瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
al-Khwārizmī (アル=クワーリズミー)は天文表を作り、フワーリズミーの天文学に関する学問を集大成した書となった。インド天文学の理論を取り入れた初期アラビア天文学の代表作。太陽・月・惑星の運動や食などを計算する多数の表からなっていたが、現存するものは不完全なラテン語訳のみである。
8世紀にインドの使節団が持ち込んだ『Surya Siddhanta(スーリヤ・シッダーンタ)』』や『Brahmasphutasiddhanta(ブラーマ・スプタ・シッダーンタ)』を、Muhammad ibn Ibrahim al-Fazari〔ムハンマド・アル=ファザーリ、没年は796年か806年〕がアラビア語に翻訳して『Sindhind(シンドヒンド)』という書にまとめた。al-Khwārizmī (アル=クワーリズミー)は、この『Sindhind(シンドヒンド)』とバビロニアや Ptolemaeus(プトレマイオス)の天文書を参考に天文表を作り上げた。中世ヨーロッパにも大きな影響を与えた天文書となり、Ándalus〔アンダルス、歴史的にスペインのアンダルシア地方を中心とするイスラーム勢力統治下のイベリア半島一帯のことを漠然と指す呼称〕の天文学者Maslama al-Majriti〔マスラマ・アル=マジリッチ、950年頃の人〕によるラテン語訳が残っている。
数学や天文学での活躍に比べて有名ではないが、地理学の分野では、Ptolemaeus(プトレマイオス)の世界論を受け継いだ世界地図の作成に携わった。al-Maʾmūn(マアムーン)の命により、シンジャール平原において太陽高度差を利用した緯度差1度に相当する子午線弧長の測量を実施している。al-Khwārizmī (アル=クワーリズミー)は、この調査の成果を著作『大地の概念』に取り入れた。また、Ptolemaeus(プトレマイオス)による地中海の長さの見積りを修正し、アジアやアフリカの地形描写を精密にした。インドやビザンティンには調査で3回出向いている。
8世紀にインドの使節団が持ち込んだ『Surya Siddhanta(スーリヤ・シッダーンタ)』』や『Brahmasphutasiddhanta(ブラーマ・スプタ・シッダーンタ)』を、Muhammad ibn Ibrahim al-Fazari〔ムハンマド・アル=ファザーリ、没年は796年か806年〕がアラビア語に翻訳して『Sindhind(シンドヒンド)』という書にまとめた。al-Khwārizmī (アル=クワーリズミー)は、この『Sindhind(シンドヒンド)』とバビロニアや Ptolemaeus(プトレマイオス)の天文書を参考に天文表を作り上げた。中世ヨーロッパにも大きな影響を与えた天文書となり、Ándalus〔アンダルス、歴史的にスペインのアンダルシア地方を中心とするイスラーム勢力統治下のイベリア半島一帯のことを漠然と指す呼称〕の天文学者Maslama al-Majriti〔マスラマ・アル=マジリッチ、950年頃の人〕によるラテン語訳が残っている。
数学や天文学での活躍に比べて有名ではないが、地理学の分野では、Ptolemaeus(プトレマイオス)の世界論を受け継いだ世界地図の作成に携わった。al-Maʾmūn(マアムーン)の命により、シンジャール平原において太陽高度差を利用した緯度差1度に相当する子午線弧長の測量を実施している。al-Khwārizmī (アル=クワーリズミー)は、この調査の成果を著作『大地の概念』に取り入れた。また、Ptolemaeus(プトレマイオス)による地中海の長さの見積りを修正し、アジアやアフリカの地形描写を精密にした。インドやビザンティンには調査で3回出向いている。
今日は被爆から68年目の「原爆の日」である。本日のウェブニュースより、
広島、核兵器の非人道性訴え 被爆68年、廃絶と平和誓う ―― 広島は6日、被爆から68年の「原爆の日」を迎えた。広島市中区の平和記念公園では、午前8時から「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」(平和記念式典)が営まれた。松井一実市長は平和宣言で「核廃絶に取り組んでいる国々との連携強化」を日本政府に要求し、核兵器の非人道性を訴える。/また「信頼と対話に基づく安全保障体制への転換を」と世界に呼び掛ける。核兵器は「絶対悪」と位置付け、平和な世界の実現を誓い、原爆犠牲者に哀悼の意を表す。/エネルギー政策で、原発の是非には言及しない。/原爆が投下された午前8時15分に黙とうをささげ、「平和の鐘」を鳴らし、「平和への誓い」を読み上げる。 2013/08/06 08:26 【共同通信】
原爆投下68年 オリバー・ストーン監督、広島を歩く ―― 原爆投下から68年。戦争に批判的な米国の映画監督、オリバー・ストーン氏〔66〕は5日、朝日新聞のインタビューに応じ、広島で被爆の惨禍を想像することの大切さを訴えた。日本ではいま、集団的自衛権をめぐる憲法解釈の見直しや改憲論議など、戦後日本のあり方を変える動きが目立つ。核なき平和を求める被爆地の声は届くのか。/オリバー・ストーン氏は5日夜、広島市内で朝日新聞のインタビューに応じた。核廃絶を実現するために、若い世代に向けて「広島についてもっと学ぶことだ。学べば意識は変えられる」と訴えた。/ストーン氏は「世界は過去で埋め尽くされている」と話し、想像することの大切さを強調した。「僕は1945年のこの場所にいるような気がしている。いまここであの日の瞬間、爆風を感じている」 /「瀕死(ひんし)の被爆者がさまよっていた。父と母の姿も見えた。川に浮き沈みする遺体も見えた」。原爆ドームや平和記念資料館を訪れ、脳裏に浮かんだイメージをこう表現した。5日、母親と弟を亡くした被爆者の男性から「原爆とは知らなかった」と聞いたという。「当時の人はその爆弾が何かわからなかっただろう」と思いをはせた。/資料館にある「人影の石」も記憶に残ったという。「人々の影が一瞬で焼き付き、体は一瞬で吹き飛ばされたのだろう」/原爆を投下した米国の責任についても言及。「敗者のナチスが原爆を落としていれば、批判を受け続けただろう。しかし勝者の米国の場合は(悪に)制裁を加えたと例外扱いされる」/参列する6日の平和記念式典では、安倍晋三首相の発言に注目しているという。「首相が何を言うのか聞きたい。彼は核兵器を全廃しようと言うにちがいない。軽い調子で」。皮肉を込めてそう語った。/若い世代には「僕だって5、6年前まで広島の歴史を知らなかった。学べば意識は変えられる」とメッセージを送った。
■原爆ドームを訪問 4日に広島入りし、原爆の惨禍を伝える広島平和記念資料館を視察したオリバー・ストーン氏は、5日も平和記念公園や原爆ドームなどを訪問。午後には「8・6ヒロシマ平和の集い2013」に出席し、一緒に来日した米アメリカン大学のピーター・カズニック准教授と対談した。/ストーン氏は対談で、米国で浸透している「原爆が戦争の終結を早めた」という見方について、「人々は不快な歴史の事実を受け入れがたい。私自身も理解するのに時間がかかった」と語った。一方、日本とアジア諸国の関係について「日本はアジアへの加害責任に向き合っておらず、犠牲者の立場に立った視点がない」と批判した。/今後、ストーン氏は長崎、沖縄を訪問し、15日に離日する予定だ。
■オリバー・ストーン監督一問一答
――広島を歩いた印象は
想像の中で、僕自身が1945年の子の場所にいるような気がしている。いまここにいて、あの日の瞬間を感じた。
――広島で見たり、聞いたりしたことで印象に残ったことは
資料館はとても役だった。多くの写真を見ることができた。破壊された風景のパノラマ写真は衝撃だった。 だが、(米国の歴史を批判する)僕たちの主張は、米国の大手メディアは受け入れない。時々無力感を感じる。
――伝えたいことは
私の最大のメッセージは、真実を学んでほしいということ。若者に関心を高めてほしい。被爆者が亡くなっていくなか、彼らが生きているうちには核の廃絶はできないかもしれない。若い世代は、広島についてもっと学ぶべきだ。僕だって5、6年前まで広島の歴史を知らなかった。私は年老いたが、学べば意識は変えられる。

広島の「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」が行われる平和記念公園には、横江嘉純氏の「祈りの像(子供を抱いた若い夫婦の像)」があり、その下に爺の伯父(母の兄)に当たる大木惇夫の「平和を祈り 御霊を鎮めん」の詩文が刻まれている。
※横江嘉純(よこえよしずみ):1887-1962 大正-昭和時代の彫刻家。
明治20年5月3日生まれ。大正7年文展に初入選。昭和3年「大乗」で帝国美術院賞。のち帝展,新文展,日展の審査員。寓意(ぐうい)的な作品を得意とした。作品に「われらが生きる太陽(追慕の像)」,東京駅前広場にある「愛の像」など。昭和37年2月14日死去。74歳。富山県出身。東京美術学校(現東京芸大)卒。
※大木惇夫(おおき-あつお) :1895-1977 大正-昭和時代の詩人。明治28年4月18日生まれ。博文館に勤務中の大正10年「大阪朝日新聞」の懸賞小説に入選する。北原白秋に師事,14年第1詩集「風・光・木の葉」を発表。歌謡曲の作詞に「国境の町」がある。昭和52年7月19日死去。82歳。広島県出身。広島商業卒。本名は軍一。詩集はほかに「危険信号」「失意の虹」など
平和を祈り 御霊を鎮めん 大木惇夫
山河に歎きはみちて 叫ぶ声あり
戦ひは げに 人類の恥辱ぞと
ああ 奮ひ起ち挙り立て 心つなぎて つつましく
世界の平和 祈らばや やすらぎの日をもたらして
国に殉ぜしもろ人の み霊をこそは鎮めまし
み霊よ 地下に哭くなかれ
青空の光をうけて 闇を絶たずや
戦ひは げに 人類の愚劣なり
ああ 奮い起ち挙り立て 呼べば応へて たくましく
世界の平和 祈らばや やすらぎの日をもたらして
国に殉ぜしもろ人の み霊をこそは鎮めまし
み霊よ 地下に哭くなかれ
夕星のさとしはありて こだま地にみつ
戦ひは げに 人類の自滅ぞと
ああ 奮い起ち挙り立て まこと尽して 美はしく
世界の平和 祈らばや やすらぎの日をもたらして
国に殉ぜしもろ人の み霊をこそは鎮めまし
み霊よ 地下に哭くなかれ
■原爆ドームを訪問 4日に広島入りし、原爆の惨禍を伝える広島平和記念資料館を視察したオリバー・ストーン氏は、5日も平和記念公園や原爆ドームなどを訪問。午後には「8・6ヒロシマ平和の集い2013」に出席し、一緒に来日した米アメリカン大学のピーター・カズニック准教授と対談した。/ストーン氏は対談で、米国で浸透している「原爆が戦争の終結を早めた」という見方について、「人々は不快な歴史の事実を受け入れがたい。私自身も理解するのに時間がかかった」と語った。一方、日本とアジア諸国の関係について「日本はアジアへの加害責任に向き合っておらず、犠牲者の立場に立った視点がない」と批判した。/今後、ストーン氏は長崎、沖縄を訪問し、15日に離日する予定だ。
■オリバー・ストーン監督一問一答
――広島を歩いた印象は
想像の中で、僕自身が1945年の子の場所にいるような気がしている。いまここにいて、あの日の瞬間を感じた。
――広島で見たり、聞いたりしたことで印象に残ったことは
資料館はとても役だった。多くの写真を見ることができた。破壊された風景のパノラマ写真は衝撃だった。 だが、(米国の歴史を批判する)僕たちの主張は、米国の大手メディアは受け入れない。時々無力感を感じる。
――伝えたいことは
私の最大のメッセージは、真実を学んでほしいということ。若者に関心を高めてほしい。被爆者が亡くなっていくなか、彼らが生きているうちには核の廃絶はできないかもしれない。若い世代は、広島についてもっと学ぶべきだ。僕だって5、6年前まで広島の歴史を知らなかった。私は年老いたが、学べば意識は変えられる。
※横江嘉純(よこえよしずみ):1887-1962 大正-昭和時代の彫刻家。
明治20年5月3日生まれ。大正7年文展に初入選。昭和3年「大乗」で帝国美術院賞。のち帝展,新文展,日展の審査員。寓意(ぐうい)的な作品を得意とした。作品に「われらが生きる太陽(追慕の像)」,東京駅前広場にある「愛の像」など。昭和37年2月14日死去。74歳。富山県出身。東京美術学校(現東京芸大)卒。
平和を祈り 御霊を鎮めん 大木惇夫
山河に歎きはみちて 叫ぶ声あり
戦ひは げに 人類の恥辱ぞと
ああ 奮ひ起ち挙り立て 心つなぎて つつましく
世界の平和 祈らばや やすらぎの日をもたらして
国に殉ぜしもろ人の み霊をこそは鎮めまし
み霊よ 地下に哭くなかれ
青空の光をうけて 闇を絶たずや
戦ひは げに 人類の愚劣なり
ああ 奮い起ち挙り立て 呼べば応へて たくましく
世界の平和 祈らばや やすらぎの日をもたらして
国に殉ぜしもろ人の み霊をこそは鎮めまし
み霊よ 地下に哭くなかれ
夕星のさとしはありて こだま地にみつ
戦ひは げに 人類の自滅ぞと
ああ 奮い起ち挙り立て まこと尽して 美はしく
世界の平和 祈らばや やすらぎの日をもたらして
国に殉ぜしもろ人の み霊をこそは鎮めまし
み霊よ 地下に哭くなかれ
さらに連立方程式についての問題があるが、 x+y=10 と、もう1つの方程式をそれぞれ次のものにとって解いている。
xy=21、 x²+y²=40、 x²-y²=(x-y)+54、 x²=4xy、
(x+y)²=(25/9)x²、 y²=81x、 (y/x)+(x/y)=13/6、
xy/|y-x|=21/5
また、分数方程式 1/x-1/(x+1)=1/6 も解いている。
遺産相続の問題では、例えば、「ある人が死ぬ前、4人の息子に財産を等しく分配し、ある1人の人に息子1人の分け前と、その分け前を全財産の3分の1からから引いた残りの4分の1と1ジルヘム(お金の単位)を加えたものを与えると遺言した」というのがある。
塾友のSEKIちゃんや、IKUOちゃんが出向中の「ほほ笑みの国」タイが政治対立で揺れているという。またしても緊張が高まり、首相が異例の緊急テレビ演説をしたという。今、何が起ころうとしているのだろうか。 今朝のウェブニュースより
タイ、恩赦巡り政治対立再燃 首相、緊急演説で打開図る ―― 【バンコク=大野良祐】タイのタクシン元首相派政権と反タクシン派の政治対立が、今月1日の通常国会開会を機に、先鋭化し始めている。反タクシン派は4日から街頭行動を始めると宣言。2日夜には、インラック首相がテレビを通じて異例の緊急演説をし、対立解消への協力を求める呼びかけをした。/国会で焦点となっているのは与党・タイ貢献党の議員が提出した恩赦法案。政治対立の起点となった2006年のタクシン首相(当時)追放クーデター以降に街頭デモや政治的な暴力事件などで逮捕された人びとに恩赦を与えるものだ。/反タクシン派は、同法案が最終的にはタクシン氏の恩赦・帰国を狙ったものだとして強く反発し、バンコク中心部で大規模な反政府集会を開く準備に入った。政府は国会周辺地域に治安維持法を適用して、1日から警察部隊を多数投入して混乱防止に備えている。/インラック首相は2日のテレビ演説で「選挙で選ばれた政府を倒し、クーデターや暴力を求める扇動行為がある。多くの国民が対立の先鋭化を恐れている。そこで、建設的で参加型の解決策を提案したい」と、一部の過激な反タクシン派を牽制(けんせい)。一方で、「政治改革会議」を創設する方針を表明。全政党、タクシン派、反タクシン派双方の運動組織、官民の有識者らが参加するものにしたいと語った。/今国会では、恩赦法案のほか、来年度予算案や総額2兆バーツ(約6兆3千億円)規模のインフラ整備計画案など重要案件が控えている。/インラック首相としては、政治対立の激化で国会審議が滞るのは避けたいところだが、恩赦法も与党の最優先課題の一つ。緊急演説を通じ、国会論戦が本格化する前に対立解消に努力している姿勢を国民にアピールすることを狙ったとみられる。ただ、反タクシン派がこの改革会議に参加するかどうかは不明だ。 〔朝日新聞 2013年08月03日17時55分〕
オーストラリアのmihoちゃんからメールが入った。曰く、
お久しぶりです。/日本の夏はとても暑いですが、お元気ですか?/こちらは、冬ですが、例年より暖かく、何かとすごし やすい冬になっています。/私は、現在妊娠していまして、8ヶ月めで、9月の中ごろ産まれる予定です。/女の子で、名前も「はるな」と、決まっています。/今のところ、大きな病気もせず、私もお腹の赤ちゃんも順調に育っています。/大分お腹も大きくなり、動くのがゆっくりだったりしますが、マットがいつも色々手伝ってくれるので、とても助かります。/今年の、隅田川の花火大会が、大雨で途中で中止になり、とても残念ですね。/まだ、暑い夏が続くと思いますが、おじさんとおばさんもお体に気をつけて、お
過ごしください。 みほ&Matt
婆様が、返事を書いてくれた。曰く、
9月に出産とのこと、おめでとう!/マットのご両親・美帆ちゃんの両親も喜んでいらっしゃることでしょう。/6月頃、友ちゃんから美帆チャンガ懐妊したらしいと聞いたので、メールを出さなくてはと思いながら……ゴメンナサイネ。/「はるなチャン」可愛らしい良い名前をつけたナアーと、伯母さんは思います。/送信してくれた写真、美帆ちゃんの顔 すっかりお母さんになっていますね。きっと元気な赤ちゃんが産まれることでしょう。楽しみにしています。/伯父さんは81歳、伯母さんは78歳。1年ごとに身体がきつくなりますが、二人とも元気にしています。/浅草も東京スカイツリーの影響からか、何処の道路も観光バスで混雑しています。/貼付の写真は、今年の5月EKIMISE(松屋)の屋上で叔父さんの姪と一緒に撮ったものです。/ 庄司一家も皆元気です。/直樹(なおき)…… 大学1年生/彩乃(あやの)…… 高校1年生/健太(けんた)…… 中学1年生 そして、いつもお利口に留守番をしている愛犬レディ〔年齢不明、十云歳〕です。/ 美帆ちゃん! マットの協力に甘えて無理をせずお身体を大切にしてください。/最後になりましたが、ご両親に宜しくお伝えください。 道子
オーストラリアのmihoちゃんからメールが入った。曰く、
過ごしください。 みほ&Matt
婆様が、返事を書いてくれた。曰く、
橋下大阪市長の「慰安婦問題」発言、鳩山元首相の「尖閣諸島」をめぐる発言など、政治家の思慮のない発言が批判の的にされてきたが、今度は与党の№2とされる麻生副総理の発言に批判の声が上っている。まあ、こんなことが続けば、海外から日本の政治家の資質が下落したと思われても致し方あるまい。ウェブニュースより
麻生氏“ナチス発言”、国際的にも批判の声 ―― 先月29日に東京都で開かれたシンポジウムで、麻生副総理が憲法改正の議論のあり方について、ドイツ・ナチス政権を例に挙げながら「ワイマール憲法もいつの間にかナチス憲法に変わっていた。あの手口を学んだらどうか」と発言したとされることについて、国際的にも批判の声が上がっている。/アメリカのユダヤ人団体「サイモン・ウィーゼンダール・センター」は先月30日、「ナチスから学ぶべき手法とは何か?」との見出しで、発言を非難する声明を出した。/韓国外務省・趙泰永報道官は先月30日、「このような発言が、過去に日本帝国主義による侵略の被害に遭った周辺国の国民にどのように映るのかは明白だと思います」と述べた。/中国外務省は「日本が今後どこに進むのかについて、アジア周辺国や国際社会に関心と警戒を引き起こしています」との談話を発表し、1日に国営・中国中央テレビで読み上げられた。/また、ドイツの有力な政治週刊誌「シュピーゲル」の電子版は、「ナチスの政治戦略を賛美したことで副総理は批判を受けた」とし、「ユダヤ人人権団体から説明を求められている」と事実関係を伝えている。 < 日テレNews 2013年8月2日 0:55 >
麻生副総理、失言何度目ですか 「影響を計算できない人」識者苦言 ナチス発言紙面で読む 失言、釈明、撤回。ナチス・ドイツを引き合いにした発言が批判を浴びた麻生太郎副総理は、これまでも「問題発言」を繰り返してきた。なぜこうも続くのか。
「麻生氏には、公の場での発言の影響を計算する能力が欠落している」。北海道大大学院の加藤重広教授(言語学)は、厳しく指摘する。/「アルツハイマーの人でも分かる」「金がねえなら結婚しない方がいい」。これまでも、首相や外相だったころの発言が関係者の怒りを買った。本人は否定したが、2008年には「ナチスに例えて民主党を批判した」として同党が反発したこともあった。/「なぜ政治家の失言はなくならないのか」と題した講演経験もある加藤教授は「品のない言い方をした方が、聞く人に響く。麻生氏は、このテクニックをよく使う」とみる。その上で「『ここまでなら言って大丈夫』と見極めるのが表現能力。外部に発信されることへの計算がないのは、あまりに自覚が足りない」と批判した。
原彬久(よしひさ)・東京国際大学名誉教授(政治学)も「今回は弁解しきれない。国益を損傷し、日本の品格を汚してしまった」と話す。/発言が出たシンポジウムは、ジャーナリストの桜井よしこ氏が理事長を務める「国家基本問題研究所」が東京都内で開いた。桜井氏が司会で、麻生氏や西村真悟衆院議員(無所属)らがパネリストを務めた。それぞれ改憲や国防などについて考えが近いとされる。/原名誉教授は「日本の政治家は、地元の選挙区に帰ったときや小さな会合での失言が多い。今回も、いわば身内の会合という安心感があって麻生節が出たのでは」と話す。
麻生氏は1日、発言を撤回。「私の真意と異なり誤解を招いたことは遺憾だ」と釈明した。/ただ、「真意と異なる」「誤解を招いた」は政治家の釈明の常套句(じょうとうく)。原名誉教授は「謝罪すれば許す日本の文化も問題。内輪で許しあう文化は日本の良さでもあったが、世界では通用しない」と苦言を呈した。
麻生氏の釈明を「責任を他人になすりつけていて最悪」と指摘するのは、日本大芸術学部の佐藤綾子教授(パフォーマンス心理学)。首相経験者も含め、これまで50人の国会議員に演説の指導をしてきた。「『あるまじきことを言ってしまい、自分を恥じている。許して下さい』とはっきり謝るべきだった」
海外からの批判を招いた点についても「『反日』というレンズを通ったり、発言の一部を切り取って翻訳されたりすることも意識して話すのが公人」と話した。
■五輪招致に心配の種 特別顧問務める
2020年夏季五輪の招致を目指す東京都。ある幹部は「誤解されかねない発言は控えてもらいたい」と漏らす。/麻生氏は、招致委員会の評議会で特別顧問を務める。7月にはスイスのローザンヌに赴き、政府として東京招致を全面的に支援する姿勢を国際オリンピック委員会「IOC」委員にアピールしたばかりだった。/招致関係者にとっては、猪瀬直樹都知事が4月に「イスラム諸国はお互いにけんかばかりしている」と発言した苦い記憶も残る。今回は、開催都市決定を9月7日に控えた時期の問題発言。都幹部は「海外向けのロビー活動も大詰めを迎えた大事な時期なのに」と心配する。一方、別の幹部は「発言の中身は五輪招致と全く関係ない。結びつけるべきではない」と話した。
■「元はナチ同盟国」「東条英機が誕生」 海外サイトに書き込み続々
世界最大級の米国のソーシャルニュースサイト「ザ・ハフィントン・ポスト」には、麻生氏の発言を伝える記事を配信した直後から、読者のコメントが次々書き込まれた。/ある読者は「彼は(終末期医療をめぐり)『さっさと死ねるようにしてもらいたい』と発言したこともある」と麻生氏の「失言歴」を指摘。「日本は、なんと言ってもナチスの仲間だった」「日本は第2次大戦で果たした役割や近隣諸国に与えた影響を常に否定してきた」といった、戦時中の同盟関係や歴史認識に触れた書き込みもあった。
麻生氏の発言後、メディアが「『ナチの改憲手法学べ』麻生氏発言波紋」などと大々的に取り上げた韓国。ニュースサイトの書き込み欄には「東条英機が誕生したみたいだ」「軍国主義を忘れられずにもがいている」などの投稿が相次いだ。「ナチス政権が消滅して生まれ変わったドイツのように、新しい日本が誕生することを期待する」という意見や、「もう日本に地震が起きても同情すらわかない」というコメントもあった。
■過去に問題となった麻生氏の発言(カッコ内は当時の肩書)
(A)発言内容 (B)その後の対応や反応 *
<2007年7月(外相) 富山県高岡市内の講演で>(A)日本と中国の米価の差について「アルツハイマーの人でも分かる」/(B)翌日、「不適切なものがあった。発言を撤回し、不快な念を持たれた方々と関係者の方々におわび申し上げたい」と陳謝
<08年9月(自民党幹事長) JR名古屋駅前での街頭演説で>(A)同年8月末に愛知県内を襲った豪雨について「安城や岡崎だったからいいけど、名古屋で同じことが起きたら全部洪水よ」/(B)岡崎市と安城市に「私の不用意な発言で、皆様方に不愉快な思いを抱かせたことに、お詫(わ)び申し上げます」とする謝罪文を送る
<08年11月(首相) 全国知事会議で>(A)地方の医師確保について問われ「(医師には)はっきり言って社会的常識がかなり欠落している人が多い」/(B)会議後に「まともなお医者さんが不快な思いしたって言うんであれば、申し訳ありません」と謝罪
<09年8月(首相) 東京都内での対話集会で学生に>(A)「金がねえなら結婚しない方がいい、おれもそう思う。うかつにそんなことしないほうがいい。おれは金はない方じゃなかった。だけど結婚は遅かった」 /(B)野党が「多くのワーキングプアをつくった責任を感じないのは政治家失格」「非正規雇用が増えたのは政治のせい。自己責任にするのは政策を理解していない」などと批判
<13年1月(副総理兼財務相) 社会保障国民会議で>(A)終末期医療にふれ、「さっさと死ねるようにしてもらうとか、考えないといけない」。延命治療について「その金が政府のお金でやってもらっているなんて思うと、ますます寝覚めが悪い」/(B)会議後、「終末期医療のあるべき姿について意見を申し上げたものではない」と釈明。その後、「国民会議という公の場で発言したことは、適当でない面もあった」として、発言を撤回 (朝日新聞デジタル 2013年8月2日)
麻生副総理、失言何度目ですか 「影響を計算できない人」識者苦言 ナチス発言紙面で読む 失言、釈明、撤回。ナチス・ドイツを引き合いにした発言が批判を浴びた麻生太郎副総理は、これまでも「問題発言」を繰り返してきた。なぜこうも続くのか。
「麻生氏には、公の場での発言の影響を計算する能力が欠落している」。北海道大大学院の加藤重広教授(言語学)は、厳しく指摘する。/「アルツハイマーの人でも分かる」「金がねえなら結婚しない方がいい」。これまでも、首相や外相だったころの発言が関係者の怒りを買った。本人は否定したが、2008年には「ナチスに例えて民主党を批判した」として同党が反発したこともあった。/「なぜ政治家の失言はなくならないのか」と題した講演経験もある加藤教授は「品のない言い方をした方が、聞く人に響く。麻生氏は、このテクニックをよく使う」とみる。その上で「『ここまでなら言って大丈夫』と見極めるのが表現能力。外部に発信されることへの計算がないのは、あまりに自覚が足りない」と批判した。
原彬久(よしひさ)・東京国際大学名誉教授(政治学)も「今回は弁解しきれない。国益を損傷し、日本の品格を汚してしまった」と話す。/発言が出たシンポジウムは、ジャーナリストの桜井よしこ氏が理事長を務める「国家基本問題研究所」が東京都内で開いた。桜井氏が司会で、麻生氏や西村真悟衆院議員(無所属)らがパネリストを務めた。それぞれ改憲や国防などについて考えが近いとされる。/原名誉教授は「日本の政治家は、地元の選挙区に帰ったときや小さな会合での失言が多い。今回も、いわば身内の会合という安心感があって麻生節が出たのでは」と話す。
麻生氏は1日、発言を撤回。「私の真意と異なり誤解を招いたことは遺憾だ」と釈明した。/ただ、「真意と異なる」「誤解を招いた」は政治家の釈明の常套句(じょうとうく)。原名誉教授は「謝罪すれば許す日本の文化も問題。内輪で許しあう文化は日本の良さでもあったが、世界では通用しない」と苦言を呈した。
麻生氏の釈明を「責任を他人になすりつけていて最悪」と指摘するのは、日本大芸術学部の佐藤綾子教授(パフォーマンス心理学)。首相経験者も含め、これまで50人の国会議員に演説の指導をしてきた。「『あるまじきことを言ってしまい、自分を恥じている。許して下さい』とはっきり謝るべきだった」
海外からの批判を招いた点についても「『反日』というレンズを通ったり、発言の一部を切り取って翻訳されたりすることも意識して話すのが公人」と話した。
■五輪招致に心配の種 特別顧問務める
2020年夏季五輪の招致を目指す東京都。ある幹部は「誤解されかねない発言は控えてもらいたい」と漏らす。/麻生氏は、招致委員会の評議会で特別顧問を務める。7月にはスイスのローザンヌに赴き、政府として東京招致を全面的に支援する姿勢を国際オリンピック委員会「IOC」委員にアピールしたばかりだった。/招致関係者にとっては、猪瀬直樹都知事が4月に「イスラム諸国はお互いにけんかばかりしている」と発言した苦い記憶も残る。今回は、開催都市決定を9月7日に控えた時期の問題発言。都幹部は「海外向けのロビー活動も大詰めを迎えた大事な時期なのに」と心配する。一方、別の幹部は「発言の中身は五輪招致と全く関係ない。結びつけるべきではない」と話した。
■「元はナチ同盟国」「東条英機が誕生」 海外サイトに書き込み続々
世界最大級の米国のソーシャルニュースサイト「ザ・ハフィントン・ポスト」には、麻生氏の発言を伝える記事を配信した直後から、読者のコメントが次々書き込まれた。/ある読者は「彼は(終末期医療をめぐり)『さっさと死ねるようにしてもらいたい』と発言したこともある」と麻生氏の「失言歴」を指摘。「日本は、なんと言ってもナチスの仲間だった」「日本は第2次大戦で果たした役割や近隣諸国に与えた影響を常に否定してきた」といった、戦時中の同盟関係や歴史認識に触れた書き込みもあった。
麻生氏の発言後、メディアが「『ナチの改憲手法学べ』麻生氏発言波紋」などと大々的に取り上げた韓国。ニュースサイトの書き込み欄には「東条英機が誕生したみたいだ」「軍国主義を忘れられずにもがいている」などの投稿が相次いだ。「ナチス政権が消滅して生まれ変わったドイツのように、新しい日本が誕生することを期待する」という意見や、「もう日本に地震が起きても同情すらわかない」というコメントもあった。
■過去に問題となった麻生氏の発言(カッコ内は当時の肩書)
(A)発言内容 (B)その後の対応や反応 *
<2007年7月(外相) 富山県高岡市内の講演で>(A)日本と中国の米価の差について「アルツハイマーの人でも分かる」/(B)翌日、「不適切なものがあった。発言を撤回し、不快な念を持たれた方々と関係者の方々におわび申し上げたい」と陳謝
<08年9月(自民党幹事長) JR名古屋駅前での街頭演説で>(A)同年8月末に愛知県内を襲った豪雨について「安城や岡崎だったからいいけど、名古屋で同じことが起きたら全部洪水よ」/(B)岡崎市と安城市に「私の不用意な発言で、皆様方に不愉快な思いを抱かせたことに、お詫(わ)び申し上げます」とする謝罪文を送る
<08年11月(首相) 全国知事会議で>(A)地方の医師確保について問われ「(医師には)はっきり言って社会的常識がかなり欠落している人が多い」/(B)会議後に「まともなお医者さんが不快な思いしたって言うんであれば、申し訳ありません」と謝罪
<09年8月(首相) 東京都内での対話集会で学生に>(A)「金がねえなら結婚しない方がいい、おれもそう思う。うかつにそんなことしないほうがいい。おれは金はない方じゃなかった。だけど結婚は遅かった」 /(B)野党が「多くのワーキングプアをつくった責任を感じないのは政治家失格」「非正規雇用が増えたのは政治のせい。自己責任にするのは政策を理解していない」などと批判
<13年1月(副総理兼財務相) 社会保障国民会議で>(A)終末期医療にふれ、「さっさと死ねるようにしてもらうとか、考えないといけない」。延命治療について「その金が政府のお金でやってもらっているなんて思うと、ますます寝覚めが悪い」/(B)会議後、「終末期医療のあるべき姿について意見を申し上げたものではない」と釈明。その後、「国民会議という公の場で発言したことは、適当でない面もあった」として、発言を撤回 (朝日新聞デジタル 2013年8月2日)
8世紀の半ば過ぎの中近東では、762年アッパース朝の第2代カリフのal-Manṣūr〔アル=マンスール、712~775年、在位: 754~775年〕は首都をBaghdad(バクダッド)に遷した。こうしてカリフ国家の科学の中心地はこのBaghdad(バクダッド)になった。8世紀の終わりから9世紀にかけてに多くの学者や翻訳家が集まった。al-Manṣūr(アルマンスール)をはじめとする当時のカリフは自然科学や数学に発展の力を入れ、研究のためにBaghdad(バクダッド)市内には数十の図書館が作られた。アッバース朝第7代カリフ、al-Maʾmūn(マアムーン)の在位中〔813~838年〕に学者が集まって研究するための、天文台つきの『Bayt al-Ḥikmah〔バイト・アル=ヒクマ、賢明館〕』という科学アカデミーがつくられた。
イスラムの生んだ最大の数学者でこのBaghdad(バクダッド)に属していたのがal-Khwārizmī (アル=クワーリズミー)ことAbū ‘Abd Allāh Muḥammad ibn Mūsā al-Khwārizmī Al-Magusi(アブー=アブドゥッラー・ムハンマド・イブン=ムーサー・アル=フワーリズミー・アル=マグージー)である。
al-Khwārizmī (アル=クワーリズミー)の生涯についてはあまりよく知られていないが、中央アジアのXorazm〔ホラズム、ウズベク語で、アラビア語ではKhwārizm(フワーリズム)と呼ぶ、左図参照〕の出身で、Khwārizmī(フワーリズミー)の名は、「ホラズム出身の人」を意味するnisba〔ニスバ、由来名(通称)〕である。生没年は諸説あり、780年あるいは800年の生まれ、845年あるいは850年の没とされる。
彼の名前のal-Khwārizmī (アル=クワーリズミー)は彼がホラズム人の子孫であることを示していて、Magusi(マグージー)という語は彼の祖先の中に道士つまりゾロアスタ教の祭祀がいたことを示しているという。
Merv〔メルヴ、左図参照〕で学者として有名となり、カリフのal-Maʾmūn(マアムーン)に招かれてBaghdad(バグダード)に出て彼に仕えた。知恵の館で天文学者として働き、図書館長もつとめ、のちにカリフとなったAl-Wathiq(ワースィク)1世〔在位:1340~1341年〕にも仕えた。
数学、天文学、さらに地理学、暦学などの分野で様々な研究を行った。散逸した著作も多いが、様々な書を著し、日時計、Astrolabe〔アストロラーベ、観象儀、左図参照〕なども作成したとされる。
al-Khwārizmī (アル=クワーリズミー)の著作は5巻しか残っていないということであるが、その一部は改作されたものだという。これらは算術、代数、天文学、地理学、暦学についてのものであり、さらにに時計や観象儀についての著作もあったらしい。なかでも算術と代数についての著作は数学のその後の発展に大きな影響を与えたという。
彼の名前のal-Khwārizmī (アル=クワーリズミー)は彼がホラズム人の子孫であることを示していて、Magusi(マグージー)という語は彼の祖先の中に道士つまりゾロアスタ教の祭祀がいたことを示しているという。
al-Khwārizmī (アル=クワーリズミー)の著作は5巻しか残っていないということであるが、その一部は改作されたものだという。これらは算術、代数、天文学、地理学、暦学についてのものであり、さらにに時計や観象儀についての著作もあったらしい。なかでも算術と代数についての著作は数学のその後の発展に大きな影響を与えたという。
紀元7世紀頃にアラビアでは回教がおこって非常な勢いを占め、アラビアは強力な宗教国となった。そしてその宗教と武力でペルシャを合併し、さらに地中海沿岸、エジプト、さらにはスペインまで征服してしまった。代々の教主はいずれも学問の保護と奨励に力を入れたので、アラビアは宗教国としてばかりでなく、文化国家としても栄えた。そして、今までに述べたユークリッド、アルキメデス、ディオファントス、トレミーなどの書物は次々とアラビア語に翻訳され、ギリシアの数学はアラビアに伝えられることになった。
また、アラビア人たちは商人として方々へ旅行したので、インドの数学もまたアラビアへ輸入されていった。現に先だって述べたインドの記数法はまずアラビアへ伝えられ、ついでヨーロッパに伝えられた。したがって、インドで発明された1、2、3、4、5、6、7、8、9、0という数字はヨーロッパではアラビア数字とよばれている。
以上のようなわけであるから、アラビアの数学にはさしたる独創性は認められないが、ギリシアの数学とインドの数学の結合においてみるべきものが少なくないといえる。
アラビアの数学者al-Khowarizmi〔アルコワリズミ、825年頃〕は、『al―gebr w’almuqabala(アルジェブル・ワルムカバラ)』という代数学の書物を書いており、その中でかれは、例えば1次方程式
5x-7=3x+5 の解決をつぎのように説明している。
まず、両辺に、7を加えれば 5x=3x+5+7 ∴ 5x=3x+12
次に、両辺から 3x を引けば、 5x-3x=12 ∴ 2x=12
両辺を2で割って x=6
以上のように 5x-7=3x+5 から 5x=3x+5+7 を導くこと、すなわち現在我々が使っている語でいえば「移項」を、al-Khowarizmi〈アルコワリズミ〉は「al-gebr〈アルジェブル〉」とよび、 5x-3x=2x のように同類項をまとめることを「al-jabr wal-muqabala〔アルジェブル・ヴ・アルムカバラ、意味は足したりひいたりすること〕」と呼んだという。
現在代数学を意味する「algebra(アルジェブラ)」という言葉はこのalgebr からきているといわれる。また、現在計算法を意味する algorithm(アルゴリズム)という言葉はal-Khowarizmi〈アルコワリズミ〉の名前から出ているものだといわれている。
また、アラビアの人たちは、幾何学的な図形を利用して代数学公式を証明したという。
また、アラビア人たちは商人として方々へ旅行したので、インドの数学もまたアラビアへ輸入されていった。現に先だって述べたインドの記数法はまずアラビアへ伝えられ、ついでヨーロッパに伝えられた。したがって、インドで発明された1、2、3、4、5、6、7、8、9、0という数字はヨーロッパではアラビア数字とよばれている。
以上のようなわけであるから、アラビアの数学にはさしたる独創性は認められないが、ギリシアの数学とインドの数学の結合においてみるべきものが少なくないといえる。
アラビアの数学者al-Khowarizmi〔アルコワリズミ、825年頃〕は、『al―gebr w’almuqabala(アルジェブル・ワルムカバラ)』という代数学の書物を書いており、その中でかれは、例えば1次方程式
5x-7=3x+5 の解決をつぎのように説明している。
まず、両辺に、7を加えれば 5x=3x+5+7 ∴ 5x=3x+12
次に、両辺から 3x を引けば、 5x-3x=12 ∴ 2x=12
両辺を2で割って x=6
以上のように 5x-7=3x+5 から 5x=3x+5+7 を導くこと、すなわち現在我々が使っている語でいえば「移項」を、al-Khowarizmi〈アルコワリズミ〉は「al-gebr〈アルジェブル〉」とよび、 5x-3x=2x のように同類項をまとめることを「al-jabr wal-muqabala〔アルジェブル・ヴ・アルムカバラ、意味は足したりひいたりすること〕」と呼んだという。
現在代数学を意味する「algebra(アルジェブラ)」という言葉はこのalgebr からきているといわれる。また、現在計算法を意味する algorithm(アルゴリズム)という言葉はal-Khowarizmi〈アルコワリズミ〉の名前から出ているものだといわれている。
また、アラビアの人たちは、幾何学的な図形を利用して代数学公式を証明したという。
爺は、NHKの朝ドラには殆ど興味なく、婆様に付き合って観ているぐらい。筋もよく判らないし、出演者も詳しくは知らない。おおよそ、ヒロインのやっている新人俳優の名前も知らない。その朝ドラが、此処のところブームになっているという。爺には、こんなドラマの何処が良いのか全く理解できない。爺の喰わず嫌いかもしれない。ウェブニュースより拾ってみた。
関西で『あまちゃん』視聴率低い 笑いに対する姿勢の違い説 ―― 今大人気のNHK連続テレビ小説『あまちゃん』だが、意外なデータがある。視聴率を東西で比較すると、関東の高視聴率に比べると、関西は明らかに低い数値が出ているのだ。これは一体どうしてなのか。/「『あまちゃん』の笑いって、何かようわからんダジャレばっかりやんか? ドッカンドッカン受けるようなギャグをやってくれればいいけど、何かスベってる感じがするんやわ」(60代主婦)/「何か細かいことをチンタラカンタラやって、どこで笑えばええのかようわからんねん。誰かがボケたこといっても、ツッコミすらないやろ」(50代主婦)/「方言がようわからんから、面倒臭い。大阪ローカルの裏番組のほうが肌に合うわ」(40代主婦)/ナニワのオバハンたちが集まる大阪市旭区の千林商店街。ここで『あまちゃん』に対する感想を聞くと、こんな否定的な意見ばかりが飛び出した。取材した20人中、同ドラマを「よく観ている」と答えたのはわずか4人だけ。視聴率20%超えを連発するオバケドラマとは思えない結果だ。/実際、関東に比べ、関西での『あまちゃん』視聴率は低い。第12週(6月17~22日)の平均視聴率は、関東20.9%、関西16.2%と、4.7ポイントも開いた。特に6月17日は、関東21.3%、関西15.0%と、実に6.3%もの大差がついている(ビデオリサーチ調べ)。/そもそも「NHKの『朝の連続テレビ小説』は、関東よりも関西で視聴率が2~3%低い傾向がある」(元NHKエグゼクティブ・アナウンサーの立命館大学文学部・仲山豊秋教授)という。しかし、5%を超える差がつくことは異例だ。/なぜ『あまちゃん』は関西でウケないのだろうか。ひとつは地理的な問題だ。メディアプロデューサーの澤田隆治氏が説明する。/「舞台が東北・東京であるということが関西の人たちの壁になってしまっている。また方言の壁も大きいでしょう。東京には東北にルーツを持つ人が大勢いるから東北弁もすんなり頭に入ってくる。しかし大阪をはじめとする関西には東北出身者の絶対数が少ない。東北の人々の奥ゆかしい性格も本質的に理解しにくく、親近感を感じられないのではないか」/もっと大きいのは、笑いに対する価値観の違いだろう。/『あまちゃん』は「クスリとさせる笑い」で溢れており、それがドラマの魅力となっているが、実はこれ、関西人にとっては「大の苦手」なのだ。/NHK大阪での勤務経験もある前出・仲山教授の話。/「『あまちゃん』はコメディタッチなのですが、その笑いはダジャレの延長だったりと“軽い”ものが多い。しかし、関西の人が求めるのはもっとベタベタで刺激的な笑い。/上方漫才のボケとツッコミを見てもわかるように、ドンドン機関銃のようにまくし立てる笑いやお約束の一発ギャグが大好きなんです。吉本新喜劇に代表されるそういう笑いに慣れているから、関西人にとっては『あまちゃん』を物足りなく感じてしまうのかもしれない」
(週刊ポスト2013年7月12日号)
浅草・雷門前で「あまちゃんスペシャルビッグバンド」がおなじみの曲を熱演! ―― 今や社会現象となっているNHK連続ドラマ『あまちゃん』。ドラマの魅力はもちろんのこと、サントラ版がオリコン初登場5位、また小泉今日子が歌う挿入歌『潮騒のメモリー』がCDリリースされる等音楽も話題の的だ。/そのテーマ曲や劇伴用の曲を手がける大友良英(おおともよしひで)氏が、毎年夏、東京・浅草の隅田川のほとりでしかけるのが「アンサンブルズ・パレード/すみだ川音楽解放区」。/演奏経験にかかわらず誰でも参加できるこのイベント。今年は7月20日(土)、大友氏とドラマで曲を演奏する「あまちゃんスペシャルビッグバンド」などプロ演奏者、そして公募で集まった約300人の市民が参加。恒例の即興演奏に加え、今年は特別に『あまちゃん』ナンバーの合奏も。/大友氏が「今年はあまちゃんのテーマ曲でお祭りさせてください。来年になるとまたノイズミュージックの世界に地味に戻りますので(笑)」とあいさつすると、参加者からは笑いがおこる。「あまちゃんの曲はちゃんとやるとけっこう難しいですが、今日はプロのみんながいるので“ンチャンチャ”とあわせればOK。楽しくやりましょう!」と激励した。/演奏するのは『あまちゃんオープニングテーマ』、海女軍団のための曲『あまちゃんクレッツマー』、春子のテーマ曲『灯台』の3曲。大友氏が実際に劇伴で使用したという手書きの楽譜が配られ、さっそくドレミファソラシドで始まる軽快なオープニングから音あわせ。参加者は演奏経験も技術もバラバラだが、おなじみの曲とあってか驚くほど息もぴったり。熱いグルーヴが生み出される。/リハーサルの後、パレード隊は雷門通りへ。ホルン、バイオリン、ドラムなどさまざまな楽器が連なるなか、家庭用品や廃材で手作りしたユニークな楽器も目をひく。腕に自信がある人もそうでない人も、それぞれが思い思いに演奏を楽しんでいる。/まちの人たちは突如として現れたパレード隊に驚きながらも、興味深そうに見学。浅草・雷門前であまちゃんスペシャルビッグバンドがオープニングテーマを熱演すると、見物人からはたちまち歓声がわきおこった。/都内から参加した20代の女性は、「今日はパレードに出たくてピアニカを買ってきました(笑)。毎朝見ているあまちゃんの演奏にまさか自分がまざれるなんて! すごく楽しかったです!」と話す。/また、吹奏楽部の仲間とともに参加した中学生は、「初めてだけど、いつもドラマで曲を聴いているのでけっこう弾けました。あまちゃんはにぎやかな曲がすごく好きで、吹いてて楽しかった。ドラマも次回が楽しみ!」と笑顔を見せた。/さまざまな個性を魅力的なアンサンブルとしてまとめあげる大友氏。今後もドラマの展開とともに遊び心あふれる多彩な音楽を楽しみにしたい。 (楽天 2013/07/23 06:00)
(週刊ポスト2013年7月12日号)
昨日は隅田川の花火大会。新聞でもテレビでも、18時~21時にかけて雨の予報が出ていたが、空の様子にはそんな気配は何処にも見られなかった。午前中に一応、来客用の折畳みいすを屋上の出口にまで運んだ。

午後5時過ぎになっても雨の降る様子などどこにも感じられなかった。6時半近くになって予約の客が見え始めた。中には、まだ爺が塾に勤めているころ、小学6年生で教えたMN氏も花火見学に来てくれた。50年ぶりの再会である。
花火は順調に始まった。始って20分ほど経つとスカイツリーに妖しげな雨雲がかかり、上の方が霞んできた。そのうち、一陣の風が吹き、その辺の敷物が吹き飛ばされた。敷物をものようになおしているうちに、ポツリポツリと雨が落ち始めた。それでも暫くは傘をさしての見物であったが、とうとう、土砂降りとなり、花火の中止が放送された。
大挙して、応接間兼用の仕事部屋に避難し、飲みなおしとなり宴会となった。まあ、件の通り、昔話に花を咲かせた。お陰様で、昨夜は歯も磨かずに就寝。今日は二日酔い気味で、午後になってもムカついている。
今朝のウェブニュースより
隅田川花火大会:主催者「順延せず」 開始後に雷雨中止 /東京 ―― 第36回隅田川花火大会が27日、台東・墨田両区にまたがる隅田川であったが、開始から約40分後の午後7時39分、雷雨のため中止された。約78万8000人(主催者発表)の見物客が訪れていた。予定された約2万2800発のうち打ち上げられた花火は約7900初だった。主催者によると、順延はしないという。 (毎日新聞 2013年07月28日 地方版)
隅田川花火 雨で中止 華の命は短くて…30分 ――東京の夏の風物詩「隅田川花火大会」は二十七日夜、東京都墨田、台東両区の隅田川で開かれたが、開始から約三十分後に雷雨のため中止となった。順延はしない。一九九七年に台風で順延となったが、中止は大会史上初という。/今年は二〇二〇年の東京五輪・パラリンピック招致祈願花火を含む約二万二千八百発が打ち上げられる予定だった。中止決定前に約八千発が上がり、桜橋下流の第一会場では赤や黄、緑の五つの輪や金メダルをイメージした花火も披露された。/主催者発表では午後七時半現在で、七十八万八千人の人出でにぎわったが、一時はどしゃぶりとなり、浴衣がびしょぬれの人も。交際中の女性(31)に誘われ、初めて来た相模原市、会社員長谷川雄大さん(28)は「花火はビルの陰から少しだけ見えたが、これから盛り上がると思っていたので残念」と話した。 (東京新聞 2013年7月28日 朝刊)
花火は順調に始まった。始って20分ほど経つとスカイツリーに妖しげな雨雲がかかり、上の方が霞んできた。そのうち、一陣の風が吹き、その辺の敷物が吹き飛ばされた。敷物をものようになおしているうちに、ポツリポツリと雨が落ち始めた。それでも暫くは傘をさしての見物であったが、とうとう、土砂降りとなり、花火の中止が放送された。
大挙して、応接間兼用の仕事部屋に避難し、飲みなおしとなり宴会となった。まあ、件の通り、昔話に花を咲かせた。お陰様で、昨夜は歯も磨かずに就寝。今日は二日酔い気味で、午後になってもムカついている。
今朝のウェブニュースより
隅田川花火大会:主催者「順延せず」 開始後に雷雨中止 /東京 ―― 第36回隅田川花火大会が27日、台東・墨田両区にまたがる隅田川であったが、開始から約40分後の午後7時39分、雷雨のため中止された。約78万8000人(主催者発表)の見物客が訪れていた。予定された約2万2800発のうち打ち上げられた花火は約7900初だった。主催者によると、順延はしないという。 (毎日新聞 2013年07月28日 地方版)
今日は隅田川花火大会の日。天気予報に拠れば、午後から雨とのことであるが、今現在の外は薄日がさしている。どうなることやら。最近のウェブニュースより隅田川に関するものを拾ってみた。
隅田川花火見物の特別入場券 スカイツリー展望台 申し込み倍率57.5倍〔東京都〕―― 東京スカイツリーの展望台から27日の隅田川花火大会を見物できる特別入場券の申し込み倍率は、57.5倍に達した。東武タワースカイツリー社が10日、発表した。/申し込みは8日に締め切られ、販売数450枚に対し、2万5903枚分の申し込みがあった。開業初年の昨年は186.6倍だった。/花火大会の当日は午後7時から8時半まで、2020年オリンピック・パラリンピック招致の特別ライティングでツリーを5色に染める。花火打ち上げ中は消灯し、午後10時から11時まで、江戸文化の「粋」を表す水色でライトアップする。 (東京新聞 2013年7月11日)
運営費不足 「隅田川レガッタ」中止 ―― 都ボート協会は、八月四日に隅田川で開催予定の「隅田川レガッタ」を中止すると発表した。運営資金が集まらなかった上、東京スカイツリーの開業後、水上バスの航行が増え、警備艇の配置など安全面での予算がかさんだことが理由という。/隅田川レガッタは1981(昭和56)年に「水の週間」を記念して始まった。早慶レガッタとともに隅田川に残る数少ないボートの大会。毎年八月に隅田川の言問橋~吾妻橋間の約五百メートルで開催し、小学生からお年寄りまでの男女数百人が参加する。/協会によると、レガッタの運営費は企業の協賛金や助成金、参加クルーの出漕料でまかなってきたが、今年は協賛金や助成金が相次いで削減された。出漕料の値上げを検討したが、参加者に多くの負担を強いるのは難しいと判断。十三日に中止を決めた。直前の中止で参加予定だった約六十クルーには出漕料を返金するという。/レガッタの中止は、隅田川をとりまく環境の変化も影響しているとみられる。先月、墨田区が「舟運の拠点」とする区役所前の吾妻橋船着き場が一般開放され、今月十七日からは水上バスの乗り入れが始まった。船の航行が増え、レース中の警備艇や監視員を昨年の倍に増やす必要があったが、資金面で難しかった。/隅田川では、花火大会やイベント時には船の航行を規制している。協会の谷古(やこ)善和理事〔65〕は「隅田川のにぎわいを守るためにも、新しいルール作りが必要では」と強調する。今後は船の事業者と航行規制などを調整し、「来年はなんとしても開催したい」と話している。 (東京新聞 2013年7月19日)
運営費不足 「隅田川レガッタ」中止 ―― 都ボート協会は、八月四日に隅田川で開催予定の「隅田川レガッタ」を中止すると発表した。運営資金が集まらなかった上、東京スカイツリーの開業後、水上バスの航行が増え、警備艇の配置など安全面での予算がかさんだことが理由という。/隅田川レガッタは1981(昭和56)年に「水の週間」を記念して始まった。早慶レガッタとともに隅田川に残る数少ないボートの大会。毎年八月に隅田川の言問橋~吾妻橋間の約五百メートルで開催し、小学生からお年寄りまでの男女数百人が参加する。/協会によると、レガッタの運営費は企業の協賛金や助成金、参加クルーの出漕料でまかなってきたが、今年は協賛金や助成金が相次いで削減された。出漕料の値上げを検討したが、参加者に多くの負担を強いるのは難しいと判断。十三日に中止を決めた。直前の中止で参加予定だった約六十クルーには出漕料を返金するという。/レガッタの中止は、隅田川をとりまく環境の変化も影響しているとみられる。先月、墨田区が「舟運の拠点」とする区役所前の吾妻橋船着き場が一般開放され、今月十七日からは水上バスの乗り入れが始まった。船の航行が増え、レース中の警備艇や監視員を昨年の倍に増やす必要があったが、資金面で難しかった。/隅田川では、花火大会やイベント時には船の航行を規制している。協会の谷古(やこ)善和理事〔65〕は「隅田川のにぎわいを守るためにも、新しいルール作りが必要では」と強調する。今後は船の事業者と航行規制などを調整し、「来年はなんとしても開催したい」と話している。 (東京新聞 2013年7月19日)
プロフィール
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目高 拙痴无
年齢:
93
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1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
sechin@nethome.ne.jp です。
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