瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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  昨日の早朝関西でかなり大きな地震があったらしい。ウェブニュースに拠れば、以下の通り。
013cc906.jpeg 淡路島の住宅被害など 500棟超す ―― 13日朝早く、兵庫県淡路市で、震度6弱の激しい揺れを観測する地震がありました。/この地震で、兵庫県の淡路島の3つの市は、被害を受けた住宅の調査を行った結果、淡路島では、これまでに500棟を超える建物で被害が出ています。/このうち、洲本市では、午前中から、職員が市内すべての住宅などを対象に被害状況を調査し、これまでに118棟の住宅の一部が損壊したほか、空き屋など住宅以外の建物も27棟で被害が出ています。/また、淡路市では、午後6時現在、住宅など385棟が壊れたということです。/さらに、南あわじ市では、午後5時現在、住宅2棟が半壊、12棟が一部損壊しているのが確認されたということです。 〔NHK NEWS WEB 4月13日 18時55分〕
 
 早朝の地震、官邸も国交省も「ミサイル発射か」 ―― 13日午前5時33分ごろ、兵庫県の淡路島で震度6弱を記録するなど、近畿、中四国を中心に広範囲で地震があり、警察庁によると5府県で計23人が重軽傷を負った。関西の震度6以上の地震は1995年の阪神大震災以来。気象庁によると震源は淡路島付近で、深さは約15キロ。マグニチュード「M」6.3と推定され、津波はなかった。一方、国土交通省は、地震を受け大阪航空局(大阪市)が、空港などに被害状況報告を求めるメールを送る際「北朝鮮からミサイルが発射された」と誤報を送ったと発表した。
 13日の地震をめぐっては、北朝鮮のミサイル発射誤報騒動があった。/国交省によると、地震発生直後、大阪航空局で危機管理を担当する男性係長(46)が「北朝鮮からミサイルが発射されました。状況確認と報告を願います」という内容のメールを、西日本の空港やレーダー施設など計87ヵ所に誤送信した。/係長は公用の携帯電話から、地震の被害状況等の報告要請メールを送る操作をしていた。携帯内には勤務時間外のミサイル発射に備え、メールを宛先まで入力し保存していた。誤操作で、これが送られたとみられる。/約6分後に取り消しメールを送ったが、北九州空港では午前5時半発のスターフライヤー便が、管制官の指示で離陸を見合わせ、3~4分遅れた。11日にも、同省の航空交通管理センター(福岡市)が、全国の航空管制施設など計59ヵ所にミサイル発射と誤発信していた。ミスの連続を受け政府高官は、同省幹部らを処分する方向で検討に入った。
 一方、首相官邸はこの日、地震とミサイルの危機管理の両面対応に追われた。菅義偉官房長官は13日早朝、非常用電話で地震発生の連絡を受けた際、とっさに「北朝鮮のミサイル発射かな」と受け止めたという。この日、首相が都内の私邸から外出したのは、地震の緊張状態が落ち着いた午後になってから。政府筋は初動の順調さを強調したが、与党幹部は「同時にミサイルも発射されていたら、うまく処理できたかは分からない」と指摘した。 (2013年4月14日06時04分  スポーツ報知)
 
 昨日の朝、姪のchisatoから携帯にメールが入った。
 2013年4月13日、09:37 発信  朝早く、びっくりしましたが、無事ですので〓。日本中、どこにいても油断してはいけないということですね。では。 〓from chisato〓
 
 午後、姪と電話で話したが、今朝の朝日新聞土曜版に、爺たちが毎年臨海学校をやっていた伊豆半島の仁科の佐波神社に残る棟札に地震の記録が書かれた興味深い記事が載っているということで早速調べてみた。
 歴史学者磯田道史氏が書いている歴史コラムだ。奇しくも地震の記事である。曰く、
a7552223.jpeg ……400年前に願栄という僧侶が伊豆半島にいた。私は無名のこの僧侶に感謝してもしきれない。というのもこの願栄は後世の人間を津波から護る「重要な記述」を気の板に書いて残してくれた。/慶長9年の暮れ(1605年2月にあたる))、伊豆半島を南海トラフ地震と大津波が襲った。/佐波神社と言う神社が年明けて再建された時、記念の棟札に、この願栄という僧侶が大変重要なことを書いた。原文を現代語訳する。/「戊午(1498)年の津波は寺川の大堰まで。その後99年申辰年12月16日(1605)は垣の内の横縄手まで津波が入った。末世にその心得がありますように。」/願栄は津波による里人の死が悔しかったに違いない。1498年の明応津波と1605年の慶長津波の浸水がどこまで来たかを後世のために書き残したのである。さらに幕末明治になって萩原正平という国学者がこの棟札を記述を元に現地踏査し津波が田園を水に浸しつつ遡った距離を割り出した(『増刷豆州志稿』)。その結果、明応津波は海から2キロ地点(津波学者の郡司嘉宣氏によれば、標高約10㍍)まできたことがわかった。これは重要な情報である。明応津波はおそらく10㍍を高さがあり、仁科の里を2㌔内陸まで浸水させている。1.4㌔浸水させた慶長津波よりもおそらく巨大だったことがわかる。ちなみに安政津波はこの付近で波髙5㍍前後とされ現在の地形でいえば1㌔程度内陸(標高4.5㍍)まできて止まったとかんがえられる。/ゆえに二品という「地形津波計」で計った歴史上の津波の大きさは 明応>慶長>安政 の順番となる。時代によって多少地形も変わるから一概にはいえないが、我々は400年まえの願栄という僧が津波のきた地点を書き残してくれたおかげで、このような防災情報を売ることが出来るのである。
※秋山富南(あきやまふなん、1723~1808年、字は章、通称文蔵)が著した「豆州志稿」は、その他の多くの地誌が村落ごとに記述されるのに対し、沿革・郡郷・租税・原野・川渓・橋梁・物産・神祠・仏刹・古墳・流寓・人物といった項目別になっているが、この富南の「豆州志稿」は江戸時代に印刷・刊行されることはなかった。1888年(明治21)に伊豆長岡の国学者はぎわらしょうへい萩原正平(はぎわらしょうへい、1839~1891年)がこの増補訂正・刊行を企て、正平の死後は嗣子まさお正夫が父の遺志を引き継いで1892年から1895年にかけて『増訂豆州志稿』として印刷・版行した。
 
 婆様がメール打ち込みの練習になるからといって、塾友のYM女史にご機嫌伺いのメールを出したという。その返信に曰く、
e3289cfa.jpeg 2013年4月13日 17:43 発信 日高道子へ カナダに行って、オーロラを見て来ました。/今日のBS NHK 9時から、同じイエローナイフのオーロラをやります。/同時期でしたので、私が見たオーロラもやるかもしれません。ご興味があれは是非に。

 
 早速 BS BHK 午後9時からの「大沢たかお 神秘の北極圏~光と闇の旅~」を録画しておき、今朝の隅田川の徘徊から帰宅すると、早速再生してみた。
 インターネットで調べると、この放送を紹介する6組の動画があった。
 http://www.nhk.or.jp/ocean/arctic/movie/
 
 婆様はYM嬢にお礼のメールを入れたらしい。すぐに返信が届いた。曰く、
 本当に空一面のオーロラは素晴らしかったです。/さらに、極寒の世界にもびっくりしました。いろんなことが初めてで、いい体験させてもらいました。すべての出来事に感謝です。
 
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1932/02/04
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くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


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