瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
薤露歌 漢・無名氏
薤上露、 薤上の 露、
何易晞。 何ぞ 晞(かわ)き 易(やす)き。
露晞明朝更復落、 露 晞(かわ)けば 明朝 更に復(ま)た 落つ,
人死一去何時歸。 人 死して 一たび去れば 何(いづ)れの時にか 歸らん。
薤露(かいろ)の歌
薤上の 露、
何ぞ 晞(かわ)き 易(やす)き。
露 晞(かわ)けば 明朝 更に復(ま)た 落つ、
人 死して 一たび去れば 何(いづ)れの時にか 歸らん。
本日のウェブニュースより
復興も祈願する酉の市、境内はLEDで節電 ―― 商売繁盛を祈願する恒例の「酉(とり)の市」が2日午前0時、東京・浅草の鷲(おおとり)神社で始まり、趣向を凝らしたさまざまな熊手を求める人たちでにぎわった。/2日は一の酉で、境内には縁起物の熊手が所狭しと並んだ。例年、売れ筋は3万円前後といい、来年オープンする東京スカイツリーや、女子サッカー日本代表「なでしこジャパン」の選手の顔をあしらったものが参拝客の目を引いていた。/今年は東日本大震災の後でも祭りができることへの感謝と節電の意味を込め、境内の電灯1000灯をすべてLEDにしたという。/権禰宜(ごんねぎ)の小菅徳人さん(34)は「一日も早い復興を祈っています」と話していた。二の酉(14日)、三の酉(26日)にも開かれる。(2011年11月2日00時27分 読売新聞)
11月2日付 よみうり寸評 ―― 霜月到来。恒例の〈酉(とり)の市〉と聞けば、秋の深まりを思う。いや、歳時記では酉の市は冬の季語だから、むしろ冬近しだろうか◆だが、天気予報によれば、まだ最高気温が25度の夏日もくるというから、何を着ればよいかを迷うような季節のこのごろだ◆商売繁盛を祈願する酉の市は、もともと江戸近辺の行事。中でもにぎやかなのは浅草の鷲(おおとり)神社、今年も2日の「一の酉」から熊手を求める人たちでにぎわった。紫綬褒章を受章した女子サッカー日本代表「なでしこジャパン」の選手や野田首相の顔をあしらった熊手が今年の酉の市らしい◆あす3日〈文化の日〉は、もとはといえば明治天皇の誕生日だ。天長節、明治節だった昔から晴天に恵まれることが多い。紅葉狩りにもいい日和だろう◆きょうの朝刊、ドナルド・キーンさんと瀬戸内寂聴さんの対談は紅葉に彩られた岩手県平泉町の中尊寺で行われた。紅葉の名所の見ごろも南下してくる◆〈大根が太くなって晩秋〉と獅子文六は書いた。霜月は食材の味も深まる。(2011年11月2日13時51分 読売新聞)
復興も祈願する酉の市、境内はLEDで節電 ―― 商売繁盛を祈願する恒例の「酉(とり)の市」が2日午前0時、東京・浅草の鷲(おおとり)神社で始まり、趣向を凝らしたさまざまな熊手を求める人たちでにぎわった。/2日は一の酉で、境内には縁起物の熊手が所狭しと並んだ。例年、売れ筋は3万円前後といい、来年オープンする東京スカイツリーや、女子サッカー日本代表「なでしこジャパン」の選手の顔をあしらったものが参拝客の目を引いていた。/今年は東日本大震災の後でも祭りができることへの感謝と節電の意味を込め、境内の電灯1000灯をすべてLEDにしたという。/権禰宜(ごんねぎ)の小菅徳人さん(34)は「一日も早い復興を祈っています」と話していた。二の酉(14日)、三の酉(26日)にも開かれる。(2011年11月2日00時27分 読売新聞)
ここのところ足を痛めたらしく、歩行するに脹脛(ふくらはぎ)が痛くて、歩行困難に陥る。というわけで、2週間ほど外出を控えていた。昼食後、久し振りに東武線の橋梁から桜橋までテラスを歩いて見たが、半分辺りから、やはり、右足の脹脛が痛み出し、足を引きずって、帰宅した。言問橋の下ではいつのまに帰って来たのかユリカモメが飛び交っていた。山谷堀水門前の広場は平成中村座が占領。来年5月までの興行になるとか。



今日のウェブニュースより
中村勘三郎、旗揚げの地・浅草での『平成中村座』に歓喜 ―― 歌舞伎俳優の中村勘三郎(56)、田中傳次郎(34)が1日、東京・浅草の隅田公園で行われる『平成中村座 十一月大歌舞伎』初日公演に先立ち、開幕を告げる一番太鼓の儀式に出席した。秋晴れの空に傳次郎の力強い太鼓が響く中、勘三郎は「またこの墨田の地に帰らせていただいた上、7ヶ月の間も立たせてもらうので、地元の皆さんにご迷惑をかける分、いい芝居をしたい」と、旗揚げの地・浅草での公演に感慨ひとしお。「スカイツリーを観ながら、ぜひ足を運んでいただけたらと思います」とアピールした。/一番太鼓は江戸時代、芝居が始まる前に打たれた太鼓の総称。1624年に初世田中傳左衛門が開場を知らせる太鼓を打ったのが始まりの『平成中村座』ならではの初日儀式。開場前から列を作る観客に迎えられて登場した勘三郎は「清々しい陽気でなにより。一人でも多くの方に観てほしい」と笑顔。仮設劇場の真裏にはスカイツリーがそびえる抜群のロケーションになっており「『中村座』のほうが先にあるので、決して狙ったわけではないですよ」と笑わせた。/同公演は「江戸時代の芝居小屋を現代に復活させ、多くの方々に歌舞伎を楽しんでいただきたい」という勘三郎の思いから産声を上げた、江戸の芝居見物気分を味わえる体験型エンターテインメント。同日から来年5月まで、初のロングラン公演となる。 (ORICON 2011年11月01日 11時41分)
今日のウェブニュースより
論衡 三巻 物勢篇 第十四 より
凡萬物相刻賊、含血之蟲則相服、至於相噉食者、自以齒牙頓利、筋力優劣、動作巧便、氣勢勇桀。若人之在世、勢不與適、力不均等、自相勝服。以力相服、則以刃相賊矣。夫人以刃相賊、猶物以齒角爪牙相觸刺也。力強角利、勢烈牙長、則能勝;氣微爪短、膽小距頓、則服畏也。人有勇怯、故戰有勝負、勝者未必受金氣、負者未必得木精也。孔子畏陽虎、卻行流汗、陽虎未必色白、孔子未必面青也。鷹之擊鳩雀、鴞之啄鵠雁、未必鷹鴞、生於南方、而鳩雀鵠雁產於西方也、自是筋力勇怯相勝服也。
〔訳〕
およそ、万物はせめぎ合い、血の通っている動物は、勝ち負けし合って、食い合うに至るのは、おのずと歯牙の鈍利、筋肉の優劣、動作の機敏さ、気勢の剛勇さなどによるものである。人間がこの世に処する場合も、勢いが互いに匹敵しているわけではなく、力の釣り合いがとれているわけでもないから、おのずと勝ち負けしあうことになる。力によって制し合うことになれば、刃物によって損ねあうことになる。人間が刃物で損ねあうのは、動物が歯・角・爪・牙などでやりあうようなものだ。力が強く角が鋭く、勢いが激しく牙が長ければ、勝てるのだし、気力に乏しく爪が短く、胆が小さく距(けづめ)がなまくらだと降参してしまうわけだ。
人間にも勇ましいのと弱虫があるからして、戦いに勝ち負けがあるわけで、勝者かならずしも金の気を受けているのではなく、敗者かならずしも木の精を得ているのではない。孔子が陽虎を恐ろしがり、引き返してきて冷や汗を流したが、陽虎かならずしも色が白かったわけでなく、孔子かならずしも顔が青かったわけではない〔白は西の色で金に当たり、青は東の色で木にあたる〕。鷹は鳩や雀を襲い、梟(ふくろう)は鵠(はくちょう)や雁を突くが、必ずしも鷹や梟が南方(赤で火に当たる)で生まれ、鳩や雀や鵠や雁が西方(白で金にあたる)で産するわけではない。おのずから筋力や強気・弱気によって、互いに勝ち負けするのである。
一堂之上、必有論者;一鄉之中、必有訟者。訟必有曲直、論必有是非、非而曲者為負、是而直者為勝。亦或辯口利舌、辭喻橫出為勝;或詘弱綴跲、連蹇不比者為負。以舌論訟、猶以劍戟鬥也。利劍長戟、手足健疾者勝;頓刀短矛、手足緩留者負。夫物之相勝、或以筋力、或以氣勢、或以巧便。小有氣勢、口足有便、則能以小而製大;大無骨力、角翼不勁、則以大而服小。鵲食蝟皮、博勞食蛇、蝟、蛇不便也。蚊虻之力、不如牛馬、牛馬困於蚊虻、蚊虻乃有勢也。鹿之角、足以觸犬、獼猴之手、足以博鼠、然而鹿制於犬、獼猴服於鼠、角爪不利也。故十年之牛、為牧豎所驅;長仞之象、為越僮所鉤、無便故也。故夫得其便也、則以小能勝大;無其便也、則以強服於羸也。
〔訳〕
一堂に集まった人の中には、きまって議論家がいるものだし、一つの村の中にはまず訴訟沙汰を抱える人があるものだ。訴訟には必ず曲直があり、議論には必ず是非がある。非にして曲なるものは負けとなり、是にして正なるものは勝ちとなる。あるいは口がうまく弁がたち、せりふがやたらに出るものは勝ちとなるし、口がおぼつかなくてたどたどしく、途切れがちですらすらいえないものはまけとなる。舌で議論したり訴訟したりするのは、剣や戈で戦うのと同じことだ。鋭い剣や長い戈を持ち、手足が丈夫で素早いものは勝つし、なまくらな刀や短い戈を持ち、手足がのろいものは負ける。
およそ物が勝ちを制するには、筋肉に拠ることもあるし、気勢に拠ることもあるし、器用さに拠ることもある。小さくても気勢に富み、口や足が器用ならば、小にして大を制することも出来る。大きくても筋力に乏しく、角や翼が強くなければ、大にして小に服することになる。鵲(かささぎ)が蝟(はりねずみ)の腹の皮を食い破り、博労が蛇を食うというのも、蝟や蛇が不器用だからである。蚊や虻の力は牛馬ににはかなわないが、牛馬が蚊や虻に苦しめられるのは、蚊や虻に気勢があるからなのだ。鹿の角は犬を突くこともできるし、猿の手は鼠を打つこともできる。それだのに鹿は犬にやっつけられ、猿は鼠にまいってしまうのは、その角や爪が鋭くないからだ。そんなわけで十抱えもある牛が牧童に追い立てられたり、数仭〔仭は古代の八尺、一尺は約23㎝〕もある象が越〔安南方面を指す〕の子供に引かれたりするのは、器用さがないからだ。したがって、器用でありさえすれば、小さいものも大きいものに勝てるし、器用でなければ、強いもので弱いものにまいってしまうのだ。
凡萬物相刻賊、含血之蟲則相服、至於相噉食者、自以齒牙頓利、筋力優劣、動作巧便、氣勢勇桀。若人之在世、勢不與適、力不均等、自相勝服。以力相服、則以刃相賊矣。夫人以刃相賊、猶物以齒角爪牙相觸刺也。力強角利、勢烈牙長、則能勝;氣微爪短、膽小距頓、則服畏也。人有勇怯、故戰有勝負、勝者未必受金氣、負者未必得木精也。孔子畏陽虎、卻行流汗、陽虎未必色白、孔子未必面青也。鷹之擊鳩雀、鴞之啄鵠雁、未必鷹鴞、生於南方、而鳩雀鵠雁產於西方也、自是筋力勇怯相勝服也。
〔訳〕
およそ、万物はせめぎ合い、血の通っている動物は、勝ち負けし合って、食い合うに至るのは、おのずと歯牙の鈍利、筋肉の優劣、動作の機敏さ、気勢の剛勇さなどによるものである。人間がこの世に処する場合も、勢いが互いに匹敵しているわけではなく、力の釣り合いがとれているわけでもないから、おのずと勝ち負けしあうことになる。力によって制し合うことになれば、刃物によって損ねあうことになる。人間が刃物で損ねあうのは、動物が歯・角・爪・牙などでやりあうようなものだ。力が強く角が鋭く、勢いが激しく牙が長ければ、勝てるのだし、気力に乏しく爪が短く、胆が小さく距(けづめ)がなまくらだと降参してしまうわけだ。
人間にも勇ましいのと弱虫があるからして、戦いに勝ち負けがあるわけで、勝者かならずしも金の気を受けているのではなく、敗者かならずしも木の精を得ているのではない。孔子が陽虎を恐ろしがり、引き返してきて冷や汗を流したが、陽虎かならずしも色が白かったわけでなく、孔子かならずしも顔が青かったわけではない〔白は西の色で金に当たり、青は東の色で木にあたる〕。鷹は鳩や雀を襲い、梟(ふくろう)は鵠(はくちょう)や雁を突くが、必ずしも鷹や梟が南方(赤で火に当たる)で生まれ、鳩や雀や鵠や雁が西方(白で金にあたる)で産するわけではない。おのずから筋力や強気・弱気によって、互いに勝ち負けするのである。
一堂之上、必有論者;一鄉之中、必有訟者。訟必有曲直、論必有是非、非而曲者為負、是而直者為勝。亦或辯口利舌、辭喻橫出為勝;或詘弱綴跲、連蹇不比者為負。以舌論訟、猶以劍戟鬥也。利劍長戟、手足健疾者勝;頓刀短矛、手足緩留者負。夫物之相勝、或以筋力、或以氣勢、或以巧便。小有氣勢、口足有便、則能以小而製大;大無骨力、角翼不勁、則以大而服小。鵲食蝟皮、博勞食蛇、蝟、蛇不便也。蚊虻之力、不如牛馬、牛馬困於蚊虻、蚊虻乃有勢也。鹿之角、足以觸犬、獼猴之手、足以博鼠、然而鹿制於犬、獼猴服於鼠、角爪不利也。故十年之牛、為牧豎所驅;長仞之象、為越僮所鉤、無便故也。故夫得其便也、則以小能勝大;無其便也、則以強服於羸也。
〔訳〕
およそ物が勝ちを制するには、筋肉に拠ることもあるし、気勢に拠ることもあるし、器用さに拠ることもある。小さくても気勢に富み、口や足が器用ならば、小にして大を制することも出来る。大きくても筋力に乏しく、角や翼が強くなければ、大にして小に服することになる。鵲(かささぎ)が蝟(はりねずみ)の腹の皮を食い破り、博労が蛇を食うというのも、蝟や蛇が不器用だからである。蚊や虻の力は牛馬ににはかなわないが、牛馬が蚊や虻に苦しめられるのは、蚊や虻に気勢があるからなのだ。鹿の角は犬を突くこともできるし、猿の手は鼠を打つこともできる。それだのに鹿は犬にやっつけられ、猿は鼠にまいってしまうのは、その角や爪が鋭くないからだ。そんなわけで十抱えもある牛が牧童に追い立てられたり、数仭〔仭は古代の八尺、一尺は約23㎝〕もある象が越〔安南方面を指す〕の子供に引かれたりするのは、器用さがないからだ。したがって、器用でありさえすれば、小さいものも大きいものに勝てるし、器用でなければ、強いもので弱いものにまいってしまうのだ。
論衡 三巻 物勢篇 第十四 より
儒者論曰、“天地故生人。”此言妄也。夫天地合氣、人偶自生也;猶夫婦合氣、子則自生也。夫婦合氣、非當時欲得生子;情慾動而合、合而生子矣。且夫婦不故生子、以知天地不故生人也。然則人生於天地也、猶魚之於淵、飢蝨之於人也。因氣而生、種類相產、萬物生天地之間、皆一實也。傳曰:天地不故生人、人偶自生。
〔訳〕
儒者は、「天地はそのつもりで人を生み出した」などと論じているが、それはでたらめな言い草だ。じつは天と地が気を合わせて、人がたまたまひとりでに生じたのである。夫婦が気を合わせて、子供がひとりでに生まれるようなものだ。夫婦が気を合わせるのは、そのとき子供が生めるようにと願うからではない。情欲が動いて合い、合って子供が生まれるのだ。それに、夫婦はそのつもりで子を生無のではないという子で以って、天地もそのつもりで火とを生み出したのではないことがわかる。だからして、人が天地に発生するのは、魚が淵に生じ、しらみが人にわくようなものだ。気によって発生し、種類それぞれに生むのだが、万物が天地の間に生ずることの実質は、みな一つである。ある人は言う――天地がそのつもりで人を生み出したのではなく、人がたまたまひとりでに生じたのだ。
若此、論事者何故云“天地為爐、萬物為銅、陰陽為火、造化為工”乎? 案陶冶者之用爍銅燔器、故為之也。而云天地不故生人、人偶自生耳、可謂陶冶者不故為器而器偶自成乎? 夫比不應事、未可謂喻;文不稱實、未可謂是也。曰、“是喻人禀氣不能純一、若爍銅之下形、燔器之得火也、非謂天地生人與陶冶同也。”興喻人皆引人事。人事有體、不可斷絕。以目視頭、頭不得不動;以手相足、足不得不搖。目與頭同形、手與足同體。今夫陶冶者、初埏埴作器、必模範為形、故作之也;燃炭生火、必調和爐灶、故為之也。及銅爍不能皆成、器燔不能盡善、不能故生也。夫天不能故生人、則其生萬物、亦不能故也。天地合氣、物偶自生矣。夫耕耘播種、故為之也;及其成與不熟、偶自然也。
〔訳〕
もしこのように〔人がたまたま生じたのだ〕とすれば、何故にかの論者は、「天地は炉であり、万物は銅であり、陰陽は火であり、造化は工匠である」といったのだろうか。思うに鋳物師が火を使って銅を溶かしたり、器物を赤熱したりするのは、そのつもりでするのだ。それを、天地はそのつもりで人を生み出したのではなく、人がたまたまひとりでに生じたに過ぎぬというのならば、鋳物師もそのつもりで器物を作るのではなく、鋳物がたまたまひとりでにできあがるのだといえるだろうか。およそ、比べ方が事に対応していなければ、たとえとは言えないし、文が真実にかなっていなければ、正しいとは言えぬ――。
その答えはこうだ。この文句は「人がまったく一律に気を授かることが出来ないのは、熔けた銅が型に流し込まれたり、赤熱した器物が火にかけられたりする場合と同じようなものだ」というたとえなのであって、「天地が人を生み出すのは、鋳造と同じだ」といっているのではない。人をたとえにするのだから、みな人のことをもってこよう。人のことには身体というものがあり、それは切り離したりなど出来ないものだ。目でもって頭を見ようとすれば、頭は〔おのずと〕動かないわけにはいかないし、手でもって足を調べようとすれば、足は〔おのずと〕動かないわけにはいかぬ。目も頭も同じ身体についており、手も足も同じ身体についているのだ。いま、かの鋳物師なるものは、まず粘土をこねて器物を作るが、必ず木型・竹型で形をとる。そのつもりで作るわけだ。炭をおこして火にするが、必ず炉やかまどを調節する。そのつもりでするわけだ。ところが、銅が熔けても、全部がうまく仕上がるわけにはいかず、器物が赤熱しても、どれもが立派になるわけには行かない。その段になると、そのつもりで作り出すということは出来ないのだ。
さて、天はそのつもりで人を生み出すことが出来ぬとすれば、それが万物を生むにも、そのつもりでやれるのではない。天地が気を合わせ、物がひとりでにたまたま生ずるのだ。およそ耕作・除草や種まきは、そのつもりでするのだが、それがうまく成熟するかどうかという段になれば、たまたまひとりでにそうなることなのだ。
儒者論曰、“天地故生人。”此言妄也。夫天地合氣、人偶自生也;猶夫婦合氣、子則自生也。夫婦合氣、非當時欲得生子;情慾動而合、合而生子矣。且夫婦不故生子、以知天地不故生人也。然則人生於天地也、猶魚之於淵、飢蝨之於人也。因氣而生、種類相產、萬物生天地之間、皆一實也。傳曰:天地不故生人、人偶自生。
〔訳〕
儒者は、「天地はそのつもりで人を生み出した」などと論じているが、それはでたらめな言い草だ。じつは天と地が気を合わせて、人がたまたまひとりでに生じたのである。夫婦が気を合わせて、子供がひとりでに生まれるようなものだ。夫婦が気を合わせるのは、そのとき子供が生めるようにと願うからではない。情欲が動いて合い、合って子供が生まれるのだ。それに、夫婦はそのつもりで子を生無のではないという子で以って、天地もそのつもりで火とを生み出したのではないことがわかる。だからして、人が天地に発生するのは、魚が淵に生じ、しらみが人にわくようなものだ。気によって発生し、種類それぞれに生むのだが、万物が天地の間に生ずることの実質は、みな一つである。ある人は言う――天地がそのつもりで人を生み出したのではなく、人がたまたまひとりでに生じたのだ。
若此、論事者何故云“天地為爐、萬物為銅、陰陽為火、造化為工”乎? 案陶冶者之用爍銅燔器、故為之也。而云天地不故生人、人偶自生耳、可謂陶冶者不故為器而器偶自成乎? 夫比不應事、未可謂喻;文不稱實、未可謂是也。曰、“是喻人禀氣不能純一、若爍銅之下形、燔器之得火也、非謂天地生人與陶冶同也。”興喻人皆引人事。人事有體、不可斷絕。以目視頭、頭不得不動;以手相足、足不得不搖。目與頭同形、手與足同體。今夫陶冶者、初埏埴作器、必模範為形、故作之也;燃炭生火、必調和爐灶、故為之也。及銅爍不能皆成、器燔不能盡善、不能故生也。夫天不能故生人、則其生萬物、亦不能故也。天地合氣、物偶自生矣。夫耕耘播種、故為之也;及其成與不熟、偶自然也。
〔訳〕
その答えはこうだ。この文句は「人がまったく一律に気を授かることが出来ないのは、熔けた銅が型に流し込まれたり、赤熱した器物が火にかけられたりする場合と同じようなものだ」というたとえなのであって、「天地が人を生み出すのは、鋳造と同じだ」といっているのではない。人をたとえにするのだから、みな人のことをもってこよう。人のことには身体というものがあり、それは切り離したりなど出来ないものだ。目でもって頭を見ようとすれば、頭は〔おのずと〕動かないわけにはいかないし、手でもって足を調べようとすれば、足は〔おのずと〕動かないわけにはいかぬ。目も頭も同じ身体についており、手も足も同じ身体についているのだ。いま、かの鋳物師なるものは、まず粘土をこねて器物を作るが、必ず木型・竹型で形をとる。そのつもりで作るわけだ。炭をおこして火にするが、必ず炉やかまどを調節する。そのつもりでするわけだ。ところが、銅が熔けても、全部がうまく仕上がるわけにはいかず、器物が赤熱しても、どれもが立派になるわけには行かない。その段になると、そのつもりで作り出すということは出来ないのだ。
さて、天はそのつもりで人を生み出すことが出来ぬとすれば、それが万物を生むにも、そのつもりでやれるのではない。天地が気を合わせ、物がひとりでにたまたま生ずるのだ。およそ耕作・除草や種まきは、そのつもりでするのだが、それがうまく成熟するかどうかという段になれば、たまたまひとりでにそうなることなのだ。
自伝ともいうべき『論衡』自紀篇に拠れば、先祖は元々は魏郡元城の人だったが、従軍で功績があって会稽郡に陽亭として着任していた。そこで土地の者と諍いを起こし、難を逃れるために祖父の王汎のときに銭唐に移り住んだ。王家は銭唐で商売を営んでいた。王汎の子の王蒙・王誦のときにまたもや土地の人との間に争いを起こし、一家揃って上虞に移住した。王充は建武3(AD27)年に、王誦の子として生まれた。幼少のときから人に馬鹿にされることを嫌って子どもたちと遊ぶこともなく、8歳の頃から書館(学校)に出入りして勉強を始め、成人すると都(洛陽)に出て太学で班彪(『漢書』の著者の班固の父)に師事して学問を修めた。洛陽にいた頃は貧しくて書物を購入することができず、市場の書店で立ち読みして内容を暗記し、ついに諸子百家の学問に通じるようになったというエピソードも伝えられる。
学問を修めた後に郷里に戻って地方行政の下級官吏となったが、上司との意見が合わず、出世することはなかった。30歳代で官職を辞し、郷里の子弟に学問を教えながら、自身は書物・俗説の虚実を見極めようとし、著述に打ち込むようになった。「譏俗」「政務」などを著したものの満足せず、王充の目で見て合理的とはいえない讖緯説・陰陽五行説などが流行していたことを遺憾として、のちの『論衡』につながる著作を開始したとみられている。「譏俗」「政務」の書物は現存していないが、『論衡』と同じように批判精神に富んだ筆致であるか、あるいは『論衡』の中に収められている可能性もあるとみられている。
元和3(AD86)年には揚州刺史の董勤に召されて60歳で治中従事史となり、仕事のために著作の意志が弱まったようだが、章和2(AD88)年には辞任して隠棲することとなった。隠棲した後にも、同郷の友人の謝夷吾が和帝に上書して登用を薦めたが、王充はもはや病を得ており出仕することはなかった。この後に「養性」16編を著したというがこれも現存しておらず、あるいは『論衡』の中に収められている可能性もあるとみられている。こうして『論衡』の完成に情熱を注ぎいれ、永元年間(89~105年)に、病のために生涯を終えたという。
長い歳月の間に記されたものと考えられ、そのため書中では一貫性が欠けている面もみられるが、虚妄的な儒学の尚古思想を一蹴し、合理的に物事を究めようとする立場は当時の思想としては大胆かつ革新的なことであった。編述を終えた時点では100篇を超える構成であったというが、『後漢書』に挙げられた時点で85篇とされており、さらに巻15の「招致篇」44は散逸して篇名を伝えるだけとなっている。王充の死後に本書が世に出たのは2世紀末であり、蔡邕が呉(蘇州)で入手して人と語らう際の虎の巻としたことや、会稽太守となった王朗が同地で一本を発見したことによるという。一個人による百科全書的著作であり唐代までは大著として評価されてきたが、その記述姿勢が孔子・孟子に批判的であるという点から、宋代以降は無法の書として省みられなくなった。そのため、本文校訂も十分には進んでおらず、ようやく清末になって部分的注釈がなされ、中華民国時代になって詳細な注釈が完備した。1970年代の中華人民共和国での批林批孔運動(林彪と孔子及び儒教を否定し、罵倒する運動)の際には孔子を批判していた先駆的な思想書として評価されたという。
淮南子 天文訓 第三 より
帝張四維、運之以斗、月徙一辰、複反其所。正月指寅、十二月指醜、一歲而匝、終而複始。指寅、則萬物螾螾也、律受太蔟。太蔟者、蔟而未出也。指卯、卯則茂茂然、律受夾鍾。夾鍾者、種始莢也。指辰、辰則振之也、律受姑洗。姑洗者、陳去而新來也。指巳、巳則生已定也、律受仲呂。仲呂者、中充大也。指午、午者、忤也、律受蕤賓。蕤賓者、安而服也。指未、未、昧也、律受林鍾。林鍾者、引而止也。指申、申者、呻之也、律受夷則。夷則者、易其則也、德以去矣。指酉、酉者、飽也、律受南呂。南呂者、任包大也。指戌、戌者、滅也、律受無射。無射、入無厭也。指亥、亥者、閡也、律受應鍾。應鍾者、應其鍾也。指子、子者、茲也、律受黃鍾。黃鍾者、鍾巳黃也。指醜、醜者、紐也、律受大呂。大呂者、旅旅而去也。其加卯酉、則陰陽分、日夜平矣。故曰規生矩殺、衡長權藏、繩居中央、為四時根。
(訳)
天帝は、四維(四方の隅)を大きく拡げ、そこを北斗をたよって運(めぐ)らせる。月ごとに〔十二辰の〕一辰ずつを移動し、循環してもとの位置に返らせる。正月には〔斗杓は昏(日没時)に〕寅(いん)を指し、〔めぐって〕十二月には、丑を指す。〔かくて〕一年かかって一帀(いっそう、一周)する。一終(ひとめぐり)すると始めに復する。
寅を指(おざ)すのは、寅(いん)は万物が〔生まれおちて〕動く〔螾(いん)〕さまであるから。〔その月の〕音律では、大蔟(たいそう)を受け持つ。大蔟とは、〔万物が〕群生〔族〕していてまだ現われないことである。
卯を指すのは、卯(ぼう)は〔万物が〕生い茂る〔茂〕さまであるから。音律では夾鍾(きょうしょう)を受け持つ。夾鍾とは、種子が萌え(莢)始めることである。
辰を指すのは、辰(しん)は〔万物を〕振るいたたたせる〔辰〕さまであるから。音律では姑洗(こせん)を受け持つ。姑洗とは、陳(ふる)いもの(故)が遠ざかって〔洗われた〕新しいもの〔洗〕がきたることである。
巳を指すのは、巳(し)は〔万物〕の生育がすでに固定した〔巳〕さまであるから。音律では仲呂(ちゅうろ)を受け持つ。仲呂とは、中味〔中〕が充実して大きく〔呂〕なることである。
午を指すのは、午(ご)は〔陰気と陽気が〕あい交わる〔牾〕さまであるから。音律では蕤賓(ずいひん)を受け持つ。蕤賓とは、安らかな気持ち〔綏〕でつき従う〔賓〕ひとである。
未を指すのは、未(び)は〔万物〕が味わいゆたかな〔味〕さまであるから、音律では林鍾(りんしょう)を受け持つ。林鍾とは、引きしめて〔綝〕止めることである。
申を指すのは、申(しん)は〔万物が陰気に傷められて〕うめく〔呻〕さまであるから。音律では、夷則を受け持つ。夷則とは、〔万物は陰気に〕法(おきて)〔則〕を傷(やぶ)られる〔夷〕ことである。徳恵〔の気は〕すでにとおざかったのである。
酉を指すのは、酉(ゆう)は〔万物が〕飽き足りた〔就〕さまであるから。音律では南呂(なんろ)を受け持つ。南呂とは〔万物を〕助け保つ〔任〕のことの大きい〔邑〕であるから。
戌を指すのは、戌(じゅつ)は〔万物が〕尽き果てる〔減〕さまであるから。音律では無射(ぶえき)を受け持つ。無射とは〔万物が地下に〕入蔵して厭う〔斁(えき)〕ことのない〔無〕ことである。
亥を指すのは、亥(がい)は〔万物が〕もとを閉ざす〔閡(がい)〕さまであるから。音律では、応鍾(おうしょう)を受け持つ。応鍾とは、〔陽気が〕収(あつ)まる(鍾)ときに〔万物の〕対応する〔応〕さまであるから。
子を指すのは、子(し)は〔万物が地下で〕はぐくむ〔孳(し)〕さまであるから。音律では、黄鍾(こうしょう)を受け持つ。黄鍾とは、〔陽気が、地中の〕黄泉に〔黄〕にあつまる〔鍾〕ことである。
丑を指すのは、丑(ちゅう)は〔万物が芽吹いて〕まだ結ぼれている〔紐〕さまであるから。音律では大呂(たいりょ)を受け持つ。大呂とは、〔陰気が〕一斉に伴(つれ)だってとおざかることである。
〔以上のうち〕卯と酉とに当たるときは、陰気と陽気とが均分され、昼と夜とが〔等しい長さに〕平分されるのである。
さても、規〔コンパス〕は生み育てるもので、矩〔く、ものさし〕はそぎ落とすもの、衡〔竿秤〕はものを成らすもので、権〔秤のおもり〕は蔵(た)めこむもの。縄〔すみなわ〕は中央の位を占めて、四時〔しじ、四季〕の根本である。

*音律〔十二律〕とは、中国の伝統音楽で用いられる12種類の標準的な高さの音。1オクターブ間に平均律でない半音の間隔で配された12の音である。律とは本来、音を定める竹の管であり、その長さの違いによって12の音の高さを定めた。周代において確立した。律を低いものから高いものへと並べ、西洋音楽の音名と対照すると図のようになる(規準音である黄鐘をCとした場合。時代によって違い、あくまでも目安である)。
帝張四維、運之以斗、月徙一辰、複反其所。正月指寅、十二月指醜、一歲而匝、終而複始。指寅、則萬物螾螾也、律受太蔟。太蔟者、蔟而未出也。指卯、卯則茂茂然、律受夾鍾。夾鍾者、種始莢也。指辰、辰則振之也、律受姑洗。姑洗者、陳去而新來也。指巳、巳則生已定也、律受仲呂。仲呂者、中充大也。指午、午者、忤也、律受蕤賓。蕤賓者、安而服也。指未、未、昧也、律受林鍾。林鍾者、引而止也。指申、申者、呻之也、律受夷則。夷則者、易其則也、德以去矣。指酉、酉者、飽也、律受南呂。南呂者、任包大也。指戌、戌者、滅也、律受無射。無射、入無厭也。指亥、亥者、閡也、律受應鍾。應鍾者、應其鍾也。指子、子者、茲也、律受黃鍾。黃鍾者、鍾巳黃也。指醜、醜者、紐也、律受大呂。大呂者、旅旅而去也。其加卯酉、則陰陽分、日夜平矣。故曰規生矩殺、衡長權藏、繩居中央、為四時根。
(訳)
天帝は、四維(四方の隅)を大きく拡げ、そこを北斗をたよって運(めぐ)らせる。月ごとに〔十二辰の〕一辰ずつを移動し、循環してもとの位置に返らせる。正月には〔斗杓は昏(日没時)に〕寅(いん)を指し、〔めぐって〕十二月には、丑を指す。〔かくて〕一年かかって一帀(いっそう、一周)する。一終(ひとめぐり)すると始めに復する。
寅を指(おざ)すのは、寅(いん)は万物が〔生まれおちて〕動く〔螾(いん)〕さまであるから。〔その月の〕音律では、大蔟(たいそう)を受け持つ。大蔟とは、〔万物が〕群生〔族〕していてまだ現われないことである。
卯を指すのは、卯(ぼう)は〔万物が〕生い茂る〔茂〕さまであるから。音律では夾鍾(きょうしょう)を受け持つ。夾鍾とは、種子が萌え(莢)始めることである。
辰を指すのは、辰(しん)は〔万物を〕振るいたたたせる〔辰〕さまであるから。音律では姑洗(こせん)を受け持つ。姑洗とは、陳(ふる)いもの(故)が遠ざかって〔洗われた〕新しいもの〔洗〕がきたることである。
巳を指すのは、巳(し)は〔万物〕の生育がすでに固定した〔巳〕さまであるから。音律では仲呂(ちゅうろ)を受け持つ。仲呂とは、中味〔中〕が充実して大きく〔呂〕なることである。
午を指すのは、午(ご)は〔陰気と陽気が〕あい交わる〔牾〕さまであるから。音律では蕤賓(ずいひん)を受け持つ。蕤賓とは、安らかな気持ち〔綏〕でつき従う〔賓〕ひとである。
未を指すのは、未(び)は〔万物〕が味わいゆたかな〔味〕さまであるから、音律では林鍾(りんしょう)を受け持つ。林鍾とは、引きしめて〔綝〕止めることである。
申を指すのは、申(しん)は〔万物が陰気に傷められて〕うめく〔呻〕さまであるから。音律では、夷則を受け持つ。夷則とは、〔万物は陰気に〕法(おきて)〔則〕を傷(やぶ)られる〔夷〕ことである。徳恵〔の気は〕すでにとおざかったのである。
酉を指すのは、酉(ゆう)は〔万物が〕飽き足りた〔就〕さまであるから。音律では南呂(なんろ)を受け持つ。南呂とは〔万物を〕助け保つ〔任〕のことの大きい〔邑〕であるから。
戌を指すのは、戌(じゅつ)は〔万物が〕尽き果てる〔減〕さまであるから。音律では無射(ぶえき)を受け持つ。無射とは〔万物が地下に〕入蔵して厭う〔斁(えき)〕ことのない〔無〕ことである。
亥を指すのは、亥(がい)は〔万物が〕もとを閉ざす〔閡(がい)〕さまであるから。音律では、応鍾(おうしょう)を受け持つ。応鍾とは、〔陽気が〕収(あつ)まる(鍾)ときに〔万物の〕対応する〔応〕さまであるから。
子を指すのは、子(し)は〔万物が地下で〕はぐくむ〔孳(し)〕さまであるから。音律では、黄鍾(こうしょう)を受け持つ。黄鍾とは、〔陽気が、地中の〕黄泉に〔黄〕にあつまる〔鍾〕ことである。
丑を指すのは、丑(ちゅう)は〔万物が芽吹いて〕まだ結ぼれている〔紐〕さまであるから。音律では大呂(たいりょ)を受け持つ。大呂とは、〔陰気が〕一斉に伴(つれ)だってとおざかることである。
〔以上のうち〕卯と酉とに当たるときは、陰気と陽気とが均分され、昼と夜とが〔等しい長さに〕平分されるのである。
さても、規〔コンパス〕は生み育てるもので、矩〔く、ものさし〕はそぎ落とすもの、衡〔竿秤〕はものを成らすもので、権〔秤のおもり〕は蔵(た)めこむもの。縄〔すみなわ〕は中央の位を占めて、四時〔しじ、四季〕の根本である。
十二支は子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の12種類からなっているが、十干と同じように、十二支の本義は、古代研究に便利な漢の釈名や、史記の歴書によっても、実は生命消長の循環過程を分説したものであって、実際の木だの、火だの、鼠だの、牛だのと直接関係のあることではない。
子(シ・ね): “孳”で、陽気が色々に発現しようとする動き
丑(チュウ・うし): “紐”で、生命エネルギーの様々な結合
寅(イン・とら): “演”で、形をとっての発生
卯(ボウ・う): 同音“冒”に通じ、開発の意
辰(シン・たつ): “震”、同音“申”に同じ、生の活動
巳(シ・み): “已”に通じ、陽盛の極、漸く陰に移ろうとする所
午(ゴ・うま): “忤(さからう)”に通じ、上昇する陰と下退する陽との抵触
未(ビ・ひつじ): “昧”で、陰気の支配
申(シン・さる): 陰気の支配
酉(ユウ・とり): 酒熟して気の漏れる象。陰気の熟する所
戌(ジュツ・いぬ):同音“恤”であり、“滅”である。統一退蔵
亥(ガイ・い): “核”で、生命の完全な収蔵含蓄
十二支は古く殷の甲骨文では十干と組み合わされて日付を記録するのに利用されている。戦国以降、日だけでなく、年・月・時刻・方位の記述にも利用されるようになる。戦国時代の中国天文学において天球の分割方法の一つであった十二辰は、天球を天の赤道帯に沿って東から西に十二等分したもので、この名称には十二支が当てられた。また、木星が約12年で天球を西から東に一周することから、十二次という別の天球分割法における木星の位置が年の記述に利用されていたが、十二辰の方向と順序に対しては逆方向であるため、紀元前4世紀ごろ、十二辰の方向に合わせるべく木星とは一直径を境に逆回りに天球を巡る太歳という架空の星を考え、太歳の十二辰における位置で年を示す紀年法が使われるようになった。これが後漢以後に始まり現在まで使われている干支による紀年法の起源である。また、12という数が1年の月数と同じであることから、月を表すのにも用いられるようになった。これを月建といい、建子の月は冬至を含む月、すなわち夏暦の11月、周暦の正月である周正に置かれた。さらに、時刻(十二時辰)や方位の表示にも用いられるようになった。正午(昼の12時)、正子(夜の12時)、子午線(南北を結ぶ線: 経線)、卯酉線(東西を結ぶ線: 局所的に緯線と一致するが厳密には両者は別のもの)の称はこれに由来する。
十二支の各文字は、一説に草木の成長における各相を象徴したものとされる(『漢書』律暦志)。また、各十二支には動物が割り当てられている。これを十二生肖と呼ぶが、日本では十二支という言葉自体で十二生肖を指すことが多い。元々十二支は順序を表す記号であって動物とは関係がない。なぜ動物と組み合わせられたかについては、人々が暦を覚えやすくするために、身近な動物を割り当てたという説(後漢の王充『論衡』)やバビロニア天文学の十二宮の伝播といった説がある。
子(シ・ね): “孳”で、陽気が色々に発現しようとする動き
丑(チュウ・うし): “紐”で、生命エネルギーの様々な結合
寅(イン・とら): “演”で、形をとっての発生
卯(ボウ・う): 同音“冒”に通じ、開発の意
辰(シン・たつ): “震”、同音“申”に同じ、生の活動
巳(シ・み): “已”に通じ、陽盛の極、漸く陰に移ろうとする所
午(ゴ・うま): “忤(さからう)”に通じ、上昇する陰と下退する陽との抵触
未(ビ・ひつじ): “昧”で、陰気の支配
申(シン・さる): 陰気の支配
酉(ユウ・とり): 酒熟して気の漏れる象。陰気の熟する所
戌(ジュツ・いぬ):同音“恤”であり、“滅”である。統一退蔵
亥(ガイ・い): “核”で、生命の完全な収蔵含蓄
十二支の各文字は、一説に草木の成長における各相を象徴したものとされる(『漢書』律暦志)。また、各十二支には動物が割り当てられている。これを十二生肖と呼ぶが、日本では十二支という言葉自体で十二生肖を指すことが多い。元々十二支は順序を表す記号であって動物とは関係がない。なぜ動物と組み合わせられたかについては、人々が暦を覚えやすくするために、身近な動物を割り当てたという説(後漢の王充『論衡』)やバビロニア天文学の十二宮の伝播といった説がある。
十干(じっかん)は、甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸の10の要素の順列。干支を書くとき干を支の前に書くことから天干(てんかん)とも言う。
古代中国で考えられ、日本に伝えられた。十二支と合わせて干支(「かんし」または「えと」)といい、暦の表示などに用いられる。五行に当てはめて、2つずつを木(もく、き)・火(か、ひ)・土(と、つち)・金(こん、か)・水(すい、みず)にそれぞれ当て、さらに陰陽を割り当てている。日本では陽を兄、陰を弟として、例えば「甲」を「木の兄」(きのえ)、「乙」を「木の弟」(きのと)などと呼ぶようになった。「干支」を「えと」と読むのは、この「兄弟」(えと)に由来する。
十干は甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸の10種類からなるが、十干の本義は、古代研究に便利な漢の釈名や、史記の歴書によっても、実は生命消長の循環過程を分説したものであって、実際の木だの、火だの、鼠だの、牛だのと直接関係のあることではない。それぞれの本義は、次のようになっている。
甲(コウ・きのえ):草木の芽生え、鱗芽のかいわれの象意
乙(オツ・きのと):陽気のまだ伸びない、かがまっているところ
丙(ヘイ・ひのえ):陽気の発揚
丁(テイ・ひのと):陽気の充溢
戊(ボ・つちのえ):“茂”に通じ、陽気による分化繁栄
己(キ・つちのと):紀に通じ、分散を防ぐ統制作用
庚(コウ・かのえ):結実、形成、陰化の段階
辛(シン・かのと):陰による統制の強化
壬(ジン・みずのえ):“妊”に通じ、陽気を下に姙む意
癸(キ・みずのと):“揆”に同じく生命のない残物を清算して地ならしを行い、新たな生長を行う待機の状態
古代中国で考えられ、日本に伝えられた。十二支と合わせて干支(「かんし」または「えと」)といい、暦の表示などに用いられる。五行に当てはめて、2つずつを木(もく、き)・火(か、ひ)・土(と、つち)・金(こん、か)・水(すい、みず)にそれぞれ当て、さらに陰陽を割り当てている。日本では陽を兄、陰を弟として、例えば「甲」を「木の兄」(きのえ)、「乙」を「木の弟」(きのと)などと呼ぶようになった。「干支」を「えと」と読むのは、この「兄弟」(えと)に由来する。
甲(コウ・きのえ):草木の芽生え、鱗芽のかいわれの象意
乙(オツ・きのと):陽気のまだ伸びない、かがまっているところ
丙(ヘイ・ひのえ):陽気の発揚
丁(テイ・ひのと):陽気の充溢
戊(ボ・つちのえ):“茂”に通じ、陽気による分化繁栄
己(キ・つちのと):紀に通じ、分散を防ぐ統制作用
庚(コウ・かのえ):結実、形成、陰化の段階
辛(シン・かのと):陰による統制の強化
壬(ジン・みずのえ):“妊”に通じ、陽気を下に姙む意
癸(キ・みずのと):“揆”に同じく生命のない残物を清算して地ならしを行い、新たな生長を行う待機の状態
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目高 拙痴无
年齢:
93
誕生日:
1932/02/04
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くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
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