瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
あたりの十里は芹のあつものやマコモのご飯のにおいが かんばしい。
端午の節句の後、薫風の吹くころ、
蓮の花の世界と柳糸の郷の好風景を想う。
今朝のウェブニュースより
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米主導の作戦でビンラディン容疑者殺害、オバマ大統領「正当な処罰」―― [ワシントン 2日 ロイター] オバマ米大統領は、アルカイダの指導者で2001年の同時多発テロの首謀者とされるウサマ・ビンラディン容疑者を、米国主導の作戦により1日にパキスタンで殺害したと発表した。/1日夜遅くの異例の会見で大統領は「正当な処罰が下された」と表明。「アルカイダ指導者でテロリストのウサマ・ビンラディンの殺害は、米国が作戦を主導した」と述べた。作戦遂行で米国側に死者は出ておらず、民間人の犠牲者もいないという。/米当局者によると、ビンラディン容疑者はパキスタン北部の街アボタバードで殺害され、米国側が遺体を確保した。/アボタバードは首都イスラマバード郊外の山あいの避暑地。イスラム武装勢力が活動拠点とするカシミール地方にも近い。/パキスタン治安当局高官によると、米中央情報局(CIA)主導の作戦では、現地時間の午前1時30分に地上部隊やヘリコプターなどで急襲。現時の報道によると、パキスタン軍のヘリ1機が墜落したが、急襲に関連したものかどうかは不明。目撃者によると、墜落前には相当な銃撃音が聞こえたという。/地元テレビは頭部を銃撃されたビンラディン容疑者とみられる映像を放映した。/2012年の大統領選で再選を目指すオバマ大統領は、安全保障面で大きな業績を残したことになる。アルカイダはイスラム過激派の象徴的な存在を失ったといえる。/ホワイトハウス前では、ビンラディン容疑者の殺害を歓迎する市民数千人が集まり、「USA、USA」と連呼。星条旗を振る姿が見られた。/オバマ大統領は、昨年8月に入手した情報が、ビンラディン容疑者の所在特定につながったと説明。米政府当局者によると、大統領は4月29日午前に作戦遂行の最終指令を出した。大統領は「アルカイダの指導者であり、男性・女性・子供数千人の殺害に責任のあるウサマ・ビンラディンを殺害する作戦を、米国は実行した」と述べた。/米政府高官は、1日のパキスタンでの米国による攻撃で、ビンラディン容疑者のほかに3人が死亡し、このうち1人はビンラディン容疑者の息子だと確信していると語った。また、ビンラディン容疑者の死亡により、アルカイダは、方向転換が困難な衰退の道に追い込まれたと指摘した。/オバマ大統領から殺害の事実を伝えられたブッシュ前大統領は「極めて大きな功績」と評価。「テロとの戦いは続く。だが今夜米国は、どれだけ時間がかかっても正義は成し遂げられるという疑いのないメッセージを発した」との声明を発表した。/共和党のジョン・マケイン上院議員も「非常に喜ばしい。ついに世界最悪のテロリストを倒した」と表明。クリントン元大統領も歓迎の意向を示した。/米国務省は、ビンラディン容疑者の殺害を受け、「反米行動のリスクが高まっている」として、海外在住の米国人に警戒を呼び掛けた。国務省は「現在の不透明かつ不安定な情勢を踏まえ、反米暴動が起きる可能性のある地域にいる米国市民に対し、自宅・ホテルからの外出を控え、集会やデモの場を避けることを強く求める」との声明を発表した。 2011年 05月 2日 16:09 JST
今日は立春から数えて88日目で「八十八夜」、雑節(24節気以外の季節の変わり目)の1つである。八十八という字を組み合わせると「米」という字になることから、この日は農業に従事する人にとっては特別重要な日とされてきた。また、「八十八夜の別れ霜」といい、この日以降は霜が降る心配がないとされる。この日に摘んだ新茶は上等なものとされ、この日にお茶を飲むと長生きすると言われている。
江戸時代には、京都府宇治市の名産品である宇治茶を徳川将軍家に献上するため、茶を詰めた茶壺を運ぶ行列が行われた。大名行列同様、街道筋(東海道、中山道)の住民は土下座などを強要されたことから「お茶壺道中」と呼ばれ、1633年から徳川幕府が倒れるまで続いた。「わらべうた・ずいずいずっころばし」はこの「お茶壷道中」の恐さを唄ったもという。
胡麻味噌を摩っていると、お茶壺道中が来ると言うので、家の中に入り戸をピシャリと閉めて(=トッピンシャン)やり過ごす。切捨御免の時代柄、庶民は粗相の無いように細心の注意を払っており、子どもたちは両親に呼ばれても決して外に出てはならないと教えられた。そしてお茶壺道中が通り過ぎるとやっと一息つけたのである(=ぬけたらドンドコショ)。家の中で息を潜めていると、米を齧っているネズミの鳴き声や、井戸の近くで茶碗が割れたような音まで聞こえてくるというのである。
江戸時代には、京都府宇治市の名産品である宇治茶を徳川将軍家に献上するため、茶を詰めた茶壺を運ぶ行列が行われた。大名行列同様、街道筋(東海道、中山道)の住民は土下座などを強要されたことから「お茶壺道中」と呼ばれ、1633年から徳川幕府が倒れるまで続いた。「わらべうた・ずいずいずっころばし」はこの「お茶壷道中」の恐さを唄ったもという。
自分の撮った写真でも片っ端から整理していかないと、何時何処で取った写真かわからなくなる。
4月某日
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かつて千葉県の松戸に住んでいるころ「サカタのタネ」から球根を取り寄せて育てたことのある、黒系チューリップ「Queen of Night(クィーン・オブ・ナイト)」が咲いていた。花川戸のテラスには八重の山吹が堤防の壁を這うように花を咲かせている。
4月某日
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暗いうちから徘徊。花川戸から見るかぎろひが美しい。吾妻橋を渡って、向島のテラスを通る。いつの間にか木瓜の花は終ったらしい。花の形がマメ科の花に似た名も判らぬ花木が咲いている。藤の花房が下がる向こうに淺草の町が朝日を受けて映えている。テラスを北上して桜橋を過ぎる辺りで、間もなく北へ旅立つユリカモメが隅田の景色に別れを告げているかのように悲しげな泣き声をあげている。
漢江の水はさかんに波立ち流れて、その上を白い鴎が飛んでいる。春景色もようやく深まり、美しい緑色の流れは、衣を染めたいくらいである。しかし世の人は、この好景にも、南へ北へと忙しく往来して、心のゆとりもなく老いてゆくようであり、一層の悲痛を感じるのである。ふと見ると西に傾いた太陽は、その影長く釣りから帰って来る船を送っている。
杜牧(803~853年)は万年(ばんねん、長安)の人で、字は牧之。大和2(828)年の進士。当時の高官沈伝師(しんでんし、769~827年)・牛僧孺(ぎゅうそうじゅ、779~847年)の幕僚をつとめ、ついで殿中侍御史・膳部員外郎・史館修撰を歴任、転出して黄州(湖北省黄岡)・池州・睦州の刺史となり、また吏部員外郎から希望して湖州刺史に転出、さらに都へ戻って考功郎中・冲書舎人に到った。若い頃は遊里に入り浸って放蕩な生活を送ったが、官僚としては剛直を持って知られた。晩年は長安南郊の樊川(はんせん)に別荘をもったので、杜樊川と呼ばれ、また杜甫を「老杜」と呼ぶのに対して「小杜」とも呼ばれる。
4月某日
4月某日
暗いうちから徘徊。花川戸から見るかぎろひが美しい。吾妻橋を渡って、向島のテラスを通る。いつの間にか木瓜の花は終ったらしい。花の形がマメ科の花に似た名も判らぬ花木が咲いている。藤の花房が下がる向こうに淺草の町が朝日を受けて映えている。テラスを北上して桜橋を過ぎる辺りで、間もなく北へ旅立つユリカモメが隅田の景色に別れを告げているかのように悲しげな泣き声をあげている。
杜牧(803~853年)は万年(ばんねん、長安)の人で、字は牧之。大和2(828)年の進士。当時の高官沈伝師(しんでんし、769~827年)・牛僧孺(ぎゅうそうじゅ、779~847年)の幕僚をつとめ、ついで殿中侍御史・膳部員外郎・史館修撰を歴任、転出して黄州(湖北省黄岡)・池州・睦州の刺史となり、また吏部員外郎から希望して湖州刺史に転出、さらに都へ戻って考功郎中・冲書舎人に到った。若い頃は遊里に入り浸って放蕩な生活を送ったが、官僚としては剛直を持って知られた。晩年は長安南郊の樊川(はんせん)に別荘をもったので、杜樊川と呼ばれ、また杜甫を「老杜」と呼ぶのに対して「小杜」とも呼ばれる。
4月24日(日)
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この日は統一地方選挙。投票所の入口の前に白い名の知れぬ花が咲いている。花の形からエニシダか? 聖天公園を通って帰宅した。公園脇のしもたやの玄関には見事な藤が咲き誇っていた。
4月25日(月)
桜橋でスカイツリーにかかる旧暦23日の月を撮っていると、声を掛けられた。花川戸の住人という方で、向遊歩道・吾妻橋と歩を進めながら話した。昭和6年生まれ生まれというから、爺より1歳年上だ。戦災で逃げ惑った話など聞いた。そのまま暫く隅田公園沿いに南下すると、「ここが私のマンションです。案内しますので、屋上からの景色をご覧下さい」とエレベーターで屋上へ。夜明けの隅田川の風景をカメラに収める。戴いた名刺にはSI氏とあった。
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4月26日(火)
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言問橋を渡り、見番通りを北上。白鬚橋を渡って帰宅した。まだ暗いが、旧暦24日の月がくっきりと浮かんでいる。見番通りの入口にまだ暗い夜明け前にも関わらず、大輪の牡丹が花街に似つかわしく艶やかな姿を見せていた。
牡丹を詠った詩2題
花が散りつくしてからやっと咲き始める。
その名は百花の王とよばれる。
天下に並ぶことのないあでやかさを競い誇る。
この世で一番の香を放っている。
皮日休(ひじっきゅう、833?~883年)は襄陽の人で字は襲美(しゅうび)または逸少。閑気布衣と号した。咸通8(867)年の進士。はじめは郷里に近い鹿門山に隠棲し酒と詩を友とするが、蘇州刺史崔璞の軍事判官から太常博士に進んだが、黄巣(?~884年)の軍が長安を占領した時、その政府に入って翰林学士に任ぜられた。しかし黄巣から心服していないことを疑われついには殺された。唐末の中で政治を批判した詩文を多く残しているという。
胡の軍隊が中国の関を破り侵入してからのこと、
洛陽の地をはるかに望むこと十年あまり。
靑墩溪(せいとんけい)のほとりにわび住まいする老いた私は、
一人で東風の中に立って牡丹を眺めてはふるさと洛陽に思いを馳せる
陳与義(ちん よぎ、1091年 - 1139年)は南宋時代初期の中国詩人。字は去非。号は簡齊。洛陽に生まれ、幼時より、よく詩を作ることができたという。1113年に進士となる。開徳府教授から太学博士・符寶郎となるが、監陳留酒税に左遷された。金国が汴京を侵略し高宗が南方へ逃れたときに、襄漢・湖湘へと移るが、召されて兵部侍郎となり、1131年に臨安に到着し中書舎人に掌内制を兼ねた。吏部侍郎・徽猷閣直学士から、知湖州をへて給事中・顯謨閣直学士・提挙江州太平観を歴任。ふたたび中書舎人となり、翰林学士・知制誥をへて、1138年に参知政事となり大いに朝廷の綱紀を粛正した。その年の3月に高宗に従って建康へおもむき、翌年に臨安へもどると病を理由に資政殿学士・知湖州に任命された。高宗は手厚く陳与義を見舞い、提挙臨安洞霄宮へと進められ、1139年11月に没する。
4月25日(月)
4月26日(火)
牡丹を詠った詩2題
その名は百花の王とよばれる。
天下に並ぶことのないあでやかさを競い誇る。
この世で一番の香を放っている。
皮日休(ひじっきゅう、833?~883年)は襄陽の人で字は襲美(しゅうび)または逸少。閑気布衣と号した。咸通8(867)年の進士。はじめは郷里に近い鹿門山に隠棲し酒と詩を友とするが、蘇州刺史崔璞の軍事判官から太常博士に進んだが、黄巣(?~884年)の軍が長安を占領した時、その政府に入って翰林学士に任ぜられた。しかし黄巣から心服していないことを疑われついには殺された。唐末の中で政治を批判した詩文を多く残しているという。
洛陽の地をはるかに望むこと十年あまり。
靑墩溪(せいとんけい)のほとりにわび住まいする老いた私は、
一人で東風の中に立って牡丹を眺めてはふるさと洛陽に思いを馳せる
陳与義(ちん よぎ、1091年 - 1139年)は南宋時代初期の中国詩人。字は去非。号は簡齊。洛陽に生まれ、幼時より、よく詩を作ることができたという。1113年に進士となる。開徳府教授から太学博士・符寶郎となるが、監陳留酒税に左遷された。金国が汴京を侵略し高宗が南方へ逃れたときに、襄漢・湖湘へと移るが、召されて兵部侍郎となり、1131年に臨安に到着し中書舎人に掌内制を兼ねた。吏部侍郎・徽猷閣直学士から、知湖州をへて給事中・顯謨閣直学士・提挙江州太平観を歴任。ふたたび中書舎人となり、翰林学士・知制誥をへて、1138年に参知政事となり大いに朝廷の綱紀を粛正した。その年の3月に高宗に従って建康へおもむき、翌年に臨安へもどると病を理由に資政殿学士・知湖州に任命された。高宗は手厚く陳与義を見舞い、提挙臨安洞霄宮へと進められ、1139年11月に没する。
つまらんことを思い出しながら帰宅した。
杜甫の代表作で、不遇な時代、望郷の念を読んだもので、「碧・白・青・赤」という色彩の対比が見事である。
今朝のウェブニュースより、
白鬚橋を渡って隅田川を一周。今戸遊歩道に面する裏庭にチューリップが咲き、山谷堀の八重桜が綺麗。
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16世紀の中頃、ドイツのトルコ派遣大使で植物好きのブスベキウスという人が、コンスタンチンノーブル付近で栽培されていたチューリップを見て、その名前を通訳に訊ね、花の形がターバンに似ていると言ったのを、花の名前と勘違いして、そのままトルコ語のツルバンが花の名前になってしまったのだといわれている。
チューリップは学名をTulipa gesneriana(ツゥリッパ・ゲスネリアーナ)といい、gesnerianaは命名者「ゲネスル」の名に因み、tulipaはトルコ語で「頭巾」を意味する「tulipan(tulbend)」に由来すると言う。チューリップの花は全開せず、イスラム教徒が頭に巻くターバンに似ている。
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『詞花集』に「一条院御時、奈良の八重桜を人のたてまつりて侍けるを、そのおり御前に侍ければ、その花をたまひて、歌よめとおほせられければよめる」とあり、伊勢大輔は「いにしへの奈良のみやこの八重ざくらけふ九重ににほひぬるかな」と詠んでいる。奈良の文化の一片を今に伝える桜である。
チューリップは学名をTulipa gesneriana(ツゥリッパ・ゲスネリアーナ)といい、gesnerianaは命名者「ゲネスル」の名に因み、tulipaはトルコ語で「頭巾」を意味する「tulipan(tulbend)」に由来すると言う。チューリップの花は全開せず、イスラム教徒が頭に巻くターバンに似ている。
プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
93
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
sechin@nethome.ne.jp です。
sechin@nethome.ne.jp です。
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