瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
本日で5月も終わろうとしているのに、朝の気温はえらく低い。半袖にジャンパーを羽織って出掛けることにした。今日は旧暦の4月18日、明け初めた南天に満月を過ぎて左部分が少し欠けた残月が輝いている。桜橋を渡り墨堤通りを北上、南ゲートから東白鬚公園に入る。梅若橋を越えて北ゲートから再び墨堤通りへ。綾瀬橋を渡り、イニシア千住曙町のテラスを通って千住汐入大橋を渡る。隅田川は千住大橋から千住汐入大橋辺りまでは東に向かって流れ、千住汐入大橋から鐘ヶ淵にかけて大きく曲がり、水神大橋辺りからは北から南に向って流れる。この辺りは池波正太郎の「剣客商売」の舞台で、鐘ヶ淵は小兵衛と若女房お春の侘び住まいがあったところで、千住汐入大橋の上流辺りが若女房お春の里である関屋村(現、足立区関屋町)であったところである。
汐入公園がある白鬚西地区は、明治末期から大正期にかけて大規模工場が進出し、大日本紡績(現・ユニチカ)や鐘淵紡績(現・クラシエ)が存在したところで、昭和46年から昭和51年にかけてこれらの工場が移転すると、東京都がその跡地を買収し、昭和63年から市街地再開発事業に着手した。公園は、区部中央部に位置し、対岸の東白鬚公園とともに江東地区の防災拠点として計画され、千住汐入大橋が架橋されると、足立区、荒川区、葛飾区を繋ぐ結節点に位置することとなり、防災上重要な役割を担っているのだという。
千住汐入大橋を渡ると、汐入公園内のさくらばしを渡って、瑞光橋を通り、明治通りを横切って、橋場・今戸と隅田川沿いの遊歩道を通って帰宅した。マンションの裏庭の鉄柵に絡めて植えてあるツルバラが今を盛りと咲き誇っていた。
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目高 拙痴无
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