後世の人々は一般的に、嵆康と阮籍(210~263年)を「竹林の七賢」の代表的人物であり、魏晋時代に儒教に反対した「過激派」のような人物として見なしています。しかし、阮籍はその晩年に態度を大きく変え、「言葉では人の善し悪しをあげつらうことはなかった」と言われるほどとなったが、嵆康は終生変わらず、後に魯迅が「嵆康の気性は生涯にわたってひどいものだった」と語ったほどだった。「ひどい気性」とは、世俗におもねることをせずにことさら才能をひけらかし、妥協することがなかったことを指し、この姿勢はその作品の中に充分に表れています。
嵆康は詩文の創作とその行動において玄学(老荘思想に基づいて儒教経典を解釈する学問)を表現し、独自のロマンチックな文学の風格を作り上げたことから、南朝の梁の文人、劉勰(りゅうきょう)は「嵆康師心以遣論」とこれを高く評価しました。この評価は、嵆康の作品についての的を射た表現であるだけにとどまらず、その自由奔放な人柄を真に描写したものです。
嵆康は自分の考えに固執したために最期は司馬氏によって殺害されるに至ります。しかし、彼の精神は時空を超えて光芒を放ち、中国古代の士大夫の間では心のよりどころとなり、その名声は魏晋時代の王弼(おうひつ、226~249年)や何晏(かあん、?~249年)をも超え、名士たちの鑑となったことから、われわれも彼について学び、語り継ぐに値します。
彼の作品は現代に伝わり、朗唱され続け、今なお人々に影響を与えています。なかでも「琴賦」は、後世に伝わる嵆康の作品の中で唯一の「賦」(中国古代の韻文の一種)であり、音楽理論に精通していた彼の思想の一部を表すものであります。彼はただひたすらに美辞麗句を追求することに反対し、音楽や詩歌のもつ「理」を真に理解する必要があると主張しました。
また、彼は琴について、材料や起源、製作、弾奏の技法、曲名、場面等のさまざまな面から検証を加え、穏やかで落ち着いた琴の品性と、豊かで調和した琴の音色によって、琴は楽器の王と成りえていると主張しました。そして、雅やかな琴の最高の美を知り尽くした者のみが優れた演奏を成しうると考えたのです。
この文章が後世に与えた影響は非常に大きく、遅くとも唐代初期のころには遠く日本にも伝わっていたといいます。なかでも、『万葉集』第五巻に収録されている大伴旅人の歌が記された書状「梧桐日本琴」の語句は、嵆康の「琴賦」および『文選』中の他の詩賦や『游仙窟』、『荘子』、『史記』等の典籍に由来しており、「琴賦」と「梧桐日本琴」の関係性が高いことから、研究者たちから特に関心を集めています。
天平元年(729年)10月、時の大宰帥であった大伴旅人(665~731年)は、梧桐の日本琴を一面、遠く奈良の藤原房前(681~737年)に贈り、書状と歌を添えて送りました(「梧桐日本琴」)。その文章は房前からの返信とともに『万葉集』第五巻に収録されています。そして、その中の多くの言葉は、の「琴賦」からそのまま引用したものです。(昨日ブログ参照)
引用された語句や文章の構想、結びの部分から見れば、大伴旅人は音楽の道に精通していた上に、嵆康の世俗から離れた音楽的思想を深く理解していたこと、そして「梧桐日本琴」においては老荘思想の道に基づき、嵆康の「琴賦」にひそむ隠棲思想に従い、それを体得していたことがわかります。特筆すべきは、このような大伴旅人の引用の方式は単なる引用にとどまるものではないことです。北京外国語大学日語系の何衛紅が示すように、『万葉集』に登場する「梧桐日本琴」は、その名は「日本琴」ではあるが、魏晋六朝文学における「琴」の文学的な情趣を引用することによって、日本文学においてかつての「日本琴」とは異なるものが創造されたといえましょう。
梧桐日本琴
『万葉集』におさめられる大伴旅人(おおとものたびと)(665~731)の「大伴淡等謹状 梧桐日本琴一面 對島結石(ゆいし)山の孫枝(ひこえ)」は、明らかに琴、すなわち七絃琴を歌ったものです。
題名の「梧桐」とはアオギリのことであり、琴は梧桐をもって製す。前文の典拠となったものは、嵆康の『琴賦』で、「惟(こ)れ椅梧(いご)の生ずる所、峻獄(しゅんがく)の崇岡(しゅうかう)に託(たく)す」「旦(あした)に幹を九陽に晞す 」とあります。また「左琴」とは、劉向(りゅうきょう)『列女伝』(前漢)巻二、賢明伝、楚於陵妻(そのおりょうのつま)「君子は琴を左にし書を右にするも、楽しみまたその中に在り」によります。「声知らむ」とは「知音」の謂(いい)であり、伯牙断琴の故事を典拠とします。『琴賦』にも「音を識る者希(まれ)なり、孰(いづ)れか能(よ)く雅琴を盡(つく)すは、唯至人(しじん)のみ」とあります。「散じて小琴となる」の「散」という字だが、これは「斲」とあったのが同字の「斮」から「散」に誤写されたのではないかとも言われ、「斲琴(たくきん)」とは七絃琴を製することを意味します。膝の上にのること、音量が小さいこと、たとえ音質が悪くとも「徳音」とは琴の音をいう尊称です。これらのことを鑑みるなら「梧桐日本琴」は七絃琴であると断定せざるを得ません。しかしそこで疑問になるのはなぜ「日本琴」なのか、ということです。この琴を和琴というなら七絃琴の代用だったのでしょうか。
それとも「膝の上」ということから埴輪琴型の倭琴でしょうか。それならあえて「日本」と言う必要もないでしょう。誰に対し「日本」という言葉を使ったのでしょうか。旅人は明らかに自国の人に向かってこの言葉を使っています。ならば、この琴は中国で作られ日本に伝来された唐琴ではなく、日本の地に生ず梧桐で作られた日本の七絃琴であると、そう考えられないでしょうか。
sechin@nethome.ne.jp です。
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