瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 昨日の朝は雨で、徘徊は中止。午後雨はやんだが、出かけるのが億劫になった。
北風を突いて水神大橋へ
fe760f72.jpg晩秋の東白鬚公園
21913012.jpgいざ言問はむ
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 5時30分出発。桜橋を右手に見やりながら、白鬚橋に出る。西詰めで明治通りを横断、汐入の遊歩道に出る。明け染むるあたりは曇り空で、北風が頬につめたい。水神大橋を渡り、はや秋も終ろうかという東白鬚公園を抜けると明治通りを横断して、青御殿の通りを南下、桜橋を渡って帰宅した。桜橋の欄干に停まるユリカモメを写したが、どうやらピンボケのようだ。
 5時半に出発。桜橋を渡り、白鬚橋東詰めより明治通りを東進し、墨堤通りとの交差点で明治通りを横断。東白鬚公園に入る。公園内はすっかりあき深しの感。木母寺の前を抜け、梅若橋の袂を抜けて水神大橋へ。ポンプ場の前の遊歩道から見ると、大川の川面で数羽の水鳥が遊んでいるのが見えた。テラスへ降りてみると、直ぐ側で名前はわからないが4羽の水鳥が遊んでいる。昨日は水鳥の撮影に失敗したので、出来るだけ傍に近寄りアップで撮ってみた。
東白鬚公園入口
40a78ced.jpg秋深し木母寺
32ecddc3.jpg水神大橋場より撮影
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 川面で遊ぶ水鳥
782e13a6.JPGご来光を受ける石浜神社
3c50d406.jpg テラスをそのまま進むと、瑞光橋をくぐって、汐入水門の所まで来ると、現在工事中で通り抜け禁止となっている。脇道を通ってみたが、初めての道で、あっちうろうろこっちうろうろ、迷い迷って、どうやら石浜神社の横に出ることができた。遊歩道腰に今しもご来光。ご来光を浴びる石浜神社の鳥居を撮影すると、江戸通りに続く石浜河岸通りを南下し、帰宅した。
 明日は立冬。どうやら雨模様であるらしい。
今日は一の酉。
朝、起き抜けにメールを開くと昨日立ち寄った枕橋茶やのKさんからメールが入っていた。曰く、
「本日はご来店ありがとうございました。枕橋茶やの店主、Kと申します。早速日高さんのブログを拝見させていただき、石碑の件や、枕橋の由来など、疑問に持っていたことがすっきり整理されました。大変、勉強になってしまいました。
dca4d50d.JPG また、明け方の隅田川の川べりが綺麗ですね。昼や夜の姿ばかりみていたので、ぜひとも自分の目で味わってみたいなぁと思いました。
 さて、日高さんのブログの中で、「冨田木歩」さんの記事を読みました。
実は、ある若手の女性映画監督のたまごが、枕橋で非業の死を遂げた「冨田木歩」に焦点をあて、15分のショートフィルムをつくっています。わたしくしも、ナレーションで参加させていただく予定です。
映像が完成しましたら、枕橋茶や内で映像会をやろうと思っていますので、その時は、是非遊びに来てくださいませ。またお知らせさせてください。改めて本日はご来店ありがとうございました。お礼まで。」
 こういうメールはまた親しい友達が一人増えたようで嬉しいものである。
 5時半に家を出て駒形橋を渡り、墨田区側を大川沿って北上、白鬚橋を渡って、帰宅した。途中白鬚橋から桜橋の間のテラスで、川面に遊ぶ水鳥を撮影してみたが、川面がキラキラと反射して、何を撮ったか判らない画像になってしまったので削除した。

 今日は午前中に冊子「雁信随想」のゲラを仕上げた。昼食後、花川戸のクロネコ文書メールで、N兄にゲラを発送。東武浅草駅の北口前の床屋で散髪。先日来、水戸庭の堀辰雄邸の説明板の隣にある碑が気になるので、吾妻橋を渡り、墨田区観光案内所で、訊ねてみた。「二峯先生乃碑」というのだそうだ。早速水戸庭園へと足を向けた。
枕橋茶屋の旦那と女将
fa04fc26.jpg堀辰雄住居跡の説明板
7134b284.JPG二峯先生之碑
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 先だって婆さんと枕橋の袂にある茶屋で飲んだコーヒーの味を思い出したので、立ち寄って挽きたてのコーヒーを注文した。愛想の好い若い夫婦で開いている茶屋であるが、なかなか評判も好いらしい。先だってもテレビで墨田区の町おこしのポイントとして紹介していた。
 水戸庭園で、堀辰雄の説明板と「二峯先生之碑」をカメラに収めて、白鬚橋を渡って、帰宅した。
 二峯先生之碑:書家高林二峯の卒するを偲んで、倅で同じ書家の五峯高林寛が、二峯の墓所である円通寺の門前に建てた碑である。高さ450㎝に及ぶ大きなものであったから、安定も悪くなり、平成元年に移築されたものである。高林二峯は文政2(1819)年、榛名と妙義の山間、上野国(群馬県)碓氷郡下後間に生れたので二峯と号したという。諱(いみな)は信好、字は子述,多四郎といい、鵞翁とも号した。明治30年、齢79歳で没したという。篆額は勝海舟で碑の裏面には関係者名が数多く記されている。酒類販売店の金看板の文字にも気安く手を染めていたという彼の交流範囲の広さが窺われる碑である。
三囲神社の紅葉
450fdcd8.jpg 墨堤通越しにみる三囲神社の境内はすでに紅葉していた。
 


 

 鳴尾のゆうさんからの便りについての随想をワードに溜め込んだものがかなりの量になったので、これを整理して「雁信随想」として、冊子に纏めることにした。というわけで、すっかりブログをサボってしまった。
こんな爺でも、ブログを休むと心配くださり、電話やメールを入れてくれるご仁もいらっしゃるが、10月30日(木)~11月3日(月)は、一纏めにすることで、ご勘弁を。
 10月30日(木):午前5時、家を出る桜橋と白鬚橋の工事は続けられているらしい。リバーサイドスポーツセンターの前を今日も曳船が川下を目指して進んでゆく。
言問橋に向けて曳船はゆく
0cfcdb5a.jpg親船は力持ち
acca756e.jpg31日には吾妻橋で
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10月31日(金):徘徊の時間を30分ずらして5時半に家を出る。今日も曳船に出会うが、墨田区役所裏の勝海舟銅像の前で、吾妻橋にかかるところであった。白鬚橋の手前で、久し振りにワンさんと出会う。今日は独りで、カミさんはお休みらしい。
11月1日(土):今日も5時半に家を出発。今日は曳船に会わなかった。思うに、本日は土曜日につき工事はお休みか。
11月2日(日):本日は日曜日につき、「うろつきどんたく」の日なのであるが、「雁信随想」の整理で、ゆきそびれてしまった。どうやら1冊の冊子に纏まりそう。「みなと外誌」の別冊として、例によってN兄に校正をお願いするか。
花川戸公園にて
48c96b93.JPG出発はまだまだ
08fe1148.jpg時間をもてあまして境内へ
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 菊花展

983b8950.jpgいつの間にか石柱が
f093d028.jpg11月3日(月):本日も徘徊はお休み。「雁信随想」はどうやら目途がついてので、婆様のお供で、東京時代祭を見に行く。1時に出発というので出発点の花川戸公園(浅草小学校前)に行くが、出発は1時半という。二天門から浅草寺の境内に入り、菊花展を見て回る。弁天山のところから馬道に出て、ここで時代祭を見物。二天門の通りを江戸通りまで出ると、いつの間にか浅草寺の東参道の石柱がたっている。どうやら二天門の改装を機に建てられたものらしい。



 昨日は徘徊から帰宅すると、あれやこれと雑用をこなしているうちにブログを入れるのを忘れてしまった。
夜明け前の駒形橋
fdcf8fb1.jpg岸を離れんとする曳き船
b750ec48.jpg白鬚橋上からの工事現場
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 台東区側からの工事現場
26002304.jpg 5時に家を出て、隅田公園を抜け、駒形橋を渡る頃になっても、辺りは真っ暗、夜明け前の駒形橋をカメラに収めてみた。桜橋を過ぎる頃はすっかりあかるくなり、白鬚橋の手前の川岸から、土砂を満載した2艘のダルマ船を曳いて親船が岸を離れて川を下ろうとしていた。この辺りの剃刀堤防の下は草茫々で5、6百メートにかけて親水テラスが切れている。単なる護岸工事か、テラス新設のための工事かは判らないが、工事が行われているのには違いない。白鬚橋の上からと、台東区側の対岸から、現場をカメラに収めてみたが、川岸に浮き桟橋を横たえて行われている工事で、何の工事かは不明。テラスが出来れば、遊歩道にある青色御殿がここに降りてくるだけなのではないだろうか。いやいや果して、ここにテラスが新設されて爺が通ることがあるのだろうか。たわいもないことを考えながら、帰宅した。
 今朝、4時にメールを開くとY兄から、11日の会合に出席するとの回答が入っていた。5時に家を出ると、山谷掘水門の前から、桜橋を渡ると、足は右方向(下流)に向う。何時もの徘徊コースの逆方向になる。11月11日(火)の水門会の会合の下見も兼ねて、駒形橋を渡り、江戸通の裏道を通って、吾妻橋西詰から浅草駅に入る。いつもはここから、新仲見世通を通るのだが、この北側の伝法院通から仲見世を通って浅草寺境内に入る。境内は今は奥山風景や平成中村座の小屋が立ち、昼間は大変に込み合っているようだ。奥山風景から奥山まいりの門の間に「大絵馬寺宝展と庭園拝観」の入り口がある。
朝まだきの伝法院通
5286aa54.jpg大絵馬寺宝展入口
3a0c3e10.jpgひさご通入口
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 言問通の朝焼け
c12ee215.jpg聖天様とチャペル
633cedff.JPG 水門会の会合の昼食場所は未だ決まっていないが、今のところ、13名。何処にするかな?
 とにかく奥山通をぬけて、ロックからひさご通をぬけ、千束通に入るところで言問通の朝焼けをカメラに収め、千束通を馬道まで抜けて、地方橋に出ると、ここから山谷掘公園を通って、待乳山聖天下の待乳山公園にはいる。公園南出口で狭い道一つ隔てていつの間にやらチャペルができている。まあ、なんと聖天様に喧嘩を売っているようである。まあ、とても相手にはならぬだろうが…。聞くところによるとこの夏あたりにできたそうで、この十字架は夜になると赤の縁取り電飾に輝くということである。
 何時もは4時起床であるが、今朝は目が覚めたときはすでに4時50分。寝ぼけ眼で徘徊。
 夜が明けるのが随分と遅くなったものだ。今日は検診日なので、徘徊距離を控えめにして、吾妻橋を渡って、墨堤にでる。枕橋を過ぎて、言問橋にかかる頃までは辺りは真っ暗である。桜橋にかかるころ白み始め、白鬚橋を渡る頃やっと明るくなる。白鬚橋を渡って、大川沿いに200mほど下ったところにあるテスへの昇降口から桜橋まで親水テラスを歩く。
テラスからの白鬚橋
a61a68f2.jpgテラスからの桜橋
5a1633b4.jpgテラスからの対岸
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 来光寸前の水門
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 対岸の墨田区側の空は、未だ姿を表さない太陽を写して、朝焼け雲が輝いている。桜橋を抜けたところの石段をのぼって何時もの遊歩道にでる。山谷掘の水門の前の広場まで出ると、水門上を今まさにお日様が姿を表わそとする寸前であった。
 朝飯後、区役所から郵送された無料インフルエンザ接種の調査用紙に記入の上、A医院へ行き、検診のあと、インフルエンザ接種をしてもらう。

 今日は日曜日、隅田公園前を午前9時56分発の東神田行きの都バスで、浅草橋へ出る。靖国通りを東進、両国橋を渡って、一つ目通りで左折、JR両国駅へ。再度、東京江戸博物館へやって来た。
 先週10月19日(日)に見損ねた、BOSTON美術館浮世絵名品展を見学するためである。
 アメリカのボストン美術館には5万点といわれる浮世絵版画と、多くの版本・肉筆画が収蔵されているが、その質の高さと数量は世界一の規模だという。
東京江戸博物館へ
c32df24f.JPG安田庭園で
f283ac48.jpg鴨と一緒に
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太鼓橋の上で
3c77c1b3.jpg擬宝珠にもたれて
dc4c11c2.JPG外人の観光ツァー
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 今回公開されるのはその殆どが日本初公開という豪華なラインナップで、初期から幕末までの浮世絵の歴史を概観できるというものである。
 日曜日ではあるが、午前中ということもあって、のろのろのカタツムリの速さではあったが、まあまあ、約1時間半をかけて、出展作品全部を見ることが出来た。勿論、館内は撮影禁止となっているので、写真に納めることはできなかったのが残念である。
 外に出て飯屋を探すのも面倒なので、館内の東京モダン亭で食事して、外に出ると安田庭園の前で、婆様が未だは行ったことがないというので、庭内を一巡して、両国の水上バスステーションへ。国技館の前で外人の観光ツアーの団体が記念写真を撮っていた。この団体さんぞろぞろとバスステーションの待合室に入ってきて、周りは殆ど外人ばかり、桟橋でも、船の中でもこれらの外人さんに囲まれて、何だかこちらが外国旅行に出かけている気分にされてしまった。
 松屋の地下の食品売場に付き合わされて、帰宅したのは2時を過ぎていた。
 

 昨日は1日中雨で、どこにも出かけられなかった。
 今朝は、5時に出掛け、隅田公園→駒形橋→枕橋→白鬚橋→台東区側親水テラス→桜橋水上バスステーション→山谷掘水門 と経由して帰宅した。
 昨夜まで降っていたと見え、公園内は靄が立ち、白露(10月23日)をすぎというのに、妙に温かい川風が吹いている。枕橋を過ぎて桜橋にかかるころから白み始め、白鬚橋を渡る頃はすっかり明るくなった。
桜橋水上バスステーション
b02650e4.jpg東京湾に釣果を求めて
cc1f2ae8.jpg 台東区側を200mばかり南下した所から、親水テラスに降りてみた。桜橋水上バスステーションをカメラに収めて、エンジンの音に気が付き川面を見ると、2艘の釣り船がかわを下る所であった。今朝は雨上がりだし、土曜日である。大物釣を狙って、東京湾を目指しているのであろう。
 桜橋を潜ったところで、遊歩道に上がり、件の山谷掘の水門前を通って帰宅した。
 今朝は昨日と同じコースを徘徊。白鬚橋の上で撮った真下を行く荷役船の写真は未だ暗いうちに撮ったもので、その上ピンボケで、何を写したのかよく判らない。削除することにした。昨日の痩せ細った下弦の月は、今朝は如何と中天を仰ぐが、何処にもかけらもない。おそらく、空一面厚い雲に覆われているのだろう。桜橋辺りまで来ると冷たいものが顔に当たる。言問橋を抜けて上流へ上る荷役船があるかと思うと、枕橋を渡って、勝安房さんの銅像辺りまでくると、いつの間にやら、2艘の土砂を積んだ達磨船を引張った曳船が、吾妻橋を潜ろうとしている。東京湾の何処ぞの埋立地にはこばれているのだろう。
言問橋を抜けて上る荷役船
7c8ac71d.jpg吾妻橋を潜る曳船とダルマ船
7dc7e503.jpg隅田公園から見るご来光
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 吾妻橋の上は小雨に降られたのであろうか、車道・歩道とも一面に濡れている。この様子だと、まもなく降ってくるだろうなと思ったが、あにはからんや、隅田公園に入り、遊歩道を歩いていると、対岸の高速6号線の上にご来光が見える。今日もどうやら、お天気は持ちそうだ。
 帰宅すると、昨日仕上げた、会報「水門」のプリントを荷造り、朝食後、行きつけの佐川急便を扱っている煎餅屋に行くが、今日は休みらしい。仕方ないので、近くのコンビニでゆうぱっく便で発送することにした。送り状を書き直したが、郵便番号が判らないので、店の人に訊ねるが、判らないという。書かなくても大丈夫着くというので、郵便番号は空欄で発送した。
プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
93
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


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