瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
10.黄金分割を考えた。
ピタゴラス学派の人々は、「与えられた線分ABを、その上の1点で2つの部分に分けて、
AB:AP=AP:PB ならしめよ」という問題を考えた。後世「黄金分割」と呼ばれ、もっとも美的な分割であるとされた。
ユークリッドの原論では、「線分を2つの部分に分けて、小さいほうの線分と全体の線分とで出来る長方形の面積と、大きいほうの線分で出来る正方形の面積を等しくせよ」という形で提起されている。
※古代ギリシア以来「神の比」とまで呼ばれた黄金比 ―― 人間にとって最も安定し、美しい比率とされ、建築や美術的要素の一つとされる。縦横2辺の長さの比が黄金比になっている長方形は、どんな長方形よりも美しく見えるという(例:名刺)。正方形を基に黄金比の長方形を作ることができる(左図)。
「黄金比」という用語が文献上に初めて登場したのは1835年刊行のドイツの数学者Martin Ohm〔マルティン・オーム、1792~ 1872年、オームの法則で有名なGeorg Simon Ohm(ゲオルク・ジーモン・オーム, 1789~1854年)の弟)の著書『初等純粋数学』。また、1826年刊行の初版にはこの記載がないことから、1830年頃に出来たものと思われる。/『ユークリッド原論』では第6巻の定義3で「外中比」として定義が記されている。また、同じ『ユークリッド原論』の第6巻の命題30で「与えられた線分を外中比に分ける作図法」が記されている。
パルテノン神殿の縦、横の比は約1:1.6の黄金比(の近似値)、ミロのビーナス、ダビデ像は全身像が臍によって、約1:1.6の黄金比に分割されているという。これは最も安定した形に作製したところ、この様な比を生んだのであって、初めから黄金比を意識して造られたものではあるまい。
11.正五角形を作図した。
ピタゴラス学派の人々は、正五角形ABCDEの対角線ADとBEの交点をPとすれば、PはBE、DAをともに黄金分割することを見出して、これを用いて正五角形を作図した。
※pentagon(ペンタゴン、五角形)は、5つの頂点と辺を持つ多角形の総称てあり、すべての内角の大きさが等しく、すべての辺の長さが等しいものをregular pentagon (レギュラー ペンタゴン、正五角形)という。/五角形の対角線を繋いだ星形を五芒星〔Pentagram(ペンタグラム)〕という。たとえば長崎市の市章などはPentagram(ペンタグラム)となっている。
細長い紙片、(またはリボンや割り箸袋など)で一重結びの結び目を作ると正五角形が得られる。アメリカ国防総省を俗にペンタゴンというが、これはワシントンD.C.にある本部庁舎が五角形であることに由来する。ヒトデやウニなど、棘皮動物の体制は五放射相称を基本とする。
横浜在住のN氏よりメールあり。曰く、「日高 節夫 様 お元気ですか。/台風が日本列島の南方海上を通り過ぎて、そのせいか、一晩中、降っていた雨も上がって、いまはピーカンになりました。/ブログ集24巻拝読。時々、君の生ブログは覗かせてもらうのだが、紙の冊子はまた余計親しみが湧く。/ここのところ、外来語の由来に集中しているような流れだが、面白い。80歳になれば大抵の言葉は分かる。『ああそうそう』という心境。/手帳をめくっていたら、今日は「水門会総会」の日だったことに気がついた。/門司もひと雨降って、清めの雨になったかな。/【水門会・海峡ダイニング】と、いつもの手帳に書いてあるのを見て、「そうか、きょう、みんな集まるのか」とある種の感慨に包まれた。先週の宮崎行きがなければ、門司に行けたものをといささか残念。/昨今のブログ集は「言葉の事典」になっていて、カタカナ語を翻案した、ポルトガルやオランダとの付き合いから、戦後、戦勝国の文化を好むと好まざるとにかかわらず、手当たりしだい呑み込み、覚え込んだ1940年代後半がまことに懐かしい。/きのは週刊朝日の記事に噛みついた橋下大阪市長の記者会見をテレビでずっと見てしまった。私たちの年令からいうと「僕」「僕」と、一人称で自分のことをいうのがあの坊ちゃん顔にふさわしいような、おかしいような。/「『公人』『公人』と『公人』を連発するのなら、せめて『わたくし』くらい言ったらどうだい。おい、そこの坊や」という印象だ。/まあ、テレビに向かって、こんな感想を抱くのは、やはり80歳という、働き始めた頃には思いもよらなかった高齢者の仲間にはいったからかなあ。/思えば長生きしたもんだ。いつ死んでも思い残すことはないが、簡単に閻魔の府に呼び出してくれそうもない。わたしは、早く、親父に会って、親父の戦死の真相を知りたい。『天皇陛下ばんざいを唱えて、勇ましく死んだ』などという造りばなしにはもう飽き飽きした。『国のためじゃない、おまえら家族のためにおれは軍国主義の犠牲になるんだぞ。長く生きろよ』というような死に方のほうが、本音が分かっていい。『だれが好きで、35歳で二等兵に甘んじるか。馬鹿野郎』という心境。/きな臭い時代に一気に突入しなければいいがね。昭和15年、16年のころを思い出して見ると、あの頃、戦後、我が家がかくもひどい状態になるとは思わなかった。いろいろ言うより『一寸先は闇夜』というののを生活信条にした方がいいのかな。/少し暇ができたら、浅草で昼飯を食べに行こうぜ。」
ピタゴラス学派の人々は、「与えられた線分ABを、その上の1点で2つの部分に分けて、
AB:AP=AP:PB ならしめよ」という問題を考えた。後世「黄金分割」と呼ばれ、もっとも美的な分割であるとされた。
ユークリッドの原論では、「線分を2つの部分に分けて、小さいほうの線分と全体の線分とで出来る長方形の面積と、大きいほうの線分で出来る正方形の面積を等しくせよ」という形で提起されている。
※古代ギリシア以来「神の比」とまで呼ばれた黄金比 ―― 人間にとって最も安定し、美しい比率とされ、建築や美術的要素の一つとされる。縦横2辺の長さの比が黄金比になっている長方形は、どんな長方形よりも美しく見えるという(例:名刺)。正方形を基に黄金比の長方形を作ることができる(左図)。
「黄金比」という用語が文献上に初めて登場したのは1835年刊行のドイツの数学者Martin Ohm〔マルティン・オーム、1792~ 1872年、オームの法則で有名なGeorg Simon Ohm(ゲオルク・ジーモン・オーム, 1789~1854年)の弟)の著書『初等純粋数学』。また、1826年刊行の初版にはこの記載がないことから、1830年頃に出来たものと思われる。/『ユークリッド原論』では第6巻の定義3で「外中比」として定義が記されている。また、同じ『ユークリッド原論』の第6巻の命題30で「与えられた線分を外中比に分ける作図法」が記されている。
パルテノン神殿の縦、横の比は約1:1.6の黄金比(の近似値)、ミロのビーナス、ダビデ像は全身像が臍によって、約1:1.6の黄金比に分割されているという。これは最も安定した形に作製したところ、この様な比を生んだのであって、初めから黄金比を意識して造られたものではあるまい。
11.正五角形を作図した。
ピタゴラス学派の人々は、正五角形ABCDEの対角線ADとBEの交点をPとすれば、PはBE、DAをともに黄金分割することを見出して、これを用いて正五角形を作図した。
※pentagon(ペンタゴン、五角形)は、5つの頂点と辺を持つ多角形の総称てあり、すべての内角の大きさが等しく、すべての辺の長さが等しいものをregular pentagon (レギュラー ペンタゴン、正五角形)という。/五角形の対角線を繋いだ星形を五芒星〔Pentagram(ペンタグラム)〕という。たとえば長崎市の市章などはPentagram(ペンタグラム)となっている。
細長い紙片、(またはリボンや割り箸袋など)で一重結びの結び目を作ると正五角形が得られる。アメリカ国防総省を俗にペンタゴンというが、これはワシントンD.C.にある本部庁舎が五角形であることに由来する。ヒトデやウニなど、棘皮動物の体制は五放射相称を基本とする。
横浜在住のN氏よりメールあり。曰く、「日高 節夫 様 お元気ですか。/台風が日本列島の南方海上を通り過ぎて、そのせいか、一晩中、降っていた雨も上がって、いまはピーカンになりました。/ブログ集24巻拝読。時々、君の生ブログは覗かせてもらうのだが、紙の冊子はまた余計親しみが湧く。/ここのところ、外来語の由来に集中しているような流れだが、面白い。80歳になれば大抵の言葉は分かる。『ああそうそう』という心境。/手帳をめくっていたら、今日は「水門会総会」の日だったことに気がついた。/門司もひと雨降って、清めの雨になったかな。/【水門会・海峡ダイニング】と、いつもの手帳に書いてあるのを見て、「そうか、きょう、みんな集まるのか」とある種の感慨に包まれた。先週の宮崎行きがなければ、門司に行けたものをといささか残念。/昨今のブログ集は「言葉の事典」になっていて、カタカナ語を翻案した、ポルトガルやオランダとの付き合いから、戦後、戦勝国の文化を好むと好まざるとにかかわらず、手当たりしだい呑み込み、覚え込んだ1940年代後半がまことに懐かしい。/きのは週刊朝日の記事に噛みついた橋下大阪市長の記者会見をテレビでずっと見てしまった。私たちの年令からいうと「僕」「僕」と、一人称で自分のことをいうのがあの坊ちゃん顔にふさわしいような、おかしいような。/「『公人』『公人』と『公人』を連発するのなら、せめて『わたくし』くらい言ったらどうだい。おい、そこの坊や」という印象だ。/まあ、テレビに向かって、こんな感想を抱くのは、やはり80歳という、働き始めた頃には思いもよらなかった高齢者の仲間にはいったからかなあ。/思えば長生きしたもんだ。いつ死んでも思い残すことはないが、簡単に閻魔の府に呼び出してくれそうもない。わたしは、早く、親父に会って、親父の戦死の真相を知りたい。『天皇陛下ばんざいを唱えて、勇ましく死んだ』などという造りばなしにはもう飽き飽きした。『国のためじゃない、おまえら家族のためにおれは軍国主義の犠牲になるんだぞ。長く生きろよ』というような死に方のほうが、本音が分かっていい。『だれが好きで、35歳で二等兵に甘んじるか。馬鹿野郎』という心境。/きな臭い時代に一気に突入しなければいいがね。昭和15年、16年のころを思い出して見ると、あの頃、戦後、我が家がかくもひどい状態になるとは思わなかった。いろいろ言うより『一寸先は闇夜』というののを生活信条にした方がいいのかな。/少し暇ができたら、浅草で昼飯を食べに行こうぜ。」
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ブログ集拝受のお礼
日高さま
ご無沙汰しております。朝晩が寒くなってきた今、いかがお過ごしでしょうか。
昨日は、送っていただいたブログ集はたしかに拝受いたしました。作成などいろいろお疲れ様でした。
最近、仕事に追われてブログの記事を毎日読んでいませんが、ブログ集はちょうどいいタイミングで届いており、本当にありがたいです。
中国大陸の作家・莫言氏はノーベル賞に輝き、めでたいことですネ。これに関するブログの転載を拝見しました。実は、多くの中国の人々は検閲制度に対する懸念などを抱くというよりも、とりあえず喜んでいる雰囲気です。言論の自由に関する莫言さんの発言(入獄中の劉暁波氏に言及)もありますが、今回の受賞がきっかけで中国の文学界、ひいては社会全体ではなにか良い変化があればいいですネ。
瘋癲爺の脹脛のご調子は、たいへん気になっていますが、くれぐれもご自愛くださいませ。
ご無沙汰しております。朝晩が寒くなってきた今、いかがお過ごしでしょうか。
昨日は、送っていただいたブログ集はたしかに拝受いたしました。作成などいろいろお疲れ様でした。
最近、仕事に追われてブログの記事を毎日読んでいませんが、ブログ集はちょうどいいタイミングで届いており、本当にありがたいです。
中国大陸の作家・莫言氏はノーベル賞に輝き、めでたいことですネ。これに関するブログの転載を拝見しました。実は、多くの中国の人々は検閲制度に対する懸念などを抱くというよりも、とりあえず喜んでいる雰囲気です。言論の自由に関する莫言さんの発言(入獄中の劉暁波氏に言及)もありますが、今回の受賞がきっかけで中国の文学界、ひいては社会全体ではなにか良い変化があればいいですネ。
瘋癲爺の脹脛のご調子は、たいへん気になっていますが、くれぐれもご自愛くださいませ。
プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
sechin@nethome.ne.jp です。
sechin@nethome.ne.jp です。
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