瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 今日は午前中に冊子「雁信随想」のゲラを仕上げた。昼食後、花川戸のクロネコ文書メールで、N兄にゲラを発送。東武浅草駅の北口前の床屋で散髪。先日来、水戸庭の堀辰雄邸の説明板の隣にある碑が気になるので、吾妻橋を渡り、墨田区観光案内所で、訊ねてみた。「二峯先生乃碑」というのだそうだ。早速水戸庭園へと足を向けた。
枕橋茶屋の旦那と女将
fa04fc26.jpg堀辰雄住居跡の説明板
7134b284.JPG二峯先生之碑
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 先だって婆さんと枕橋の袂にある茶屋で飲んだコーヒーの味を思い出したので、立ち寄って挽きたてのコーヒーを注文した。愛想の好い若い夫婦で開いている茶屋であるが、なかなか評判も好いらしい。先だってもテレビで墨田区の町おこしのポイントとして紹介していた。
 水戸庭園で、堀辰雄の説明板と「二峯先生之碑」をカメラに収めて、白鬚橋を渡って、帰宅した。
 二峯先生之碑:書家高林二峯の卒するを偲んで、倅で同じ書家の五峯高林寛が、二峯の墓所である円通寺の門前に建てた碑である。高さ450㎝に及ぶ大きなものであったから、安定も悪くなり、平成元年に移築されたものである。高林二峯は文政2(1819)年、榛名と妙義の山間、上野国(群馬県)碓氷郡下後間に生れたので二峯と号したという。諱(いみな)は信好、字は子述,多四郎といい、鵞翁とも号した。明治30年、齢79歳で没したという。篆額は勝海舟で碑の裏面には関係者名が数多く記されている。酒類販売店の金看板の文字にも気安く手を染めていたという彼の交流範囲の広さが窺われる碑である。
三囲神社の紅葉
450fdcd8.jpg 墨堤通越しにみる三囲神社の境内はすでに紅葉していた。
 


 

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