官僚が特権をにぎる状態は、日本では7世紀に唐の科挙を元とする Merit System (能力に応じて一定の専門知識が求められる登用制度)が導入されたことに溯る。
第2次世界大戦後、戦前のエリート政治家らが追放された日本の復興は、官僚たちの手に委ねられ、東洋の奇跡といわれた高度経済成長を果たしたのである。1955年から官僚たちはほぼ一貫して政権与党の座にあった自民党と、大企業と tug を組んだのである。この政・官・財の協力関係はやがて「鉄の triangle 」と呼ばれた。この過程で官僚機構は干渉の余地を許さない強大な権力組織となり、国民への説明責任を殆んど果たさない存在となった。その結果、日本は世界有数の規制社会に突入したというのが、大方の評論である。汚職、予算の無駄遣い、「消えた年金」問題などの管理不行き届き等々、不祥事件が明るみに出る度に官僚ははげ神槍玉に挙げられるが、一向に埒が明かないというのが現状である。
専門家の意見は分かれる。「戦後復興という目的を既に達成し、創造的思考が求められるようになった現代において、官僚の時代は間もなく終わりを迎えるだろう」と見る一方で、「官僚機構はなかなか死なない。民主党の行政改革は行き詰まるだろう」との意見も根強い。「日本のエリートである官僚をいかにうまく使うかがポイントだ」と指摘している学者もいる。
台風18号の襲来で、急に気温が下がった。テレビのニュースによると北海道では平年よりも14日も早い9日に初雪が降ったという。その所為(せい)かどうかは判らぬが、今日は寝起きからずーっと腰が痛い。とうとう徘徊はお休みした。
「日高節夫様/先日は、君のブログ集Ⅶ、Ⅷと、博多の甥御さんのご長女の才媛のブログ集『この風景の中で』をお送りくださってありがとうございました。/昨夜、全部読了。/どれも力作でした。君のブログについては別の日に書きますが、今日は大叔父にあたる君が、甥御さんから依頼を受けてまとめた、JICAの才媛のブログについて書くことにします。/時代錯誤の表現ですが、「いやまあ、女だてらに、ようまあアフリカくんだりまで行くものよ」というのが、第一の感想です。そして、次の感想が、「日高家の系譜を引く女性のなんと強いことよ」です。/(中略)/私は、アフリカについては全くうといのです。/1985年3月から一ヶ月間、まだ大学5年生になる前の息子が、春休みにケニアに行った滞在所見しか聞いたことがないのです。もう20年も前の旅人ですから、かなり見当はずれの感想だろうと思いますが、それほどうといのです。/でも、そのケニアの北、エチオピアの西、青ナイルと白ナイルが合流する国くらいの知識は変わらないでしょうから、「えらいところに行ったもんだ」という感想は大半の日本人の爺婆が抱く感想でしょう。/だから、第一印象は、「女子の身でえらいもんだなあ」というものでした。/息子のケニアの印象は悪くはありませんでしたが、首都のナイロビは高地にあるから涼しくて、治安の悪さにさえ気をつければ大丈夫というものでしたが、その治安の悪さというのがすごい。/タクシーに乗ったら腕時計を嵌めている腕を窓から出していけない。腕時計欲しさに、鉈で腕を斬り落とされるから、車に乗ったら腕を窓から出すなというようなものでした。/ナイロビから列車で、インド洋の海岸のモンバサという町まで行ったのですがこのときがいちばん暑さがひどくて、復路は飛行機に乗ったといってました。/そんな国の北側にあるスーダンの南の町ジュバに滞在する大和撫子は、形の変わった日本国の国威発揚になるのでしょうね。/「ワウでイタリアのNGOが運営する職業訓練センターの中の様子」という説明のある写真を見て、“Don Bosco VTC Wau”の看板が気になりました。/どこかで、このドン・ボスコという名前を見た記憶があったのです。/あれこれ頭をひねった結果、近くの私立中学・高校のサレジオ学園の構内に、この人の胸像があったということです。/このサレジオ学園という私立中高は、15年くらい前までは田園都市線の鷺沼駅から歩いて程近い(大して近くもなかったが)ところに開設されていた学校でしたが、私たちが今のところに引っ越してきた頃に、わが家から徒歩10分くらいの距離に中高の校舎を移転してきました。学園祭のオープンキャンパスの時に見に行ったら大きな胸像があって、「この学校も、やっぱりカトリックの系統か」と思ったのですが、このブログ集を読んだ直後に調べてみたら、Don Giovanni Bosco(ドン・ジョバンニ・ボスコ)1815~88 とある。イタリアのカトリック司祭で、サレジオ会の創立者。北イタリアの貧しい農家に生まれ司祭となったとある。」
先日本棚の隅から取り出してきて拾い読みした論語の子罕(しかん)第九に「後生(こうせい)畏(おそ)るべし。いずくんぞ来者(らいしゃ)の今に如(し)かざるを知らんや。四十五十にして聞こゆるなきは、これまた畏(おそ)るるに足(た)らざるなり。」とある。まあ、Eちゃんの20年、30年後はどんなになっているんだろう。爺はその頃は娑婆ともおさらばしているだろうが、それまで黙って見守ってやるしかない。
ヤント君、どうもありがとう。
それにしても今日のニュースによると児戯にも劣る石原知事の腹いせ発言(負け惜しみ発言)は一体どういうことなのだろう。理解に苦しむのである。先ずはリオの勝利を祝福し、次回を期すというのが然るべきではないだろうか。自分の失敗をこんなことに転嫁するとはまことに以ってお話にならない。
【コペンハーゲン共同】2016年夏季五輪開催都市に選ばれたリオデジャネイロは5日、国際オリンピック委員会(IOC)総会での選定について不適切な発言をしたとして、東京都の石原慎太郎知事を批判する声明を発表した。石原知事の報道陣に対しての発言としているが、具体的にどの発言かには言及していない。
声明では「(発言は)遺憾であることに加えてIOCのルールに反する」と指摘。「石原知事の失望させるような態度に驚いており、リオは6日にIOCに正式に通知する」としている。(2009/10/06 10:53 【共同通信】)
負けた腹いせでもないだろうが、石原都知事が招致レースの「舞台裏」を明かした。
「例えば(リオデジャネイロの招致に成功した)ブラジル大統領は、かなり思い切った約束をアフリカの諸氏にしたという。フランスのサルコジ大統領が、戦闘機を買ってくれるならブラジルに入れると言ったとかね。手続きの上では違反ではないという」と、際どい話をひとくさり。
正攻法に限界を感じたのか、「東京は政府をキャンペーンに組み込んでいなかった。不満がある。非常に勉強した」とも。再挑戦するなら、この経験が生きる?(2009/10/04-15:52 【時事通信】)
昨日は午後からは本降りになり、とうとう徘徊は止めにした。本日もまた雨。今日で歯の治療が終る。歯医者から帰宅し、久し振りに出来るだけくまなく新聞に目を通してみた。今朝の朝日の社説を見ながら、どうした訳か。論語における孔子の管仲観を思い出して、本棚の片隅から論語を引き出し、拾い読みをしてみた。
子(し)曰(いわ)く、管仲(かんちゅう)の器(うつわ)や小なるかな。或るひと曰く、管仲は倹(けん)なるか。曰く、管氏に三帰(さんき)あり、官事(かんじ)は摂(せっ)せず、いずくんぞ倹(けん)なるを得ん。しからばすなわち管仲は礼を知るか。曰く、邦君(ほうくん)は樹(じゅ)もて門を塞(ふさ)ぐ、管氏もまた樹もて門を塞ぐ。邦君が両君の好(よし)みをなすには反坫(はんてん)あり、管氏もまた反坫(はんてん)あり。管氏にして礼を知らば、たれか礼を知(し)らざらんや。《孔子が言う。「管仲の人物は小さな」。ある人が訊ねた。「管仲が倹約家であったからですか?」。答えて、「管仲の家では三帰の高台を作ったし、仕事はそれぞれ専門の係りにやらせておった。とても倹約家などとは申せん。」重ねて訊ねた。「それでは管仲が法の遵法者であったからですか?」答えて、「樹で門の目隠しをすることは諸侯のみに許されていることなのだが、管中の家でも樹で門を塞いだ。また、諸侯どうしの親睦の会合には献酬の杯を置く反坫(はんてん)という台を用いるのがしきたりなのだが、(大夫でありながら)管仲の家出も反坫を設けていた。このような振舞いがありながら、礼の遵法者というのなら、世の中にれいを知らぬ者などいないだろう。」》 (論語 八佾第三より)
子貢(しこう)曰く、管仲(かんちゅう)は非仁なる者か。桓公(かんこう)、公子糾(こうしきゅう)を殺したるに、死するあたわず。またこれに相(しょう)たり。子(し)曰(いわ)く、管仲は桓公を相(しょう)とし、諸侯に覇(は)たらしめ、天下を一匡(いっきょう)す。民、今に到(いた)るまで、その賜(し)を受く。管仲微(なか)りせば、われそれ髪(はつ)を被(こうむ)り、衽(えり)を左にせん。あに匹夫(ひっぷ)匹婦(ひっぷ)の諒(まこと)をなし、みずから溝瀆(こうとく)に経(くび)れてこれを知るなきがごとくせんや。《子貢が言うに、「管仲は仁者とは申せませんね。桓公が(兄弟の)公子糾(きゅう)を殺した時、(糾の傅役でありながら)死ぬことも出来ず、そのうえ(桓公に仕えて)大臣にまでなりました。」孔子が言う。「管仲は桓公を補佐して諸侯の覇者たらしめ、周の天子の下に天下は統一されることになった。中国の人民は今に至るまでそのお蔭を蒙っているのである。もし管仲がいなかったら、我々は〔今頃蕃人の侵略を受けて〕ひょっとしたら髪も結わず、左前に着物を着ることになっていたかもしれないのだ。世間の男女が小さな義理立てのために田圃の溝で頸をくくり、誰からも認められずに終るのなどとはわけがちがうのである。」》 (論語 憲問第十四より)
『論語義疏』には「接輿楚人也、姓陸、名通、字接輿、昭王時、政令無常、乃被髮佯狂不仕、時人謂之爲楚狂也《接輿は楚の人なり。姓は陸、名は通、字は接輿。昭王の時、政令常なし、乃ち髪を被り(ざんばら髪にすること)、佯狂(にせちがい)となりて仕えず。時人之を謂いて、楚狂となせり》とある。
政権交代で、政治の動きが慌しく揺れている。その意味で、今政治が面白い。今日は日曜日、午前中はずーっと報道番組を見呆けていた。爺の先は多寡がしれている。別に政権交代に期待しているわけではない。まあ、つまらんテレビドラマを見るよりはずーっとオモロイ。
民主党は衆院選で政官業の癒着を批判し、国民本位の政治を訴えるなど、産業界とは距離を置く姿勢を示しており、財界では「政治との関係見直しは避けられない」(財界幹部)との見方が大勢を占めているという。経団連は民主党の政策と大きく食い違う地球温暖化対策や雇用政策などについて「政策面での意見交換を頻繁に実施して理解を求めたい」と述べ、民主党との政策協議に意欲を示している。民主党が掲げる製造業への派遣労働者の原則禁止などについて「海外に製造拠点を移してしまうことも考えられる」と指摘し、慎重な検討を重ねて求めた。ただ、民主党は国民本位の政治を掲げ、企業献金の廃止などを検討している。財界では自民や民主など政党の政策を点検して献金額を決めてきたが、「献金がなくなれば、政治との結びつきが弱くなる」(財界幹部)と指摘されている。また、これまで財界は、自民党に対して税制改正などの政策要望を提出し、政策決定過程にも関与することで政策の実現を目指してきたが、民主党について財界内には「どのような政策決定過程を辿るかが見えない」との声が根強く、経団連首脳は「政治との距離は大幅に広がるだろう」と蜜月関係の終焉を予想している。9月30日の産経ニュースは次のように報じている。
経団連が政策評価による企業献金への関与を始めたのは16年。ゼネコン汚職事件を受けて自民党への献金斡旋(あつせん)をやめた経団連が、政策評価で献金の透明性を高めることで関与を再開した。
しかし、これまでの政策評価の結果は圧倒的に自民党が高く、民主党への献金額は毎年自民党の30分の1程度にとどまる。20年の自民党への評価はA~Eの5段階で3分の1の項目でA評価となった。これに対して民主党はAがゼロ、自民党には付かなかったD評価が6つもあった。
19年の評価と比べると、1ポイントの低下にとどまった自民党に対し、民主党は3ポイントも低下。政策評価だけを目安にすれば、民主党の20年の献金額は減るはずだった。しかし、民主党への献金額は19年の8000万円から1億1000万円に増え、評価とは反対の結果となった。
経済危機の影響から全体の献金額が減ったこともあり、自民党分は19年の29億1000万円から27億円へと減少。経団連も「参議院で第一党を占めるなど、民主党への期待感の高まりから少しだが増えた」とみる。
経団連が11月に発表する今年の政策評価では「鳩山政権の現実路線を踏まえて判断する」(経団連幹部)として、民主党の評価をある程度高める方向だ。ただ、地球温暖化対策や労働政策で経団連の方向性と大きな乖離(かいり)があるだけに「大幅な上方修正は難しい」(同経団連幹部)。
企業サイドの悩みも深い。「政権与党である以上、民主党への献金は増やさざるを得ない」(財界首脳)との声が聞かれる一方で、20年に自民党に2500万円の献金を行った日本百貨店協会は「経営環境が悪化するなか、献金のあり方を全面的に見直し」、当面は献金そのものを中止する。
民主党はマニフェスト(政権公約)で、政治資金規正法を改正して3年後に企業・団体献金を禁止する方針を打ち出している。御手洗冨士夫経団連会長は、9月28日の会見で当面は政策評価を続けると明言。ただ、民主党に430万円を献金した日本自動車工業会は「政策評価も多少参考にしているが、自工会として判断している」と、あくまで自主的な考えで献金額を決めるという。
このままでいけば、21年の民主党への献金額が20年実績よりも上回るのは確実で、経団連の政策評価との乖離(かいり)が問われそうだ。(2009.9.30 20:27)
今にも降り出しそうな天気ではあったが、厩橋まで南下し、春日通を東へ向って進む。三つ目通りまでくると、上から冷たいものが落ちてくるので、三つ目通りを北上、言問橋を渡って帰宅しようと、浅草通りまで来るとどうやら大したことはなさそうなので、淺草通りをさらに東に進んだ。業平橋西から見る東京スカイツリーは一段と高さを増し、目立つようになった。クレーンで資材を上へ吊り上げているのがよく見える。こうしてみていると巨大なプラモデルが組み立てられているような感じである。
言語の不統一で人の組織化を防ごうとした神の意図は空しく、今や飽く事を知らない人間の欲望は果てし無く広がっている。地球温暖化問題もそうだが、生命科学の分野においても、命の尊厳そのものが怪しくなってきている。このまま突き進んでゆけば、大きな混乱が必ず起きるだろう。科学技術的にはこれは出来るけれども、我々はこれは望まないという「分をわきまえる」知恵の必要を、社会の中に形成されるよう、働きかけることが必要なのである。その意味で、この「バベルの塔」は、単なる古代神話とすることなく、「分をわきまえる」現代的知恵を見出すべき寓話として、再解釈されてもよいのではないだろうか。
京成橋を渡り、桜橋通りから桜橋に出て帰宅した。9223歩、5.9kmを記録する。
こんなことを考えながら、白鬚橋を渡り、墨堤通りを南下し、吾妻橋を渡ると隅田公園を北上して帰宅した。本日の記録は9548歩、6.2kmであった。
早速返信メールを送っておいた。「メールありがとう。長松寺の写真まで貼付していただき、本当に懐かしく拝見いたしました。/なお、このメールは爺のブログに転写させていただきます。悪しからず。/日高節夫」
白鬚少年野球場には、「日本だからできる新しいオリンピック」という垂れ幕がだらしなく弛んで掛かっている。水神大橋西にある東京都リハビリテーション病院にもおなじ垂れ幕が掛かっている。
鳩山由紀夫首相は27日、2016年の夏季五輪開催地を決める国際オリンピック委員会(IOC)総会に出席することを決め、平野博文官房長官に対して、総会が開かれるデンマークのコペンハーゲンへの外遊日程を調整するように指示したと聞く。28日にも最終的に日程を固めるらしい。東京招致に向けて、首相として出席、自らアピールする考えだという。IOC総会は10月2日に開催される。東京とシカゴ、マドリード、リオデジャネイロの4都市が激しく争っており、石原慎太郎東京都知事が首相の訪米中に平野氏を通じ総会への出席を要請。鳩山首相は「日程的な都合がつけば真剣に考えたい」としてきた。鳩山首相は10月前半に日中韓首脳会談などの外交日程があるほか、来年度予算の編成方針を早期に固める必要があるが、1泊3日の強行軍で総会に出席する構えだ。何でこうまでして望みの薄いオリンピック招致に拘るのか理解に苦しむものである。
昨日とコースは全く同じであるから、記録もほぼ同じで、9770歩、6.3km。
sechin@nethome.ne.jp です。
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