瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
昨日に引き続いて『桃花源の詩』を取り上げる。この詩ははなはだ有名ではあるが、淵明の作ではあるまいという説もある。文をそのままなぞったもので、何の新味も無いからだという。
(訳) 秦の始皇が天の秩序をかき乱して暴虐な政治を行ったため、賢者たちはこの俗世を逃れた。すなわち黄公や綺里季らの四皓(しこう)は商山に隠れたし、この人たちもこの桃花源に逃げ込んだのである。ところがその隠れた場所はいつしか埋没してしまってそこへ行く路も遂に荒れ果てて、分らなくなった。
(訳) しかし彼らは互いに励ましあって農耕に精を出し、日が暮れると思い思いに休息をとった。桑の木や竹はたっぷりと陰を落とし、豆や高粱(こうりゃん)は時節に合わせて種をまいた。春になると蚕から長い生糸を取り、秋には作物の取入れをするが、お上に税をおさめることはなかった。
(訳) 草深い路は微かながら往き来ができるし、鶏や犬は互いに鳴き交わし、吠え交わしている。祭礼の時の肉を載せる俎板(まないた)や肴饌(こうせん・ごちそう)を盛る髙つきなどは今なお古代のしきたりを守っているし、衣装も新しい型のものは作らない。子供たちは気ままに歩きながら歌い、斑白の老人たちは楽しげにだれかれの家へ遊びに行ったりしていた。
(訳) 草が生い茂ると和やかな季節になってきたことがわかるし、木の葉が枯れ落ちると風の激しくなってきたことが分かる。暦の本などはなくても、四季が自ずから遷り変わって一年が経つ。全く楽しいことが有り余るほどだから、今更何を苦労して小賢しい智慧など働かす必要があろうか。
(訳) この秘境のの所在が分らなくなってしまって凡そ五百年、その神仙世界が或る日偶々発見されたのだ。しかし淳朴な風俗と軽薄なそれとは本源的に違うのだから、忽ちにしてまたもとの隠蔽された状態にもどってしまったのである。
ちと伺いますが、世俗のしがらみの中で生活している皆さんには、騒音ごうごうたる塵世の外なる別天地を窺い知ることはとても出来ますまいな。ああ、願わくは軽やかな涼風に乗って、大空高く舞い上がり、自分の理想に合致したあの世界を訪ねてゆきたいものである。
ちと伺いますが、世俗のしがらみの中で生活している皆さんには、騒音ごうごうたる塵世の外なる別天地を窺い知ることはとても出来ますまいな。ああ、願わくは軽やかな涼風に乗って、大空高く舞い上がり、自分の理想に合致したあの世界を訪ねてゆきたいものである。
本日は日曜日、することも無く暇に任せて、陶潜の『桃花源記』を取り上げてみよう。
清々しい朝だが 茶店にはまだ湯は沸いていないし、まして茶などあろうはずはない
思うに この茶やの主(あるじ)は風流を解さぬ人らしい
青磁の花瓶に サルスベリの花を挿しているのだから
春に咲いた、花々が乱れる庭を占領するつもりはない
桃や李の花は、今や喋ることも無く、何処にあるのか判らない
サルスベリは秋風に吹かれ、春の美しさしか愛さない人を笑っている。
帰宅後、婆様から今日から聖天公園でラジオ体操が始まったということを聞いた。
テレビのCMで目立つのが、健康食品と保険――中には詐欺まがいのものもあるようだ。
最近では関節の潤滑剤の補給に有効と銘打って「飲むヒアルロン酸」なるものがもてはやされている。すこしでも知識のある人ならばこのような口から飲むような膝の潤滑剤が膝にゆきわたることはなく、ヒアルロン酸を経口摂取しても糞尿とともに輩出されてしまうことはよく判っていることである。溺れるもの藁をも掴むで、必要としている高齢者にとっては、有名俳優をCM起用して宣伝すれば、訳もなく騙されて何の疑いもなく高い金を払ってでも買うことになるのだろう。消費者が効果ないと気付くまでごり押し商法で売りまくる気なのだろう。実際に儲かっているから、あんなにしつこいCMもつづけられるのだろうが、見えるか見えないかの小さな字で「このCMはあくまで個人の感想であって、効果効能を補償するものではありません」だとさ。全く呆れた「詐欺商法」だとしか思えない。
抱卜子 内篇 巻十四 勤求(きんきゅう) より
抱樸子曰:“設有死罪、而人能救之者、必不為之吝勞辱而憚卑辭也、必獲生生之功也。/今雜猥道士之輩、不得金丹大法、必不得長生可知也。雖治病有起死之效、絕穀則積年不饑、役使鬼神、坐在立亡、瞻視千里、知人盛衰、發沈祟於幽翳、知禍福於未萌、猶無益於年命也、尚羞行請求、恥事先達、是惜一日之屈、而甘罔極之痛、是不見事類者也。/古人有言曰、生之於我、利亦大焉。論其貴賤、雖爵為帝王、不足以此法比焉。論其輕重、雖富有天下、不足以此術易焉。故有死王樂為生鼠之喻也。/夫治國而國平、治身而身生、非自至也、皆有以致之也。惜短乏之虛名、恥師授之蹔勞、雖日不愚、吾不信也。今使人免必死而就戮刑者、猶欣然喜於去重而即輕、脫炙爛而保視息、甘其苦痛、過於更生矣。/人但莫知當死之日、故不暫憂耳。若誠知之、而刖劓之事、可得延期者、必將為之。況但躬親灑掃、執巾竭力於勝己者、可以見教之不死之道、亦何足為苦、而蔽者憚焉。/假令有人、恥迅走而待野火之燒爇、羞逃風而致沈溺於重淵者、世必呼之為不曉事也、而鹹知笑其不避災危、而莫怪其不畏實禍、何哉?”
台風6号の影響で、今朝も雨模様。
中国六朝時代の干宝が著したと言う志怪小説『捜神記』を後補するものとして、『捜神後記』(そうじんこうき)10巻が存在する。「桃花源記」が採録されていることから東晋の陶淵明の著作とされてきたが、後代の人が著名な陶淵明に仮託したものとされるが、やはり六朝時代の作であることは間違いないという。この中から『白水素女』を取り上げてみよう。
捜神後記 陶淵明 撰 「白水素女」
晋安帝時、侯官人謝端、少喪父母無有親属。為隣人所養。至年十七八、恭謹自守、不履非法。始出居、未有妻。隣人共愍念之。規為娶婦、未得。端夜臥早起、躬耕力作、不舎昼夜。
〈訳〉晋(しん)の安帝の世に、侯官〈福建省〉の謝端(しゃたん)は幼い頃両親を亡くし、親戚もないので、隣人の人に養われていた。十七、八歳になったが、まじめで行いを慎み、道に外れたことはしなかった。そこで隣家を出て一家を構えたが、まだ妻がなかったので、隣人の人たちは気の毒に思い、嫁を世話してやろうと申し合わせたが、なかなか見つからなかった。端は夜遅くまで仕事を続け、朝は早く起きて、野良(のら)仕事に精を出し、夜も昼も休まなかった。
後於邑下、得一大螺。如三升壺。以為異物、取以帰貯甕中。畜之十数日、端毎早至野、還見其戸中、有飯飲湯火、如有人為者。端謂隣人為之恵也。
〈訳〉その後、村はずれで三升入りの壷ほどもある大きな田螺(たにし)を一つ見つけ、珍しいものと思って持ち帰り、甕(かめ)の中に入れて飼っていた。それから十日余り経った。端は朝早く野良へ出たが帰ってみると、家の中にはいつも食事の容易がしてあり、湯も涌き、日も燃やしてあった。誰かが世話をしてくれているようである。端は隣家の人が情を掛けてくれたのだと思った。
数日如此。便往謝隣人。隣人曰、「吾初不為是。何見謝也。」端又以、隣人不喩其意。然数爾不止。後更実問。隣人笑曰、「卿已自取婦、密著室中炊爨、而言吾為之炊耶。」端黙然心疑、不知其故。
〈訳〉だが、こんなことが四五日も続いたので、端は隣家へ行き、礼を言った。ところが隣家の人は「家ではそんなことは一度もしませんよ。お礼をいわれるなんて」と言う。端は隣家の人にこちらの言うことが通じなかったのだと思った。しかし、これがまた何日も続いたので、端は隣家の人にありのままを話して尋ねた。すると隣家の人が笑いながら言うには、「あなたは自分がお嫁さんを迎え、こっそり家の中において炊事をさせながら、私があなたにご飯を炊いてあげたなどとおっしゃるのですか」 端は二の句が継げなかったが、心の中では何のことやらわけがわからなかった。
後以鶏鳴出去、平早潜帰、於籬外窃窺其家中。見一少女、従甕中出、至竈下 燃 火。端便入門、径至甕所視螺、但見殻。乃到竈下、問之曰、「新婦従何所来、而相為炊。」女大惶 惑、欲還中、不能得去。答曰、「我天漢中白水素女也。天帝哀偕少孤恭慎自守、故使我権為守舎炊 烹。十年之中、使偕居富得婦、自当還去。而偕 無 故 窃相窺掩、吾形已見。不宜 復留。当相委去。雖然、爾後自当少差。勤於田作漁採治生。留此殻去。以貯米穀、常可不乏。」
〈訳〉その後端は一番鶏(どり)が鳴いた時に家を出て、辺りが明るくなるころにそっと引き返し、生垣(いけがき)の外から我が家の中を覗いていた。すると、甕の中から一人の若い女が出て来て、竈のところへ行って火を起し始めた。端はすぐに家へ入り、さっと甕のそばへ行って田螺を見たが、殻が残っているだけであった。そこで端は竈のところへ行き、娘に声を掛けた。「ご新造さんはどこからおいでになりました。何で炊事をしてくださるのですか」 女は慌てふためき、甕の中に戻ろうとしたが、もどれない。そこで端に答えた。「私は天の川に住む白水の素女です。天帝はあなたが幼い時からの孤児でありながら、まじめに行いを慎んでおられるのを哀れに思し召されましたので、私を遣わし、仮にお宅の留守番と炊事をお命じになったのです。十年のうちにあなたを金持ちにし、お嫁さんも迎えさせた上で、私は天に帰ることになっておりました。ところがあなたは無態にもこっそり覗(のぞ)き見をして、私をつかまえました。私の姿が現れてしまってはもはや此処には折られませぬ。あなたを見捨てて行かなければなりません。でも、これからは生活がいくらかよくなるでしょう。畑仕事に精を出し、魚とりと柴刈りで生計をお立てなさい。この殻は置いてゆきます。これに穀物を入れておけば窮乏することはないはずです」 端は留まってくれるように頼んだが、女はどうしても聞かない。このとき、ふいに風雨が起こり、女は吸い込まれるように姿を消してしまった。
端為立神座、時節祭祀。居常饒足、不致大富耳。於是郷人以女妻之。後仕至令長云。今道中素女祠是也。
〈訳〉端は女のために神棚を作り、節季ごとに祭りを行った。それからは日常の生活も楽になった。大金持ちまでとは行かなかった。そこで村の人が、娘を端の嫁にしてくれた。端はその後仕官して県令にまで出世した。いま道端に祭ってある素女の祠(ほこら)は、この女を祀ったものである。
中国六朝時代の干宝が著したと言う志怪小説『捜神記』を後補するものとして、『捜神後記』(そうじんこうき)10巻が存在する。「桃花源記」が採録されていることから東晋の陶淵明の著作とされてきたが、後代の人が著名な陶淵明に仮託したものとされるが、やはり六朝時代の作であることは間違いないという。この中から『白水素女』を取り上げてみよう。
捜神後記 陶淵明 撰 「白水素女」
晋安帝時、侯官人謝端、少喪父母無有親属。為隣人所養。至年十七八、恭謹自守、不履非法。始出居、未有妻。隣人共愍念之。規為娶婦、未得。端夜臥早起、躬耕力作、不舎昼夜。
〈訳〉晋(しん)の安帝の世に、侯官〈福建省〉の謝端(しゃたん)は幼い頃両親を亡くし、親戚もないので、隣人の人に養われていた。十七、八歳になったが、まじめで行いを慎み、道に外れたことはしなかった。そこで隣家を出て一家を構えたが、まだ妻がなかったので、隣人の人たちは気の毒に思い、嫁を世話してやろうと申し合わせたが、なかなか見つからなかった。端は夜遅くまで仕事を続け、朝は早く起きて、野良(のら)仕事に精を出し、夜も昼も休まなかった。
後於邑下、得一大螺。如三升壺。以為異物、取以帰貯甕中。畜之十数日、端毎早至野、還見其戸中、有飯飲湯火、如有人為者。端謂隣人為之恵也。
〈訳〉その後、村はずれで三升入りの壷ほどもある大きな田螺(たにし)を一つ見つけ、珍しいものと思って持ち帰り、甕(かめ)の中に入れて飼っていた。それから十日余り経った。端は朝早く野良へ出たが帰ってみると、家の中にはいつも食事の容易がしてあり、湯も涌き、日も燃やしてあった。誰かが世話をしてくれているようである。端は隣家の人が情を掛けてくれたのだと思った。
数日如此。便往謝隣人。隣人曰、「吾初不為是。何見謝也。」端又以、隣人不喩其意。然数爾不止。後更実問。隣人笑曰、「卿已自取婦、密著室中炊爨、而言吾為之炊耶。」端黙然心疑、不知其故。
〈訳〉だが、こんなことが四五日も続いたので、端は隣家へ行き、礼を言った。ところが隣家の人は「家ではそんなことは一度もしませんよ。お礼をいわれるなんて」と言う。端は隣家の人にこちらの言うことが通じなかったのだと思った。しかし、これがまた何日も続いたので、端は隣家の人にありのままを話して尋ねた。すると隣家の人が笑いながら言うには、「あなたは自分がお嫁さんを迎え、こっそり家の中において炊事をさせながら、私があなたにご飯を炊いてあげたなどとおっしゃるのですか」 端は二の句が継げなかったが、心の中では何のことやらわけがわからなかった。
後以鶏鳴出去、平早潜帰、於籬外窃窺其家中。見一少女、従甕中出、至竈下 燃 火。端便入門、径至甕所視螺、但見殻。乃到竈下、問之曰、「新婦従何所来、而相為炊。」女大惶 惑、欲還中、不能得去。答曰、「我天漢中白水素女也。天帝哀偕少孤恭慎自守、故使我権為守舎炊 烹。十年之中、使偕居富得婦、自当還去。而偕 無 故 窃相窺掩、吾形已見。不宜 復留。当相委去。雖然、爾後自当少差。勤於田作漁採治生。留此殻去。以貯米穀、常可不乏。」
端為立神座、時節祭祀。居常饒足、不致大富耳。於是郷人以女妻之。後仕至令長云。今道中素女祠是也。
〈訳〉端は女のために神棚を作り、節季ごとに祭りを行った。それからは日常の生活も楽になった。大金持ちまでとは行かなかった。そこで村の人が、娘を端の嫁にしてくれた。端はその後仕官して県令にまで出世した。いま道端に祭ってある素女の祠(ほこら)は、この女を祀ったものである。
古代中国には自然哲学の思想で、万物は木・火・土・金・水の5種類の元素からなるという説がある。5種類の元素は『互いに影響を与え合い、その生滅盛衰によって天地万物が変化し、循環する』という考えである。戦国時代の陰陽家騶衍(すうえん、BC305~240年頃の人?)が理論づけたとされる。
五行が混沌から太極を経て生み出されたという考え方が成立して、五行の生成とその順序が確立したという。
1.太極が陰陽に分離し、陰の中で特に冷たい部分が北に移動して水行を生じ、
2.次いで陽の中で特に熱い部分が南へ移動して火行を生じた。
3.さらに残った陽気は東に移動し風となって散って木行を生じ、
4.残った陰気が西に移動して金行を生じた。
5. そして四方の各行から余った気が中央に集まって土行が生じた。 というのが五行の生成順序であるらしい。
木(木行): 木の花や葉が幹の上を覆っている立木が元となっていて、樹木の成長・発育する様子を表す。「春」の象徴。
火(火行): 光り煇く炎が元となっていて、火のような灼熱の性質を表す。「夏」の象徴。
土(土行): 植物の芽が地中から発芽する様子が元となっていて、万物を育成・保護する性質を表す。「季節の変わり目」の象徴。
金(金行): 土中に光り煇く鉱物・金属が元となっていて、金属のように冷徹・堅固・確実な性質を表す。収獲の季節「秋」の象徴。
水(水行): 泉から涌き出て流れる水が元となっていて、これを命の泉と考え、胎内と霊性を兼ね備える性質を表す。「冬」の象徴。
四季の変化は五行の推移によって起こると考えられ、方角・色など、あらゆる物に五行が配当されていて、そこから、四季に対応する五行の色と四季を合わせて、青春、朱夏、白秋、玄冬といった言葉が生まれたのだという。
抱卜子 外篇 第十六 交際より
1.抱樸子曰。
余以朋友之交、不宜浮雜。面而不心、揚雄攸譏。故雖位顯名美、門齊年敵、而趨舍異規、業尚乖互者、未嘗結焉。或有矜其先達、步高視遠、或遺忽陵遲之舊好、或簡棄後門之類味、或取人以官而不論德、其不遭知己、零淪丘園者、雖才深智遠、操清節高者、不可也;其進趨偶合、位顯官通者、雖面墻庸瑣、必及也。如此之徒、雖能令壤蟲雲飛、斥鷃戾天、手捉刀尺、口為禍福、得之則排冰吐華、失之則當春雕悴、余代其口止叔口止脊、恥與共世。
抱卜子が言う。
「私が思うに、友人の交わりは、うわついた不純なものであってはならない。『面のみにて心ならぬ』交わりは揚雄(ようゆう、BC53~18年)も譏(そし)っている。だから官位名声ともに高く、家柄・年齢も釣り合いながら、性格が違い趣味の相反するものは、絶対に友人になれない。世の中には友人より先に出世したことを誇って、反り返って歩き、人を遥か下に見下ろす者がある。落ちぶれた古なじみを忘れた振りをする者がある。家柄の悪い同輩を軽んじ見捨てる者がある。友を選ぶのに官位だけを標準にして人格をとわぬものがある。
知己に巡り会わず、田舎に逼塞している者は、いくら深遠な才知と清潔な節操を抱いていても浮かばれない。逆にうまく立ち回って高位高官の人の気に入られた者は、如何に無知な下らぬ人間でも必ず出世する。かような人は蚯蚓(みみず)をも雲に載せ、斥鷃(みそさざい)をも天に届かせる。その手には鋏・物差をもって自在に他人を裁断し、その口は一口で以って他人に禍福を齎す。この人の気に入られれば、氷を割って一花咲かせることも出来るが、この人の機嫌を損なえば、春の最中に凋落するという憂目(うきめ)に会う。私はこれを見てわがことのように恥ずかしい。同じ世の中に住むことすら恥ずかしい。
2.窮之與達、不能求也。然而輕薄之人、無分之子、曾無疾非俄然之節、星言宵征、守其門廷、翕然諂笑、卑辭悅色、提壺執贄、時行索媚;勤苦積久、猶見嫌拒、乃行因托長者以構合之。其見受也、則踴悅過於幽系之遇赦;其不合也、則懊悴劇於喪病之逮己也。通塞有命、道貴正直、否泰付之自然、津途何足多咨。嗟乎細人、豈不鄙哉!人情不同、一何遠邪?每為慨然、助彼羞之。
不遇と栄達とは運命である。人力で求められるものではない。しかるに軽薄な人間、身の程知らぬ若者は、一足飛びに出世する方法を憎み非とする気が全くない。まだ夜も明けぬうちから権力者の門前に待ち伏せ、へらへらと諂い笑い、空世辞とえびす顔を振りまき、酒を提げ手土産を携え、いつも出向いてはご機嫌を伺う。こうして長い苦労の末、それでも嫌われ断わられると、今度はあちらこちら先輩の伝手をたどって取り持ってもらう。やっと受け入れられると、狂気乱舞そのさまは恩赦に遇った囚人以上である。それでも受け入れられぬとなると、がっくり、死病にとりつかれたよりもひどい。
遇不遇はてんめいである。人間としては真っ直ぐにおのが道を努める他はない。不遇も出世もすべて成り行きに任せることだ。人生の岐路、どうしてさほどに嘆息することがあろう! それだのに世の小人は、なんと鄙しいものではないか。人情様々とはいえ、これほどまでにかけはなれているとは! 何時もこれがために慨然として、当人に代わって顔を赤らめている。」
「わたくしは『捜神後記』のお話をいたします。これは標題の示す通り、かの『捜神記』の後編ともいうべきもので、昔から東晋(とうしん)の陶淵明(とうえんめい)先生の撰ということになって居りますが、その作者については種々の議論がありまして、『捜神記』の干宝よりも、この陶淵明は更に一層疑わしいといわれて居ります。しかしそれが偽作であるにもせよ、無いにもせよ、その内容は『捜神記』に劣らないものでありまして、『後記』と銘を打つだけの価値はあるように思われます。これも『捜神記』に伴って、早く我が国に輸入されまして、わが文学上に直接間接の影響をあたうること多大であったのは、次の話をお聴きくだされば、大抵お判りになるだろうかと思います」とある。
このお話の中に『叟神記』を書いた干宝(生没年不詳)についてのお話がある。
干宝の父
東晋の干宝(かんぽう)は字(あざな)を令升(れいしょう)といい、その祖先は新蔡(しんさい)の人である。かれの父の瑩(けい)という人に一人の愛妾があったが、母は非常に嫉妬ぶかい婦人で、父が死んで埋葬する時に、ひそかにその妾をも墓のなかへ押し落して、生きながらに埋めてしまった。当時、干宝もその兄もみな幼年であったので、そんな秘密をいっさい知らなかったのである。
それから十年の後に、母も死んだ。その死体を合葬するために父の墓をひらくと、かの妾が父の棺の上に俯伏しているのを発見した。衣服も生きている時の姿と変らず、身内もすこしく温かで、息も微かにかよっているらしい。驚き怪しんで輿(こし)にかき乗せ、自宅へ連れ戻って介抱すると、五、六日の後にまったく蘇生した。
妾の話によると、その十年のあいだ、死んだ父が常に飲み食いの物を運んでくれた。そうして、生きている時と同じように、彼女と一緒に寝起きをしていたのみか、自宅に吉凶のことある毎(ごと)に、一々彼女に話して聞かせたというのである。あまりに不思議なことであるので、干宝兄弟は試みに彼女に問いただしてみると、果たして彼女は父が死後の出来事をみなよく知っていて、その言うところがすべて事実と符合するのであった。彼女はその後幾年を無事に送って、今度はほんとうに死んだ。
干宝は『捜神記』の著者である。彼が天地のあいだに幽怪神秘のことあるを信じて、その述作に志すようになったのは、少年時代におけるこの実験に因ったのであると伝えられている。
ただ有明の 月ぞ残れる 後徳大寺左大臣
作者の後徳大寺左大臣 藤原実定(ふじわらのさねさだ、1139~1191年)は、小倉百人一首の選者藤原定家の従兄弟だという。詩歌管弦に優れ、平安末期の平氏が栄えた時に大臣の職にあったという。
この詩の出典は宋・胡継宗編の「書言故事大全・花木類・紅一点」で王安石の詩と記録されているという。
また、王直方(1069~1109年)の『王直方詩話』に「王安石が内相のとき、翰苑に石榴が一叢あって、枝葉が茂り、僅かに花が咲いていた。そこで王安石は濃緑萬枝紅一点、為人春色不須多と詩作した。私は全編を見なかったことをつねに恨みとしている。」とあり、多くのものの中で、ただ一つ異彩を放つ意の「紅一点」は王安石の詩がその出所となっている。しかし、宋の范正敏(生卒年不詳)の「遯斎閑覧(とんさいかんらん)」に「これは唐人の詩で作者不明である。かつて、私は王安石が持っていた扇に自筆でこの句が書いてあったのを見たことがある。王安石の自作と思っている人があれば、それは誤りである」とある。
〈訳〉静かな夜更け、寝床の前に月の光がさし込んでいる。
あまりにも白いので、地上に降った霜かと疑った。
光をたどって頭を上げると、山に美しい月が出ている。
そして、自然にうなだれて、故郷のことが思い出されるのである。
1.抱樸子曰。
騄駬之騁逸跡、由造父之禦也;禹稷之序百揆、遭唐虞之主也。故能不勞而千裏至、揖讓而頌聲作。
若乃臧否之乘驌騻、殷辛之臨三仁、欲長驅輕騖、則轡急轅逼、欲盡規竭忠、則禍如發機。所以車傾於險途、國覆而不振也。故良駿敗於拙禦、智士躓於暗世。仲尼不能止魯侯之出、晏嬰不能遏崔杼之亂。其才則是、主則非也。
抱卜子は言う。
名馬がその速い足を飛ばせるのは、名馭者の手綱によってである。されば何の苦労もなしに千里の彼方に達しうる。禹・后稷(こうしょく)が百官の仕事をきちんと整えたのは、尭・舜という名君に遇ったからである。されば手を拱いたままで太平の讃歌が沸き起こった。
ところが下男が駑馬に乗ると、いかに長駆疾走させようとしても、手綱はもつれる、轅はつかえる、結局車は坂道でひっくり返るように、殷の紂王が三仁(微子・比干・箕子の3賢人)の上にいたのでは、三人いかに忠言をしようとしても、忽ちに禍が身に及ぶ(2人は殺され、箕子は狂人の真似をして逃亡)。ために国は傾いて救いようがなかった。つまり駿馬も馭者がまずいと倒れる。智者も自生が悪いと躓くのである。孔子ほどの聖人でも魯の昭公の蒙塵(もうじん、昭公は家老の三桓の専横を怒り、これを討たんとして失敗、斉に逃亡した)を防止することはできなかった。晏嬰(あんえい)ほどの賢人でも崔杼(さいじょ)の叛乱(崔杼は斉侯を殺した。ときに晏嬰は斉の大臣だった)を未然に止めることはできなかった。孔子や晏嬰の才能は優れていたが、仕えた主人が駄目だったのである。
2.夫君猶器也、臣猶物也、器小物大、不能相受矣。
髫孺背千金而逐蛺蜨、越人棄八珍而甘蛙黽、即患不賞好、又病不識惡矣。
夫不用、則雖珍而不貴矣;莫與、則傷之者必至。昔衛靈聽聖言而數驚、秦孝聞高談而睡寐、而欲緝隆平之化、收良能之勛、猶卻行以逐馳、適楚而道燕也。
そもそも臣を品物とすれば、君はそのようきである。容器が小さいのに、品物が大きければ、受け容れられるわけがない。
垂髫(うないがみ)の童子は千金をやるといわれても目もくれず、ひたすら蝶々を追い駆ける。越の人は中国の珍味を唾棄して蛙を旨がる。つまり良い物の価値もわからぬ代わり、つまらぬものをつまらぬと見分ける目もないということだ。
そもそも使わない品は、いくら珍しくても貴ばれない。味方するものがいないと、必ず傷つけようとする者が矢って来る。昔、衛の霊公は孔子の言葉を聞いて何度も怪訝な顔をした。秦の孝公は商鞅(しょうおう)の話を聞きながら居眠りをした。君がこのような有様で、天下を太平にすべき教化を修め、有能な臣に手柄を立てさせようと思っても、それはまるで後すざりして獲物をおい、楚(南の国)にゆくのに燕(北の国)の方向に向うようなものである。
プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
93
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
sechin@nethome.ne.jp です。
sechin@nethome.ne.jp です。
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