夏至に近くなり、4時30分というともう明るい。ちなみに、本日の日の出は4時25分という。
はっきりしない天気の中で、桜橋~水神大橋間を一巡して帰宅。
マテバシイは春に雄花が咲いて冬を越して翌年の秋どんぐりになる。およそ1年と5か月(約17か月)かけてどんぐりになるので「2年成どんぐり」と言うのだそうだ。
幕末にPhilipp Franz Balthasar von Siebold(フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト、1796~1866年)が日本のユリの球根を持ち帰り、復活祭に用いられるイースター・リリーとして大流行させると、球根は近代日本の絹に次ぐ二番目の主要輸出品として外貨を獲得したという。そしていわば逆輸入されるかたちで明治末に鑑賞花として流行した。「立てば芍薬、坐れば牡丹、歩く姿は百合の花」のように、美女の形容として用いられる。
ユリは聖書にしばしば登場する花のひとつである。新約聖書では「ソロモンの栄華もユリに如かない」と、繁栄の象徴として用いられる(聖書の時代、イスラエルではユリは一般的な花ではなく、このユリはチューリップの事だと考えられている)。キリスト教においては白いユリ(マドンナリリー)の花が純潔の象徴として用いられ、聖母マリアの象徴として描かれる。天使ガブリエルはしばしばユリの花をたずさえて描かれる。ガブリエルがマリアに受胎告知を行った天使であることを示す図像学上のしるしなのであるという。
紀渻子(きせいし)という闘鶏師が周の宣王のために闘鶏を飼育した。十日もすると王は訊ねた。
「鶏はもうたたかわせられるようになったか?」
渻子はこたえた。「まだです。いまのところむやみに強がって威勢を張っています」
それから十日すると王は又訊ねた。すると渻子はこたえた。
「まだ、使いものになりません。まだ他の鶏の響きや影に対してさえ、さっと身構えます」
それから十日して又王は訊ねた。すると渻子はこたえた。
「まだ、使いものになりません。他の鶏を近づけると、まだぐっと睨みつけて競い立ちます」
それから十日して王は又訊ねた。すると、今度は渻子がこたえた。
「もう殆んど完璧です。他の鶏が鳴き声を立てても、もはや何の反応も示しません。遠くから見ると、まるで木で作った鶏のようです。無爲自然の徳を完全に身につけています。他の鶏で相手にしようとするものは無く、背を向けて逃げ出すばかりです」
双葉山はある酒の席で、陽明学者であり政治学、哲学者の安岡正篤(1891~1983年)より相撲は単なる勝ち負けでなく心を鍛錬し、天にいたる道だいう考えを「木鶏」の話にたとえて聞かされて、感銘し自らの相撲道を励んだという。この木鶏の話頭を自らの道とする相撲に当てて、精進努力して69連勝の大記録を打ち立てたのが双葉山であるが、そんな双葉山も1935年1月場所の4日目ついに安芸の海に破れてしまう。そのとき安岡正篤は欧州旅行中のインド洋上船の中、双葉山は「ワレイマダ モッケイタリエズ フタバ ヤマ」の無線連絡をしたという有名な話は今も語り継がれるという。
sechin@nethome.ne.jp です。
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