今朝は全国的に雪模様の天気らしい。ウェブニュースより、
関東中心に大雪警戒=近畿から東北、低気圧東進—交通に乱れ・気象庁 ―― 前線を伴う低気圧が四国沖を急速に発達しながら北東へ進んでいる影響で、8日は九州から東北の広い範囲で雪や雨が降った。気象庁は西日本では8日、東日本と東北は9日にかけて大雪になるとして、吹雪や雪崩、路面の凍結に警戒を呼び掛けている。海上や沿岸部は暴風や高波にも警戒が必要。航空や鉄道、高速道路などの交通や、大学入試に影響が出た。/日本列島は寒気に覆われており、低気圧は8日夜に伊豆諸島付近を通過し、9日に三陸沖に進む見通し。9日午前6時までの24時間予想降雪量は多い所で、関東北部の山沿いが50センチ、中国と近畿、東海、甲信、神奈川・箱根、東京・多摩西部、埼玉・秩父、東北が40センチ。/東京23区も20センチと予想され、気象庁はなるべく外出を控えるよう呼び掛けている。伊豆諸島は8日午後、房総半島などの関東沿岸部は8日夕から9日未明にかけて大雨となる恐れがある。/近畿から東海、関東甲信、東北の最大瞬間風速は陸上30〜35メートル、海上30〜45メートル。波の高さは5〜8メートルと予想される。 [時事通信社、2014年 2月 08日 08:30 JST 更新]
午前6時、明るくなり始めた頃、起き出して言問橋~桜橋の雪景色を見物して来ました。
携帯から、言問橋の雪景色を送信したところ、返信が届きました。
2月8日午前9時33分受信 S氏よりのメールに曰く、
オリンピック開会式 午前1時に開催された、ソチ冬季オリンピック開会式の放映を、4時まで観ていました。久し振りの夜更かしでした。 スカイツリーを背景にした言問橋の雪景色のフォト、何か趣がありますね。歌人はこの模様を如何に吟ずるのでしょうか。当方も、久し振りのまだらな銀世界になっております。ここ4日ほど家内の風邪に付き合わされ、散歩に行けず血糖値が乱れています。時の流れに比べれば、たいした事ではないのですが、これも私の生き様の1コマであります。一層の寒さに旁々体調に留意して下さい。フォト本当に有難うございました。
返信 10時21分 奥様の風邪、こじらせないよう、大事にしてあげて下さい。勿論、君もご自愛ください。
2月8日9時34分受信 Y氏からのメールに曰く、
メールありがとうございます。/写真を拝見、スカイツリー寒そうに半分しかみえませんね。/こちらも我が家の二階の窓から見える光景は久しぶりの雪化粧です。今日は終日雪が降るとか。テレビとパソコンのお守りでもします。
yanto.
春雪 劉方平
飛雪帯春風 飛雪春風を帯び、
裴回乱繞空 裴回(はいかい)乱れて空を繞(めぐ)る
君看似花処 君看(み)よ花に似たる処(ところ)
偏在洛陽東 偏(ひとえ)に洛陽の東に在り
舞う白い雪が春風をはらみ、
さ迷いながら空一面に乱れ飛んでいる。
君よごらん、あの花吹雪のある処を。
洛陽の東にばかり偏っているではないか。
※劉方平:盛唐の詩人。758年前後に在世。河南・洛陽の人で、匈奴の出身といいます。天宝年間の前期に進士試験を受けますが、意の如くならず、潁水(えいすい)、汝河(じょか)のほとりに隠棲して、終生に亘って仕えなかった。詩にたくみであった。
2月3日のブログ蘇軾と王安石の詩を取り上げましたが、この2人の関係について調べてみました。
蘇軾の生きた時代の官界は、新法派と旧法派の対立で明け暮れていました。旧法派の蘇軾は新法派が有力なときには、難を逃れて地方勤務を希望し、旧法派が有力になると中央に召しだされて重要な官職についたりしました。/しかし両者の対立はそのうちに、政策をめぐるものよりは、単なる勢力争いに堕していったようです。蘇軾は新法派から迫害されるばかりでなく、旧法派からもひどい目にあったりしたといいます。/それ故蘇軾の生涯は、短い期間の順調な日々を除けば、追放と左遷の連続だったようです。最後には海南島という当時の中国にとっては最果ての島に流され、流謫のうちに死を迎えることとなるのです。
それにも拘わらず、蘇軾の生涯は、常に楽天的であったともいえるのです。人生を肯定的に生きようとする姿勢に貫かれていたようです。王安石に対する態度も、これを個人的な次元で見れば、政敵に対するものではなかったようです。政治的な立場を異にし、それがもとで時には迫害を受けた相手ではありましたが、蘇軾は常に王安石を人生の先輩として、また芸術上の素晴らしいパートナーとして接していたようです。
そんな二人にとって、象徴的なやり取りがありました。元豊七(1084)年黄州に流罪されていた蘇軾は流罪先が汝州に変更になります。汝州は黄州よりは都に近いから、減刑という見方もありますがいずれにしても流罪のままだったのです。
その汝州へ向かう途中、蘇軾は金陵(南京)に隠棲していた王安石を訪ねました。その時の王安石は病床にありましたが、蘇軾の訪問を喜んで詩を贈ったといいます。
北山 王安石
北山輸緑漲横陂 北山緑を輸(いたし)横陂漲る
直塹回塘艶艶時 直塹 回塘 艶艶たる時
細數落花因坐久 細かに落花を數ふるは坐すること久しきに因る
緩尋芳草得歸遲 緩やかに芳草を尋ねて歸ること遲きを得たり
北山は緑豊かに田んぼには水が漲っている、
まっすぐな堀、丸い池がつややかな季節、
落花をひとつひとつ数えたのも君と長く一緒にいたおかげ、
ともに遅くまで芳草を訪ねて歩いたものですね
これに対して蘇軾は、王安石の詩に次韻して答えました。
次荊公韻, 蘇軾
騎驢渺渺入荒陂 驢に騎り渺渺として荒陂に入る
想見先生未病時 想見す先生未だ病ざりし時を
勸我試求三畝宅 我に勸めて試みに三畝の宅を求めしむ
從公已覺十年遲 公に從ふこと已に十年の遲きを覺ゆ
ロバに乗ってゆったりと田圃道を尋ねましたね、
思い出すのは先生がまだ若かったころのこと、
私に三畝の宅を求めなさいと勧めてくれましたね、
あなたと合うのが10年遅かったのが悔やまれます。
昨日、横浜のIN氏よりメールが入った。曰く、
2月4日14時21分着信 誕生日おめでとう。 日高節夫様/誕生日おめでとう。/きょうは君の82回目の誕生日、元気で誕生日を迎えられて心からお祝い申し上げます。/新しいパソコンは調子はいかが?/私のパソコンは、Vista からの引っ越しがなかなかうまくいかない。要は慣れが問題。/ほんとうにパソコンというやつはややっこしいいね。あれこれ、市販の雑誌を買ってきては弄り回している。/しかし、インターネットだけは自由に見られるように元に戻ったから、当面の目的は達成できている。/どうぞ今年も元気でいてください。
3日のブログについたkanami 女史のコメントをみて、ラスト アライアンスの「プロメテウス」という曲をインターネットで探し出し、聞いてみたが爺には歌詞も良く聞こえないし、演奏もただの喧騒にしか聞こえず、この曲のどこが良いのか理解できなかった。
http://www.youtube.com/watch?v=UyeYMzRVuuI
午後3時近くにkanami 女史 より電話があり、「生ものだけれど、先生にプレゼントしたいものがあるのでお伺します」ということで、昨日に続いて女史の訪問を受けた。「オバから聞いて、私と同じ名前のイチゴを手に入れたので、先生にも召し上がって頂きたくて持参しました。」ということで、「かなみひめ」というイチゴを戴いた。昨日と同じようにまたまた6時近くまで、話し込んでしまった。
今朝のパソコンを開くと女史からメールが入っていた。曰く、
先生、無事に届いています。/さっそくメモ帳にうつしたいと思います。/ありがとうございます。 K
何かの弾みで携帯を開くとメールが入っていた。11時38分に着信したもので、塾生のYM女史からであった。誕生日ケーキの図からの中に、曰く、
昨日は節分、今日は立春で爺の誕生日。
昨日藤沢市に住むyanto氏から携帯にメールが入った。曰く
2月3日12:14発信 誕生日おめでとう 今日は節分ですがとても暖かい。確か君の誕生日ですね。おめでとうございます。/パソコンも新調されブログも再びスタートし好調のようで何よりです。また帯状疱疹も治癒された由良かったですね。/朝の徘徊で隅田公園の各種の梅の花が咲き始めたとありました。我が家の庭の小さな紅梅も今満開です。/明日から又寒さが厳しくなるとか、ご自愛ください。/蛇足ですが今謡曲は隅田川を習っています。
早速返事を送った。曰く
早々の誕生日祝いのコメントありがとう。実は1932年の節分は2月4日でした。/今朝も4時に起き出して白鬚橋~駒形橋の間を一巡して来ました。家につくころやっと明るくなります。/山谷堀水門広場で撮った携帯の写真を添付します。今朝は薄い霧が立ちこめていますが、この柳もまもなく青々し色づくことでしょう。君のメールを明日のブログに転写させいただきます。あしからず。 セッチン
節分の豆まきをして、立春を迎えて、少し暖かくなったように感じます。
府西池 白居易
柳無気力枝先動 柳 気力無くして 枝先ず動き
池有波紋氷尽開 池 波紋有りて 氷尽(ことごと)く開く
今日不知誰計会 今日知らず 誰か計会するを
春風春水一時来 春風春水 一時に来る
柳は力無さそうにして 枝の先が風に揺れ
池には波紋が広がって 氷が皆とけてゆく
今日のこの様子は誰が一体計算したのか
春の風と春の水が一度にやって来るなんて
※「府西池」の「府」とは白居易の任地河南府。白居易が河南尹(河南府の長官)に叙せられたのは太和四(830)年、五十九歳のこと。以後太和七年四月までを同地に過ごした。『和漢朗詠集』巻上「立春」の部に引用されています。
再和楊公濟梅花十絶 蘇軾
湖面初驚片片飛 湖面初めて驚く片片と飛ぶを
樽前吹折最繁枝 樽前に吹折す最も繁き枝を
何人會得春風意 何人か會し得たる春風の意を
怕見梅黃雨細時 怕れ見る梅は黃に雨は細やかなる時を
再び楊公濟の梅花に和す十絶 蘇軾
気が付けば湖面には花びらが散り飛んでいる、
酒樽を前にして葉っぱの良く茂った枝を折ろう、
誰が春風の気持ちを察してやれるだろう、
梅が黄ばみ雨が降り込めるのを見るのはいやなものだと
元祐六年(1091)、杭州在任中の作。楊公濟はこの時杭州通判(副知事)、詩を良くした人で、蘇軾は彼の書いた梅花の詩に和して十首の絶句を作ったといいます。
梅花 王安石
牆角數枝梅、 牆角(しゃうかく)數枝の梅、
凌寒獨自開。 寒を凌(しの)ぎて 獨(ひと)り自(みづか)ら 開く。
遙知不是雪、 遙かに知る 是(これ) 雪ならず、
爲有暗香來。 暗香(あんかう)の來きたる 有るが 爲(ため)なり。
梅花 王安石
垣根のかどの数本の梅の枝。
寒さをものともせずに、ひとり花を咲かせている。
遠くからでも、それが雪ではないとわかるのは、
漂って来るほのかな香りがあるからだ。
月日の経つのは早いもので今日はマイチの3回忌です。未だに彼が鬼籍にあるとは思えません。明日にでも我が家を訪ねてくれるような気がしています。
早朝の冷え込みもいくらか和らぎ始めたので、目覚めた時の様子で、早朝徘徊に出かけてみることにしています。まあ、ゆっくり歩いて2時間ばかりの散策で、朝のひんやりした空気が1日を引き締めてくれるように思えます。
隅田公園の我が家から、石浜通りを渡ったところに小さな梅園がありますが、徘徊の終りに此処を通ると、甘酸っぱい梅の香りがふわっと漂ってきます。紅梅、白梅、一重、八重、さまざまな種類の梅が、まだ冷たい風の中、がんばって可憐な花を咲かせているのを見ると、ついアップで写真を撮りたくなります。
梅花 高啓
瓊姿只合在瑤臺 瓊姿(けいし)只合(まさ)に瑤臺(ようだい)にあるべきに
誰向江南處處栽 誰ぞ江南に向いて処処に栽(う)うる
雪満山中高士臥 雪満ちて山中高士臥(が)し
月明林下美人来 月明らかにして林下(りんか)美人来たる
寒依疎影蕭蕭竹 寒は依る疎影(そえい)蕭々たるの竹
春掩残香漠漠苔 春は掩(おお)う残香漠々たるの苔
自去何郎無好詠 何郎去りて自(よ)り好詠無し
東風愁寂幾回開 東風愁寂(しゅうせき)幾回か開く
玉のような美しい姿をした梅花は月の仙宮にあるべきなのに、誰がこの梅の木を江南の処処に栽えたのだろう。
梅花が咲くと雪が山を真っ白にしたように見え、袁安の故事から高士が梅花の雪中に臥しているように思われる。
月明らかな時には趙師雄が樹下に芳香の美人と共に酒を酌み,醒めれば梅花の大樹下に横たわっていたという故事を思って梅花を見る。
寒中に竹は蕭蕭として梅枝の疎影により添い、春 吊残の香が一面の苔を被っている。
梅花を賞賛した何孫が去って以来、梅に就いての好い歌は生まれない。
ただ東風は年ごとに愁いを帯びて吹くばかり、梅の花は何回咲き、また散ったであろう。
※高啓(こう けい、1336~1374年):中国・明代初期の詩人。字は季廸(きてき)、号は青邱(せいきゅう)。江蘇省蘇州の出身。明の詩人では最も才能に恵まれ、この世のあらゆる対象を約2000首の詩に表した。詩の意味は平明、表現は淡泊であるが、夭折のため独自の風格を示していない。日本では江戸時代と明治時代を通じて愛唱された。著に『高太史大全集』18巻、『高太史鳧藻(ふそう)集』5巻、『扣舷集(こうげんしゅう)』1巻がある。「青丘子歌」には自己の文学論が述べられており、森鴎外に文語調の訳詩がある。
※何郎: 何遜(かそん、518没)のこと 南朝梁の鄙(たん)の人で梅を好んだ 「郎」は男子 青年 わかもの
ここのところ、早朝の徘徊は冷え込みがひどいので、朝食後にしています。
早や今年も2月。11月頃から、隅田川の遊歩道を彩る草木が少ない中、山茶花(さざんか)の艶やかな花が眼を楽しませてくれていましたが、これも終わりに近づいたと見えて花の数もめっきり減ってきたようです。山茶花は、花の無い時期に咲く貴重なツバキ科ツバキ属の耐寒性常緑高木です。 花の色には桃色、赤、白等がありますが、同属同科の椿 (ツバキ)と似ており、見分け方が難しいようです。 山茶花は、葉の縁がギザギザしており、花弁がバラバラに散るので、地面に落ちた花びらで確認するのも一つの方法です。山茶花も、椿と同様に、実がなり、油も採取されます。
天保期の俳人成田蒼虬(なりたそうきゅう)の句に、「山茶花を椿ときくも草枕」というのがあります。
冬の旅にでかけた蒼虬宗匠は、とある町を散策していたところ、真っ赤な花を咲かせる垣根の横にさしかかります。通りすがりの人の声が聞こえてきました。「きれいな椿が咲いている。寒椿だな」宗匠が見ると葉は縁がぎざぎざとして、落ちた花びらはバラバラと散っています。「これは椿じゃありませんよ。さざんかですよ」と教えてやりたいのだが、(まぁ、せっかく風情を感じておられるのに、口出しすることもなかろう。これも旅の思い出、黙ってることにするか…) とはいえ、どこか気になって仕様がない。……というような場面が想像できます。
台東区立台東病院は旧東京都立吉原病院で、1911年2月1日、娼妓の治療をなすため、警視庁が吉原遊廓ほか5カ所に警視庁病院を設けたのが始まりです。これは明治43年勅令第310号「風俗上取締を要する稼業を為す者及行政執行法第3条の患者の治療施設に関する件」に根拠を有するもので、警視庁は「警視庁病院設置の件」を公布しました。1942年に東京府に経営移管され、1980年に台東病院と台東産院が合併、のちにスポーツ整形外科を新設したそうです。1996年に休止しましたが、二次医療圏における病床数が過剰であるため増床は見込めず、「旧都立台東病院あり方検討委員会」では、東京都保健医療公社による運営を考えるべきだとの答申が出されましたが、8年後の2004年3月に廃止となりました。跡地は台東区が取得し、2009年に東京都台東区立台東病院が建設されたのです。台東区は指定管理者制度を導入し、経営・運営を100%地域医療振興協会にゆだねているということです。
皆さんご存知の通り、吉原(よしわら)は、江戸時代に江戸郊外に作られた、公許の遊女屋が集まる遊廓(吉原遊廓)、およびその地域の名であります。現在の東京都台東区千束四丁目、および三丁目の一部にあたります。
江戸幕府開設間もない1617年、日本橋葺屋町(現在の日本橋人形町)に遊廓が許可され、幕府公認の吉原遊廓が誕生しました。「吉原」の語源は遊廓の開拓者・庄司甚内の出身地が東海道の宿場・吉原宿出身であったためという説と、葦の生い茂る低湿地を開拓して築かれたためという説があります(葦=悪しに通じるのを忌んで、吉と付けたといいます)。いずれにせよ、徳川家康の隠居地である駿府城城下に大御所家康公認の公娼があり、そこに七カ丁もの広大な面積を誇る遊郭があったのですが、吉原はその内五か丁を大御所家康亡き後に駿府から移したのが始まりであるといいます。庄司甚内へ5か条の許可の条件が示されましたが、徳川幕府は遊興にふけり犯罪を犯す者、浪人悪党の逮捕を考慮したものといわれています。
※庄司甚内(1575~1644年):江戸前期の町人で、通称は甚右衛門で、初め甚内といったそうです。もと小田原北条家の家臣で、主家没落後江戸に出て道三河岸で妓楼を営んだといいますが、出自には異説もあります。元和3(1617)年吉原開設とともに惣名主となり、江戸町1丁目で妓楼西田屋を営み,「おやじ」と呼ばれたそうです。子孫は代々名主職を継ぎ、同地で妓楼を経営しました。
明暦の大火(1657年)で日本橋の吉原遊廓も焼失。幕府開設の頃とは比較にならないほど周囲の市街化が進んでいたことから、浅草田圃に移転を命じられた。以前の日本橋の方を元吉原、浅草の方は正式には新吉原(略して吉原)と呼ぶ。
周囲にお歯黒溝(どぶ)と呼ばれる大溝があり、新吉原初期の頃には幅5間(約9m)、江戸末期から明治初期には縮小され幅2間(約3.6m)、明治36年頃には3尺(約90cm)程の堀が巡らされ、出入口は正面を山谷堀沿い日本堤側のみと、外界から隔絶されていました。遊女には花魁(おいらん)・新造・禿(かむろ)などの身分があり、店にも茶屋を通さないと上がれない格式ある総籬(そうまがき:大店)から、路地裏にある小店までの序列があったそうです。
大店は社交場としての機能もあり、大名や文化人も集まるサロン的な役割を果たしたこともあります。一流の遊女は和歌や茶道など教養を身に付けており、初めて上がった客と一緒に寝ることはなく、2度目の登楼で裏を返し、3度目で馴染みになり、ようやく枕を交わすことができるようになったといいます。遊女や吉原風俗は浮世絵や黄表紙・洒落本等の題材にもなりました。吉原が女性を前借金で縛る人身売買の場所であったことは疑いもありませんが、文化の発信地という側面も持っていたのです。
今日は台東病院のヘルペス(帯状疱疹)の検診日。朝一で、診察を受けました。
通院は今日で終了とのことで、2週間分の飲み薬を貰って帰宅しました。塗り薬は以後使用しなくても自然に治るとのことでした。
最近のウェブニュースより転写します。
細川陣営 都知事選の大逆転に向けた秘策は「東京電力解体」―― 2月9日の東京都知事選投開票に向けて首都決戦が盛り上がっている。知事選の選挙期間は17日間と長い。細川護熙元首相を担ぐ小泉純一郎元首相の狙いは無党派層を大きく動かすことに向けられており、2月3日からの選挙最終週に、大逆転に向けた秘策を繰り出す戦略を練っている。そのひとつが、「原発即時ゼロ」に対する「抵抗勢力」東京電力の解体である。/「千葉にメガソーラー発電所、東京臨海部に画期的に低コストのガス火力発電所建設を打ち出す。もともと東京都には自前の発電所建設構想があったが、日本のメーカーは東電の支配下にあるから、高い見積もりになっている。/そこで、海外メーカーからの機材調達でコストを大幅に引き下げ、東電支配を打破すれば、原発ゼロでも電力コストを下げることができることを、具体的な数字を交えて示す。そのうえで都民に高い電気代を払わせている元凶の東電は分割・解体すべきだと掲げる」(細川選対関係者)
細川陣営は、告示前後から、すでにブレーンを欧米に派遣し、海外メーカーとの交渉に当たらせている。/ 東電=原子力ムラに「抵抗勢力」とレッテル張りをするのは、小泉氏が郵政民営化で反対派を抵抗勢力と呼んだのと同じ手法だ。/細川氏の対抗馬の舛添要一元厚労相は、東京電力労組出身の大野博・連合東京会長と政策協定を交わし、電力総連などの支援を受けて戦っている。細川氏の東電解体論は、舛添氏への強烈なカウンターパンチになる。 〔※週刊ポスト2014年2月7日号 2014.01.28 07:00〕
昨日メールを開いてみると横浜のIN氏よりメールが入っていました。曰く、
日高節夫様/ご無沙汰しております。毎日寒いね。寒さに負けないで、毎朝、元気に散歩をしているのかい。君の根気強さは、老いてなお少しも衰えることがないね。/継続は力なりだね。/さて、一方私は、三日坊主の典型で、なにごとも長続きしない。/最近は、なにかを思いついても、もう一人の私が「また、思いつきで始めても、三日坊主で長続きしやしないから、止めといたら?」と己の心が囁いて、自分で動こうとしなくなるのがおかしいね。外資系の生命保険のテレビCMに白鳥と黒鳥が出てきて、保険にはいるか、はいらないかを主張するのを見ると、私のやる気を笑われているように思えるよ。/新しいパソコンの飼いならしもそんなふうですよ。/古いパソコンの方が、手に慣れていて使いやすいけど、新しいのに慣れなきゃしようがないよね。/そんな毎日です。歌舞伎座もこう寒くっちゃ、行く気がしない。/どうぞ、君は風邪を引かないように、朝の散歩もほどほどにしてくださいね。/最近、ご無沙汰しておりますので、ちょっとだけお詫びのメールで、ご機嫌伺いまで…。 (1月27日16:54)
メールを読んでいるところで、IN氏から電話が入りました。私が新設したPCでもたつき返事を出せなかったので心配しての電話でした。
今日、病院から帰宅してPCを立ち上げたところ、IN氏からメールが入っていました。曰く、
元気な声を聞かせてくれてありがとう:日高節夫様/元気な声を聞かせてくれてありがとう。やはり信用できる友達と話すのがいちばん安心する。/臣さんは、旧正月で大連に帰っているのかもしれないね。/昨日のBSフジの番組で久々に、いまは川崎市立の研究所にいる君の兼愛塾のお医者さんを見た。/君のヘルペスも快方に向かっている由で本当によかったね。あれは話に聞くと、相当に痛いらしいから心配していたよ。/それに比べると、わたしの食欲不振なんかは阿呆みたいな病気だが、とにかく医者に行かないと家内がうるさい。/まあ、いまの朝ドラの主人公のお舅さんみたいに、うまいものを食って、寝てる間にこと切れるというような死に方はなかなかできないものだね。/まあ元気に生きられるだけ生きようぜ。 1月29日 15:38出来れば今までのWindows XPと操作が大きく変わらないものがほしいので、知り合い数人に問い合わせたところ、どうやらが操作上Windows XPとあまり違わないということらしい。
例によって私のパソコンの先生MN氏に相談して、手頃なものを見繕って購入してもらうことにした。忙しい仕事の合間をぬってのことなので、2月に入っても構わないと言って置いたのですが、1月25日(土)にWindows7 搭載のPC Diginnosをもって来訪し、ほぼ1日がかりで接続し立ち上げてくれました。
はてさて、翌日の日曜日にブログの書き込み使用としたのですが、今までインターネットのお気に入りから導入していたのですが、はてさて今までのPCのお気に入りが見当たらない。MN氏に連絡すると、日曜出勤でいないということなので、別の方法で何とか忍者ブログを探し出しどうやら管理ページに到達することはできたのですが、記事の書き込みまでは出来ず、その日のブログ書き込みは諦める事にしました。
夜、MN氏から電話があり、会社から帰宅したばかりなのに、我が家に駆けつけてくれました。前のPCから「お気に入り」の項目を拾い出し、新しいパソコンに移してくれました。
という次第で、27日(月)にやっとブログの再開が出来たのです。sechin@nethome.ne.jp です。
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