旧水戸庭園を抜けて隅田川をひと回りしてきた。池の水面は桜の花びらとゴミが混ざり合って汚れている所為か、白鳥も岩の上で水の中に入るのを躊躇っているようであった。五葉松があったので、近寄ってみると、なるほど葉は5枚ずつが束になってついている。名前の如く薄紅色をした「八重紅枝垂れ」が綺麗。
言問橋を渡り、西詰にくると白と赤のハナモモが、今を盛りと咲いている。ハナモモは原産地は中国。花を観賞するために改良されたモモで、花つきがよいため、主に花を観賞する目的で庭木などによく利用される。日本で数多くの品種改良が行われ、種類が豊富。観賞用のハナモモとして改良が行われるようになったのは江戸時代に入ってからで、現在の園芸品種の多くも江戸時代のものが多い。サクラの開花前に咲くことが多く、桃の節句(雛祭り)に飾られるという。
杜 牧(と ぼく、803~853年)は中国、晩唐期の詩人。京兆府万年県(現陝西省西安市)の人で、字(あざな)は牧之。号は樊川(はんせん)。晩唐の繊細な技巧的風潮を排し、平明で豪放な詩を作った。風流詩と詠史、時事諷詠を得意とし、艶麗と剛健の両面を持つ。七言絶句に優れた作品が多い。杜甫の「老杜」に対し「小杜」と呼ばれ、また同時代の李商隠と共に「晩唐の李杜」とも称される。 祖父に中唐の歴史家・杜佑を持ち、詩人の杜荀鶴は庶子と言われる。江南の風景を絵画のように表現した「江南春」に惹かれた。
千里を鳴きわたる鶯。若葉の緑に映える花の紅。
水辺の村にも山里にも 酒屋の旗にそよぐ春風
南朝四百八十の寺の
数も知れぬ楼台がけぶる雨のうちに
60余年前、門司から中国山地の山間の町に疎開した爺は「逃亡者よ」「卑怯者よ」「よそ者よ」と、虐めにあった。今でもその山間の町には爺の父母兄弟の墓があるのであるが、その町を訪ねると昔年の屈辱が蘇ってくる。爺はそんな所にある墓には入りたくない。日高家の墓は長男限りで永代供養墓料を納めてある。できることなら早く縁を切りたい。
今朝のウェブニュースから、
東日本大震災:心ない言動で…傷心 福島の避難児童に「放射能うつる」―― 千葉・船橋
◇市教委「思いやりを」◇:福島県から避難してきた子どもが「放射能がうつる」などと偏見を持たれるケースがあるとして、千葉県船橋市教育委員会が3月下旬、市内の小中学校に「避難児童に思いやりをもって接し、言動に注意する」よう求める異例の通知を出していたことが分かった。こうしたケースがあると市議から指摘を受け、通知は「(放射能への)大人の不安が子どもたちにも影響を与えていると危惧される」と指摘している。/指摘した市議によると、東日本大震災の数日後に船橋市へ避難してきた福島県南相馬市の小学生の兄弟(小5と小1)が3月中旬、公園で地元の子どもたちに出身を尋ねられた。「福島から」と答えると、みな「放射線がうつる」などと叫んで逃げたという。兄弟は泣きながら避難先に戻り、両親らは「嫌がる子どもを我慢させてまで千葉にいる必要はない」と判断。船橋市内の小学校への転校・入学を取りやめ、福島市へ再び避難したという。 (毎日新聞 2011年4月15日 東京朝刊)
東日本大震災:「住めない」発言、国会でも追及 ―― 菅直人首相と松本健一内閣官房参与との会談で、福島第1原発周辺地域に「10年、20年住めない」とのやり取りがあったことを巡り、14日の参院内閣委員会で、野党議員が枝野幸男官房長官を追及した。町の一部が「計画的避難区域」に指定されている福島県川俣町の古川道郎町長も同日、官邸に菅首相を訪ね、「みんなが気にしている時にああいう発言は困る」と苦言を呈した。首相は「私は言ってない」と改めて発言を否定した。/小野次郎氏(みんな)は参院内閣委で「綸言(りんげん)汗のごとし、と言うように、トップの発言を後で訂正しても元には戻らない」と批判。岡田広氏(自民)も「国民の不安をさらに広げる」と指摘した。/枝野氏は「首相が何を考えているか、(間接的に)伝わった時に誤解され、国民に心配をかけないよう、十分留意しなければならない」と述べ、首相自身も言動に注意する必要があるとの認識を示した。 (毎日新聞 2011年4月15日 東京朝刊)
李白に杜鵑花(つつじ)を詠った詩がある。
蜀国で昔子規(ほととぎす)の啼くのを聞いた。
宣城ではまた杜鵑花(つつじ)を見た。
その一度叫ぶごとに腸賀が一度切れる思いで
この三春三月には故郷の三巴(巴州・巴東・巴西の3郡)を思い出す。
李白は753年頃宣城は安徽省長江流域の都市の地を訪れ、ここを拠点に長江流域を往復していたようである。この詩は宣城で眼にした杜鵑花から故郷蜀で聞いた子規の声を連想し、望郷の念に駆られた気分を歌ったものである。数字を効果的に組み合わせているのは、李白の得意とするところという。
漢名の「罌粟(ケシ)」の由来ですが、実の形が液体をいれる口のつぼんだ甕(かめ)である『罌(もたい)』に似ていて、種子が『粟(あわ)』に似ていることから、「罌粟」と漢字で書かれたのだという。
ナガミヒナゲシは他のヒナゲシと同様、阿片の原料となるアルカロイドを含んでおらず、栽培は問題ない。
今朝のテレビニュースで、菅総理が福島第一原発をめぐって「非難区域は10年20年はすめないだろう」と言ったとか、言わないとか。馬鹿らしい報道をやっていた。
65・6年前、爺がまだ13歳の時の話。原爆投下直後の広島市を彷徨って、母・姉と連れ立って三次の祖母・父の疎開先のわび住まいに着いた、小さなつくえの上には白い布が被せてあり、箸を突き刺した茶碗が3つ置かれていた。翌日、終戦真直の遅れのタプロイド版の新聞の一面には『広島市、70年間不毛の地か?』とあった。いや、そんな筈はない――地面では蟻が群れをなして逃げ惑っていたし、焼け爛れた死体には蛆が涌いていた。果たせるかな、翌年には比治山の桜は原爆の直射を受けなかったところは花をつけたと言うし、爆心地でもバラックで生活しているという記事が出た。1年半後、三次から門司に帰るとき立ち寄った廣島の駅前では結構闇市が繁盛していた。
今朝のウェブニュースから、
「和名抄」には"蒲公草"の名で記され、フジナとタナの和名が挙げられている。なお、漢字で「蒲公英」と表記するのは、漢方で開花前に採り乾燥させたものを「蒲公英(ホコウエイ)」と呼ぶことからであるという。
昼前に、訃報あり。都営新宿線で、船堀ホールにお通夜に行く。IM氏83歳。明日は我が身か。
今朝はすっかり寝坊してしまった。ウェブニュースより、
小沢・鳩山両氏、政権批判の声明準備 党内抗争が再燃 ―― 民主党の小沢一郎元代表は12日、鳩山由紀夫前首相と都内で会談し、統一地方選の敗北や原発事故の対応について菅政権を批判する共同声明文をまとめる調整に入った。政権批判は執行部内や中間派にも広がりつつあり、東日本大震災で沈静化していた党内抗争が再燃してきた。/共同声明文の原案は原発事故に対する初動の遅れを指摘し、「菅政権の対応は深刻な惨禍を招きかねない」と主張。統一地方選の結果は「国民からの警告」としている。/小沢氏は鳩山氏との会談で原発事故について「今さらレベル7とは何事だ」と批判。同日夜には都内の自宅に直系議員グループ「一新会」の議員を招集して今後の対応を協議した。/12日の党代議士会では小沢グループの村上史好氏が「成績がふるわなければ指導部が代わってチームを立て直すのが普通だ」と執行部刷新を要求。木内孝胤氏も「公正な組織運営をしないと何も進まない」と続いた。岡田克也幹事長は「力不足も当然ある。申し訳ない」と陳謝したが、「大事なことは党がまとまっていること」として菅直人首相や自身の辞任は否定した。/だが、首相の責任を問う声は収まらない。小沢氏に近い平田健二参院幹事長は会見で「一定のけじめをつけなければならない選挙結果だ。誰も責任を取らないとますます国民の信頼を失いかねない」と指摘。中間派の小沢鋭仁前環境相も自らのグループの会合で「復興に向け政治体制をどう作るかが課題だ」と述べ、第1次補正予算成立後の首相退陣を求めた。 (asahi com 2011年4月13日5時1分)
夜が明けたばかりの殆んど人通りのない、ちらりほらりと花びらの舞う桜並木の道を独り散策するのも乙なものである。築山の満開の桜の川越しに天樹塔(スカイツリー)が早くクレーンを下してくれと言っているよう。向島の桜並木の遊歩道には、花見中止の自粛看板が寂しくたっている。
ユリカモメという名前の由来は①百合の花のように美しいからという説や、②「入り江かもめ」が転じたという説、さらには③川沿いに内陸にまで飛んでいくことがあるので、ユリ(奥地)のカモメを語源とする説などがあるらしい。形状が似ていないこの鳥を見て百合の花を連想することは考えにくいこと、海というより川沿いに飛ぶことから入江説も考えがたいことから、③の(ゆり)=(奥地)説を採りたい。京の奥地の谷間を飛んで賀茂川にやっと来た鴎というのが妥当のように終える。いやはやこれは爺の牽強付会に過ぎようか?
春は何処にでもやって来て、気持ちを明るくしてくれるのだから、災害疲れを癒してくれよう。肉親を失い悲しみの中にある人々を慰めてくれるはず。そして、明日への勇気を与えてくれるはずである。
試練の1か月 行きすぎた自粛は活力を奪う(4月7日付・読売社説)
◆花見や祭りが中止に◆ 日本列島は桜の季節を迎えつつあるが、花見を自粛する動きが全国に広がっている。東京都は、桜の名所である上野公園など、都が管理する公園内での宴会を控えるよう求めている。/夜間にライトを照らし、酒宴で高歌放吟して醜態を演じるのは論外だ。しかし、昼間に家族や友人が集い、観桜することに何の問題があろうか。/各地で祭りの中止も相次いでいる。5月に予定されていた東京・浅草の三社祭や栃木県・日光東照宮の春季例大祭も、行事のほとんどが取りやめになった。/一方で、愛知県犬山市で4月2、3日に開かれた犬山祭のように、被災地の復興や犠牲者の鎮魂の祈りを込めて、予定通り祭りを開催した例もある。会場で被災者への義援金も集められた。/こうした形で開催することは、祭りの意義を高めることになるのではないか。/仙台市に拠点を置く仙台フィルハーモニー管弦楽団は、震災後、通常のコンサートを中止した。だが、先月末からは、仙台市内の街角などで、少人数による演奏活動を開始した。今後、被災地での演奏活動も計画している。/プロ野球の開幕は延期になったが、東京ドームも、照明や空調を調整するなど、節電に配慮した対応策を検討している。/困難な状況にあっても、文化や芸術、スポーツは人々の心を豊かにする。被災者への大きな励ましにもなるに違いない。/ただ、犬山祭や仙台フィルのようなケースは例外だ。自粛ムードはまだ根強く、これが消費行動に影響して買い控え・遠出控えにつながっている。/春の観光シーズンを迎えたのに、個人や団体の旅行が相次いで中止され、ホテルの宿泊予約もキャンセルが続出している。/特に東北地方では、直接、地震や津波の被害を受けなかった観光地や様々な産業にも、深刻な影響が及んでいる。大震災による直接の打撃に続く「二次被害」と指摘する声もあるほどだ。/こうした地域や産業を支援するにはどうすべきか。
◆首相が国民に訴えよ◆ 菅首相のブレーンで経済学者の小野善康氏は、行き過ぎた自粛は復興の妨げになると指摘し、東北産品を積極的に購入する「バイ東北」運動を提唱している。/東北地方は、海や山の幸が豊富で、コメどころだ。郷土色豊かな伝統工芸品なども多い。国民が積極的に購入すれば、かなりの経済効果が期待できよう。/自粛ムードの一掃には、菅首相が先頭に立つことだ。/過剰な配慮をやめ、通常の生活を取り戻すよう国民に呼びかけるべきである。
◎開催に影響の出た主な行事
4月: プーシキン美術館展(横浜)見合わせ中/「印象派の誕生」展(広島)中止/原爆を視る1945~1970展(東京)中止/福岡城さくらまつり 武者行列など中止/観桜ナイター(大阪)中止/桜の通り抜け(大阪)ライトアップ中止
5月: 浜松まつり 中止/神田祭(東京)神輿の担ぎ出しなど中止/日光東照宮春季例大祭 流鏑馬など中止/三社祭(東京)神輿の担ぎ出しなど中止
8月:東京湾大華火祭(東京・晴海)中止 (2011年4月7日01時16分 読売新聞)
春風は先ず、庭の梅の花を咲かせ、
桜、杏(あんず)、桃、李(すもも)と、次々に開かせます。
薺(なずな)の花や楡(にれ)の実も 深い村にたくさん咲くよ
こんな辺(へん)鄙(ぴ)なところにも春風がやって来るよ 私はうれしい。
今朝のウェブニュースより、
2004年秋、中国の西安市で、新たに日本の遣唐使の墓誌が発見され、大きな話題を集めた。8世紀前半に中国へ渡り、当時の唐王朝の都・長安で唐王朝につかえ、将来を嘱望されながら現地で亡くなった井真成(セイシンセイ、いのまなり)の墓誌である。この井真成という遣唐使の名前は史書に記載がなく、いったい誰を指しているのか、その出自は葛井氏(ふじい)なのか井上氏なのか、様々な議論を呼んでいるが、まだはっきりしたことは判っていない。
平成5年の夏?、上野の東京国立博物館でこの墓誌が展示され、N氏?と見学に行った。
公は姓は井、字(あざな)は真成。国は日本と号し、才は天を縦(ゆる)せるに称(かなう)。故に能く命を遠邦に□、上国に馳せ騁(むか)えり。礼楽を蹈(ふ)みて衣冠を襲う。束帯して朝(ちょう)□、与(とも)に儔(たぐ)うこと難し。豈に図(はか)らんや、学を強(つと)めて倦まず、道を問う聞くこと未だ終わらずに、□移舟に遇い、隙(げき)、奔駟に逢わんとは。開元二十二年(734)正月□日、乃ち官弟(かんてい)に終る。春秋、三十六。皇上、□く傷みて、追崇するに典有り。詔して尚衣奉御を贈り、葬は官を令(し)て□せしむ。即ち其の年の二月四日を以て、萬年縣のサン水の□原に葬る。礼なり。嗚呼、素車(そしゃ)、暁に引き、丹旗(たんちょう)、哀を行う。遠□を嗟(なげ)きて、暮日に頽(たお)れ、窮郊を指(おもむ)きて夜台に悲しむ。其の辞に曰く、□は乃ち天常、哀(かなし)きは茲(これ)遠方なること。形は既に異土に埋もれ、魂は故郷に帰らんことを庶(こいねが)うと。(□は欠字)―― 奈良大学教授・東野治之氏の読み下しによる
抄訳:姓は井、字(あざな)は真成。国は日本と号す。生まれつき優秀で、国命で遠くにやってきて、一生懸命努力した。学問を修め、正式な官僚として朝廷に仕え、活躍ぶりは抜きんでていた。/ところが思わぬことに、急に病気になり、開元22年(734年)の1月に官舎で亡くなった。36歳だった。/皇帝は大変残念に思い、特別な扱いで埋葬することにした。体はこの地に埋葬されたが、魂は故郷に帰るにちがいない 。
井真成の墓誌の発見以降、彼の出自をめぐっては、井真成という姓名をどう読み取るかでさまざまな議論が交わされている。まず、井真成は日本名そのままだとする説と中国で改名されたものだという説に大きく分かれます。改名説は日本名にちなんでいるという説と、全く中国風に改名したという説に分かれる。日本名にちなんでいるという説は葛井氏説と井上氏説に代表される。葛井、井上氏ともに藤井寺に本拠をおいた渡来系氏族でした。葛井氏は葛井寺を氏寺とし、その周辺に集落を営んでいました。井上氏は衣縫廃寺あるいは大井廃寺を氏寺とした可能性があり、居住域もその近辺に求められるという。井真成(いのまなり)のふるさとは、現在確定させるまでにはいたっていない。しかし、その有力な候補地は藤井寺市内にあるという。
阿倍仲麻呂(698~770年)は阿部船守の子で吉備真備や玄昉とともに開元五(717、我が国の養老元)年、留学生として多治比県守(あがたもり)らの遣唐使に従って入唐、時に16歳であった。玄宗の時には秘書監・衛尉卿(えいいけい)などの官になったという。天宝十一載(752年、わが天平勝宝4年)入唐の藤原清河(ふじわらのきよかわ)らが翌年に帰国するとき、ともに第一船に乗って帰国しようとし、明州(今、鄞県)で詩を作ったという。この歌を詠んだ経緯については、天平勝宝5年(753年)帰国する仲麻呂を送別する宴席において、王維ら友人の前で日本語で詠ったなど諸説ある。紀貫之は『土佐日記』の中で次のように述べている。
仲麻呂の乗船した船は奄美大島あたりで暴風雨に遭い、北ベトナムに流され、一時その死が伝えられたという。のち清河らと長安に帰り、大暦7(770)年、唐で死んだ。
李白は天宝12載(753年)晁衡の溺死が伝えられたとき『哭晁卿衡』という七言絶句を作って仲麻呂を痛んだという。
今朝のウェブニュースより
王 維(おう い、生没年は『旧唐書』によれば699~ 759年、『新唐書』では701~761年)は、中国唐朝の最盛期である盛唐の高級官僚で、時代を代表する詩人。また、画家、書家、音楽家としての名も馳せた。同時代の詩人李白が詩仙、杜甫が詩聖と呼ばれるのに対し、その典雅静謐な詩風から詩仏と呼ばれ、南朝より続く自然詩を大成させたといわれている。天宝12載(753年)、阿倍仲麻呂が日本に帰る際、彼のために彼を送る詩を詠じた。
午前5時、川っ縁を散策。少々北風あり。長袖1枚の軽装で出掛ける。曇り空で薄ら寒かったが、歩いているうちに苦にならなくなる。スカイツリーは既に634mに達したという。ソメイヨシノはまだ3ぶざきというところか? この寒さでまた縮込んだか。帰宅して、横浜のN氏が送ってくけた「草原の風」をスキャン。
今朝のウェブニュースより
「奇跡だ」荒れた海 3週間生き抜いた? 漂流の犬を保護 ―― 宮城県気仙沼市本吉町末ノ埼の沖合約2キロの海上で1日午後2時ごろ、漂流する屋根の上に犬がいるのを、第3管区海上保安本部(横浜)所属の特殊救難隊が見つけ、保護した。犬は2日午後5時半ごろ、宮城県動物愛護センター(富谷町)に引き渡された。震災の大津波で海に流されたとすると、過酷な環境を3週間、生き延びたことになり生命力に専門家も驚いている。/2管本部(塩釜)によると、行方不明者を捜索中の救難隊ヘリコプターが、犬を発見。潜水士が降下し、漂うがれきの上を逃げ回る犬を助けた。/犬は体長約70センチの雑種のメスで、毛は茶色。黒っぽい首輪を付けていたが、飼い主の住所などは書かれていない。2日午後、保護した巡視船「つがる」から2管本部の巡視艇に移され、夕方に塩釜港に着いた。巡視船ではビスケットやソーセージを食べ、おとなしくしていたという。/陸に上がると安心したのか、毛布にくるまれたままお漏らしも。迎えに来た県動物愛護センターの伊藤光市さん(52)は「ちょっとおどおどしていたが、思ったより元気で安心した。早く飼い主に返したい」と語った。/宮城県獣医師会の高橋勝一事務局長は「一般論だが、水さえあれば人間の倍近い約2週間は生き延びられる。生命力が強い雑種だったこともあるが、過酷な環境を3週間も生き抜いたとすれば奇跡だ」と話す。/仙台市出身の獣医師で「野宿に生きる、人と動物」の著者中野真樹子さん(東京都)は「海水は塩分が強過ぎ、人間以上に犬には向かない。降り積もった雪を食べ水分を補給していたのでは」と推測する。
2管本部には「自分の飼い犬かもしれない」という問い合わせが2件寄せられているという。 (KOL net 2011年04月03日日曜日)
唐の詩人項斯(こうし、815~?年)の作の五言律詩に「日東病僧」というのがある。阿倍仲麻呂のように王維や李白が描いた日本人を主題にした詩はかなり有名である。遠く異郷の地で不運の生涯を終えた日本人の学者や僧侶も多くいたことであろう。最澄や空海のように帰国して華々しい活躍した僧の影で不運にも異国の土と化した、名前も残っていない日本人を詠った詩は少ない。
項斯は江東(江蘇省南部から浙江省へかけての地方)の人で、字は子遷(しせん)。844年の進士。丹徒(江蘇省鎭江)の尉となり、任地で死亡したという。840年ごろから詩人として名声があったという、
(訳) 日本の病僧
故国へ帰る道を絶つ雲と水/来る時は風が船を送ってくれたのだが/あとあとの遺言も残さず/まだ病中の身で座禅三昧/暑い壁が燈火(ともしび)の光をかくし/人影の無い窓から艾の煙が流れ出るばかり/郷里への便りももはや書かず/寺の門前に墓を作っているとか
昨日は、3月25日に逝去した山田興司氏の告別式に、船橋のKN氏、世田谷のKK氏、五反田のTF氏と共に参列した。さいたま市の市営「思い出の里会館」で、10時30分~11時30分に挙行された。山田氏のご内儀より、「故人も喜ぶでしょうから、火葬場へも」と言われたが、急なことなので、丁寧にお断りして、タクシーに相乗りして大宮駅に出ると、駅の近くの居酒屋で、ビールで献杯――精進落しと相成った。
生があれば必ず死がある/若死にも命が縮んだわけではない/昨夜は同じ生き身の人も/今朝は亡者の過去帖に名が/魂はこの身を離れて何処へ行く/枯れ果てた体を棺に預けたまま/甘えっ子は父を求めて泣き喚き/親友は私を撫でて啜り上げる/わが人生の得失は知らぬ/死後の批判も知らぬこと/千年万年経った後の/恥も栄誉も知ったことか/心残りは この世にいたとき/酒が存分飲めなかったこと
昔は飲みたい酒が手に入らず/今は主なき酒盃にあふれる/春の濁酒 泡粒を浮かせて/いつかまた飲みたいものだが……/肴の膳がわがまえにならび/知り人たちはわが傍に泣く/もの言おうにも声にはならず/見ようとしても目に光なし/かつては屋敷の寝所にいたが/これからは草生(む)す里が棲家(すみか)となる/ひとたび門を出てしまえば/帰れるあては全くなし
生い茂る草の何と果てしなく/はこやなぎも淋しげにそよぐ/厳しい霜置く九月の頃/私を送って郊外に出る/見渡す限り人家も泣く/高い塚のみ連なり聳える/馬は為に天を仰いで嘶(いなな)き/風は為に物淋しげに吹く/暗い墓穴は一度閉ざせば/千年経っても朝は来ない/千年経っても朝が来ぬのは/達人賢者もどうしようもない/今しがた野辺の送りに来ていた人も/それぞれ己の家へと帰る/親戚はあるいはまだ悲しんでいようが/他人の中にはもう鼻歌歌う奴もいる/死んでしまえば言うことはない/体を預けた山の土となろう
今朝は5時におきると、隅田川周辺をひと回り、ソメイヨシノはまだ咲き始めたばかりであるが、「みやび」「カンヒザクラ」と呼ばれる品種の桜は濃いピンクの花をつけている。その桜の下では「ユキヤナギ」が真っ盛り。
今朝のウェブニュースより
花見自粛は「行き過ぎ」の声 都は公園の看板でお願い ―― 花見の名所、上野公園(東京都台東区)などを管理する都が、宴会自粛を呼び掛けている。東日本大震災の被災者や計画停電に配慮したものだが「行き過ぎ」との声も出ている。/上野公園は約1200本の桜があり、例年シーズン中に150万人以上の花見客でにぎわう。都は震災以降、園内30カ所に宴会の自粛を呼び掛ける看板を設置した。約500本が咲き誇る井の頭公園(武蔵野市)でも同様の看板が目立つ。/「地震発生に伴い、公園内の宴会自粛をお願いします」などの記載があり、都公園課は計画停電なども理由に挙げ、ごみが大量に出る宴会は好ましくないとの見解を示している。/石原慎太郎知事は3月29日の記者会見で「少なくとも夜間、明かりをつけての花見は自粛すべきだ」と発言。30日の集会では「この時期に昼間だろうと花見で酒飲んでる時代じゃない。東京で花見なんかするわけには、絶対にいかない」と述べた。/これに対し、蓮舫節電啓発担当相は1日に「権力で自由な行動や社会活動を制限するのは最低限にとどめるべきだ」と反論。経済評論家の山崎元さんは「明らかに行き過ぎ。花見や宴会を自粛させることは経済活動を停滞させ、行政として逆効果」と疑問視する。/井の頭公園で1日、自粛要請の看板を見た福島市出身の会社員の女性(32)は「花見がしたくてもできない被災地もあるのだから、お花見できるところは楽しんでもいいのでは」と話した。 (45NEWS 2011/04/02 08:38 【共同通信】)
石原都知事、蓮舫氏に反論…パンダは「興味ない」―― 蓮舫節電啓発担当相は1日午前の会見で、東日本大震災を受けて東京都が上野公園などで花見自粛を求める看板を掲示したことに関して「権力で自由な行動や社会活動を制限するのは最低限にとどめるべきだ」と苦言を呈した。東京都の石原慎太郎知事は3月29日の会見で「桜が咲いたから一杯飲んで歓談するような状況じゃない」などと発言している。/一方、石原氏は1日午後の会見で「夜に電気をつけてどんちゃん騒ぎをするのはどうかということ。咲いている桜を見ちゃいかんとは言っていない」と反論。また、ジャイアントパンダの公開について感想を求められると「ない。あまりパンダに関心ないから」と述べた。 [Sponichi Annex 2011年4月2日 06:00 ]
sechin@nethome.ne.jp です。
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