瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
珍しい名字の人は、自分の名字をいやがる人も多いようであるが、珍しい名字には必ず謂れがあるものだ。謂れがなければ、他の人と違う珍しい名字にはなりはしないから、珍しい名字の人はそれだけ由緒正しいともいえる。由緒ある珍しい名字のうち、実在するものをいくつかたずねてみることにしよう。先人の智恵やセンスを感じさせるものもある。
A.一字数字の名字
一:にのまえ(いち、かず、はじめ の読みもある。全国順位14、577位、約400件)
語源一の前の数字は二であることから。一の村、一の坪、一の庄などの当て字とされ諸説ある。近年、熊本県や福岡県、新潟県などに多数みられる。地名も各地にみられる。一は縁起の良い数とされる。
二:したなが(新潟県等4件あるというが、くわしいことは判らぬ。もしかしたら幽霊苗字か?)
上の横棒より、下の横棒のほうが長いので、「シタナガ」と言うのだそうだ。
九:いちじく(いちのく、く のよみもある。全国順位49、812位、およそ40件ほど)
「一字でク」であるから「イチジク」。現在、新潟県や長野県に少数みられる。村内や軒数などの地名に由来するとおもわれる。
十:つなし(幽霊名字か?)
一つ、二つ、三つ …… 八つ、九つ 十(とお)は「つがつかない」→ すなわち「つなし」
じゅう、つじ、つなし、もげき、よこたて、など読み多数みられる
十:もげき、もぎき、もげき(全国順位75、656位、およそ10件ほど)
「木」の両側の払いがもげていることから。正しくは、十の縦線が跳ねている常用外の漢字を用いる。新潟県、北海道など少数みられる。
B.日付の名字
四月一日(朔日):わたぬき(全国順位90、150位、およそ10件)
綿貫と語源をともにする。現千葉県北部である下総国葛飾郡発祥ともいわれる、桓武天皇の子孫で平の姓を賜った家系である平氏(桓武平氏)千葉氏族。
五月七日:つゆり(大阪市、神戸市など、全国に少し)
昔あるところに、水無瀬殿(みなせどの)という大臣(おとど)がいた。彼は露姫という摂津国第一の美女を娶ったが、露姫は一年も経たぬうちに亡くなった。大臣は悲しみのあまり、庭先に一宇(いちう)の堂を建て、妻の霊を祀った。栗の花の落ちる頃なので、露姫の代りに栗花落姫と当てた。妻の遺言により堂脇に井戸を掘り、朝夕、水を汲んでは飲んだ。水はどんな時でも涸れることなく、評判になり、水をもらいに来る者も出た。堂宇はいつの間にか栗花落(つゆり)神社と呼ばれ、霊水は雨乞いの呼び水として知られるようになったという。そして旧暦五月七日に栗花落祭りという雨乞いの祭りを行うので、この読み方のになったとのこと。
六月一日(朔日):うりわり(大阪に少し)
「瓜破(うりわり)」とも表記する。六月は夏の始まりで瓜の実がわれる頃。昔、三蔵法師に学んだ道昭という僧侶が河内・丹比で天神像を見つけ、これを祀り、近くで採れた瓜を供えたと言われる。現在の大阪市平野区瓜破だ。ここは今も瓜の大産地という。
八月一日(朔日):ほずみ、はっさく(全国順位32、865位、全国におよそ100件ほど)
「ほずみ」の読み、この日に稲の新穂を積み始めるから。「はっさく」は「八朔」の音読みだろう。穂積氏、源氏などにもみられる。穂積氏の異形であり、旧暦8月1日に実る稲の穂を摘み贈る風習が語源といわれる。群馬県、千葉県、岐阜県などにみられる。
八月十五日:なかあき、あきなか(今のところ実在例はなし、幽霊名字かもしれぬ)
昔は、旧暦7・8・9月「現在の暦の8・9・10月頃」を「秋」としていた。そして、7月を孟秋(孟は「はじめ」の意味」、8月を仲秋、9月を季秋「季は「末」のこと)と呼んでいた。このように、「旧暦8月)を表すときには、「仲秋」と書き、「仲」の文字を使うが、「中秋」と「中」の文字を使うと、秋の丁度真ん中の日(旧暦8月15日)だけをさすことになるのである。
十一月二十九日:つめづめ(実在の人を見つけることはできなかった。幽霊名字か?)
「十一月二十九日」と書いて「つめづめ」と読む姓があるという話があるが、残念ながらその由来を示す資料はない。この爺が察するに物事の終わりを「大詰め」というから、1年の内十二月は大詰めの月、十一月は詰めの月。その十一月の内三十日は大詰めの日、二十九日は詰めの日ということで、一年の「つめ」と十一月の「つめ」をかさねて「つめづめ」となったものか?
十二月一日(朔日):しわすだ(之も実在の人を見つけることができなかった。幽霊名字らしい)
十二月一日(朔日)から「師走だ」ということだろう。
十二月三十一日:ひづめ(これも幽霊名字か?)
年末で日がつまっているから
C.クイズまがいの名字
小鳥遊:たかなし(全国順位50、362位、全国に40件ばかり)
高梨からの転化。清和源氏井上氏流の名族。信濃国高井郡高梨邑を領した高梨盛光が、長男に高梨、次男に鳥楽(たかなし)、三男に小鳥遊、四男に仁科の姓を与えたことから。意味は読んで字のごとくである。なお、次男の鳥楽氏は文献によっては鳥遊氏であったり、あやふやなところがある。小鳥が遊ぶ=天敵(鷹)がいない=タカナシ
月見里:やまなし(全国順位18、806位、全国に300件ばかり)
月を見るには山がない方がよく見える。だから、「月見里」と書いて「やまなし」と読む。なお、漢字通りに「つきみさと」と読むこともある。もともとは清和天皇の子孫で源姓を賜った氏(清和源氏)(現山梨県である甲斐国山梨郡)、桓武天皇の子孫で平の姓を賜った家系である平氏(桓武平氏)(現千葉県北部である下総国千葉郡山梨郷)などにもみられる。静岡市の旧清水地区と、千葉県の松戸市付近の名字で、清水には「月見里神社/やまなしじんじゃ」という神社もある。
鶏冠井:かいで、かえで、かえでい(全国順位36,597位、およそ80件)
ニワトリの冠といえば「トサカ」のこと。真っ赤なトサカは、紅葉したカエデの形に似ているので、「鶏冠」を「カエデ」と読ませものか。現京都である山城国乙訓郡鶏冠井村発祥ともいわれる。南部藩にもみられる。現在、岐阜県や愛知県などに少数みられる。語源は楓の葉形が鶏のとさかに似ていることからきている。古代の長岡京跡が、四方八方に路がのび、拡がっている所からつけられたと思われる。本来は「かえでい」だったと思うのだが、いつの間にか末尾の「い」がなくなり、今では「かえで」と読んでいるそうだ。
部田:へた、とりた(全国順位10,781位、およそ700件)
「ぶた」などと読む勿れ。女性ならなおされの子と。この名字の秘密を解く鍵は「服部」にある。「服部(全国順位134位、153000件)」も充分難読ではあるが、これは誰でも「はっとり」と読める。「服部=はっとり」ならば、「部=とり」だろう、と考えた人がいるという。鳥田と起源をともにする。現三重県である伊勢国部田御厨起源とも言われる。近年、北海道や岐阜県、島根県にみられる。この系統に「日下=くさか」から生まれた「日馬=くさま」などがある。
日下: くさか,にちか,にちした,にっか,ひしも,ひした,ひのした,ひもと,ひか,ひかげ,ひげ(全国順位764位、およそ26,800件)
日下連、日下宿禰、日下部氏(古代日下部の職名から起こり、多くはその部民の末。草壁ともいう)、安倍氏(祖先は第八代孝元天皇の孫)などにもみられる。徳島藩の士族にみられる。「下」は上や中に対し、低いところやふもとを表す。
日馬:くさま(全国順位9,456位、およそ850件)→ 詳細はよく判らない
臥龍岡:ながおか(全国順位80,099位、およそ10件)→ 詳細跛不明
「龍」が「臥」せている「岡」。龍とはいうまでもなく、中国の想像上の動物。この龍が地面に寝ていたらどんな感じだろうか。おそらく、長~く地面が丘のように盛り上がっているように見えるに違いない。だから、「臥龍岡」と書いて「ながおか」と読むのだという。本来の名字は「長岡」だったのだろう。
い:かながしら(実例は存在しないようだ。幽霊名字か)
ひらがな一文字「い」で「かながしら」と読む。いろは48文字の最初の字ということだろう。
D.エロっぽい名字
十八女:さかり(今も徳島県阿南町に町名が現存している)
「鬼も十八、番茶も出花」というくらいで、18歳は女性が一番美しくなる年齢だとされています。「女ざかり」という意味で「十八女=さかり」と読ませるのかな。
壇ノ浦の戦いで海に沈んだとされている安徳天皇(ここでは姫宮とされている)は実は生きていて、この地に落ち延びていた(この手の話は九州・四国各地の残されている)。18歳になられた姫宮安徳天皇は「十八女(さかり)」と名乗るようになったのたという。この「さかり」は「盛」、すなわち清盛以下、知盛・敦盛・重盛など平家一門の男性に与えられた一字を表しているのだという。
十六女:いろつき(詳細不明)
女性としての色のつきはじめ、というのが読みの語源。古代人は和語に対し意味の近い文字を当てたりしたので、このような姓ができた。ししめがもともとであり四×四=十六のことという説もある。関連は獅子目で鹿児島県に地名もあった。
十八娘:ねごろ(どうも作り話臭い。幽霊苗字か?)
紀州根来(ねごろ)寺の僧が織田信長にそむいて滅ぼされそうになった。逃げ延びた僧が、カモフラージュとして、「十八娘」と名乗ったそうな。根来寺の再起を誓った合言葉のようなものだったという。なぜ、この当て字をしたのだろう? 単純にこの僧は18歳の尼僧だったのか?
このほか、「交楽:まずら」はまだよいとして、「男女重:おめしげ」なんて、赤面するような苗字もあるというが、これらもどうやら創作くさい。幽霊苗字か? いずれも実例を見つけることは出来なかった。
E.伝説のある名字
肥満:ひまん、こえみつ(全国順位54,894位、30件ぐらい)
かつて、ある村で村人が旅のお坊さんを家に泊めた。お坊さんはそのお礼として石をくれたという。この石、なぜかどんどん肥え太るように大きくなっていったのだが、それと同時に村も栄えるようになったとか。あとで聞くと、実はその旅のお坊さんとはかの弘法大師だったので、村人は、この石にあやかって名字を「肥満」にしたという言い伝えが残っている(三重県津市・滋賀県)。全国各地に伝わる“弘法大師伝説”の一つであるが、「石が大きくなる」→「肥満」という飛躍がなんとも面白い。その背景には、中世以前では「太っている=裕福」という概念が一般的にあったのだろう。
薬袋:みない(全国順位6,516位、1500件ほど)
現山梨県である甲斐国巨摩郡薬袋村が起源(ルーツ)である、和気延成が皆井村を賜り薬袋を名のったとされる。熊本藩にもみられる。武田信玄が薬袋を落として届けた際「中身を見たか」と問うたところ、見ていないといったことからとか、薬袋を持っているのを見たことがない(くらい元気)といった具合の話が由来の出所として多数残されている。実際、山梨県では有名な長寿村もあり、もっともらしい説ではある。この発展型の名字として「御薬袋/みない」というのもあるという。「武田信玄の薬袋だ」と主張しているようである。。
舌:ぜつ(全国順位27,818位、およそ100件)
京都の貴船神社に神様が降臨した際、牛鬼というおしゃべりな神が、他言無用の天上の秘密をぺらぺらと喋ってしまい、舌を八つ裂きにされて追放されたという。牛鬼は、その後貴船に戻り、自ら戒める意味で「舌」を名字として、貴船神社の神官になったと伝えている。
玉虫:たまむし(全国順位13,358位、山形県米沢市、東京都、宮城県などに500件ばかり)
現新潟県である越後国古志郡玉虫(位置不祥)が起源(ルーツ)である。984年(永観2年)に戦いに敗れた城氏が自刃しようとした際に助けた老婆が玉虫となったことからという伝承がある。桓武天皇の子孫で平の姓を賜った家系である平氏(桓武平氏)城氏流、清和天皇の子孫で源姓を賜った氏(清和源氏)多田氏流などにもみられる。
風呂:ふろ(全国順位12,191位、およそ600件)
「風呂」という名字は実は各地のあちこちにある。今と違って、昔は家に風呂がある、というのはとても贅沢なことだった。そうした風呂家のうち、岩手県遠野市の風呂家にはすごい由来がある。頼朝に追われている源義経に風呂を貸したところ、義経から「風呂」という名字をもらったというのがある。ただ、この話の問題は、遠野は義経主従が打ち取られた平泉よりもさらに北にあり、義経はそこまでたどり着いてはいないはず。
小粥:おかい/こがゆ(全国順位6,361位、おおよそ1600件ほど)
織田家などを輩出した現愛知県である尾張国の藤左衛門が源義朝落去時、粥を捧げたことから名乗るようになった。近年、静岡県浜松市に多数みられる。徳川家康は若いころ、武田信玄の前に木っ端みじんに敗れたことがあり、ほうほうのていで逃げた来た家康は、ある家でお粥をごちそうになった。ほっと一息ついた家康は家の主人に「小粥」という名字を送り、今では、「こがゆ」か「おかい」と読むことが多いが、本来の「おかゆ」を名乗っている家もあるという。なお、小粥家では家紋も、お椀に箸を一膳乗せた形であるという。
F.その他色々
一寸八分:かまつか
一尺八寸姓は、鎌の柄の長さを由来と刷る名字のようだが、一寸八分といえば、鎌の柄にしては短すぎる。
言語道断:てくらだ、てらくだ、てくら
秋田県雄勝郡東成瀬村手倉、山形県酒田市手蔵田との関係を指摘する説もあるが、なぜ言語道断などという言語道断な字を当てたのか定かでなく、信憑性に欠ける。「大言海」によると、秋田県雄勝郡東成瀬村に「言語道断」と書いて「てこら」や「てくら」と読む地名があり、語源は「照濃 (てこら)」で、色濃く照り映えた景観を指す賞美語と解説しているという。 しかし、なぜ「照濃」が「言語道断」になるか、この解説では判らない。「照濃」が賞美語だとしても、賞美語ではない「言語道断」になぜ結びつくのか?
子子子子:ねこじし、すねこし、すねごし
子子子子子子子子子子子子は、日本の言葉遊びである。「ねこのここねこ、ししのここじし(猫の子子猫、獅子の子子獅子)」と読む。この問題を考え出したのは嵯峨天皇、解いたのは小野篁であると伝えられている。このあたりから、デッチあげられた創作名字か?
己己己己:いえしき
古歌に「ミ・シ(巳)は上、ヤム・イはスデニ(已)半ばなり、オノレ・ツチノト・コ(己:漢音「キ」呉音「コ」)は下につく」とあるから、正しくは、已○巳己 となるはず。このあたりからの創作名字らしい?
東西南北:よもひろ、ひがた
東西南北を四方(よも)いうことから「四方にひろがる」という意か?
春夏秋冬:ひととせ
春夏秋冬で一年(ひととせ)あるから。
海千山千:ふるて
海千山千とは、「海に千年、山に住んだ蛇は竜になる」という言い伝えを人間の経験にあてはめたもので、その言い伝え自体は古いが、「海千山千」という形での用例は昭和になってからである。また、竜になるという言い伝えには「立派な(竜になること)」といった意味が含まれているが、海千山千は世の中を知り尽くしたことで、ずる賢くなった者をさすため、褒め言葉としては用いられない。海千山千の同意句には、「海に千年山に千年」がある。これを「ふると」と読む由縁も判りそう。
百千万億:つもい ??
鬮橋:くじはし(全国順位37,989位、およそ70件)
現兵庫県南西部である播磨発祥ともいわれるが、詳細は不明である。近年、兵庫県に多く、特に小野市葉多町に集中してみられる。「鬮」は28画と画数の多い字であるが籌(ちゅう)に通じ「くじ」の意、「橋」は国の内外を渡す要所を表す。
画数が多いといえば、
「 (たいと)」は、総画数が84画という最も複雑な漢字(和製漢字→国字)であるという。日本人の苗字であるとされ、他に「だいと」・「おとど」とも読むというのだが、「 」を載せる文献はいずれも苗字として解説しているものの、苗字に関する全国的な悉皆調査が行われた事例がないため、この苗字が現存するのか、あるいはかつて存在したのか、それとも文献に登場しても実際には存在しない幽霊名字であるのかは不明である。1960年代初め、ある証券会社にこの苗字を持つ者が現れ、名刺を残していったともいわれるが、真偽のほどは定かでない。
A.一字数字の名字
一:にのまえ(いち、かず、はじめ の読みもある。全国順位14、577位、約400件)
語源一の前の数字は二であることから。一の村、一の坪、一の庄などの当て字とされ諸説ある。近年、熊本県や福岡県、新潟県などに多数みられる。地名も各地にみられる。一は縁起の良い数とされる。
二:したなが(新潟県等4件あるというが、くわしいことは判らぬ。もしかしたら幽霊苗字か?)
上の横棒より、下の横棒のほうが長いので、「シタナガ」と言うのだそうだ。
九:いちじく(いちのく、く のよみもある。全国順位49、812位、およそ40件ほど)
「一字でク」であるから「イチジク」。現在、新潟県や長野県に少数みられる。村内や軒数などの地名に由来するとおもわれる。
十:つなし(幽霊名字か?)
一つ、二つ、三つ …… 八つ、九つ 十(とお)は「つがつかない」→ すなわち「つなし」
じゅう、つじ、つなし、もげき、よこたて、など読み多数みられる
十:もげき、もぎき、もげき(全国順位75、656位、およそ10件ほど)
「木」の両側の払いがもげていることから。正しくは、十の縦線が跳ねている常用外の漢字を用いる。新潟県、北海道など少数みられる。
B.日付の名字
四月一日(朔日):わたぬき(全国順位90、150位、およそ10件)
綿貫と語源をともにする。現千葉県北部である下総国葛飾郡発祥ともいわれる、桓武天皇の子孫で平の姓を賜った家系である平氏(桓武平氏)千葉氏族。
五月七日:つゆり(大阪市、神戸市など、全国に少し)
昔あるところに、水無瀬殿(みなせどの)という大臣(おとど)がいた。彼は露姫という摂津国第一の美女を娶ったが、露姫は一年も経たぬうちに亡くなった。大臣は悲しみのあまり、庭先に一宇(いちう)の堂を建て、妻の霊を祀った。栗の花の落ちる頃なので、露姫の代りに栗花落姫と当てた。妻の遺言により堂脇に井戸を掘り、朝夕、水を汲んでは飲んだ。水はどんな時でも涸れることなく、評判になり、水をもらいに来る者も出た。堂宇はいつの間にか栗花落(つゆり)神社と呼ばれ、霊水は雨乞いの呼び水として知られるようになったという。そして旧暦五月七日に栗花落祭りという雨乞いの祭りを行うので、この読み方のになったとのこと。
六月一日(朔日):うりわり(大阪に少し)
「瓜破(うりわり)」とも表記する。六月は夏の始まりで瓜の実がわれる頃。昔、三蔵法師に学んだ道昭という僧侶が河内・丹比で天神像を見つけ、これを祀り、近くで採れた瓜を供えたと言われる。現在の大阪市平野区瓜破だ。ここは今も瓜の大産地という。
八月一日(朔日):ほずみ、はっさく(全国順位32、865位、全国におよそ100件ほど)
「ほずみ」の読み、この日に稲の新穂を積み始めるから。「はっさく」は「八朔」の音読みだろう。穂積氏、源氏などにもみられる。穂積氏の異形であり、旧暦8月1日に実る稲の穂を摘み贈る風習が語源といわれる。群馬県、千葉県、岐阜県などにみられる。
八月十五日:なかあき、あきなか(今のところ実在例はなし、幽霊名字かもしれぬ)
昔は、旧暦7・8・9月「現在の暦の8・9・10月頃」を「秋」としていた。そして、7月を孟秋(孟は「はじめ」の意味」、8月を仲秋、9月を季秋「季は「末」のこと)と呼んでいた。このように、「旧暦8月)を表すときには、「仲秋」と書き、「仲」の文字を使うが、「中秋」と「中」の文字を使うと、秋の丁度真ん中の日(旧暦8月15日)だけをさすことになるのである。
十一月二十九日:つめづめ(実在の人を見つけることはできなかった。幽霊名字か?)
「十一月二十九日」と書いて「つめづめ」と読む姓があるという話があるが、残念ながらその由来を示す資料はない。この爺が察するに物事の終わりを「大詰め」というから、1年の内十二月は大詰めの月、十一月は詰めの月。その十一月の内三十日は大詰めの日、二十九日は詰めの日ということで、一年の「つめ」と十一月の「つめ」をかさねて「つめづめ」となったものか?
十二月一日(朔日):しわすだ(之も実在の人を見つけることができなかった。幽霊名字らしい)
十二月一日(朔日)から「師走だ」ということだろう。
十二月三十一日:ひづめ(これも幽霊名字か?)
年末で日がつまっているから
C.クイズまがいの名字
小鳥遊:たかなし(全国順位50、362位、全国に40件ばかり)
高梨からの転化。清和源氏井上氏流の名族。信濃国高井郡高梨邑を領した高梨盛光が、長男に高梨、次男に鳥楽(たかなし)、三男に小鳥遊、四男に仁科の姓を与えたことから。意味は読んで字のごとくである。なお、次男の鳥楽氏は文献によっては鳥遊氏であったり、あやふやなところがある。小鳥が遊ぶ=天敵(鷹)がいない=タカナシ
月見里:やまなし(全国順位18、806位、全国に300件ばかり)
月を見るには山がない方がよく見える。だから、「月見里」と書いて「やまなし」と読む。なお、漢字通りに「つきみさと」と読むこともある。もともとは清和天皇の子孫で源姓を賜った氏(清和源氏)(現山梨県である甲斐国山梨郡)、桓武天皇の子孫で平の姓を賜った家系である平氏(桓武平氏)(現千葉県北部である下総国千葉郡山梨郷)などにもみられる。静岡市の旧清水地区と、千葉県の松戸市付近の名字で、清水には「月見里神社/やまなしじんじゃ」という神社もある。
鶏冠井:かいで、かえで、かえでい(全国順位36,597位、およそ80件)
ニワトリの冠といえば「トサカ」のこと。真っ赤なトサカは、紅葉したカエデの形に似ているので、「鶏冠」を「カエデ」と読ませものか。現京都である山城国乙訓郡鶏冠井村発祥ともいわれる。南部藩にもみられる。現在、岐阜県や愛知県などに少数みられる。語源は楓の葉形が鶏のとさかに似ていることからきている。古代の長岡京跡が、四方八方に路がのび、拡がっている所からつけられたと思われる。本来は「かえでい」だったと思うのだが、いつの間にか末尾の「い」がなくなり、今では「かえで」と読んでいるそうだ。
部田:へた、とりた(全国順位10,781位、およそ700件)
「ぶた」などと読む勿れ。女性ならなおされの子と。この名字の秘密を解く鍵は「服部」にある。「服部(全国順位134位、153000件)」も充分難読ではあるが、これは誰でも「はっとり」と読める。「服部=はっとり」ならば、「部=とり」だろう、と考えた人がいるという。鳥田と起源をともにする。現三重県である伊勢国部田御厨起源とも言われる。近年、北海道や岐阜県、島根県にみられる。この系統に「日下=くさか」から生まれた「日馬=くさま」などがある。
日下: くさか,にちか,にちした,にっか,ひしも,ひした,ひのした,ひもと,ひか,ひかげ,ひげ(全国順位764位、およそ26,800件)
日下連、日下宿禰、日下部氏(古代日下部の職名から起こり、多くはその部民の末。草壁ともいう)、安倍氏(祖先は第八代孝元天皇の孫)などにもみられる。徳島藩の士族にみられる。「下」は上や中に対し、低いところやふもとを表す。
日馬:くさま(全国順位9,456位、およそ850件)→ 詳細はよく判らない
臥龍岡:ながおか(全国順位80,099位、およそ10件)→ 詳細跛不明
「龍」が「臥」せている「岡」。龍とはいうまでもなく、中国の想像上の動物。この龍が地面に寝ていたらどんな感じだろうか。おそらく、長~く地面が丘のように盛り上がっているように見えるに違いない。だから、「臥龍岡」と書いて「ながおか」と読むのだという。本来の名字は「長岡」だったのだろう。
い:かながしら(実例は存在しないようだ。幽霊名字か)
ひらがな一文字「い」で「かながしら」と読む。いろは48文字の最初の字ということだろう。
D.エロっぽい名字
十八女:さかり(今も徳島県阿南町に町名が現存している)
「鬼も十八、番茶も出花」というくらいで、18歳は女性が一番美しくなる年齢だとされています。「女ざかり」という意味で「十八女=さかり」と読ませるのかな。
壇ノ浦の戦いで海に沈んだとされている安徳天皇(ここでは姫宮とされている)は実は生きていて、この地に落ち延びていた(この手の話は九州・四国各地の残されている)。18歳になられた姫宮安徳天皇は「十八女(さかり)」と名乗るようになったのたという。この「さかり」は「盛」、すなわち清盛以下、知盛・敦盛・重盛など平家一門の男性に与えられた一字を表しているのだという。
十六女:いろつき(詳細不明)
女性としての色のつきはじめ、というのが読みの語源。古代人は和語に対し意味の近い文字を当てたりしたので、このような姓ができた。ししめがもともとであり四×四=十六のことという説もある。関連は獅子目で鹿児島県に地名もあった。
十八娘:ねごろ(どうも作り話臭い。幽霊苗字か?)
紀州根来(ねごろ)寺の僧が織田信長にそむいて滅ぼされそうになった。逃げ延びた僧が、カモフラージュとして、「十八娘」と名乗ったそうな。根来寺の再起を誓った合言葉のようなものだったという。なぜ、この当て字をしたのだろう? 単純にこの僧は18歳の尼僧だったのか?
このほか、「交楽:まずら」はまだよいとして、「男女重:おめしげ」なんて、赤面するような苗字もあるというが、これらもどうやら創作くさい。幽霊苗字か? いずれも実例を見つけることは出来なかった。
E.伝説のある名字
肥満:ひまん、こえみつ(全国順位54,894位、30件ぐらい)
かつて、ある村で村人が旅のお坊さんを家に泊めた。お坊さんはそのお礼として石をくれたという。この石、なぜかどんどん肥え太るように大きくなっていったのだが、それと同時に村も栄えるようになったとか。あとで聞くと、実はその旅のお坊さんとはかの弘法大師だったので、村人は、この石にあやかって名字を「肥満」にしたという言い伝えが残っている(三重県津市・滋賀県)。全国各地に伝わる“弘法大師伝説”の一つであるが、「石が大きくなる」→「肥満」という飛躍がなんとも面白い。その背景には、中世以前では「太っている=裕福」という概念が一般的にあったのだろう。
薬袋:みない(全国順位6,516位、1500件ほど)
現山梨県である甲斐国巨摩郡薬袋村が起源(ルーツ)である、和気延成が皆井村を賜り薬袋を名のったとされる。熊本藩にもみられる。武田信玄が薬袋を落として届けた際「中身を見たか」と問うたところ、見ていないといったことからとか、薬袋を持っているのを見たことがない(くらい元気)といった具合の話が由来の出所として多数残されている。実際、山梨県では有名な長寿村もあり、もっともらしい説ではある。この発展型の名字として「御薬袋/みない」というのもあるという。「武田信玄の薬袋だ」と主張しているようである。。
舌:ぜつ(全国順位27,818位、およそ100件)
京都の貴船神社に神様が降臨した際、牛鬼というおしゃべりな神が、他言無用の天上の秘密をぺらぺらと喋ってしまい、舌を八つ裂きにされて追放されたという。牛鬼は、その後貴船に戻り、自ら戒める意味で「舌」を名字として、貴船神社の神官になったと伝えている。
玉虫:たまむし(全国順位13,358位、山形県米沢市、東京都、宮城県などに500件ばかり)
現新潟県である越後国古志郡玉虫(位置不祥)が起源(ルーツ)である。984年(永観2年)に戦いに敗れた城氏が自刃しようとした際に助けた老婆が玉虫となったことからという伝承がある。桓武天皇の子孫で平の姓を賜った家系である平氏(桓武平氏)城氏流、清和天皇の子孫で源姓を賜った氏(清和源氏)多田氏流などにもみられる。
風呂:ふろ(全国順位12,191位、およそ600件)
「風呂」という名字は実は各地のあちこちにある。今と違って、昔は家に風呂がある、というのはとても贅沢なことだった。そうした風呂家のうち、岩手県遠野市の風呂家にはすごい由来がある。頼朝に追われている源義経に風呂を貸したところ、義経から「風呂」という名字をもらったというのがある。ただ、この話の問題は、遠野は義経主従が打ち取られた平泉よりもさらに北にあり、義経はそこまでたどり着いてはいないはず。
小粥:おかい/こがゆ(全国順位6,361位、おおよそ1600件ほど)
織田家などを輩出した現愛知県である尾張国の藤左衛門が源義朝落去時、粥を捧げたことから名乗るようになった。近年、静岡県浜松市に多数みられる。徳川家康は若いころ、武田信玄の前に木っ端みじんに敗れたことがあり、ほうほうのていで逃げた来た家康は、ある家でお粥をごちそうになった。ほっと一息ついた家康は家の主人に「小粥」という名字を送り、今では、「こがゆ」か「おかい」と読むことが多いが、本来の「おかゆ」を名乗っている家もあるという。なお、小粥家では家紋も、お椀に箸を一膳乗せた形であるという。
F.その他色々
一寸八分:かまつか
一尺八寸姓は、鎌の柄の長さを由来と刷る名字のようだが、一寸八分といえば、鎌の柄にしては短すぎる。
言語道断:てくらだ、てらくだ、てくら
秋田県雄勝郡東成瀬村手倉、山形県酒田市手蔵田との関係を指摘する説もあるが、なぜ言語道断などという言語道断な字を当てたのか定かでなく、信憑性に欠ける。「大言海」によると、秋田県雄勝郡東成瀬村に「言語道断」と書いて「てこら」や「てくら」と読む地名があり、語源は「照濃 (てこら)」で、色濃く照り映えた景観を指す賞美語と解説しているという。 しかし、なぜ「照濃」が「言語道断」になるか、この解説では判らない。「照濃」が賞美語だとしても、賞美語ではない「言語道断」になぜ結びつくのか?
子子子子:ねこじし、すねこし、すねごし
子子子子子子子子子子子子は、日本の言葉遊びである。「ねこのここねこ、ししのここじし(猫の子子猫、獅子の子子獅子)」と読む。この問題を考え出したのは嵯峨天皇、解いたのは小野篁であると伝えられている。このあたりから、デッチあげられた創作名字か?
己己己己:いえしき
古歌に「ミ・シ(巳)は上、ヤム・イはスデニ(已)半ばなり、オノレ・ツチノト・コ(己:漢音「キ」呉音「コ」)は下につく」とあるから、正しくは、已○巳己 となるはず。このあたりからの創作名字らしい?
東西南北:よもひろ、ひがた
東西南北を四方(よも)いうことから「四方にひろがる」という意か?
春夏秋冬:ひととせ
春夏秋冬で一年(ひととせ)あるから。
海千山千:ふるて
海千山千とは、「海に千年、山に住んだ蛇は竜になる」という言い伝えを人間の経験にあてはめたもので、その言い伝え自体は古いが、「海千山千」という形での用例は昭和になってからである。また、竜になるという言い伝えには「立派な(竜になること)」といった意味が含まれているが、海千山千は世の中を知り尽くしたことで、ずる賢くなった者をさすため、褒め言葉としては用いられない。海千山千の同意句には、「海に千年山に千年」がある。これを「ふると」と読む由縁も判りそう。
百千万億:つもい ??
鬮橋:くじはし(全国順位37,989位、およそ70件)
現兵庫県南西部である播磨発祥ともいわれるが、詳細は不明である。近年、兵庫県に多く、特に小野市葉多町に集中してみられる。「鬮」は28画と画数の多い字であるが籌(ちゅう)に通じ「くじ」の意、「橋」は国の内外を渡す要所を表す。
画数が多いといえば、
「 (たいと)」は、総画数が84画という最も複雑な漢字(和製漢字→国字)であるという。日本人の苗字であるとされ、他に「だいと」・「おとど」とも読むというのだが、「 」を載せる文献はいずれも苗字として解説しているものの、苗字に関する全国的な悉皆調査が行われた事例がないため、この苗字が現存するのか、あるいはかつて存在したのか、それとも文献に登場しても実際には存在しない幽霊名字であるのかは不明である。1960年代初め、ある証券会社にこの苗字を持つ者が現れ、名刺を残していったともいわれるが、真偽のほどは定かでない。
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名字について
江戸時代の「技術者集団」の名字について
調べており、参照させていただきました。
参考になりました、、
銀山の採掘、精錬などの技術者集団には
名字帯刀を許されたなど、全国では大なり
小なり事例は結構あるようですネ。
それにしてもいろいろな書き物(記事)が
ありいろいろな意味で刺激させられました、、
昨日は街のDVD屋さんで終戦記念被日も
近く偶然見つけた「日本で一番長い日」の
DVDを7元で購入しちゃいました。
そのほか、黒澤監督「悪いやつほど良く眠る」
百恵ちゃん友和、松本清張「霧の旗」
バッハ 無伴奏セロ DVD2枚組み
こちら中国では全て1枚7元(百円弱)計算、、
著作権など一切無い?国での違法コピー版
ですが、最近はみなデジタルですので画質含めて
ほとんど落ちませんので問題無しです。
前回帰国時に「神田まつや」で初めて蕎麦を食べ
ましたが、美味しい事、美味しいこと、、
私は以前から友人に誘われて近くの「かんだやぶそば」
には足を運んでおりましたが、、
どう食べても結論は「かまあげうどん」が一番
私がうどんを注文すると店内のお客さんの冷たい
視線を浴びますが、、、うどんだけ美味い
まつやさんでテーブルの前のお客さんは「韓国人
ご夫婦」で最初は用心して一品づつ、それを二人
交互に味見、iphoneで情報収集しながら、それ
から始まる「怒涛の注文品々」、、
安心して美味しい食事を幸せそうなお顔でした。
お邪魔しました
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