昨日は、一の酉でしたが、立冬でもありました。
立冬とは二十四節気の1つで、「冬の始まり」を意味します。「立」は中国語で「始まる」という意味です。太陽の位置を表す黄経で225度の時を言い、新暦では11月7日~8日ごろで年によって変わります。冬の最初の節気になります。
二十四節気とは古代中国で作られた暦で、日本では平安時代から使われています。上の図のように1年を24等分し、それぞれに名前を付けたものです。
二十四節気は太陽の運行に基づいており、1年で最も昼の長い日を夏至、1年で最も昼の短い日を冬至、昼と夜の長さが同じ日を春分・秋分、この4つを春・夏・秋・冬の中心として決めた暦です。この4つの節気は合わせて「二至二分にしにぶん」と呼ばれています。
冬の節気は立冬、小雪、大雪、冬至、小寒、大寒となっており、立冬は冬の最初の節気です。
また、立春・立夏・立秋・立冬の4つを「四立(しりゅう)」と言い、それぞれ春夏秋冬の始まりの日として重要な節気となっています。
二十四節気のそれぞれの節気には、その日1日を意味する場合と、次の節気までの期間を意味する場合があります。
1日を 2019年の立冬であれば、以下のようになります。
・日付としての2019年の立冬は11月7日。
・期間としての2019年の立冬は11月7日~11月21日まで。
「二十四節気」は、古代中国で作られた農事を指導するために作られた暦で、春秋戦国時代(BC.770~BC.221)黄河流域で作られたと言われます。中国では暦として月の運行に基づいた「太陰暦」が使われていましたが、これですと実際の季節とズレが生まれてしまうため、太陽の運行の軌跡を24等分した「二十四節気」や、それをさらに約5日ごとに分割した「七十二候」が作られました。このようにして季節の変化をきめ細かくとらえて農事に生かしたのです。
ウェブニュースより
藤井聡太七段が阿部隆八段を撃破 決勝T残り2勝 ―― 将棋の最年少プロ、藤井聡太七段(17)が8日、大阪市の関西将棋会館で指された第91期棋聖戦2次予選で阿部隆八段(52)を破り、決勝トーナメント(T)進出まであと2勝に迫った。
藤井は中盤からリードを広げ、落ち着いた指し回しで白星をたぐり寄せた。「序盤は手厚い形になったが、少しゆっくり指しすぎて、仕掛けのタイミングを逃してしまった。あまり自信がなかった」と振り返った。それでも「粘り強く指すことができた」と話した。
順位戦でA級に所属したこともある阿部は「序盤、中盤と苦しかった」と完敗を認めた。
https://www.youtube.com/watch?v=pXaqN6WBSmk
決勝Tまであと2勝に迫り、藤井は「棋聖戦ではまだ決勝Tに進んだことがない。そこを目指してがんばりたい」と意気込んだ。
現在、藤井は第69期王将戦挑戦者決定リーグで通算成績3勝1敗。4勝1敗で暫定単独トップに立つ広瀬章人竜王を追っている。14日に久保利明九段、19日の最終戦で広瀬と対戦する。連勝すれば、タイトル挑戦確定となり、屋敷伸之九段が持つ最年少タイトル挑戦記録(17歳10カ月)を更新する。「残り2局、全力を尽くしたい」と話した。 [日刊スポーツ 2019年11月8日19時20分]
今日は、一の酉です。「酉の市」の由来などについて調べてみました。
酉の市で有名な東京浅草の「鷲神社」。
酉の市の発祥には諸説ありますがこの鷲神社の社伝によると
「天照大御神が天之岩戸にお隠れになり、天宇受売命(あめのうずめのみこと)が岩戸の前で舞われた折、弦という楽器を司った神様がおられ、天手力男命(あめのたじからおのみこと)が天之岩戸をお開きになった時、その弦の先に鷲がとまったので、神様達は世を明るくする瑞象を現した鳥だとお喜びになり、以後、この神様は鷲の一字を入れて鷲大明神、天日鷲命と称されるようになりました。
天日鷲命は諸国の土地を開き、開運、殖産、商売繁盛に御神徳の高い神様としてこの地にお祀りされました。」
とあり、ここが鷲神社と呼ばれる由縁が分かるようになっています。
酉の市の起源としては「日本武尊(ヤマトタケル)が東夷征討の際、社に立ち寄られ戦勝を祈願し、志を遂げての帰途、社前の松に武具の「熊手」をかけて勝ち戦を祝い、お礼参りをされました。
その日が11月の酉の日であったので、この日を鷲神社例祭日と定めたのが酉の祭、「酉の市」です。
この故事により日本武尊が併せ祭られ、御祭神の一柱となりました。」とあります。
一方で仏教の説では、浅草にある鷲在山長國寺が「酉の市」発祥の寺として知られています。
「鎌倉時代日蓮大聖人が上総国鷲巣の小早川家に滞在していた折、国家平穏を祈っていたところ、にわかに明星(金星)が動き出し不思議な力をもってして現れ出でたと伝わるのが鷲妙見大菩薩です。
それは11月酉の日のことでした。
七曜の冠を戴き、宝剣をかざして鷲の背に立つ姿から「鷲大明神」とか「おとりさま」と呼ばれ、開運招福の守り本尊として親しまれています。」と記されています。
この鷲妙見大菩薩が長國寺に安置され、11月の酉の日に開帳されるようになったのが「酉の市」の始まりと言われています。
酉の市は江戸時代、足立区花畑にある大鷲神社近隣に住む農家の収穫祭が始まりであったとも言われています。
境内では収穫物や農具、古着などが売られていました。
当時の参詣人は神社に鶏を献納し、祭りが終わるとその鶏を浅草観音堂前に放つのが慣わしとなっていました。
この大鷲神社と千住の勝専寺、そして浅草の長國寺と鷲神社の酉の市がとても盛大だったそうです。
現在は鷲神社、新宿の花園神社、府中の大國魂神社が「関東三大酉の市」として知られています。
酉の市と言えば「熊手」をイメージする人も多いでしょう。酉の市を開催する神社や寺では、小さい竹の熊手に稲穂やお札を付けた「熊手守り」が授与されます。この熊手守りは「運をかきこむ」「福を掃きこむ」という意味合いから「かっこめ」とも呼ばれ、江戸時代から伝わる酉の市には欠かせない大切な縁起物です。
日本武尊が当時武具であった熊手を社前の松にかけて勝利を祝ったことが始まりとされていますが、現在では開運や商売繁盛のお守り・縁起物として売られています。
境内の縁日に、露店で鍬や鋤などの農具と一緒に熊手も売られていたことがきっかけとされ、その後おまけとしておかめなどが付いて来るようになり、現在の飾りがついた縁起熊手へと変化してきました。
酉の市で売られる熊手には、おかめのお面や小判、稲穂、俵、お札、宝船、招き猫、鯛など様々な縁起物や、その年の流行を取り入れた飾りなど大小様々な物があります。
熊手は鷲が獲物をわしづかみにする爪の形に似ていることから、「福や徳をわしづかみにする」という意味合いが込められているとも言われています。
熊手のほかにも江戸時代には次のような縁起物がありました。
「唐の芋」 「黄金飴」 「切山椒」
桔梗
・桔梗(ききょう)科。
・学名
Platycodon grandiflorum
Platycodon : キキョウ属
grandiflorum : 大きい花の
Platycodon(プラティコドン)はギリシャ語の「platys(広い)+ codon(鐘)」が語源。花の形に由来。
・開花時期は、 6/10 ~ 8/10頃。夏の花ですが、「秋の七草」のひとつに数えられています。
・漢名の「桔梗」を音読みしたら「ききょう」となります。
・色は紫または白。ピンク色のものもあります。
・「桔梗(ききょう)色」■
・開花直前の丸くふくらんだ状態がおもしろい。これは、開花前には花びらが互いのふちでくっついたまま膨れていくために、ぼみのときは風船のようにふっくらして見える、ということらしい。プチュッとつまむと水がはじけ出ます。
・薬効 せきどめ、去痰 薬用部位 根 生薬名 「桔梗根」
また、この薬用成分のサポニンというものは昆虫にとっては有毒なため、昆虫からの食害から自らを守っています。(キキョウサポニンと呼ばれる)
・昔から武士に好まれたようで、家紋に取り入れられたり、江戸城には「ききょうの間」や「桔梗門」の名前があります。
・万葉集に出てくる「あさがお」は、この桔梗のことだろうといわれています。
・平安時代の辞書には「阿利乃比布岐(ありのひふき)」として載っています。
→ 「蟻(アリ)の火吹き」蟻が桔梗の花びらをかむと、蟻の口から蟻酸が出て、桔梗の花の色素アントシアンという成分を変色させるために、紫の花の色が赤く変わります。(蟻が火を吹いたように見える)
・「桔梗」は「きちこう」とも読みます。
・「桔梗の花 咲く時ぽんと 言ひそうな」 加賀千代女
・「朝顔は 朝露負(お)ひて 咲くといへど
夕影にこそ 咲きまさりけれ」
万葉集巻十 2104 作者不詳
(朝顔はその名のように朝露を浴びて咲くものだと聞いていたが、夕方の淡い光の中でこそ、ひときわ見事に咲きにおうものであった。名とは違って、夕方の朝顔の見事さに気づいた興趣を歌ったものです。)
※(朝顔=桔梗)
藤袴
・菊(きく)科。
・学名 Eupatorium fortunei
Eupatorium : フジバカマ属
fortunei : 植物採集家の「ロバート・フォーチュン」の名前にちなみます。
Eupatorium
(ユーパトリアム)は、紀元前1世紀の小アジア地方の「ユーパトール王」の名前にちなんだものといいます。「ユーパトール王」は、フジバカマ属の植物を薬用にしていたらしいのです。
・開花時期は、10/ 1 ~ 11/25頃。小さいピンク色の花がたくさん咲きます。
・花の色が藤(ふじ)色で、花弁の形が袴(はかま)のようであることから、この名前になったといいます。
・全体に桜餅のような香りがします。
・平安時代の女性は、これを干した茎や葉っぱを水につけて髪を洗ったといいます。
・また、防虫剤、芳香剤、お茶などにも利用しました。
・葉が3深裂するのが特徴。ほとんど別の葉っぱのように見えて、元は一つの葉っぱです。
・薬効 神経痛(入浴剤にする) 薬用部位 つぼみがついた全草
生薬名 「蘭草(らんそう)」といいます。
・「藤袴 きて脱ぎかけし 主や誰
問へどこたへず 野辺(のべ)の秋風」
金槐和歌集 源実朝
ウェブニュースより
藤井七段「中盤からペース握れた」鋭い攻めで6連勝 ―― 将棋の最年少プロ、藤井聡太七段(17)が5日、大阪市の関西将棋会館で指された第78期名人戦順位戦C級1組6回戦で青島未来五段(24)を95手で破り、開幕から無傷の6連勝とした。各10局を戦う順位戦C級1組は今期36人が参加し、上位2人がB級2組へ昇級する。青島は藤井戦を迎えるまで4勝1敗。今期の昇級のヤマ場で若手実力者に完勝した。
終盤に入り、容赦なく相手を追いつめた。威風堂々…。次々に鋭い攻めを繰り出した藤井は「序盤は少し自信がなかったが、中盤からペースを握れた」と振り返った。
https://www.youtube.com/watch?v=YcmE8sBZY1Y
順位戦は最上位のA級からC級2組までの5クラスに分かれて戦い、A級の優勝者が名人挑戦者となる。昇級には9勝1敗、10戦全勝の好成績が必要になる。谷川浩司九段が持つ名人獲得の史上最年少記録は21歳2カ月。これを更新するには、今後の順位戦をすべて1期で昇級する必要がある。今期の大きなヤマ場を乗り越え、残り4局は昇級戦線に絡まない棋士との対戦となる。
さらに屋敷伸之九段が持つ最年少タイトル挑戦記録(17歳10カ月)、獲得(18歳6カ月)の更新の期待も高まる。現在、藤井は第69期王将戦挑戦者決定リーグで通算成績3勝1敗。4勝1敗で暫定単独トップに立つ広瀬章人竜王を追っている。同リーグで藤井は11月14日に久保利明九段、同19日の最終戦で広瀬と対戦する。「周りの結果は気にせずに、自分の対局に全力を尽くしたい」。高校生プロが初タイトル挑戦へ弾みをつけた。
[日刊スポーツ 2019年11月5日22時5分]
女郎花
・女郎花(おみなえし)科。
・学名 Patrinia scabiosaefolia
Patrinia : オミナエシ属
scabiosaefolia :マツムシソウ属のような葉のPatrinia(パトリニア)は、18世紀のフランスの鉱山学者「Patrin」の名前にちなみます。
・開花時期は、 7/ 5 ~ 10/10頃。「秋の七草」ですが、夏頃から咲いています。
・黄色い清楚な5弁花。山野に生えています。
・「おみな」は「女」の意、「えし」は古語の「へし(圧)」で、美女を圧倒する美しさから名づけられました。
また、もち米でたくごはん(おこわ)のことを「男飯」といったのに対し、「粟(あわ)ごはん」のことを「女飯」といっていましたが、花が粟つぶのように黄色くつぶつぶしていることから 「女飯」→「おみなめし」→「おみなえし」 となった、との説もあります。
・漢字で「女郎花」と書くようになったのは平安時代のなかば頃から、と言われている。
・薬効 消炎、利尿 薬用部位:全草、根
生薬名:「敗醤草(はいしょうそう)、敗醤根(はいしょうこん)」
・「男郎花(おとこえし)」という花もあり、こちらは白い花です。形はそっくりですが女郎花より「力強く」見えるとのことです。
・別名:「粟花」(あわばな)、黄色い花が粟に似ているから。「思い草」(おもいぐさ)。
・「手にとれば 袖さへ匂ふ 女郎花
この白露に 散らまく惜しも」
万葉集巻十 2115 作者不詳
(手に取れば袖にさえ染まりそうな女郎花が、この白露に散ってしまうのは惜しいことです。)
「女郎花 秋萩凌ぎ さを鹿の
露分け鳴かむ 高円(たかまど)の野そ」
万葉集巻二十 4297 大伴家持
(ここ高円の野は一面のおみなえしや秋萩。そのような中を、雄鹿が白露をいっぱい置いた花々を踏み分け、やがて鳴きたてることであろう)
「さを鹿の 己が棲む野の 女郎花
花にあかずと 音をや鳴くらむ」
金槐和歌集 源実朝
「ひょろひょろと 猶(なお)露けしや 女郎花」 松尾芭蕉
『更科紀行真蹟草稿』では、「ひよろひよろと転けて露けし女郎花」
福岡在住の N doctor からメールで宮島の弥山七不思議の写真が送られてきました。
いずれこの弥山七不思議についても詳しく調べてみようと思います。
ウェブニュースより
東海大16年ぶり2度目のV、エース4人欠場も力走 ―― <全日本大学駅伝>◇3日◇熱田神宮西門前~伊勢神宮内宮宇治橋前(8区間106・8キロ)
東海大が5時間13分15秒で16年ぶり2度目の優勝を果たした。連覇を目指す箱根駅伝へ弾みを付けた。
最長区間19・7キロのアンカー勝負で、3年生の名取燎太(3年)が快走。4・5キロ付近で競り合う青学大・飯田貴之(2年)を逆転し、そのままの勢いでフィニッシュテープを切った。
最強世代が最上級生になった。その中で流れを呼び込んだのは3年生と2年生だった。4区(11・8キロ)では先頭を走る東洋大と39秒差の3番手でたすきを受けた西田壮志(3年)が33分54の区間新記録。東洋大と26秒差に詰める2位に浮上した。
5区(12・4キロ)では2年生の市村朋樹(2年)がトップに浮上した。36秒43は区間順位7位だったが、東洋大の失速もあって、首位に。流れを呼び込んだ。7区の松尾淳之介(4年)が本来の走りができず、先頭を青学大・吉田圭太に譲ったが、2秒差と食らいつき、最終8区の逆転へ流れをつくった。総合力の高さが光った。
東海大はジャカルタ・アジア大会1500メートル代表の館沢亨次、鬼塚翔太、関颯人、阪口竜平と最強世代と呼ばれるゆえんだった選手が本調子でなく、出場できなかった。戦力は完全に整っていない状態の中でも層の厚さを見せつけ、大混戦の争いを制した。両角監督は「2年連続2位。今年こそはと思って臨んだ。4年生、次の世代の3年生も頑張った」と笑顔を見せ、来年1月の箱根駅伝連覇へ手応えをつかんでいた。
[日刊スポーツ 2019年11月3日14時19分]
ウェブニュースより
「文化の日」を「明治の日」にする動き、狙いは ―― 11月3日の「文化の日」を「明治の日」にすることをめざす運動が10年を超えて続いている。10月30日には祝日法の改正を実現しようという集会が、東京・永田町であった。明治維新から150年となった昨年までには実現しなかったものの、国会議員連盟は法案提出を急ぐ。こうした動きに、「戦前回帰」の政治的意図が隠されていると警戒する声も上がる。
運動の中心は「明治の日推進協議会」(会長・塚本三郎元民社党委員長)。30日の集会では、100万人の署名を国会議連の古屋圭司会長に手渡した。
古屋氏は「『復古調』とか一部メディアに言われることがないようにしたい。改正実現に向け、昭和の日制定運動にならって、自民党以外の他党にも運動を広げていきたい」などと述べた。
推進協議会は、昭和天皇の誕生日だった4月29日を「みどりの日」から「昭和の日」へ改めた人々が中心。2005年の昭和の日制定の後、しばらくして活動を始めた。戦前の「明治節」にちなんで11月3日を「明治の日」に改めることをめざしている。
明治節は大正末期から昭和初期、明治天皇の功績を後世に伝えようと、国民運動の高まりの中で実現した祝日だ。主唱者は戦時下の海外進出を正当化したスローガン「八紘一宇(はっこういちう)」を造語した新宗教「国柱会(こくちゅうかい)」指導者の田中智学(ちがく)だった。その縁で、明治の日運動にも、田中の流れをくむ人々が数多く合流している。
■「日本回復」の目標
そもそも戦後の保守陣営にとって、占領期に消えた祝日の復活は「日本回復」の大目標だった。神武天皇が即位した日とされる紀元節の復活運動は全国で繰り広げられ、明治100年の前々年、紀元節だった2月11日を「建国記念の日」とすることが決まった。
初めての祝典は1967年。当時の佐藤栄作首相はその日の日記にこう記している。「復活紀元節第一回。名も代(変)わって『建国記念の日』となり」
■推進側にも消極論
戦前は一目瞭然だが、現在の祝日も、建国記念の日に限らず、皇室祭祀(さいし)と重なる日程のものが少なくない。「春分(秋分)の日」は「春季(秋季)皇霊祭」、「勤労感謝の日」は「新嘗祭(にいなめさい)」だ。
「暦は人心への影響が大きい」。そう話す島薗進・東大名誉教授(宗教学)によると、天皇崇敬を鼓舞するため、戦前、天皇崇敬と不可分の様々な祝祭日が作られたと歴史を振り返る。
戦後になっても、建国記念の日、元号法、昭和の日、明治の日へと動きが続いた。「一連の運動は、戦前のような社会に戻したいという流れの一つだろう」と指摘する。
一方、推進側が「祝日正常化運動」とも呼ぶ息の長い取り組みは、明治の日だけでも10年を超えた。世論喚起の絶好の機会と期待した「明治150年」はさほど盛り上がらず、保守系団体「日本会議」の中にも、「憲法改正に専念すべき時期だ」と消極論がくすぶる。
そんな中、推進協議会の副会長に日本会議の田久保忠衛会長が就き、日本会議のメンバーへの影響力に期待が集まっている。来年は明治神宮創建100年にあたるという。運動の熱は高まるのか。 (朝日新聞DIGITAL 2019年11月2日05時00分)
撫子
・撫子(なでしこ)科。
・学名 Dianthus superbus var. longicalycinus (河原撫子)
Dianthus : ナデシコ属 superbus : 気高い、堂々とした
Dianthus(ダイアンサス)は、ギリシャ語の「Dios(ギリシャ神話の神、ジュピター)+ anthos(花)」が語源で、”ジュピターの花”の意味。
・6月頃から8月頃にかけて開花。
・ピンク色の可憐な花。縁がこまかく切れ込んでいます。
我が子を撫(な)でるようにかわいい花であるところからこの名前に。
・この撫子を代表とする、ダイアンサスの花には英名で「ピンク pink」の名前があり、「輝く目」の意味があります。ピンクという色の語源はこの花にあるようです。
・早咲きと遅咲きがあります。
・よく見られるのは「河原撫子」。河原に生えるとも限らないが、なぜか、この名前。野、山、高原どこででも見かけます。どちらかというと日当たりのよい草原でよくみかけます。
・中国から平安時代に渡来した、「唐撫子(からなでしこ:石竹)」に対して、在来種を「大和撫子(やまとなでしこ)」と呼びます。日本女性の美称によく使われます。
・薬効 膀胱炎、むくみ
薬用部位 河原撫子のタネ
生薬名 「瞿麦子(くばくし)」
・秋の七草のひとつ。
「野辺見れば 撫子の花 咲きにけり
わが待つ秋は 近づくらしも」
万葉集巻十 1972 作者不詳
(見ると野辺に撫子の花が咲いた。待ち望んだ秋が近づいているらしいな)
「秋さらば 見つつ偲へと 妹(いも)が植えし
屋戸の撫子 咲きにけるかも」
万葉集巻三 464 大伴家持
(秋になったら、この花を見てはわたしのことをなつかしく思って下さいねと言っていたいとしいあのひとが植えたわが庭のなでしこの花がもう咲きだしたことよ。)
「わが屋戸に まきし撫子 いつしかも
花に咲きなむ なそへつつ見む」
万葉集巻八 1443 大伴家持
(わたしの庭先にナデシコの種を蒔いたが、いつ頃咲くだろう。花が咲いたら、その花を美しいあなただと思って毎日眺めていたいのに…….早く咲いてくれないかなあ.)
「久方の 雨は降りしく 撫子が
いや初花に 恋しきわが背」
万葉集巻二十 4443 大伴家持
(空からの雨は降り続きます だけど 咲いたばかりの撫子のように 恋しい 貴女です)
「うら恋し わが背の君は 撫子が
花にもがもな 朝な朝(さ)な見む」
万葉集巻十七 4010 大伴池主
(心から慕わしいあなた様がなでしこの花でしたらいいのに。(そしたら)毎朝見ましょう。)
「草の花は、なでしこ。唐のはさらなり、大和のもいとめでたし」
枕草子 64段 清少納言
「ゆかしくば 行きても見ませ 雪島の
巌に生ふる 撫子の花」
金槐和歌集 源実朝
「御地蔵や 花なでしこの 真中に」 小林一茶
ウェブニュースより
マラソン札幌移転でどうなる風物詩のビアガーデン? 中止危機に反対署名もスタート ―― 20年東京五輪のマラソン・競歩会場の札幌への移転を協議する国際オリンピック委員会(IOC)調整委員会は最終日を迎え、IOCのジョン・コーツ調整委員長、組織委の森喜朗会長、小池百合子都知事、スポーツ庁の橋本聖子五輪相による4者会議が1日、都内で行われ、札幌移転が正式に決定した。事前協議なしに強行移転を決めたIOC、受け入れた組織委に反発を強めていた小池知事は、最後まで同意はせず「合意なき決定であります」と、表明。開催都市の首長の同意がないまま、競技会場が変更されるという前代未聞の決定となった。
移転先となる札幌の反応もさまざまだ。7、8月の北海道は観光シーズン。特に北海道マラソンと同じ大通り公園発着が有力視されるようになって、ネット上を中心に懸念の声が上がっているのが、同時期に同公園で毎年大規模に開催されている「さっぽろ大通りビアガーデン」について。今年は7月19日から8月16日までの開催で、同時期に開催されるとすれば、東京五輪(7月24日~8月9日)とまるかぶり。大通り案が採用されれば、中止を要請される可能性は否定できない。
オンライン署名サイト「change.Org」では、大通り案が報じられてから「東京五輪におけるマラソンおよび競歩 札幌市での開催に反対します」で署名が開始されている。発信者は宛先をIOCとして「JOCおよび東京都の判断も鑑みずに、『札幌市での開催を』と主張するIOCに抗議いたします」と、呼びかけている。 (2019年11月1日 18時37分 デイリースポーツ)
葛花 (裏見草(うらみぐさ)) (Arrow root)
・豆(まめ)科。
・学名
Pueraria lobata Pueraria : クズ属 lobata : 浅裂した
Pueraria(プエラリア)は、19世紀のスイスの植物学者Puerariの名前にちなむといいます。
・まわりの木々をつるでおおってしまう程の生命力。ひと夏で10mぐらい生長する。花は下の方から咲いていく。
・大和の国(奈良県)の国栖(くず)というところが葛粉の産地であったところからの命名です。漢字の「葛」は漢名から。
・つるの繊維部分は「葛布(くずふ)」の原料となります。(静岡県掛川市特産)
・根には、多量のでんぷんを含み、葛粉(くずこ)もとれる。 → 葛餅(くずもち)
・薬効 解熱、せきどめ、風邪
薬用部位 根 生薬名は「葛根(かっこん)」
・別名
「裏見草(うらみぐさ)」。葉が風にひるがえると裏の白さが目立つことから。
平安時代には「裏見」を「恨み」に掛けた和歌も多く詠まれた。
・秋風の 吹き裏返す 葛の葉の
うらみてもなほ うらめしきかな
古今集巻十五 恋 823 平貞文
(秋の風が吹きつけて、裏返した葛の葉。その裏返った葉を見ても――どれだけ恨みに思っても、なおあなたのことが恨めしいのだ。)
・ま葛原 なびく秋風 吹くごとに
阿太(あた)の大野の 萩の花散る
万葉集巻十2096 作者不詳
(葛が生い茂る原に秋風が吹くたびに、阿太の大野の萩の花が散っていく。)
※五條市の国道37号線の伊勢街道沿いに、西阿田町と東阿田町がある。阿太の大野はこのあたりではないだろうか。
・梨棗 黍に粟嗣ぎ 延(は)ふ葛の
後(のち)も逢はむと 葵花咲く
万葉集巻十六3834 作者不詳
(梨、棗と続くように、あなたに会いたい。葛のつるが別れてまたつながるように、またあなたに会いたい。あなたに逢う日は花咲くようにうれしい。)
※この歌は一つの言葉に音の似た複数の意味が掛けられた掛詞を用いています。
梨棗(リソウ) ⇒ 離早(リソウ、早々に離れた)
梨棗 ⇒ 離早(愛している人と離れている)※中国の古典より
黍(キビ)に粟つぎ ⇒ 君に逢わずに
延(は)ふ葛の後も逢はむと ⇒ 一度離れた葛の蔦が再び出会うように
梨棗黍に粟つぎ延ふ葛の ⇒ 次々と作物が実りを迎えるように
梨棗黍に粟つぎ延ふ葛の後も逢わんと ⇒(これらの作物が実り)季節が廻った後に逢いましょう
葵(アオイ)花咲く ⇒ 逢う日は(花が咲くように)嬉しい
・葛の風 吹き返したる 裏葉かな 高浜虚子
・葛葉稲荷神社
「葛の葉伝説」にまつわる狐が祀られている神社です。千年余り前、大阪の阿倍野の里に阿倍保名(あべやすな)という男が住んでいました。豪族だった父がだまされて所領を没収されたため、保名は家の再興を願い、信太明神に日参していました。ある日、保名が狩人に追われた白狐を助けたところ、葛の葉と名乗る女性が現れます。やがて保名と葛の葉の間には童子丸(後の陰陽師・安倍晴明)という子が誕生しますが、童子丸が5歳の時、葛の葉の正体が白狐であることがわかってしまいます。葛の葉が障子に書き残した歌「恋しくば 尋ねきてみよ 和泉なる 信太の森の うらみ葛の葉」は、あまりにも有名です。この物語により、同社には子宝を願う人などが多く訪れます。
ウェブニュースより
首里城正殿と北殿が全焼 他建物への延焼続く けが人の情報なし ―― 31日未明、沖縄県那覇市の首里城正殿で火災が発生した。同午前2時41分、首里城の警備員から那覇市消防に通報があった。同午前7時現在、鎮火していない。正殿と北殿がほぼ全焼し、南殿など城内のほかの建物に燃え広がっている。那覇消防などから消防車両が約40台が出て、消火活動をしている。これまでのところ、けが人の情報は入っていない。消防が原因を調べている。
那覇市は防災無線や広報車両などを使い、首里城で火災が発生していることや、火の粉が遠くまで飛ぶ恐れがあることから窓を閉めることなど警戒を呼び掛けている。また、首里城周辺は規制線が張られ交通規制も行われており、県警が周辺一帯の住民に対して避難するよう呼び掛けている。那覇市は城南小学校と首里公民館、石嶺公民館に避難所を設置。石嶺公民館に3人が避難している。那覇市は31日午前7時半めどに災害警戒本部の会議を開く。
首里城周辺には午前4時半現在、爆発音のような音が響き、火災元とみられる正殿が激しく燃え、煙が上がっている。1キロ以上離れた那覇市繁多川にも火の粉が飛んできており、広範囲に影響が広がっている。
首里城近くに住む宮城武雅さん(44)は、サイレンの音と真っ赤に染まった空を見て火災に気付いたという。宮城さんは「夜は正殿まで簡単に入れないはずだ。なぜだ。ただただ驚いている」と信じられない様子だった。
首里城は1429年から1879年までの約450年間、琉球王国の中心的な城で、政治と文化の中心だった。首里城正殿は1925年に「沖縄神社拝殿」として国宝に指定されたが、1945年の沖縄戦で焼失。戦後、跡地は琉球大学のキャンパスになったが、大学移転後に復元事業が行われ、1992年に本土復帰20周年を記念して国営公園として復元された。
2000年12月には首里城跡が「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として、日本で11番目の世界遺産に登録された。同年には「九州・沖縄サミット」の社交夕食会が開かれた。今や沖縄を代表する観光地として国内外から多くの観光客が訪れている。 (琉球新報 2019年10月31日 04:20)
小池知事、マラソン東京開催望む IOCの札幌変更計画 ―― 東京都の小池百合子知事は30日、2020年東京五輪の暑さ対策としてマラソン、競歩の開催地を札幌市に変更する国際オリンピック委員会(IOC)の計画について「開催都市の長として、都民の代表として東京開催を望みたい」と改めて容認しない考えを示した。IOC調整委員会、大会組織委員会などとの合同会議が同日始まり、冒頭のあいさつで述べた。
会議は3日間の日程。変更は決定事項とするIOCのコーツ調整委員長は「合意を得られずに日本を離れたくない」と述べ、IOC、都、組織委、政府の4者による実務者協議の開催を提案した。 (共同通信 / 2019年10月30日 22時59分)
東京)五輪マラソン移転、折り返し地点の浅草やきもき ―― 2020年東京五輪のマラソン会場を札幌市に移す案に対し、折り返し地点となる浅草(東京都台東区)の商店主らが気をもんでいる。区にとってマラソンは唯一の五輪競技で、外国人観光客を呼び込む大きな推進力になると期待していたからだ。一方、小池百合子知事は、30日の国際オリンピック委員会(IOC)調整委員会で、改めて東京開催を訴えた。
29日午前、台東区議らがマラソンの東京開催に向けた要望書を手に、小池知事を訪ねた。
「区民の皆さんが大変楽しみにしている」「五輪を夢見て待っている」
区議らの訴えに、小池知事も「これまで苦労して準備されてきた。皆さんと心をひとつにしていきたい」と応じた。
昨年5月に発表されたマラソンコースは、新国立競技場発着で、東京タワーや皇居といった東京の名勝を巡る。その中で、折り返し地点に選ばれたのが浅草・雷門。地元では大会を盛り上げようと、雷門前の区道230メートルに路面温度を下げる遮熱性舗装を施すなど、着々と準備を進めてきた。
特に期待が大きかったのは、インバウンドの促進だ。区内の外国人観光客は昨年が953万人と、10年前の約5倍に増加。マラソンがさらなる起爆剤になると見こんでいただけに、雷門周辺の商店主や住民らの落胆は大きい。
そば屋「十和田」を営む川村可代子さん(41)は「マラソンが東京で開催されれば、浅草の魅力を世界に発信するチャンスだった。移転はとても悲しい」と悔しがる。
同店は今月10日、1カ月かけて改装した店内をリニューアルオープン。五輪を前に外国人観光客が更に増えることを見越して、店の外にテラスを作り、立ち食いスペースも設けた。
現在は全体の7割ほどの客を外国人が占めるという。「マラソンは五輪の花形競技。世界中の潜在的なお客さんをもっと呼び込めたはずだったので、つくづく残念だ」と述べた。
雷門近くで土産物屋を営む女性(61)は、沿道でマラソンを観戦する予定だったという。「一生に一度の機会かもしれないのに、唯一の五輪競技を浅草から奪わないでほしい。代わりに違う競技かパレードでもやってほしい」とぼやく。
マラソン会場の札幌移転案は、30日に始まったIOC調整委員会で議論される。同日、あいさつに立った小池知事は「東京の人が納得する説明を、IOCには求めたい。都民の代表としては、マラソンの東京開催を望みたい」と述べた。 (朝日新聞DIGITAL 2019年10月31日03時00分)
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