪所(かみはさみしょ、経営は川名浪吉)」で、明治4年に用いたのが最初だという。
 話を元に戻すと、『九章算術』の中で、二元や三元の1次連立方程式や、1元2次方程式が取り扱われており、これら今日では代数の問題として処理されている。その意味からすれば中国の代数学はすでに『九章算術』の時代に始ったといえようが、未知数を表す記号の使用によって代数学を特徴付ければ、中国では金末の頃に始まったのであり、これを「天元術」と呼ばれている。以下天元術に多少なりとも関わる学者を列挙する。
986ba5cc.JPG 秦 九韶(しん きゅうしょう、1202~1261年)は南宋時代の数学者。字は道古。ただし、生年に関しては異説がある。また、先祖に従って本貫(籍)は魯郡としているが、実際には四川で生まれている(魯郡は当時、金の支配下にあった)。/若い頃は南宋の官僚であった父に従って各地を転々とし、父が首都臨安に赴任した際に太史局に通って数学や暦学、天文学を学んだ。後に、父に従って一旦は四川に戻り、彼も地元の県尉に任じられる。以後、順調に昇進して1244年に建康府通判に任じられるが、母の服喪を理由に一旦官を辞し、1247年に『数書九章』を著す。1254年に沿江制置司参議に任じられるが、政争に巻き込まれて、1260年に広東・梅州の知州に左遷されて間もなく病死した。/彼の著した数書九章(すうしょきゅうしょう)全18巻は、大衍・天時・田域・測望・賦役・銭穀・営建・軍旅・市物の9類(章)81問、各類全2巻(各9問ずつ)で構成されていて、問題の後に「答」(答え)・「術」(計算方法)・「草」(具体的な計算式)が付けられており、実用的でかつ算木を用いれば比較的簡単に解ける構成となっている。ただし、問題に記されたデータが豊富でそこから求めることが可能な答えの数も多い。大衍求一術と呼ばれた剰余方程式や雨量観測法の研究、過去の暦法の不明となっていた計算方法を明示するなど、優れた研究を残したものの、一時同書の存在は忘れ去られ、再評価を受けたのは清代に入ってからの事であったため、中国や日本に対する影響は小さかった。
 李 冶(りや)は、金末から元初にかけての数学者。字は仁卿、号は敬斎。真定・欒城の出身。/金の1230年に進士となり、河南・鈞州の知事となるが、1232年にモンゴル軍の侵入で鈞州が攻められると、脱出してそのまま隠退した。後、太原などに移り住むが、1251年に河北・元氏の封龍山に住みかを定め、以後は研究生活を送る。天元術を発展させて、幾何などの他の数学分野に応用した。1248年に『測円海鏡』12巻、1259年に『益古演段』3巻を著した他、元好問ら同じ隠遁文人らとの交流も多く、漢詩の作品も現存している。世祖(フビライ・ハーン)はたびたび彼を召して一度は翰林学士に任じたが、すぐにこれを辞退して遂に仕官には応じなかった。88歳で死去。
 楊輝(ようき)は字を謙光といい、銭塘(淅江省杭州市)の人であるが、生没年や経歴は判っていない。1261年に『詳解九章算法』を著してから、以来7巻の数学書を著作をしたが、後人が纏めて『楊輝算法』と名付けた。朝鮮ではこれを底本として復刻さた。この数学書は中国ではその後その伝を失ったが、本書によって、魔方陣、円陣の方法が後世に影響を与えたという。
 朱世桀(しゅせいけつ、生没年不詳、1300年頃)は元の初めの数学者で字は漢卿、号は松庭といった。燕山(北京市)に住んでいたが、諸国を20年以上も遊歴し、広陵(江蘇省楊州)に行ったときには多くの学者が彼の下に集まったという。朱世桀の著した『算学啓蒙』(1299年)には、完成しつつあった天元術がはっきりと説明されている。
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414676c3.JPG ○土師道雲跋 【訓読】
 数の世におけるや、厥(それ)孔碩(こうせき=はなはだ大きいこと)を用(も)ってす。仰観(ぎょうかん)俯察(ふさつ)せば、数にあらずんば、巫医(ふい=巫女と医者)工商より下向(げこう=高所から下に向かう)して、以って尺寸・斗斛・斤秤・律呂に至るまで達せず。壹(いつ)に是、皆、之(これ)に因らざるはなし。而して后(のち)、焉(これ)を推(お)せば、昔者(むかし)、本朝の隆、科を設けること四あり。紀伝・明経・明法・算道、これなり。三善氏これを伝え、小槻氏これを任(たも)ち、賀茂保憲・光榮、咸(みな=皆)その術をもって著(いちじる)し。又、嘗(かつて)宋帝、古(いにしえ)より青史(せいし=歴史。汗青、殺青とも)に垂名(すいめい=名を残す。垂芳、流芳とも)する者、六十余人を物色(ぶっしょく=さがしもとめる)し、両廊(=東西の廊廟)に従祀(じゅうし=主となる者に合わせてまつる)し、五等の爵(=公侯伯子男の爵位)を賜(たま)う。何(なん)ぞ其の盛(さか)んなるや(=なんと盛んなことか)。余が識(し)るところの玄哲という者、この芸を鋭思し、積むこと歳月あり。凡(およ)そ算の書、索(もと)めざることなくして、これを睹(み=見)、惟(おも)わざることなくして、これを獲(え)る。其の河洛(=河図と洛書)推歩(=天文暦学)の術、僉(みな)克(よく)貫穿(かんせん=つらぬき通す。ひろく学問に通じる)す。一日(=ある日)、慨然(=奮然)、これを講ずるの徒の心を尽くさざるを思い、其間(このごろ)挟(おび=持)るところの一編を出(い)だす。庸(なんぞ)来裔(らいえい=未来の子孫)に詒(おく)り、無窮の利をなさん。其の志、嘉尚(かしょう=ほめたたえる)すべし。伝えて曰く、下学して上達す、と。数は六芸の末に居すと雖も、関係するところは夥(おびただ)し。庖犠(=伏羲)氏の易に参(あずか=仲間に入る)らんと欲する者は、これを捨(かえりみ)ずして、宜(よろしく)大いなる者ならざるべし。他日(=いつの日か)、若(も)し四道の科(=前出の紀伝・明経・明法・算道)の大観の選あらば、すなわち必ずこの人をもって、當(まさ)に其の人者(じんしゃ=仁者。有徳の士)たるべし。旹(とき)に、
萬治元 (1658) 年、歳名著雍(ちょよう=戊)閹茂(えんも=戌)、月旅南呂(なんりょ=8月)、日得癸未、
梅所土師(はじ、はせ)道雲謹書。

 今朝のウェブニュースより
7506bbff.JPG 電気料金体系変えるべき、法人税減税は再考要す=与謝野担当相 ―― [東京 25日 ロイター]与謝野馨経済財政担当相は25日の閣議後会見で、電気料金の体系を見直すべきとの考えを表明した。また、法人税減税についても再考を要するとの考えを示した。/与謝野担当相は東日本大震災による電力不足について「大事なのは日本経済の生産拠点に連続して電力を供給すること」としたうえで「もう一段の節電には電気料金の体系を変えるべきでないか」との考えを、この日の官邸での会議で表明したことを明らかにした。「現在の一般家庭の料金は逓増性」になっていること、電力消費のピーク時に一般家庭の消費が大きいことなどを指摘し「もう少しナショナルミニマムを狭めることで、節電がいっそう自らの問題になる。そういう側面も研究してほしい」と提案したという。/補正予算に関しては「(予備費では)足りないはず。この1カ月以内に国会にお願いしなければならない」としたうえで、2011年度予算で実施する予定の5%の法人税減税について「雇用と投資、研究開発などのために法人税減税があるとすれば、それは正しいし社会的、経済的な要請があるが、今のような事態になったとき、こうした考え方の法人税(減税)が社会全体のニーズになっているかは再考を要する」と述べた。/財源については、既にいくつかの考え方が出ているとしたうえで「否定する部分から言うと、年金基金の取り崩し」とまず指摘。「国民年金の国庫負担を2分の1へ上げることはやめてはいけない」と続けた。「日銀の国債引き受けも否定的」という。/財源のねん出には、既定経費の節減や減税などの税制見直しに加え「新しい考え方による税制」、公債発行などを挙げた。同時に「なるべく公債依存度を低くしたいとの考え方はあるが、一方で公債を発行して、その償還財源を同時に決めておくという考え方もある」と指摘。「いずれにしても、ひとつの財源だけには頼らない、これらの組み合わせになる」との見通しを示した。/大震災で議論が中断している税と社会保障の一体改革に関しては、政府が社会保障のあり方を提示するとしていた4月に向けて「4月末のことまで現時点で約束しがたい部分もある」としたうえで「震災対策と税(と社会)保障の一体改革とのつなぎ目、連続性をどう確保するかに頭を悩ませている」とした。/また与謝野担当相は、ガソリン価格が3カ月続けて1キロリットル160円を上回った際に上乗せ課税を停止する措置について「スイッチは取り除くべき」と発言。「もともと原油価格、ガソリン価格は政府が決めている訳ではない。そういうスイッチが入ると国の税収がまた落ち込んでいく。経済産業省と検討しないといけない」との考えを示した。 (REUTERS 2011年 03月 25日 14:45 JST )

 下地氏、電気代値上げ発言に抗議=枝野長官が与謝野経財相を注意 ―― 国民新党の下地幹郎幹事長は25日午後、首相官邸に枝野幸男官房長官を訪ね、与謝野馨経済財政担当相が電力確保対策として家庭用電力料金の値上げに言及したことについて「原発や計画停電の問題があり、都民や各県民が困っている段階で値上げの話をするのはおかしい」と抗議し、発言の撤回を求めた。/下地氏はさらに「発言を取り消さない場合は罷免に値する。亀井静香代表が菅直人首相に罷免の話をする」と強調した。/枝野長官はこの後、首相官邸に与謝野担当相を呼び、事情を聴取。与謝野担当相は「個人の家庭でものすごく大量に電力を消費しているところは何か考えなければならないと言っただけだ」と釈明したが、枝野長官は「間違った印象を与えないようにした方がいい」と注意した。/与謝野担当相の発言をめぐっては、民主党の安住淳国対委員長も25日の記者会見で「そういう話は時期尚早だ」と批判した。 (jijicom 2011/03/25-18:43)

9b5fb64a.JPG 与謝野氏、家庭の電力値上げ論撤回 ―― 国民新党の下地幹郎幹事長は25日、枝野幸男官房長官と会談し、与謝野馨経済財政担当相が同日、一般家庭の節電をめぐり「料金体系を変えてはどうか」と事実上の値上げを提案したことに対し、「国民が困っている時におかしい。取り消さないなら罷免に値する」と抗議。下地氏は、与謝野氏が撤回しなければ亀井静香国民新党代表が菅直人首相に罷免を要求すると通告した。与謝野氏は同日夕、記者団に「個人で非常に大きな電力を使っている方のところは料金体系を変えることも検討したらという話だ。説明不足だった」と述べ、一般家庭の料金引き上げ論を実質的に撤回した。 (産経ニュース 2011.3.26 08:08)



f106141e.JPG  今ごろ、東京の上野動物園は中国からやってきた二頭のジャイアントパンダ「リーリー」と「シンシン」を見学に訪れた客で賑わっているはずだった。しかし、東日本大震災の影響で上野動物園は無期限で閉鎖。それに伴い、パンダの公開も延期となったという。余震などによる安全面の懸念と節電が理由だとされている。

9a63e172.JPG 北宋の時代は唐末の過渡期を経て庶民文化の擡頭を見た近世社会であった。文治主義に徹した帝王たちは古代文化の復興に力を注ぎヨーロッパのルネサンスを思わせるような時代が出現した。宋代には新しい儒学の研究が行われ、南宋時代の朱熹(しゅき、1130~1200年)によって大成されたことから、朱子学の奈によって代表される。しかし、この学問は11世紀の北宋時代の邵雍(しょうよう、1011~1077年)や周敦頥(しゅうとんい、1017~1073年)などの手によって始められた。かれらは易を好み、道家思想に通じていたという。易は占いの技術であり、そこには数の神秘思想があり、数によって宇宙の現象や人事現象を説明した。
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 また、中国には古くから河図洛書《古代中国における伝説上の瑞祥である河図(かと)と洛書(らくしょ)を総称したもの。八卦や洪範九疇の起源と考えられて重視された。》の伝説があった。
70136156.JPG 河図洛書は朱震という学者がはじめて図に表したという。この朱震に拠れば、河図洛書葉北宋初めの有名な道教徒陳搏(ちんたん、867~ 984年)に始まったとする。陳摶は中国で仙人の一人として知られている人物。陳希夷(ちんきい)という名前でも知られる。紫微斗数、河洛理数、麻衣相法といった占術の創始者に仮託されている。生没年は871~ 989年などの異説がある。北宋はやがて異民族「金」によって支配されるが、12世紀の前半に王喆(おうてつ、1112~1170年)が新しい道教の宗派――全真教を創始し、瞬く間に華北一帯にひろがった。彼は儒学にも通じ学者との交わりもあったが、生活に苦しむ人人を救うことがこの宗派の一つの仕事であった。各地に道灌(道教の寺)を建てたが、そこは戦争で家を焼かれた人々の避難所となった。
 金末から元初にかけての時代1200年前後の数十年間に河北の地で医学や数学の面では革新的な仕事が行われたのは恐らく全真教の隆盛と切り離しては考えられないだろう。北宋時代に古典の医学や数学書が刊行され、それが華北の地に普及されていたことも見逃せないが、同時に隠者的生活の中で神秘思想に沈潜した学者たちは官僚生活に役立つという数学の範囲を踏み出して、天元術という代数学を生み出したのである。
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98c95924.JPG 天元術に関する最初の著述を残した李冶(り や、1192~1279年)の友人に元好問という学者があった。彼は金に仕えたが、1233年モンゴル軍の捕虜となり、捕らわれて山東に移されることになった。その時に詠った詩に、
 「白骨は乱麻のように散らばり/いつの間にか郷里(くに)は砂漠と化していた/河北の地に 人は絶えたと聞いたが/壊れた屋根から細々と煙のあがる数軒の家」という意味の詩がある。
 こうした厳しい戦乱の時代にどうして学問が発達したのであろうか。16世紀のヨーロッパでドイツを中心に新教運動が盛んであったときに、隣国ポーランドでコペルニクスが地動説を唱えた。この事実と全真教の活動とが重なって見える。困窮した生活にも拘らず、華北の漢人学者の間に精神活動の高揚があったはずである。

 3月23日、厚生労働省では放射性物質が降下し、野菜等に蓄積していく傾向にあるため、当分の間は、福島県産の葉物野菜ホウレンソウ、コマツナ、キャベツ、ブロッコリー、カリフラワーは、摂取を見合わせるよう要請したという。また、東日本各地の水道水から放射性物質が相次いで見つかった。さらに2011年3月23日には、東京都にある浄水場の水道水から、乳児の摂取制限の規制値を超える放射性ヨウ素が検出されたともいう。人体への影響が懸念されるが、厚生労働省では、あくまでも「1年間、相当量の水を飲み続けた場合」の規制値であるため、短期的であれば多少摂取しても問題ないという。いやは、少々騒ぎ過ぎではないか?
b3af5cdc.JPG 今を去る66年前、1945年8月6・7日、当時12歳であったこの爺は母と姉の3人で原爆投下直後の猛暑の広島市の町をさ迷っていた。そのときは落とされた爆弾は新型爆弾ということだけで、今のような情報は一切なかった。喉が渇けば、破損された水道管の切れ目から噴き出している水で渇を癒し、救援の国防婦人が差し出す大豆糟入りの握り飯に武者振り付いた。どこに行けばよいかもわからず、行く当てもなくただ被災者の行列について市中を歩き回った。やっとの思いで、県北の山間の町三次に着いた。
 しかし、母は74歳まで生きたし、姉は30歳を過ぎて乳癌を手術したものの今もなお86歳で元気で生きている。この爺も79歳で未だに無駄飯を食っている。原爆手帳を貰えと勧める人がいるが、この年まで生き延びて原爆の影響を受けているわけでもないし、手帳を貰う資格はないと思っている。
 今朝のウェブニュースより、
861f51e4.JPG 海水から放射性物質を検出 福島第一原発付近 ―― 東京電力は22日未明、福島第一原発放水口付近で採取した海水から、周辺監視区域外の法定濃度限度を超える高い放射性物質が、海中に含まれていることを確認した。/海水は21日14時30分に採取されたもので、126.7倍のヨウ素131や24.8倍のセシウム134が検出されていた。海水からこうした放射性物質が高い濃度で検出されるのは「記憶の範囲ではなかった」(広報担当者)。/東電は夜が明けるのを待って、再度採取を行うほか、福島第二原発など採取箇所を増やして、4か所でサンプリング調査を行い、影響の範囲がどの程度に及んでいるのかを評価する。/「発電所構内に広がった汚染が雨水で流されたり、原子炉建屋への放水で燃料プールなどから飛散した水が地中にしみこんで流れ出た経路、あるいは、建屋から放出した放射性物質が海水に入ったということが考えれる」と、広報担当者は話した。/水中の放射性物質の濃度限度は原子炉等規制法規則によって定められている。1年間、定量を飲み続けると1mSv(ミリ・シーベルト)に相当する値が濃度限度で、サンプリング調査で得られた結果の3か月平均が、濃度限度を超えてはならない。   (Response 2011年3月22日(火) 11時55分)

 町会から回覧が回ってきた。本年の三社祭りが中止になったという。
 東日本大地震被災状況に伴い、平成23年度浅草神社例大祭(三社祭)斎行中止決定の御案内(平成23年3月20日)
44ee4d08.JPG 先ず以て、この度の東日本大地震により犠牲となられた方々の御冥福を心よりお祈り 致しますと共に、被災された皆様に衷心よりお見舞い申し上げ、被災地の一日も早い 復興を切に願う次第でございます。
 浅草神社(東京都台東区 宮司:矢野泰良)及び浅草神社奉賛会(会長:鈴木秋雄) と致しましては、平成23年3月11日発生した東北地方太平洋沖地震により東日本全域 に及ぶ被災状況をはじめ、それに伴う福島原発事故の影響、また首都圏に おける電力不足からなる計画停電等々、今後未曾有の事態をも想定される現状とそれ に伴う社会的情勢を鑑み、本年5月20日(金)・21日(土)・22日(日)に予定しておりま した本社神輿渡御を含む浅草神社例大祭(三社祭)の斎行中止を同社総代会及び同社 奉賛会役員会において協議の上、決定させて頂きました。
 尚、土曜日午前10時の「例大祭式典」につきましては、被災地早期復興祈願の趣旨を 加え、謹んで斎行致します。
 御関係の皆様方に上記の旨を御案内申し上げると共に、諸事御賢察の上、御理解賜りますよう伏してお願い申し上げます。                    浅草神社・浅草神社奉賛会

1ce3789b.JPG 先週末に取上げた数学者 祖冲之の伝記は『南斉書』巻五二に見える。曽祖父の祖台之は東晋の末近くの人で『志怪』という小説を書いている。冲之は劉宋に仕えて謁者僕射(ぼくや)となり、劉宋の滅亡後は斉に仕えて長水校尉に任ぜられた。数学や科学技術に長ずると共に文学のほうでも『述異記』という志怪小説を書いている。『述異記』と題する書は元々2つあって、一つは冲之の作、もう一つは梁の任昉(じんぼう、460~507年)の作であった。前者は普通の志怪小説であるが、後者は主として山川・動植物の奇異についての記録であり地理書的な傾向が強かった。しかし同じ題名なので、昔からしばしば混同されたという。明・清の叢書のなかには『述異記』2巻を収め、任昉の著としたものがあるという。任昉(じんぼう)は梁代第一級の学者・文人であり祖冲之よりもはるかに有名だから、『述異記』といえば任昉の著としてしまう傾向が強いという。魯迅(ろじん)の『古小説鉤沈』には、両者を区別して祖冲之の作のみが集めてある。

  金 鶏  (述異記)  祖 冲之   (中国古典文学大系24 六朝・唐・宋小説選 平凡社より)
9c46984a.JPG 南康郡雩都県(江西省)は川沿いに西へ突き出しており、県域から三里の所に石室のような形をした洞穴があって、夢口と名付けられている。古くから言い伝えによれば、むかしこの穴の中から、純金のような色をした神鶏が出てきた。そして羽ばたきをしながら飛び回り、よく徹る声で長く鳴いた。人に姿を見られると、穴の中に飛び込んでしまった。そこでこの洞穴を金鶏岩と名付けるようになった。
 むかし、ある人がこの山中で畑を耕していたら、はるか向こうに金鶏が出て遊んでいるのが見えた。すると、背の高い男が一人、弾丸(たま)を弓につがえて打った。鶏はそれを見るなり、洞穴の中に飛び込んだ。弾丸は洞穴の真上に命中し、直径六尺ほどの石が落ちてきて、洞穴の入口を塞いだ。隙間はまだ残ったが、人間はもう入れなくなってしまった。
 また、ある人が下流から船で県城へ帰る途中、この洞穴のある崖まであと数里という所に来た時、全身に黄色の着物を纏い、貴色の瓜を入れた籠を二つ担いだ男が現れて、船に乗せてくれと言った。乗せてやると、その男は食べ物が欲しいというので、料理と酒を出してやった。
 男が食べ終えた時、船は丁度崖の下にさしかかっていた。船の主は瓜をくれと言ったが、男は断わって唾を吐きかけ、さっさと岸へ上がって洞穴の中に入った。船の主は唾を吐かれた時はひどく腹を立てたが、相手が洞穴の中に入ったのを見て、初めて神通力を持つ人と悟り、さっき出した食器を取り寄せて調べた。すると、皿の上の唾はすべて黄金に変わっていた。

 壬昉(460~508年)は字を彦昇(げんしょう)といい、南朝・梁の文人。斉の竟陵王・蕭子良(しょう しりょう、460~494年、南朝の斉の武帝の第2子)の文学サロンに参加し、文章家として知られ、人々は競って上奏文の代作を頼んだという。また沈約(しんやく、441~513年)・蕭衍(しょうえん、464~549年、南朝梁の初代皇帝)とも親しく、斉・梁交替の時には禅譲文の執筆を依頼されたという。家に万巻の書を蔵し、宮中の図書校合の任に当たり、著書としては「述異記」の他に「文章縁起」がある。壬昉の散文は長文のものが多いが、「劉先生夫人墓誌」を挙げる。劉先生とは南朝斉の劉瓛(りゅうけん、403~489年)で、博く経書に通じて一世の大儒といわれ、死後詔勅が下って石碑が建立されたという。

  劉先生夫人の墓誌   壬 昉  (中国古典文学大系23 漢・魏・六朝・唐・宋散文選 平凡社より)
1cc66a0b.JPG 老莱子の妻かと称され、梁鴻の嫁かとも言われ、また美徳を備えて、生涯を踏み外すことなし。まこと背の君の、蒿(よもぎ)の簪(かんざし)、藜(あかざ)の杖の貧窮生活をたすけ、嘻々として薪を背負うて夫に随い、夫と共に耕作に従いたもう。嫁入り前も嫁入り後も、速やかに謙譲の徳を身に付け、丹陽尹(たんよういん、夫君の祖先)の訓を守り、宰相(夫人の祖先)の威風を広めて、両家の名声を高め、風雅の名は遠くに及んだ。初めはまことに貞淑な才女、のちには真の婦徳を身につけたもう。学者鄭玄(じょうげん)の村も今は草叢に没し、文人揚雄の墓もひっそりと物寂しい。孔子の墓の樹々は枝を交え、老子の謂う如くささやかの木もひとかかえの大樹となった。まずは草生す墓道の門を開き、とこしえに小暗い塚に閉ざされたもう。夫の身分が高ければ、妻も尊ばれるというが、婦人が尊ばれたのは、爵位の高さの故ではない。

 今朝のウェブニュースより
c167c67e.JPG 過去にもトラブル続きだった福島第1原発 ―― 壊滅的な地震と津波が冷却システムを崩壊させ、この25年間で最悪の原発の危機を引き起こす前から、福島第1原子力発電所は国内で最もトラブルの多い原発だったことが、独立行政法人原子力安全基盤機構への報告書を本紙が分析した結果、明らかになった。/またエンジニアらが、定期検査のために使用中の核燃料を原子炉から取り出し保護が万全ではない「使用済み核燃料」プールに数週間から数カ月間置いておくという日本の原発での慣行 が、今回の危機の大きな要因となったと指摘していることが明らかになった。/3月11日にマグニチュード9.0の地震と津波に襲われたとき、福島第1原発の4号機の使用中核燃料は、定期検査のため原子炉からすべて取り出され、常時冷却水で満たしておかなければならないプールに貯蔵されていた。そのプールは、震災によって保護冷却水の多くが失われ、火災と広範囲の放射線放出の危険を招いたことから、同原発事業者である東京電力(東電)にとって最大級の問題となった。/一方、原子力安全基盤機構に提出された事故報告書についての本紙の調べによると、福島第1原発の事故率は、データが入手可能な2005年~2009年の5年間で、日本の大規模原発の中で最も高かった。そのため同原発の作業員は、ほかのほとんどの原発の作業員よりも多くの放射線に被曝(ひばく)していた。/東電では、福島第1原発をおおむね安全に運転してきたとしている。また、事故率が高めなのは同原発が古いことによるもので、11日以前の事故はすべて、比較的軽微なものだったという。/20日、東電は、第1原発の施設に外部から電源を引き一部の施設に通電できる体制を整えた。また、長時間の連続放水作戦によって、とりわけ4号機の使用済み核燃料プールの水位が上がり、放射線レベルが低下した。/その成功の鍵となったのは、東京消防庁のエリート災害対応チーム、ハイパーレスキュー隊と、同隊の遠距離大量送水装置「スーパーポンパー」だった。/ハイパーレスキュー隊の高山幸夫統括隊長は本紙に「放射能を含んだ煙がもこもこと出ているのだから、いくら装備を付けていても、ちょっと触れたり、吸ったりすれば、それイコール死んでしまうというイメージがあった。恐怖心はみんなにあった」と語った。/東電の監督官庁である経済産業省で原子力安全・保安院の広報を担当する務める西山秀彦大臣官房審議官(通商政策局担当)は、この週末に行われる最も重要な作業は、3号機と4号機の使用済み核燃料プールへの放水だったと述べた。/地震発生時、4号機は定期検査中で停止していた。検査の一環として、東電は5カ月前にすべての燃料棒(放射性燃料ペレットを収めた重い円筒)を原子炉内部から、いわゆる「使用済み核燃料プール」へと移した。これは、原子炉自体ほどは厳重に保護されていないコンクリート製貯蔵タンクだ。/東電の巻上毅司原子力設備管理課長は、「4号炉 は地震の前、原子炉の内部の点検を行っていたため、核燃料を原子炉の外に出す必要があった」と語った。/地震発生時、使用可能な燃料棒がそのプールの中にあったが、津波が非常用発電機を流し去り、プールの水を循環できなくなった上、真水をポンプで注水することもできなくなった。その結果、プールに貯蔵されていた燃料棒が過熱し始め、水蒸気が発生するとともに、放射性燃料棒の一部が大気にさらされ、きわめて危険な状況になった。熱は火災を引き起こし、プール上方の屋根を一部破損させ、放射線が外に漏れた。/4号機で起きたことは、定期検査時の停止中に原子炉内のすべての燃料をプールに移送する「全炉心取り出し」という、日本で広く行われている慣行の危険性を露呈した。/東電の巻上氏は、まだ使用可能な核燃料を取り出して使用済み核燃料プールに保管しておくというこの慣行に関し、豊富な水が利用可能で、かつ、燃料棒間の十分な間隔が維持される限り、安全に行いうるとして、これを擁護した。/米国では、核燃料交換のための原子炉停止時には通常、放射線放出への防護性能がはるかに優れた分厚い鋼鉄製原子炉格納容器に核燃料の大半を入れたままにしておく。核燃料交換時の停止中には、使用済み燃料を新しい燃料と交換し、併せてその他の保守を行うが、各燃料棒の損耗を均等化するため、自動車のタイヤローテーションのような手順で燃料棒の位置の入れ替えを行う。/また米国では通常、最も損耗した燃料棒だけが取り出されて、貯蔵用に使用済み核燃料プールに移され、そこに数十年間放置されることになる。そのため、米国のプールには、最も古い使用済み核燃料だけが収容される。こうした核燃料は、低温で放射能も低い。/対照的に、日本の電力会社では、一時的にすべての燃料棒を取り出すのが普通だ。新しい燃料棒はその後原子炉圧力容器に戻される一方、古い燃料棒に代えて新しい燃料棒が補給される。古い燃料棒は貯蔵プールに放置される。/燃料棒をプールに長年放置するのには二つの理由がある。第一に、燃料棒を冷却する必要があること。第二に、大量貯蔵した使用済み核燃料をどう始末するかという問題があるためだ。この問題を解決した国はいまだにない。その結果、使用済み核燃料の大部分は電力会社の貯蔵施設にとどまったままだ。/4~6号機は、定期検査で停止中だったこともあり、地震直後の数日間、関係者は4号機の状況を注視していなかった。/しかし、地震発生から4日後の3月15日に、最初の火災発生に伴い4号機の問題が重大問題として浮上した。東電関係者によると、4号機のプールで発生した熱は、地震当日に自動停止した3つの原子炉の使用済み核燃料プールで発生した熱を大きく上回っていた。/原子力安全基盤機構に提出された事故報告書によると、今回の地震と津波のダブルパンチに見舞われる、はるか前から、福島第1原発は、国内で最も事故率の高い原発だった。/東電の巻上氏は、報告書の中で同原発に関するいくつかの数字が良くない理由について、「古い原発であることが主な要因」としている。同原発の原子炉はすべて、1970年代に稼働を開始した。/巻上氏によると、東電は頻繁に修理を行っており、「個々の部品を最新のものに取り替えることで、古い発電所でも新しい発電所と同じような性能を出せるよう努力しているが、実際にはなかなか難しい」と明かした。/本紙が行ったデータ分析によると、同原発では05年以降、15件の事故が起きている。これは、3機を超える原子炉を有する日本の原発では最も多い。設備の修理における問題が主だが、設備が古いことが大きな要因となってきたかどうかは不明だ。/09年2月、1号機原子炉内の圧力レベルが急上昇し、蒸気を安全弁から抜かざるを得なかった。ボルトの折損を確認したことから、原子炉を手動停止させた。調査の結果、ナットの締め込みが不十分で、かつ、定期的な点検が行われていなかったことが判明した。/福島第1原発の事故はどれも、安全上の大きな問題とはみなされず、今回の事故まで、負傷を招いたり、原発外への放射性物質の放出につながったりする事故はなかった。ほとんどの国で言えることだが、原発は在来型化石燃料の発電所よりも多くの問題を報告することを義務付けられているため、ささいな事故に関しても詳細な報告が行われる。/経産省の西山氏は、大地震が4年と置かずに起きたことをはじめ、東電が深刻な問題に見舞われてきたと指摘する。/ただ同氏は、東電は情報公開面で大きく改善したという。東電には回復力があるとしながらも、同氏は、今回の緊急事態が収まり次第、東電の対応方法を評価する必要があると述べた。/原子力安全基盤機構に提出された報告書によれば、福島第1原発の作業員は、過去10年間、どの年をとっても、日本の全原発の作業員の中で平均放射線被曝量が最高だった。東電の他の原発も、日本の他のほとんどの大手原発よりも高い放射線量に作業員をさらしてきた。/東電の小林照明原子力管理課長は、「福島第1原発は古い。そのため新しい原発に比べて修理や点検が頻繁に必要。デザインも旧式なため、放射線への被曝が高くなりがちだ」と語る。/ 「大きな工事や点検を行うと、どうしても放射能を浴びやすくなる」と小林氏は述べた。  記者: Rebecca Smith and Ben Casselman and Mitsuru Obe
(THE WALL STREET JOURNAL 日本版 2011年 3月 22日 13:04 JST )
 

プロフィール
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目高 拙痴无
年齢:
93
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


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