瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
夕食後ブログを記入しようとして、ブログの管理ページを立ち上げたが、何度やっても立ち上がらない。Y社のKS氏に、その旨メールを入れて休むことにした。今朝、朝の徘徊から帰宅して、管理ページを開くと、何時ものようにうまく立ち上がったので、昨19日(日)―― 1日遅れのブログとなる。
早朝は霧雨。徘徊は見合わせる。本日は父の日だという。
昼食後、隅田川を徘徊。向島のテラスで木瓜の実を集めている人に会う。梅酒と同じようにして木瓜酒を作るのだそうだ。
木瓜
木瓜を投げたあの人に/瓊玉をお礼に贈りたい/お礼と言うのではないけれど/仲良くしようお礼まで
桃を投げたあの人に/瓊瑤をお礼に贈りたい/お礼と言うのではないけれど/仲良くしようお礼まで
李(すもも)を投げたあの人に/瓊玖をお礼に贈りたい/お礼と言うのではないけれど/仲良くしようお礼まで
「死生は命であり、貧窮は時である」
一見成功しているように見えるものは、成功しているように見えるだけで、決して成功しているのではない。一見失敗しているように見えるものは、けっして失敗しているのではない。かくて人間の迷いというものは、らしく見えるところから生じるのであり、らしく見えるところでは、真相ははっきりとしないものである。らしく見えるものに対して、はっきりと真相を見定めることが出来れば、外からやってくる禍に心を驚かせることも無く、内なるわが福(しあわせ)に嬉しがることもない。ひたすら時の宜しきに従って行動し、時の宜しきに従ってじっとするだけであり、知恵や才覚でどうできるというものでもない。
運命の必然にすべてを任せる人間は、あれこれの事態によって心をぐらつかせることが無く、あれこれの事態に心をぐらつかせる人間は、むしろ耳を塞ぐほうがましである。目を閉じ耳を塞げば、坂を背にし堀を前にして立っても、そこから転がり落ちるものではない。
だから古人も「人の生死はちゃんと定まった運命であり、貧乏に苦しむのは、おのずからなる時節のめぐりあわせである」といったのである。若死にを怨む者は運命を悟らぬ人間であり、貧乏を怨む者は時節を弁えぬ人間である。死に直面してもびくびくとせず、逆境に身を置いても悲しまないのは、運命を悟って時節に按ずるからである。
いったい知恵才覚のすぐれた男に、利害を打算させ、真偽を計量させ、他人の気持ちをよく読み取らせて、何か事業を行わせても、うまく行く確率も半分、うまく行かない確率も半分である。これに反して知恵才覚の劣った男に、利害の打算もせず、真偽の計量もせず、他人の気持ちもお構い無しになにか事業を行わせても、うまく行く確率は半分、うまく行かない確率も半分である。利害の打算をしようとすまいと、真偽の計量をしようとすまいと、他人の気持ちを読み取ろうと読み取るまいと、その結果に何も違いはないのである。人間はただ利害の打算をするわけでもなく、その打算をしないわけでもないという自由な境地に到達する時、利害や得失に捉われることが無く、自己の本来の在り方を全うし、その在りかたを失うことがない。とはいえ、何が全いかを知的に分別するわけでもなく、何が失われているかを分別して意識するわけでもない。ただ運命の必然に任せきった境地で、おのずから全うされ、おのずから失われてゆくだけである。
早朝は霧雨。徘徊は見合わせる。本日は父の日だという。
昼食後、隅田川を徘徊。向島のテラスで木瓜の実を集めている人に会う。梅酒と同じようにして木瓜酒を作るのだそうだ。
木瓜
木瓜を投げたあの人に/瓊玉をお礼に贈りたい/お礼と言うのではないけれど/仲良くしようお礼まで
桃を投げたあの人に/瓊瑤をお礼に贈りたい/お礼と言うのではないけれど/仲良くしようお礼まで
李(すもも)を投げたあの人に/瓊玖をお礼に贈りたい/お礼と言うのではないけれど/仲良くしようお礼まで
「死生は命であり、貧窮は時である」
一見成功しているように見えるものは、成功しているように見えるだけで、決して成功しているのではない。一見失敗しているように見えるものは、けっして失敗しているのではない。かくて人間の迷いというものは、らしく見えるところから生じるのであり、らしく見えるところでは、真相ははっきりとしないものである。らしく見えるものに対して、はっきりと真相を見定めることが出来れば、外からやってくる禍に心を驚かせることも無く、内なるわが福(しあわせ)に嬉しがることもない。ひたすら時の宜しきに従って行動し、時の宜しきに従ってじっとするだけであり、知恵や才覚でどうできるというものでもない。
運命の必然にすべてを任せる人間は、あれこれの事態によって心をぐらつかせることが無く、あれこれの事態に心をぐらつかせる人間は、むしろ耳を塞ぐほうがましである。目を閉じ耳を塞げば、坂を背にし堀を前にして立っても、そこから転がり落ちるものではない。
だから古人も「人の生死はちゃんと定まった運命であり、貧乏に苦しむのは、おのずからなる時節のめぐりあわせである」といったのである。若死にを怨む者は運命を悟らぬ人間であり、貧乏を怨む者は時節を弁えぬ人間である。死に直面してもびくびくとせず、逆境に身を置いても悲しまないのは、運命を悟って時節に按ずるからである。
いったい知恵才覚のすぐれた男に、利害を打算させ、真偽を計量させ、他人の気持ちをよく読み取らせて、何か事業を行わせても、うまく行く確率も半分、うまく行かない確率も半分である。これに反して知恵才覚の劣った男に、利害の打算もせず、真偽の計量もせず、他人の気持ちもお構い無しになにか事業を行わせても、うまく行く確率は半分、うまく行かない確率も半分である。利害の打算をしようとすまいと、真偽の計量をしようとすまいと、他人の気持ちを読み取ろうと読み取るまいと、その結果に何も違いはないのである。人間はただ利害の打算をするわけでもなく、その打算をしないわけでもないという自由な境地に到達する時、利害や得失に捉われることが無く、自己の本来の在り方を全うし、その在りかたを失うことがない。とはいえ、何が全いかを知的に分別するわけでもなく、何が失われているかを分別して意識するわけでもない。ただ運命の必然に任せきった境地で、おのずから全うされ、おのずから失われてゆくだけである。
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プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
sechin@nethome.ne.jp です。
sechin@nethome.ne.jp です。
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