東白鬚公園入口
川面で遊ぶ水鳥
明日は立冬。どうやら雨模様であるらしい。
朝、起き抜けにメールを開くと昨日立ち寄った枕橋茶やのKさんからメールが入っていた。曰く、
「本日はご来店ありがとうございました。枕橋茶やの店主、Kと申します。早速日高さんのブログを拝見させていただき、石碑の件や、枕橋の由来など、疑問に持っていたことがすっきり整理されました。大変、勉強になってしまいました。
さて、日高さんのブログの中で、「冨田木歩」さんの記事を読みました。
実は、ある若手の女性映画監督のたまごが、枕橋で非業の死を遂げた「冨田木歩」に焦点をあて、15分のショートフィルムをつくっています。わたしくしも、ナレーションで参加させていただく予定です。
映像が完成しましたら、枕橋茶や内で映像会をやろうと思っていますので、その時は、是非遊びに来てくださいませ。またお知らせさせてください。改めて本日はご来店ありがとうございました。お礼まで。」
こういうメールはまた親しい友達が一人増えたようで嬉しいものである。
5時半に家を出て駒形橋を渡り、墨田区側を大川沿って北上、白鬚橋を渡って、帰宅した。途中白鬚橋から桜橋の間のテラスで、川面に遊ぶ水鳥を撮影してみたが、川面がキラキラと反射して、何を撮ったか判らない画像になってしまったので削除した。
今日は午前中に冊子「雁信随想」のゲラを仕上げた。昼食後、花川戸のクロネコ文書メールで、N兄にゲラを発送。東武浅草駅の北口前の床屋で散髪。先日来、水戸庭の堀辰雄邸の説明板の隣にある碑が気になるので、吾妻橋を渡り、墨田区観光案内所で、訊ねてみた。「二峯先生乃碑」というのだそうだ。早速水戸庭園へと足を向けた。
枕橋茶屋の旦那と女将
堀辰雄住居跡の説明板
二峯先生之碑
先だって婆さんと枕橋の袂にある茶屋で飲んだコーヒーの味を思い出したので、立ち寄って挽きたてのコーヒーを注文した。愛想の好い若い夫婦で開いている茶屋であるが、なかなか評判も好いらしい。先だってもテレビで墨田区の町おこしのポイントとして紹介していた。
水戸庭園で、堀辰雄の説明板と「二峯先生之碑」をカメラに収めて、白鬚橋を渡って、帰宅した。
二峯先生之碑:書家高林二峯の卒するを偲んで、倅で同じ書家の五峯高林寛が、二峯の墓所である円通寺の門前に建てた碑である。高さ450㎝に及ぶ大きなものであったから、安定も悪くなり、平成元年に移築されたものである。高林二峯は文政2(1819)年、榛名と妙義の山間、上野国(群馬県)碓氷郡下後間に生れたので二峯と号したという。諱(いみな)は信好、字は子述,多四郎といい、鵞翁とも号した。明治30年、齢79歳で没したという。篆額は勝海舟で碑の裏面には関係者名が数多く記されている。酒類販売店の金看板の文字にも気安く手を染めていたという彼の交流範囲の広さが窺われる碑である。
三囲神社の紅葉
墨堤通越しにみる三囲神社の境内はすでに紅葉していた。
こんな爺でも、ブログを休むと心配くださり、電話やメールを入れてくれるご仁もいらっしゃるが、10月30日(木)~11月3日(月)は、一纏めにすることで、ご勘弁を。
10月30日(木):午前5時、家を出る桜橋と白鬚橋の工事は続けられているらしい。リバーサイドスポーツセンターの前を今日も曳船が川下を目指して進んでゆく。
言問橋に向けて曳船はゆく
10月31日(金):徘徊の時間を30分ずらして5時半に家を出る。今日も曳船に出会うが、墨田区役所裏の勝海舟銅像の前で、吾妻橋にかかるところであった。白鬚橋の手前で、久し振りにワンさんと出会う。今日は独りで、カミさんはお休みらしい。
11月1日(土):今日も5時半に家を出発。今日は曳船に会わなかった。思うに、本日は土曜日につき工事はお休みか。
11月2日(日):本日は日曜日につき、「うろつきどんたく」の日なのであるが、「雁信随想」の整理で、ゆきそびれてしまった。どうやら1冊の冊子に纏まりそう。「みなと外誌」の別冊として、例によってN兄に校正をお願いするか。
花川戸公園にて
菊花展
夜明け前の駒形橋
台東区側からの工事現場
今朝、4時にメールを開くとY兄から、11日の会合に出席するとの回答が入っていた。5時に家を出ると、山谷掘水門の前から、桜橋を渡ると、足は右方向(下流)に向う。何時もの徘徊コースの逆方向になる。11月11日(火)の水門会の会合の下見も兼ねて、駒形橋を渡り、江戸通の裏道を通って、吾妻橋西詰から浅草駅に入る。いつもはここから、新仲見世通を通るのだが、この北側の伝法院通から仲見世を通って浅草寺境内に入る。境内は今は奥山風景や平成中村座の小屋が立ち、昼間は大変に込み合っているようだ。奥山風景から奥山まいりの門の間に「大絵馬寺宝展と庭園拝観」の入り口がある。
朝まだきの伝法院通
言問通の朝焼け
とにかく奥山通をぬけて、ロックからひさご通をぬけ、千束通に入るところで言問通の朝焼けをカメラに収め、千束通を馬道まで抜けて、地方橋に出ると、ここから山谷掘公園を通って、待乳山聖天下の待乳山公園にはいる。公園南出口で狭い道一つ隔てていつの間にやらチャペルができている。まあ、なんと聖天様に喧嘩を売っているようである。まあ、とても相手にはならぬだろうが…。聞くところによるとこの夏あたりにできたそうで、この十字架は夜になると赤の縁取り電飾に輝くということである。
対岸の墨田区側の空は、未だ姿を表さない太陽を写して、朝焼け雲が輝いている。桜橋を抜けたところの石段をのぼって何時もの遊歩道にでる。山谷掘の水門の前の広場まで出ると、水門上を今まさにお日様が姿を表わそとする寸前であった。
今日は日曜日、隅田公園前を午前9時56分発の東神田行きの都バスで、浅草橋へ出る。靖国通りを東進、両国橋を渡って、一つ目通りで左折、JR両国駅へ。再度、東京江戸博物館へやって来た。
先週10月19日(日)に見損ねた、BOSTON美術館浮世絵名品展を見学するためである。
アメリカのボストン美術館には5万点といわれる浮世絵版画と、多くの版本・肉筆画が収蔵されているが、その質の高さと数量は世界一の規模だという。
東京江戸博物館へ
安田庭園で
鴨と一緒に
太鼓橋の上で
擬宝珠にもたれて
外人の観光ツァー
今回公開されるのはその殆どが日本初公開という豪華なラインナップで、初期から幕末までの浮世絵の歴史を概観できるというものである。
日曜日ではあるが、午前中ということもあって、のろのろのカタツムリの速さではあったが、まあまあ、約1時間半をかけて、出展作品全部を見ることが出来た。勿論、館内は撮影禁止となっているので、写真に納めることはできなかったのが残念である。
外に出て飯屋を探すのも面倒なので、館内の東京モダン亭で食事して、外に出ると安田庭園の前で、婆様が未だは行ったことがないというので、庭内を一巡して、両国の水上バスステーションへ。国技館の前で外人の観光ツアーの団体が記念写真を撮っていた。この団体さんぞろぞろとバスステーションの待合室に入ってきて、周りは殆ど外人ばかり、桟橋でも、船の中でもこれらの外人さんに囲まれて、何だかこちらが外国旅行に出かけている気分にされてしまった。
松屋の地下の食品売場に付き合わされて、帰宅したのは2時を過ぎていた。
桜橋水上バスステーション
言問橋を抜けて上る荷役船
吾妻橋の上は小雨に降られたのであろうか、車道・歩道とも一面に濡れている。この様子だと、まもなく降ってくるだろうなと思ったが、あにはからんや、隅田公園に入り、遊歩道を歩いていると、対岸の高速6号線の上にご来光が見える。今日もどうやら、お天気は持ちそうだ。
帰宅すると、昨日仕上げた、会報「水門」のプリントを荷造り、朝食後、行きつけの佐川急便を扱っている煎餅屋に行くが、今日は休みらしい。仕方ないので、近くのコンビニでゆうぱっく便で発送することにした。送り状を書き直したが、郵便番号が判らないので、店の人に訊ねるが、判らないという。書かなくても大丈夫着くというので、郵便番号は空欄で発送した。
sechin@nethome.ne.jp です。
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