瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
東京夢華録 巻五 娶婦 一
凡娶媳婦、先起草帖子、兩家允許、然後起細帖子、序三代名諱、議親人有服親田產官職之類。次檐許口酒、以絡盛酒瓶、裝以大花八朵、羅絹生色或銀勝八枚、又以花紅繳檐上、謂之「繳檐紅」、與女家。女家以淡水二瓶、活魚三五箇、筯一雙、悉送在元酒瓶內、謂之「回魚筯」。或下小定、大定、或相媳婦與不相。若相媳婦、即男家親人或婆往女家看中、即以釵子插冠中、謂之「插釵子」;或不入意、即留一兩端綵段、與之壓驚、則此親不諧矣。其媒人有數等、上等戴蓋頭、著紫背子、說官親宮院恩澤;中等戴冠子、黃包髻、背子、或只繫裙、手把青涼傘兒、皆兩人同行。下定了、即旦望媒人傳語。遇節序、即以節物頭面羊酒之類追女家、隨家豐儉。女家多回巧作之類。次下財禮、次報成結日子。次過大禮、先一日或是日早下催妝冠帔花粉、女家回公裳花幞頭之類。前一日女家先來掛帳、鋪設房臥、謂之「鋪房」。女家親人有茶酒利市之類。至迎娶日、兒家以車子或花檐子發迎客引至女家門、女家管待迎客、與之綵段、作樂催妝上車檐、從人未肯起、炒咬利市、謂之「起檐子」、與了然後行。迎客先回至兒家門、從人及兒家人乞覓利市錢物花紅等、謂之「欄門」。新婦下車子、有陰陽人執斗、內盛穀豆錢果草節等呪祝、望門而撒、小兒輩爭拾之、謂之「撒穀豆」、俗云厭青羊等殺神也。新人下車檐、踏青布條或氈席、不得踏地、一人捧鏡倒行、引新人跨鞍驀草及秤上過。入門、於一室內當中懸帳、謂之「坐虛帳」;或只徑入房中坐於床上、亦謂之「坐富貴」。其送女客、急三盞而退、謂之「走送」。眾客就筵三盃之後、婿具公裳花勝簇面、於中堂昇一榻、上置椅子、謂之「高坐」。先媒氏請、次姨氏或妗氏請、各斟一盃飲之;次丈母請、方下坐。新人門額、用綵一段、碎裂其下、橫抹掛之、婿入房、即眾爭撦小片而去、謂之「利市繳門紅」。
〔訳〕《婚礼一》一般に嫁をもらうには、まず仮の書付を取り交わし、そこで両家が婚姻を承諾すると詳しい書付を取り交わした。過去三代にわたる家系や、媒酌人・有服親〔喪に服する関係にある親族〕・田産・官職の類をしるしたものである。つぎに幾瓶かの酒の荷を贈る。酒を入れた瓶に、大輪の花八輪、色あざやかな薄絹とか銀の頭飾りを八つ、さらに祝儀の紅絹(もみ)を荷にまといつける。これを「繳檐紅(もみのしゅうぎ)」と呼んで嫁の家に贈るのである。嫁の家では真水二瓶に活き魚四、五尾、箸一膳を、贈られた酒瓶に入れてお返しとし、これを「回魚筋〔かいぎょちょ、魚箸(なはし)の返し〕という。また、固めの品を贈る儀式をしたり、どんな嫁か見立てをする。嫁の見立てをする場合には、婿の家の親族か母が、嫁の家に出向き、見て気に入れば、釵子(かんざし)を冠に挿し、これを「挿釵子(かんざしさし)」といった。もし気に入らない場合には、色絹の一、二匹を「厭驚(えんぎなおし)」として贈る。こうすればこの縁はこわれたのだ。結婚仲介人も数等級に分かれていた。上等の仲介人は蓋頭(かずき)をかぷり、紫の背子(からぎぬ)を着、官吏の縁談や宮中での婚姻をとりもつ。中等の仲介人は冠をいただき、黄の布で髻(まげ)を包み、背子を着、あるいは礼装用の裙(スカート)つけただけの者もあり、手に青い日傘を持つ。双方が同行して、固めの品を贈る儀式をすると即日結婚仲介人に知らせるのだ。この間にたまたま節句にあえば、節句用品や頭飾り、羊と酒などを、さらに嫁の家に贈るが、その多少は家々の暮らし向きに応じた。嫁の家では多く手芸品のたぐいを返礼とした。つぎに結納金を贈り、ついで挙式の日取りを知らせる。その次が結婚の大礼だが、その前日か当日早く、嫁の家に花嫁の支度を促す意味の儀式として、かぶりものや白粉を贈り、嫁の家からは婿の家へ花婿衣装や花幞頭(はなかぶり)のたぐいを返礼とする。また前日に嫁の家のものが先に婿の家に来て帳(とばり)をかけ寝間の支度を整えるのを「鋪房(ねやごしらえ)」といい、嫁の家の親族が茶・酒・祝儀のたぐいを負担した。嫁を迎える日になると、婿の家では牛車か花檐子(かざりこし)で迎え役を出して嫁の家の門口まで行かせる。嫁の家では迎え役をもてなし、祝儀の色絹を与える。と音楽がかなでられては花嫁の支度をうながす。やがて花嫁は乗物に乗るが、従者は発(た)とうとせず祝儀を口々に催促する。その催促を「起檐子(こしおこし)」といって、祝儀をあたえるとやつと発つのであった。迎え役は一足先に婿の家の門口に帰り着く。従者や婿の家の者がこのように祝儀の金品や紅絹(もみ)を催促するのを「欄門(かどふさぎ)」といった。婿の家に着いて花嫁が牛車から降りると、陰陽師が、中に穀物・豆・銭・果物・草節(わらしべ)などを盛った斗(ます)を持ち、まじないを唱えながら門口に向かってまき、子供たちは争ってこれを拾う。これを「撒穀豆(まめまき)」といって、俗に青羊などの凶神を忌んでやるのだといっている。花嫁は乗物から降りると青い木綿か毛氈の敷物を踏んで歩き、地面を踏んではならない。一人が鏡をささげて後ずさりしながら花嫁を導き、鞍をまたがせ、草と秤の上を越させて、中央に帳をかけた一室に入れる。これを「坐虚帳(かりのねやいり)」という。真っすぐに閨房(ねや)にはいり、床(ねだい)に坐ることもあるがこれを「坐富貴(ざふうき)」という。嫁を送ってきた者は、さっさと三杯の酒を飲んで引き取ることになっており、これを「走送(はしりおくり)」という。みなが宴席について三杯飲んだあと、花婿は花婿衣装に花勝(かみかざり)をつけ顔をおおって、中堂(なかやしき)の搨〔とう、細長い台〕の上に置いた椅子に上る。これを「高座(こうざ)」という。まず、結婚仲介人が酒をすすめ、つぎに花婿の母の姉妹あるいは母の兄弟の妻がすすめ、それぞれ一杯ずつ飲むと、つぎに花嫁の母がすすめて、やっと座をおりるのであった。花嫁の部屋の入口の額には一枚の色絹の下端を細かく裂いたものを横にして掛け、花婿が部屋に入ったとたん、みなは争ってこれをちぎり取る。これを「利市繳門紅(ものみのしゅうぎとり)」という。
※荷:原文では「檐」。宋代には檐は担に通じて用いられ、檐子は二竿をもってかつぐものであり、(華沲腰)のこと。後世これをふつう轎子(きょうし)というが、唐から北宋にかけてこれを檐子(たんし)といった。これに祝いの酒荷を載せてはこんだのである。
※固めの品を贈る儀式:原文には「大定、小定」とある。婿の家から嫁の家に婚約のしるしとして固めの品を贈る儀式を「小定」、さらに挙式の日から一月ほど前になって、式の日取りの通知書と花嫁衣裳・指輪などを送る儀式を「大定」という。
※結婚仲介人:原文では「媒人」。これは媒氏と呼ばれ、結婚仲介を業とする婦人のことである。
※嫁の家に花嫁の支度を促す意味の儀式:原文「催粧」。婚礼の直前に婿の家で嫁の家に贈物をする儀式。
※花檐子:当時のいわゆる「こし」は皇后のもちいるものは「輿」、それより小型で一般人が婚礼などで用いるものを「檐子」と呼んだらしい。
※欄門:唐人は嫁が来ると、門で待ち構えて祝儀をせびり、これを「障車」といったが、詔が出て禁じられたという。
※撒穀豆:以下のような話がある。漢の京房の娘が翼奉の息子に嫁ぐことになり、翼奉が婚礼の日をえらんだ。ところが京房〔彼は易者であり預言者としても有名であった〕は、その日は三煞神(さんさつしん)画文にいるから不吉だという。三煞とは青羊・烏鶏・青牛の三凶神、この三神が門にいたのでは嫁ははいることができず、もしこれを犯せば尊長を損ない子も出来ぬというのだ。そこで嫁が門に来た時、穀豆や草で凶神を払うことにした。以来、婚礼に「撒穀豆」の儀式が行われるようになったという。(宋の高承「事物起源」より)
※鞍:唐では国初の婚礼はみな胡虜の法にならい、女を馬鞍の側に座らせたとある。婚礼に鞍を用いるのは北朝騎馬民族系の遺風なのである。鞍は入口の閾(しきい)の上に置かれる。閾に花嫁の足が触れると不幸があるという俗信からとか、鞍は平安の安にも通じるからなどと説明されている。
※花勝:頭飾りの一種で、髷に左右一文字にさす簪の両端に垂らした飾り。
凡娶媳婦、先起草帖子、兩家允許、然後起細帖子、序三代名諱、議親人有服親田產官職之類。次檐許口酒、以絡盛酒瓶、裝以大花八朵、羅絹生色或銀勝八枚、又以花紅繳檐上、謂之「繳檐紅」、與女家。女家以淡水二瓶、活魚三五箇、筯一雙、悉送在元酒瓶內、謂之「回魚筯」。或下小定、大定、或相媳婦與不相。若相媳婦、即男家親人或婆往女家看中、即以釵子插冠中、謂之「插釵子」;或不入意、即留一兩端綵段、與之壓驚、則此親不諧矣。其媒人有數等、上等戴蓋頭、著紫背子、說官親宮院恩澤;中等戴冠子、黃包髻、背子、或只繫裙、手把青涼傘兒、皆兩人同行。下定了、即旦望媒人傳語。遇節序、即以節物頭面羊酒之類追女家、隨家豐儉。女家多回巧作之類。次下財禮、次報成結日子。次過大禮、先一日或是日早下催妝冠帔花粉、女家回公裳花幞頭之類。前一日女家先來掛帳、鋪設房臥、謂之「鋪房」。女家親人有茶酒利市之類。至迎娶日、兒家以車子或花檐子發迎客引至女家門、女家管待迎客、與之綵段、作樂催妝上車檐、從人未肯起、炒咬利市、謂之「起檐子」、與了然後行。迎客先回至兒家門、從人及兒家人乞覓利市錢物花紅等、謂之「欄門」。新婦下車子、有陰陽人執斗、內盛穀豆錢果草節等呪祝、望門而撒、小兒輩爭拾之、謂之「撒穀豆」、俗云厭青羊等殺神也。新人下車檐、踏青布條或氈席、不得踏地、一人捧鏡倒行、引新人跨鞍驀草及秤上過。入門、於一室內當中懸帳、謂之「坐虛帳」;或只徑入房中坐於床上、亦謂之「坐富貴」。其送女客、急三盞而退、謂之「走送」。眾客就筵三盃之後、婿具公裳花勝簇面、於中堂昇一榻、上置椅子、謂之「高坐」。先媒氏請、次姨氏或妗氏請、各斟一盃飲之;次丈母請、方下坐。新人門額、用綵一段、碎裂其下、橫抹掛之、婿入房、即眾爭撦小片而去、謂之「利市繳門紅」。
〔訳〕《婚礼一》一般に嫁をもらうには、まず仮の書付を取り交わし、そこで両家が婚姻を承諾すると詳しい書付を取り交わした。過去三代にわたる家系や、媒酌人・有服親〔喪に服する関係にある親族〕・田産・官職の類をしるしたものである。つぎに幾瓶かの酒の荷を贈る。酒を入れた瓶に、大輪の花八輪、色あざやかな薄絹とか銀の頭飾りを八つ、さらに祝儀の紅絹(もみ)を荷にまといつける。これを「繳檐紅(もみのしゅうぎ)」と呼んで嫁の家に贈るのである。嫁の家では真水二瓶に活き魚四、五尾、箸一膳を、贈られた酒瓶に入れてお返しとし、これを「回魚筋〔かいぎょちょ、魚箸(なはし)の返し〕という。また、固めの品を贈る儀式をしたり、どんな嫁か見立てをする。嫁の見立てをする場合には、婿の家の親族か母が、嫁の家に出向き、見て気に入れば、釵子(かんざし)を冠に挿し、これを「挿釵子(かんざしさし)」といった。もし気に入らない場合には、色絹の一、二匹を「厭驚(えんぎなおし)」として贈る。こうすればこの縁はこわれたのだ。結婚仲介人も数等級に分かれていた。上等の仲介人は蓋頭(かずき)をかぷり、紫の背子(からぎぬ)を着、官吏の縁談や宮中での婚姻をとりもつ。中等の仲介人は冠をいただき、黄の布で髻(まげ)を包み、背子を着、あるいは礼装用の裙(スカート)つけただけの者もあり、手に青い日傘を持つ。双方が同行して、固めの品を贈る儀式をすると即日結婚仲介人に知らせるのだ。この間にたまたま節句にあえば、節句用品や頭飾り、羊と酒などを、さらに嫁の家に贈るが、その多少は家々の暮らし向きに応じた。嫁の家では多く手芸品のたぐいを返礼とした。つぎに結納金を贈り、ついで挙式の日取りを知らせる。その次が結婚の大礼だが、その前日か当日早く、嫁の家に花嫁の支度を促す意味の儀式として、かぶりものや白粉を贈り、嫁の家からは婿の家へ花婿衣装や花幞頭(はなかぶり)のたぐいを返礼とする。また前日に嫁の家のものが先に婿の家に来て帳(とばり)をかけ寝間の支度を整えるのを「鋪房(ねやごしらえ)」といい、嫁の家の親族が茶・酒・祝儀のたぐいを負担した。嫁を迎える日になると、婿の家では牛車か花檐子(かざりこし)で迎え役を出して嫁の家の門口まで行かせる。嫁の家では迎え役をもてなし、祝儀の色絹を与える。と音楽がかなでられては花嫁の支度をうながす。やがて花嫁は乗物に乗るが、従者は発(た)とうとせず祝儀を口々に催促する。その催促を「起檐子(こしおこし)」といって、祝儀をあたえるとやつと発つのであった。迎え役は一足先に婿の家の門口に帰り着く。従者や婿の家の者がこのように祝儀の金品や紅絹(もみ)を催促するのを「欄門(かどふさぎ)」といった。婿の家に着いて花嫁が牛車から降りると、陰陽師が、中に穀物・豆・銭・果物・草節(わらしべ)などを盛った斗(ます)を持ち、まじないを唱えながら門口に向かってまき、子供たちは争ってこれを拾う。これを「撒穀豆(まめまき)」といって、俗に青羊などの凶神を忌んでやるのだといっている。花嫁は乗物から降りると青い木綿か毛氈の敷物を踏んで歩き、地面を踏んではならない。一人が鏡をささげて後ずさりしながら花嫁を導き、鞍をまたがせ、草と秤の上を越させて、中央に帳をかけた一室に入れる。これを「坐虚帳(かりのねやいり)」という。真っすぐに閨房(ねや)にはいり、床(ねだい)に坐ることもあるがこれを「坐富貴(ざふうき)」という。嫁を送ってきた者は、さっさと三杯の酒を飲んで引き取ることになっており、これを「走送(はしりおくり)」という。みなが宴席について三杯飲んだあと、花婿は花婿衣装に花勝(かみかざり)をつけ顔をおおって、中堂(なかやしき)の搨〔とう、細長い台〕の上に置いた椅子に上る。これを「高座(こうざ)」という。まず、結婚仲介人が酒をすすめ、つぎに花婿の母の姉妹あるいは母の兄弟の妻がすすめ、それぞれ一杯ずつ飲むと、つぎに花嫁の母がすすめて、やっと座をおりるのであった。花嫁の部屋の入口の額には一枚の色絹の下端を細かく裂いたものを横にして掛け、花婿が部屋に入ったとたん、みなは争ってこれをちぎり取る。これを「利市繳門紅(ものみのしゅうぎとり)」という。
※荷:原文では「檐」。宋代には檐は担に通じて用いられ、檐子は二竿をもってかつぐものであり、(華沲腰)のこと。後世これをふつう轎子(きょうし)というが、唐から北宋にかけてこれを檐子(たんし)といった。これに祝いの酒荷を載せてはこんだのである。
※固めの品を贈る儀式:原文には「大定、小定」とある。婿の家から嫁の家に婚約のしるしとして固めの品を贈る儀式を「小定」、さらに挙式の日から一月ほど前になって、式の日取りの通知書と花嫁衣裳・指輪などを送る儀式を「大定」という。
※結婚仲介人:原文では「媒人」。これは媒氏と呼ばれ、結婚仲介を業とする婦人のことである。
※嫁の家に花嫁の支度を促す意味の儀式:原文「催粧」。婚礼の直前に婿の家で嫁の家に贈物をする儀式。
※花檐子:当時のいわゆる「こし」は皇后のもちいるものは「輿」、それより小型で一般人が婚礼などで用いるものを「檐子」と呼んだらしい。
※欄門:唐人は嫁が来ると、門で待ち構えて祝儀をせびり、これを「障車」といったが、詔が出て禁じられたという。
※撒穀豆:以下のような話がある。漢の京房の娘が翼奉の息子に嫁ぐことになり、翼奉が婚礼の日をえらんだ。ところが京房〔彼は易者であり預言者としても有名であった〕は、その日は三煞神(さんさつしん)画文にいるから不吉だという。三煞とは青羊・烏鶏・青牛の三凶神、この三神が門にいたのでは嫁ははいることができず、もしこれを犯せば尊長を損ない子も出来ぬというのだ。そこで嫁が門に来た時、穀豆や草で凶神を払うことにした。以来、婚礼に「撒穀豆」の儀式が行われるようになったという。(宋の高承「事物起源」より)
※鞍:唐では国初の婚礼はみな胡虜の法にならい、女を馬鞍の側に座らせたとある。婚礼に鞍を用いるのは北朝騎馬民族系の遺風なのである。鞍は入口の閾(しきい)の上に置かれる。閾に花嫁の足が触れると不幸があるという俗信からとか、鞍は平安の安にも通じるからなどと説明されている。
※花勝:頭飾りの一種で、髷に左右一文字にさす簪の両端に垂らした飾り。
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目高 拙痴无
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92
誕生日:
1932/02/04
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