瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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梧桐(あをぎり)を詠んだ歌
 梧桐(あをぎり)は、アオギリ科の落葉高木です。葉が桐(きり)に似ていて、樹皮が緑なので、青桐(あをぎり:)といわれます。梧桐は、中国名です。亜熱帯地域に自生しますが、日本でも街路樹として植えられています。
 
 万葉集第5巻に、次のような手紙といっしょに以下の3首が詠まれています。
巻5-0810:いかにあらむ日の時にかも声知らむ人の膝の上我が枕かむ
巻5-0811:言とはぬ木にはありともうるはしき君が手馴れの琴にしあるべし
巻5-0812:言とはぬ木にもありとも我が背子が手馴れの御琴地に置かめやも
 


大伴淡等謹状 大伴旅人(おおとものたびと)謹んで申し上げます。
標題:梧桐日本琴一面 對馬結石山孫枝
標訓:梧桐(ごとう)の日本(やまと)(こと)一面 対馬の結石(ゆふし)山の孫枝(ひこえ)
 
:此琴夢化娘子曰 余託根遥嶋之崇巒(蠻) 晞韓九陽之休光 長帶烟霞逍遥山川之阿 遠望風波出入鴈木之間 唯恐 百年之後空朽溝壑 偶遭良匠散為小琴不顧質麁音少 恒希君子左琴 即歌曰
序訓:此の琴、夢(いめ)に娘子(をとめ)に化()りて曰はく、「余(われ)、根を遥嶋(えうたう)の崇(とうと)き蠻(はずれ)に託()け、韓(から)を九陽(くやう)の休()き光に晞()す。長く烟霞を帶びて山川の阿(くま)に逍遥し、遠く風波を望みて鴈木(がんぼく)の間に出入す。唯(ただ)百年の後に、空しく溝壑(こうかく)に朽ちむことを恐るるのみ。偶(たまため)良き匠(たくみ)に遭ひて、散られて小琴と為()る。質の麁(あら)く音の少(とも)しきを顧みず、恒(つね)に君子(うまひと)の左琴(さきん)を希(ねが)ふ」といへり。即ち歌ひて曰はく、

意訳:この琴が娘子になって言うには、「自分は遥かな島の尊き外れの地に根をおろし、幹を美しい日の光にさらしていました。長く霞に包まれ、山川の間に遊び、遠く風波を望み、お役に立てる用材になるかならないかと案じていました。唯、心配な事は、百年の後に寿命を向かえ、いたずらに谷底に朽ち果てることを恐れています。図らずも良き工匠の手にかかり、削られて小さい琴となりました。音色も粗く、音量も小さいのですが、どうか君子の側近くに愛琴となりたいといつも願っています。」と言って、次のように歌いました。
注意:原文の「余託根遥嶋之崇蠻」は、一般に「余託根遥嶋之崇巒」とし「余(われ)、根を遥嶋(えうたう)の崇(たか)き巒(みね)に託()け」と訓みます。

原文
:伊可尓安良武 日能等伎尓可母 許恵之良武 比等能比射乃倍 和我麻久良可武
              万葉集 巻5-0810
           作者:大伴旅人
よみ:如何(いか)にあらむ日の時にかも声知らむ人の膝(ひざ)の上()()が枕(まくら)かむ
意訳:どんな日のどんな時になれば、私の音を聞き分けて下さる人の膝で琴である私は音を立てることが出来るのでしょうか。

標題:僕報詩詠曰
標訓:僕(われ)詩に報(こた)へて詠(うた)ひて曰はく
原文:許等々波奴 樹尓波安里等母 宇流波之吉 伎美我手奈礼能 許等尓之安流倍志
            万葉集 巻5-0811
         作者:大伴旅人
よみ:事(こと)()はぬ樹にはありとも愛(うるは)しき君が手馴(たな)れの琴にしあるべし
意訳(琴の娘よ)立派な音を鳴らさない木であったとしても、立派な御方の愛用の琴にならなければいけません。
試訓:子()()問はぬ貴にはありとも愛(うるは)しき大王(きみ)が手馴れの子()()にしあるべし
試訳:家来である家の子たちを区別しない高貴なお方といっても、家来は麗しいあのお方の良く知る家の子らでなくてはいけません。 


標題:琴娘子答曰 敬奉徳音 幸甚々々
標訓:琴娘子の答へて曰はく「敬(つつし)みて徳音(とくいん)を奉(うけたま)はりぬ 幸甚(こうじん)々々」といへり。
意訳:琴娘子が答へて云うには「謹んで立派なご命令を承りました。幸せの限りです」と答えました。

標題:片時覺 即感於夢言慨然不得止黙 故附公使聊以進御耳 (謹状不具)
標訓:片時にして覺(おどろ)き、即ち夢の言(こと)に感じ、慨然として止黙(もだ)をるを得ず。故(かれ)、公使(おほやけつかひ)に附けて、聊(いささ)か進御(たてまつ)る。(謹みて状す。不具)
意訳:ほんのわずかな間で夢から覚め、そこで夢の中の物語に感じるものがあり、興奮して黙っていることが出来ません。それで、公の使いに付託して、ぶしつけですが、進上いたします。(謹んで申し上げます。不具)
左注:天平元年十月七日附使進上
謹通 中衛高明閤下 謹空
注訓: 天平元年十月七日に使に附して進上す
謹通 中衛高明閤下 謹空 (漢文慣用句のため、省略)

標題:跪承芳音、嘉懽交深。乃、知龍門之恩、復厚蓬身之上。戀望殊念、常心百倍。謹和白雲之什、以奏野鄙之歌。房前謹状。
標訓:跪(ひざまづ)きて芳音を承り、嘉懽(かこん)(こもごも)深し。乃ち、龍門の恩の、復(また)蓬身(ほうしん)の上に厚きを知りぬ。戀ひ望む殊念(しゅねん)、常の心の百倍せり。謹みて白雲の什(うた)に和(こた)へて、野鄙の歌を奏る。房前謹みて状(まう)す。
意訳:謹んで御芳書を拝承し、芳書が立派である思いとその芳書を頂くことが嬉しいとの気持ち入り交じり思いは深いことです。そこで、規律を守り品格高い貴方と交遊を許されるご恩は、今も卑賤の身の上に厚いことを知りました。貴方にお会いしたいと願う気持ちは、常の気持より百倍も勝ります。謹んで、遥か彼方からの詩に和唱して、拙い詩を奉ります。房前、謹んで申し上げます。
注意:原文の「龍門之恩」は、後漢書の李脩伝の一節「是時朝廷日亂、綱紀頽地、膺獨持風栽、以聲名自高。士有被其容接者、名為登龍門」からの言葉で「規律と品格を保ち、李脩(ここでは旅人)と交遊を結べたこと」を意味します。


原文:許等騰波奴 紀尓茂安理等毛 和何世古我 多那礼之美巨騰 都地尓意加米移母
           万葉集 巻5-0812
        作者:藤原房前
よみ:事問(ことと)はぬ木にもありとも吾()が背子が手馴(たな)れの御琴(みこと)(つち)に置かめやも
意訳:立派な音を鳴らさない木であっても、私の尊敬する貴方の弾きなれた御琴を土の上に置くことはありません。

試訓:子()()問はぬ貴にありとも吾が背子が手馴れの御命(みこと)土に置かめやも
試訳:家来の家の子たちを区別しない高貴なお方であっても、私が尊敬するあのお方が良く知るりっぱな貴方を地方に置いておく事はありません。
左注:謹通 尊門 (記室) 十一月八日附還使大監
注訓:謹通 尊門 (記室) (漢文慣用句のため、省略) 十一月八日に、還る使ひの大監に附す
※藤原房前(ふじわらのふささき、681737)
 飛鳥時代後期~奈良時代前期の公卿です。藤原北家の祖。
 藤原不比等の次男。23歳で巡察使となり、主に東海道の行政監察に当たります。717年に兄武智麻呂を差し置いて参議へ昇進します。元明上皇の信任篤く、その遺詔を長屋王と二人で受け、内臣として元正天皇の補佐を務めます。728年には新設の中衛府の大将に就任。長屋王の失脚後は参議に留め置かれ、兄の後塵を拝するようになります。当時流行していた天然痘によって兄弟に先んじて急死しますが、子孫の藤原北家は藤原氏の本流として大きく繁栄してゆきます。


 

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目高 拙痴无
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1932/02/04
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くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
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