瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 4時30分、今にも降りだしそうな天気であったが、白鬚橋~吾妻橋の間のテラスを徘徊。スカイツリーも雨雲に包まれること無く、目の前に立ちはだかっている。
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d105b82f.JPG   大を治めんとする者は、小を治めず
 楊朱が梁の国王に会って、「天下を治めること等、手のひらで物を転がすように容易(たやす)いことです」と言うと、王は言った。
 「あなたには妻が一人と妾が一人おいでだが、それさえ仲良くさせることが出来ない。また三畝ばかりの畑をお持ちだが、それさえうまく手入れすることが出来ない。それなのに天下を治めることなど手のひらで物を転がすように容易いと言われるのは、いったいどういうことですか」
 すると楊朱は答えた。
 「殿はあの羊飼いをご覧になったことがございますか。百匹もの羊が群れをなしていますが、幼い童に、鞭を肩にかついて後ろからついてゆかせれば、東に行かせようと思えば東、西に行かせようと思えば西と全く思うままです。とろこでもし尭に一匹の羊を引張らせ、舜に鞭を肩に担いで後ろからついてゆかせれば、とても羊を歩かせることは出来ません」
 それにまた、私はこんな言葉を聞いています。舟を一飲みにするほどの大魚は、小さい枝川には泳がず、鳳(おおとり)は空高く飛んで小さな水溜りには降りてこないという言葉を。何故かと言えば、彼らの目指すものがこの上なく遠大だからです。また、音律の根本をなす黄鍾や大呂の調べは、手の込んだ楽曲の舞にはついてゆけないとか。それというのも、その調べが大まかでゆったりしているからです。大きなところを調えようとするものは小さなことをいじりまわさず、大きなことをやってのけようとするものは、小さなことに手を出さないというのは、このことを言ったものです」

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目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
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くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


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