瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
百五減
3~5世紀頃成立したといわれている中国の算術書『孫子算経』には、以下のような問題とその解答が書かれている。
今有物、不知其数。三・三数之、剰二。五・五数之、剰三。七・七数之、剰二。問物幾何?
答曰:二十三。
術曰:『三・三数之、剰二』、置一百四十。『五・五数之、剰三』、置六十三。『七・七数之、剰二』、置三十。并之、得二百三十三。以二百一十減之、即得。凡、三・三数之、剰一、則置七十。五・五数之、剰一、則置二十一。七・七数之、剰一、則置十五。一百六以上、以一百五減之、即得。
〈訳〉今物が有るが、その数はわからない。三つずつにして物を数えると、二余る。五で割ると、三余る。七で割ると、二余る。物はいくつあるか?
答:二十三。
解法:三で割ると、二余る数として、百四十と置く。五で割ると、三余る数として、六十三と置く。七で割ると、二余る数として、三十と置く。これらを足し合わせて、二百三十三を得る。これから二百十を引いて、答えを得る。一般に、三つずつにして物を数え、一余ると、その度に七十と置く。五で割った余りに二十一をかける。七で割った余りに十五をかける。百六以上ならば、百五を引くことで、答えを得る。
この問題がいつ頃から知られていたかについては定かではない。この問題は、『孫子算経』とともに日本にも伝わり、後和算の隆盛した江戸時代には、「百五減算」として知られた。
吉田光由(よしだみつよし、1598~1672年)が著したといわれる「塵劫記(1627年刊)」にも次のように記載されている。
問題 第十三 百五げんといふ事
▲半(は)ばかりをきゝてかづを云事なり。先(まづ)七づゝ引(ひく)時、二つ残ると云。又五つひく時、一つ残ると云。又三づゝ引時、二つ残ると云時に、此半(は)ばかりを聞(きき)て惣数を知る。
回答 惣数八十六あるといふなり。
先(まづ)七づゝ引時の半一つを、十五づゝのさん用に入(いれ)、三十とおき、又五づゝ引時の半一つを、二十一と入て置(おく)。又三づゝの時の半(は)を、一つを七十づゝのさん用にして百四十と入て、三口合(あはせて)百九十一有時、百にあまる時には百五はらい、のこり八十六あるといふなり。
石の山を見てその石の総数を当てる問題で、7個ずつとりさっていけば2つ残り、5つずつ取り去れば1つ残り、3つずつ取っていけば2余るという時に、その石の総数86を当てるのである。
余りの数だけで3と5と7の最小公倍数105について、mod 105 で答えを出さねばならない。
3で割り余りが1になる5と7の公倍数の最小値は 70
5で割り余りが1になる3と7の公倍数の最小値は 21
7で割り余りが1になる3と5の公倍数の最小値は 15 を用意すれば、総数Nについて、mod 3とする時の余りをa、mod 5とする時の余りをb、mod 7とする時の余りをcであるとすれば、
N≡a(mod 3)、N≡b(mod 5)、N≡c(mod 7)
∴ N≡70a+21b+15c(mod 105)
この塵劫記では a=2. b=1、 c=2 であるから、
N≡70×2+21×1+15×2=191 となり、191から105を出来るだけ引いて86を答えることができる。
初めの孫子算経の場合だと、a=2、 b=3、 c=2 であるから、
N≡70×2+21×3+15×2=233 となり、233から105をできるだけ引いて、23を求めることが出来る。
ある人の年齢は3で割ると1余り、5で割ると2余り、7で割ると5余る。はてさて、この人の年齢を当ててもらいたい。
3~5世紀頃成立したといわれている中国の算術書『孫子算経』には、以下のような問題とその解答が書かれている。
今有物、不知其数。三・三数之、剰二。五・五数之、剰三。七・七数之、剰二。問物幾何?
答曰:二十三。
術曰:『三・三数之、剰二』、置一百四十。『五・五数之、剰三』、置六十三。『七・七数之、剰二』、置三十。并之、得二百三十三。以二百一十減之、即得。凡、三・三数之、剰一、則置七十。五・五数之、剰一、則置二十一。七・七数之、剰一、則置十五。一百六以上、以一百五減之、即得。
〈訳〉今物が有るが、その数はわからない。三つずつにして物を数えると、二余る。五で割ると、三余る。七で割ると、二余る。物はいくつあるか?
答:二十三。
解法:三で割ると、二余る数として、百四十と置く。五で割ると、三余る数として、六十三と置く。七で割ると、二余る数として、三十と置く。これらを足し合わせて、二百三十三を得る。これから二百十を引いて、答えを得る。一般に、三つずつにして物を数え、一余ると、その度に七十と置く。五で割った余りに二十一をかける。七で割った余りに十五をかける。百六以上ならば、百五を引くことで、答えを得る。
この問題がいつ頃から知られていたかについては定かではない。この問題は、『孫子算経』とともに日本にも伝わり、後和算の隆盛した江戸時代には、「百五減算」として知られた。
吉田光由(よしだみつよし、1598~1672年)が著したといわれる「塵劫記(1627年刊)」にも次のように記載されている。
問題 第十三 百五げんといふ事
▲半(は)ばかりをきゝてかづを云事なり。先(まづ)七づゝ引(ひく)時、二つ残ると云。又五つひく時、一つ残ると云。又三づゝ引時、二つ残ると云時に、此半(は)ばかりを聞(きき)て惣数を知る。
回答 惣数八十六あるといふなり。
先(まづ)七づゝ引時の半一つを、十五づゝのさん用に入(いれ)、三十とおき、又五づゝ引時の半一つを、二十一と入て置(おく)。又三づゝの時の半(は)を、一つを七十づゝのさん用にして百四十と入て、三口合(あはせて)百九十一有時、百にあまる時には百五はらい、のこり八十六あるといふなり。
石の山を見てその石の総数を当てる問題で、7個ずつとりさっていけば2つ残り、5つずつ取り去れば1つ残り、3つずつ取っていけば2余るという時に、その石の総数86を当てるのである。
余りの数だけで3と5と7の最小公倍数105について、mod 105 で答えを出さねばならない。
3で割り余りが1になる5と7の公倍数の最小値は 70
5で割り余りが1になる3と7の公倍数の最小値は 21
7で割り余りが1になる3と5の公倍数の最小値は 15 を用意すれば、総数Nについて、mod 3とする時の余りをa、mod 5とする時の余りをb、mod 7とする時の余りをcであるとすれば、
N≡a(mod 3)、N≡b(mod 5)、N≡c(mod 7)
∴ N≡70a+21b+15c(mod 105)
この塵劫記では a=2. b=1、 c=2 であるから、
N≡70×2+21×1+15×2=191 となり、191から105を出来るだけ引いて86を答えることができる。
初めの孫子算経の場合だと、a=2、 b=3、 c=2 であるから、
N≡70×2+21×3+15×2=233 となり、233から105をできるだけ引いて、23を求めることが出来る。
ある人の年齢は3で割ると1余り、5で割ると2余り、7で割ると5余る。はてさて、この人の年齢を当ててもらいたい。
プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
sechin@nethome.ne.jp です。
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