瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
藤沢市在住のMY氏よりメールが入る。曰く、「日高様 N様/今朝の朝日新聞に掲載されていましたのでご参考までに送ります。/MY」
藤原新也氏(1944年生)は、爺のこのブログにも取上げたことがあるが、福岡県門司市(現:北九州市門司区)の門司港地区生まれ。生家は旅館を営んでいた。東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻中退。インド、東京、アメリカなどを対象に、写真とエッセイを組み合わせた作品を発表。1972年の処女作『印度放浪』は青年のインド放浪記として、当時の青年層に大きな影響を与えた。1977年、『逍遙游記』で第3回木村伊兵衛写真賞。1981年に発表した『全東洋街道』で第23回毎日芸術賞を受賞した。
1983年に発表した『東京漂流』で大宅壮一ノンフィクション賞及び日本ノンフィクション賞に推挙されたが、受賞を辞退している。この『東京漂流』に収めた文章では、写真週刊誌FOCUSの同名の連載が打ち切りになった経緯に触れている。この連載のある回で、インドのガンジス川に水葬され、浜に打ち上げられた人間の死体を犬が食べている写真を使い、そこに「ヒト食えば、鐘が鳴るなり法隆寺」「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ」というコピーをつけた。当時の日本社会とコマーシャリズムのあり方を批判する意図だったが、サントリーの広告のパロディーに仕立て上げたことから、連載は6回で打ち切りになったという。
藤原新也氏(1944年生)は、爺のこのブログにも取上げたことがあるが、福岡県門司市(現:北九州市門司区)の門司港地区生まれ。生家は旅館を営んでいた。東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻中退。インド、東京、アメリカなどを対象に、写真とエッセイを組み合わせた作品を発表。1972年の処女作『印度放浪』は青年のインド放浪記として、当時の青年層に大きな影響を与えた。1977年、『逍遙游記』で第3回木村伊兵衛写真賞。1981年に発表した『全東洋街道』で第23回毎日芸術賞を受賞した。
1983年に発表した『東京漂流』で大宅壮一ノンフィクション賞及び日本ノンフィクション賞に推挙されたが、受賞を辞退している。この『東京漂流』に収めた文章では、写真週刊誌FOCUSの同名の連載が打ち切りになった経緯に触れている。この連載のある回で、インドのガンジス川に水葬され、浜に打ち上げられた人間の死体を犬が食べている写真を使い、そこに「ヒト食えば、鐘が鳴るなり法隆寺」「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ」というコピーをつけた。当時の日本社会とコマーシャリズムのあり方を批判する意図だったが、サントリーの広告のパロディーに仕立て上げたことから、連載は6回で打ち切りになったという。
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プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
sechin@nethome.ne.jp です。
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