瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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d1b6c08e.jpeg  昨夜は午後8時過ぎまで、三社祭のざわめきが家の中まで伝わってきた。町内神輿が家の前を通るので、玄関先に出てみた。神輿の人並みの中に姪っ子を抱いたkaoriちゃんがいたので、少々話し込んだ。彼女はニューカレドニアに行って、8年になるという。毎年、三社祭には何があっても帰国するのだという。
 
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3549abf8.jpeg 今朝の隅田川沿いのテラスはプロ・アマのカメラマン達でごった返していた。午前5時を過ぎたばかりというのに、7時32分から始る金環日蝕を撮ろうと集まった連中である。カメラマンの一人を捕まえて話を聞くと、場所取りで朝4時からのお出ましとのことである。まあ、スカイツリーと一緒に金環日蝕を収めようということらしい。ウェブニュースより、
 金環日食 スカイツリーと天空競演!? ―― 5月21日の朝、九州から本州の太平洋側を中心に、太陽が月に隠され輪のように輝く天文現象「金環日食」が観測できる。日本で同様の規模で金環日食が見られるのは932年ぶり。特に東京23区は、観測できる地域「金環食帯」の中心線に位置。翌22日には東京スカイツリーがオープン。“世紀の2大イベント”を一度に楽しむことはできるのか――。/「世界で金環日食は3年に2回の頻度で観測できます。決して珍しい現象ではありません」と話すのは、天文雑誌「月刊星ナビ」の編集責任者、川口雅也さん。これまで約15回、世界各地に日食観測に出向いた経験を持つ。そんな川口さんも今回ばかりは「日本でこれだけ広範囲で見られるのは驚くべきこと」と、いささか興奮気味だ。金環日食が観測できるのは「金環食帯」と呼ばれる範囲内。都市部では今回、5月21日午前7時20分すぎに鹿児島で始まる。その後、四国、紀伊半島、東海、関東地方で観測できる。金環食帯は大阪、名古屋、東京の3大都市圏をカバーし、日本の人口の3分の2に当たる約8300万人が体験できる計算になる。/これほどの規模で金環食帯が日本列島を縦断するのは、平安時代だった1080年12月14日以来、932年ぶり。次回は300年後の2312年4月8日だ。/5月21日はまさに一生に一度のチャンス。特に東京は金環食帯の中心線に位置し、きれいな金環日食が観測できる。その翌日には、東京スカイツリーのオープンという一大事まで控えている。東京は午前6時19分4秒に太陽が欠け始め、金環日食は午前7時32分1秒から約5分間続く。スカイツリーのそばに太陽の輝く輪が見られれば最高の“前日イベント”になる。/東京では太陽は、午前7時30分ごろ東の空の約35度にある。「月刊星ナビ」ではスカイツリー越しの太陽の動きをシミュレーション。隅田川に架かる吾妻橋、駒形橋の付近できれいに観測できることを確認した。ただし川口さんは「絶対に太陽を肉眼で見ないでください」と警告する。太陽光は有害。わずか数秒でも日食網膜症という目の病気になる可能性が高い。今回の金環日食にあたり、日本眼科医会、日本眼科学会は「注意してほしい」と呼び掛けている。/そこで必要なのは、観測専用のプレートや眼鏡。これらを通して見ると、太陽が欠けていく様子や、輪になった瞬間などが鮮明に観測できる。炭素など特殊な素材でできているため、太陽以外に周辺の景色や建物は見えない構造になっている。「逆にスカイツリーまで見えたら、その観測グッズは危険ということ」という。2つを同時に見るためには、太陽の部分に大きめの観測プレートをかざしながらスカイツリーをチラ見するほかないのだ。その状態なら通常のデジタルカメラや携帯電話のカメラで撮影することも可能。スカイツリー周辺は、開業前日から大にぎわいしそうだ。
 
 後漢書 獨行列傳 より 范式(1)
 范式字巨卿,山陽金鄉人也,一名氾。少遊太學,為諸生,與汝南張劭為友。劭字元伯。二人並告歸鄉里。式謂元伯曰:「後二年當還,將過拜尊親,見孺子焉。」乃共剋期日。後期方至,元伯具以白母,請設饌以候之。母曰:「二年之別,千里結言,爾何相信之審邪?」對曰:「巨卿信士,必不乖違。」母曰:「若然,當為爾醞酒。」至其日,巨卿果到,升堂拜飲,盡歡而別。
8c3b86df.jpeg〔訳〕范式、字は巨卿(きょけい)、山陽郡金郷県〔山東省済寧道〕の人である。またの名を汜(し)という。若いころ太学(国立大学)に遊学して学生となった。如南郡〔河南省〕の張劭(ちょうしょう)と友達になった。張劭は字を元伯という。二人一緒に休暇で郷里に帰った。范式が張劭にいう、
「二年したらまた戻って来るが、そのおり、君の家に立ち寄って、親御さんにご挨拶し、坊やの顔も見せてもらおう」
 そこで期日を打ち合わせた。その後、約束の日がちょうどやってきた。張劭は詳しくははに事情を述べ、客が来るまでにご馳走をよういしてほしいという。母はいった。
「二年も別れていて、それも千里の遠方の人との約束だよ。お前はまあなんと真っ正直に相手を信用するのだね!」
劭「巨卿〔范式の字〕どのは義理堅い人。きっと約束を違えることはありません」
母「それなら、お前のために酒を作っておこう」
 そのひになった。范式は約束通りやってきた。座敷に上って挨拶し、酒を飲み、歓を尽くして別れた。
 
 式仕為郡功曹。後元伯寢疾篤,同郡郅君章、殷子徵晨夜省視之。元伯臨盡,歎曰:「恨不見吾死友!」子徵曰:「吾與君章盡心於子,是非死友,復欲誰求?」元伯曰:「若二子者,吾生友耳。山陽范巨卿,所謂死友也。」尋而卒。式忽夢見元伯玄冕垂纓屣履而呼曰:「巨卿,吾以某日死,當以爾時葬,永歸黃泉。子未我忘,豈能相及?」式怳然覺寤,悲歎泣下,具告太守,請往奔喪。太守雖心不信而重違其情,許之。式便服朋友之服,投其葬日,馳往赴之。式未及到,而喪已發引,既至壙,將窆,而柩不肯進。其母撫之曰:「元伯,豈有望邪?」遂停柩移時,乃見有素車白馬,號哭而來。其母望之曰:「是必范巨卿也。」巨卿既至,叩喪言曰:「行矣元伯!死生路異,永從此辭。」會葬者千人,咸為揮涕。式因執紼而引,柩於是乃前。式遂留止冢次,為脩墳樹,然後乃去。
〔訳〕式は仕えて郡の人事係になった。その後、張劭は病気で寝ついて危篤に陥った。同じ郡の郅君章(しつくんしょう)・殷子徴(いんしちょう)が、朝晩見舞う。張劭は死に際に嘆いて言った。
「私の死友〔死後まで切れぬ友〕にあえぬのが心残りだ」
子徴「私と君章とは、君に精いっぱい尽くしている。われわれが死友でなければ、外にだれがいるというのかね?」
劭「ご両所などは私の生友〔生きている間の友〕でしかない。山陽の范巨卿だけが、死友というものだ」
 間もなく死んだ。
 范式はふと夢の中で張劭に会った。黒い冠に紐を垂らし、下駄をはいて〔死者の服装〕、呼びかけた。
「巨卿どの、私はこれこれの日に死んだ。これこれの日に葬られるはず、永久に黄泉の国に往くことになる。君がまだ私の事を忘れずにいるなら、葬式にまにあわせてくれるかね?」
 式は夢か現(うつつ)かさだかでないままに、眼を覚まし、涙を流して悲しんだ。詳しく太守に告げ、葬式に駆けつけたいと願った。太守は心中信ぜられぬものの、式の気持ちに逆らうことも憚られ、許可した。式はすぐ友人のための喪服〔麻の着物に縄の帯〕を着け、葬式の日に間に合うよう、馬を走らせてその地に赴いた。
 范式が到着しないうちに、張劭の葬列はすでに出発し、墓場までやってきた。棺を吊り降ろそうとする。ところが棺がどうしても動かない。劭の母が棺を撫でていった、
「元伯〔劭の字〕や、何か心残りがあるのかえ?」
 そのまま棺を止め、しばらく待った。ふと見ると、白い馬車に白い馬をつけ〔白は喪のいろ〕大声で泣きながら駆けつけてくる人がある。劭の母が望み見て言った。
「これはきっと范巨卿どのじゃ」
 范式は到着すると、棺をたたいていった。
「さらば、元伯どの。死者と生者とで路が分かれる。これで永久におわかれじゃ」
 千人の会葬者は皆、もらい泣きした。范式がそこで棺の引き綱を取って引くと、棺は始めて動き出した。式はそのまま墓の傍に寝泊りし、劭のために塚に植木〔松柏を塚に植える〕をととのえてから、立ち去った。
 
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