瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 EO様よりメールを頂きました。曰く、


日高節夫様


日高様のアドレスをN先生に教えていただきました。


 いつも素敵なご本をお作り下さいましてありがとうございます。


日高様がお作り下さいましたご本は私の大切な宝物として本棚に並べまして幸せを感じております。


 ご本が届きます度にお作り下さいました日高様に感謝をしつつページを開いております。


いつもありがとうございます。


日高様に心からの感謝とお礼を申し上げます。    EO


 


 早速返信メールを出しました。曰く、


 ぼけ防止を兼ねて、「新ネット俳句」の制作をお手伝いさせていただいています。


80も半ばを過ぎた爺の作業なので、パソコンの打ち間違いも多々あり、読みづらい点もあると存じますが、私奴の力の続く限り続けさせていただきますので、今後ともよろしくお願いします。


皆さん方の作品を見るのを楽しみにしています。 日高節夫


 


 


瓢作り              杉田久女


 今年私は瓢(ひさご)作りを楽しみに、毎朝起きるとすぐ畠へ出てゆく。


 


 まづ門傍のポプラの枝へはひ登つて、ぶらりと下がつてゐる大瓢が一つ。これはまるでくくりのない、丁度貧乏徳利みたいにそこ肥りのした奴。私がこないだ虚子先生にお目にかかりに別府迄行つてきて、汗の単帯をときすてるとすぐ見に行つたら、ほんの二日の間に見違へるほど快よくまつ青く太つてゐた。あんまりのつぺりとくくりがないので一体瓢箪ひようたんだらうか白瓜か、もしくは信州辺でゆふごと言つてゐるかんぺうを作る瓜なのか、などと家中で評定とりどりだつたが、やはりずぼらながら瓢箪であるらしい。実に大まかな気楽げなかつかうをして、夕立雨の時などはうぶ毛の生えたまつ青な肌をポトポトと雫がつたふ。夕立晴の雲がうごく頃には、柄の長い純白な瓢の花が、涼しげに咲き出す。この外にもポプラの樹に這ひついてゐる瓢が三本。之れはアダ花が咲くのみで、まだドンな形のとも見当がつかない。


 


 一体うちでは棚をつらうつらうと話しあつてゐる中に、樹に垣に地面にどの蔓もが青々と這ひまはり、そこら中に花が咲き出したのであつた。


 さて私は、茄子や葉鶏頭の露にふれつつ径を歩むと、そこには瓢の葉をきれいにまきつけた低い垣根が、あちこちに長瓢をぶら下げてゐた。この瓢箪は頸の長い、瓢逸ないかにもごま(ママ)な呑気げなかほして、一とゝころに四つも五つもよりあひ、はては蔓が重くなつて地べたに尻を落ちつけてしまつてゐるのもある。こつちのえにしだの枝に捲きついてゐる一尺余りの長瓢は、丁度窓から見るのにころあひな長短で、かつかうよく宙ぶらになつてゐた。そしてその一つの蔓先は、隣の爺さんの畠へ垣根ごしに侵入し、そこに尻曲りの長瓢が、くびをもたげかげんに二つ。ころりと地上に露出してゐる。そこぎりで蔓先をとめてしまつたので径のへりに尻をむけたこの青瓢箪は、時々雨露をいつぱいふりため、青草を敷いて涼しげに太つてゆくのであつた。幸ひに朝夕潮あびのゆきかへりにこの畠径をぬける近所の子供らにももがれず、此の頃はむしろに敷きかへて先づ健在。


 それに引かへ、垣根の方の長瓢は敷わらも吊もかけなかつたので、地面につけた尻の先がすこし黒いしみになりかけて来た。二三日前の朝、露つぽい草の間にかゞんで私は瓢を吊したり、わらをしいたりしてやつたが、今朝行つて見ると、折角きれいに捲きついた青い葉は、むざんにうらがへしに乱れ、瓢は誰かに頗るぐわんこに荒縄でうごきのとれぬ様しばりあげられてゐた。そして隣畠の南瓜の蔓が勢よく幾筋も瓢垣ねのあはひからこちらへ侵入してゐた。


 旭はすでにポプラ並木を透して光り、征矢(そや)の如く輝き出し、大向日葵の濃蕊の霧がきらめく。市街の空は煤煙でにごりそめ、海上の汽笛にあはせて、所々の工場の笛がなりつゞける。私は更らに愛すべき千成瓢箪の垣へと歩を移し、きまりの様にかがみこんで眺め入る。


 蔓毎にたれ下つた小瓢箪の愛らしさ。くゝり深く丸々と小肥りの青い瓢はうぶ毛が柔らかくはえてゐる。小さい蟻が這つてゐたり、時には暁雨の名残の小つぶな玉が汗をかいたやうにたまつてゐたりして一層愛着をまさしめる。子供らも毎日こゝへ必らずしやがみにきては、二十五なつてゐるとか、葉のかげにもう三つなつてたとか、数へてはたのしみにしてゐた。


 更らにその横手の樹に、やせこけた一本の蔓が中位の瓢をつけてはひのぼつてゐた。沢山の瓢の中これが一番形も面白く俗ぬけがしてゐて、しかもひねくれすぎず、私の一番好きな瓢なのであるが、肥が足らぬのか木かげのせゐか一向ずば/\と成長せず、ほんとの一瓢きりなのである。


 最後にもう一本。之れは子供のつくつてゐるので、二尺たらずのかはいゝ棚に小まゆ程のが、二つ三つ漸く最近になりはじめた。


 


此の夏や瓢作りに余念なく


青々と地を這ふ蔓や花瓢


晩涼やうぶ毛はえたる長瓢


 


 数年前俳句をつくりはじめた頃、板櫃河畔の仮寓でも大瓢箪をつくつたが、その美事な青瓢は軒に吊るす中作りかたを知らず腐らしてしまつた。


 


くくりゆるくて瓢正しき形かな


梯子かけて瓢のたすきいそぎけり


 


 今年はどうかして一つでも実が入つて、ほんとの瓢箪を得たいものである。


(昭和二年八月十日 雨の草庵にて)


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1932/02/04
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くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


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